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青春と言えば高校生、高校生と言えば青春だ。
学生の区分はいくつかあるが、その中で一際「高校生」が眩い青春の光を放っていると感じるのは、たぶん俺だけじゃないはず。何故かは知らないけれど。
そうやって、とりとめの無いことを考えていると、いつの間にか校長先生の話が終わった。ほとんどが右から左へ流れていったが、なんとなく拾ったありがたいお言葉は「晴れてこの学校の生徒です」「春から高校生です」「頑張ってください」などだ。
何故かステージの幕が下ろされている事もあり、校長は段の下に用意された小さな演台の前で喋っていた。校長の話が終わると同時に、コロコロと隅の方に撤去されていった。あ、それキャスター付きだったのか。キャスターがついていると、どれだけそれ以外が精緻に作られていても一気に安っぽく見えてしまうのは俺だけだろうか。多分俺だけだな。
俺が受験だったこともあり、ここの1年は「頑張れ」という言葉を一番聞いた気がする。どうやら俺の周りでこのワードが流行っているらしい。俺的流行語大賞2位だ。ちなみに1位は自分の名前である。
まばらに拍手が起きた。自分もつられて拍手する。正直、覚えているのが3カ所くらいの校長のお言葉に拍手する意味が分からないが、将来社会人になり、ゴルフで、そんなにナイスでもない上司のショットに「ナイスショット!」という練習なのだと思えば納得は出来た。心にもない事を言ったりしたりするのは得意分野である。そんな大人になりたくなかったなぁ。
今、体育館では始業式が行われている。
始業式なだけあって、ちゃんと全学年の生徒が揃い、並んで座っていた。昨日の入学式とは比べものにならないくらいのたくさんの生徒のおかげで、4月初旬のまだ若干肌寒い外の気温と比べて、体育館の中は幾分か暖かく感じられた。考えてみれば1000人近くがここにいるので、当然かもしれない。
周りに知り合いがいないものかとぐるっと見回してみる。といっても座高がそんなに高いわけでもないので、見える範囲は限られていた。ぱっと見、誰も知人はいなかった。
うちの高校の制服は県内でも評判が良く、言ってしまえば制服目当てで入学してくる子がいるほどだ。俺が着ているのは男子の制服だが、評判が良いのは女子の方だ。
別に俺は制服でこの高校を選んだ訳ではないのでどうでも良いが、周りにズラーっと同じ服が並んでいると、ついつい自分の着こなしと見比べてしまう。
水色のワイシャツに濃紺ストライプのネクタイを締め、灰色のブレザーに灰色のスラックス。女子はネクタイではなく濃紺のリボン、下は灰色のチェック柄スカートを穿いている。男女ともにボタンには細かい意匠があり、四日市東の頭文字である「YH」が筆記体のような達筆っぽい字で綴られている。だが、細かいので、1メートルも離れてしまえば何が書いてあるのか全く読めない。意味あるのだろうか、これ。
そして、自分の服を見下ろしてみる。朝、着てみて思った感想が『絶望的に似合わない』だ。
ま、まぁ、別に制服で選んだわけじゃないし。何回言うねん。それに、着たばっかりだから似合ってないだけだし。誰に言い訳しとんねん。
偏差値的には上の下くらいで、まあ普通よりは上かなというくらいである。だけど、俺個人は別に良い大学に入りたいという訳でもない。
では、なんでこの高校に入ったかというと、なんとなくリセットしたかったからだ。人間関係とか、部活だとか、そういう諸々ひっくるめて。
うちの中学からは、地理的な要因で南の鈴鹿市にある高校に進学する人が多かった。この学校には、俺を含め10人ほどしか来ていない。その中で俺と仲が良かった人と言えば、さらに少人数だ。
周りには「ちょっと勉強したいから」と言えば、陸上を続けなくて良いかもしれない、という期待があった。小学3年生の時から、かれこれ6年くらい続けてきた陸上を案外すっきり辞めることが出来るかもしれない。文武両道を掲げながら何となく文に重きを置いている感じのこの高校なら、部活に入らなくても許されるだろうからだ。実際、全体の3割ほどは帰宅部として活動しているらしい。俺も、早く帰ることに命をかける部活に入部しようと思っている。平たく言えば帰宅部にはいろうと思っています。
「えー、続きまして、部活動紹介に移りたいと思います。10分後から始めますので、それまでは休憩とします。えー、各部は準備をお願いします」
進行役である教頭先生がこう言うが否や、待ってましたとばかりに上級生が体育館から飛び出していった。着替えたりだとか、何かと紹介に向けての準備があるのだろう。
関係ない上級生はこれで帰りということで、俺たちの横に座っていた上級生が一斉に立ち上がり、体育館から出て行くために動き始めた。
それに伴い、一応式典ということもあり私語を慎んでいた上級生が、堰を切ったように騒がしくなった。
対照的に、1年生は静かだった。理由は単純明快、仲良くなってないからだ。
よく耳を澄ましてみると、周りでは小声で喋っているやつもいる。何の部活にするかを話しているようだ。おおよそ同じ中学出身のやつだろう。初対面でそんなに仲よさげに話せるわけない。話せるとしたら、よっぽどのコミュ力の持ち主だ。そんなやつなかなかいない。
「なあ、なあ!宗川むねかわ君?」
「?え?俺??」
「そやで。さっきから話しかけとるやん。あっ、宗川君であっとるよな?名前」
…まさか、そんなやつが俺の近くにいるとは思わなかった。
「……コミュ力モンスター」
「ん?コミュ力、なんて??」
あっ、またでてしまった。昔からの癖で、無意識に思ったことを口に出してしまう事があるのだ。この癖は直さないと余計な揉め事の種になる、気がする。少なくとも俺が読んだ漫画はそうだった。
「いや何でもないよ、合ってる。宗川里司だよ、よろしく。ええっと、ごめん、君って知り合いだっけ」
「うわ、酷いなあ。昨日、1回通しで名前呼ばれたやんか」
多分こいつが言ってるのは、昨日の入学式の後、教室で確認のために担任から出席番号順に点呼が行われた。名前の確認のためなんだろうが、そんなので覚えるわけ無いだろ、本気で言ってんのかこいつ。大体初対面なのに馴れ馴れしいなこいつ。
そう思ったが、どうやら本気で言ってるわけじゃないらしい。
「ごめんごめん冗談。俺は手島肇、呼びやすいように好きに呼んでな。よろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
ご丁寧にどうも、と思っていると、手島は矢継ぎ早に話し始めた。
「そんでさムネ、どの部活に入るかもう決めた?」
「ちょ、ムネって何だよムネって」
「え、宗川だからムネやろ?あ、ごめん嫌やった?」
「嫌じゃないけど、初めてそんな呼び方されたからびっくりした」
俺は名字をそのまま呼ばれることが多い。あだ名で呼ばれるのなんて小学校以来なので、忘れていた懐かしい感覚が蘇ってくる。何かあだ名をつけて貰うって、親しみがあって良いよね……。
じーんとそれを噛みしめていると、手島はこほんと咳払いをして、話を続ける。
「そんで改めて、ムネって部活どうするの?」
「帰宅部に入部しようと思ってる」
「へえ、そうなんや……」
あっ、しまった。会話が終わってしまう。
必死に次の会話を考える。だめだ、どうしよう、何を喋ったら良いか全然分からない。今更ながら、何も考えなくても自然に会話が出来る中学の同級生のありがたさを実感した。
しかし、手島のコミュ力はまたしても俺の想像を超えてきた。
「ムネ、それはもったいないで。せっかく東高に入ったんやったら、何か部活入らんと」
「え、でも、帰宅部率3割らしいぞ?なのに、部活盛んってどういうこと?」
この情報は、とある掲示板で、在校生と自称する人が、俺の『部活に入りたくないんですが、帰宅部でも大丈夫でしょうか?』という質問に答えてくれたものだ。
「いやいや、それ受験控えた3年の話やろ?1年生はほとんど何かしら部活入るらしいで?」
えええ……。俺は改めて、ネットの情報は簡単に信用できないなと思った。何が『体感的には3割ほど帰宅部は居ます。安心して帰宅し、勉強に勤しみましょう』だ。ハル@在校生、てめえ嘘教えやがって許さないからな。
手島は、なんだ君知らないのかい、みたいな顔をして話し始めた。こういうのを得意顔もしくはドヤ顔と言うのだろう。それにしても結構腹立つなこの顔、してしまわないように気をつけよう。
「東高は県内でも随一の部活数を誇る高校なんや。何でも、前校長の個性を伸ばすって方針で、最低2人から簡単に部活を作れるようになったらしい。今では40を超える部活数があるらしいで。俺も先輩から聞いたって話を又聞きしただけやで、本当か知らんけど。やで、今からの部活紹介楽しみなんやぁ!どんな部活があるんやろ」
手島はそういうと、手をギュッと握りしめ、目をキラキラさせていた。純粋に、こんなに高校生活を楽しみにしているのが羨ましいなぁと思った。
「あ、ありがとう。そんなこと言われると恥ずかしいわ」
「あっ、なんか言ってた!?俺」
「バリバリ出とったぞ『羨ましいなぁ』って。何が羨ましいん?」
よし誓った。この癖絶対直す。恥ずかしいなあ、本当に。何でもないよ、と言うのがやっとだった。
それにしても、だ。
「そんなに部活があるとは知らなかったな」
「俺も知らへんかった。けど、そんだけ盛んなら、やっぱり最初は部活に入っとった方が友達作れるやろなあ」
そう言うと、手島はそれまでの体育座りから足を崩し、あぐらを組んで、後ろに手をついた姿勢になった。いい加減腰が痛くなってきたのだろう。周りをちらっと見ると、楽な姿勢で座っている生徒が多かったので、なんだ良いのかと俺もあぐらを組む。
何故か手島はニヤニヤしながらこちらを見ていた。俺にはどうしますか旦那ァとでも言い出しそうな悪い笑みに見えた。
「……なんでそんなにニヤニヤしてるんだよ手島」
「いや、宗川君が部活に入ってなくても友達たくさんできるくらいのコミュ力の持ち主なんやったら話は別やけどな?同じ中学のやつ、この組に何人おるん?」
「2人かな、両方女子やし、喋ったことも数回しかないけど」
「そりゃ、同性の友達作るのに時間掛かるかもなあ、1ヶ月くらいかかるんちゃう?」
1ヶ月。それは高校生にとっては絶望的に長い時間だ。何せ36ヶ月しかないのである。短くも輝いている、儚い青春の期間に、1ヶ月という空白の時間を作るのは、あまりに惜しい気がした。
「て、手島君は俺の友達になってくれないのかな?」
我ながら、ものすごい恥ずかしい事を言ってる気がする。いや、気がするじゃなくて普通に恥ずかしいわ。友達になろう宣言とか、小学校低学年の時に言った記憶がある以来だ。頬に熱が帯びるのを自分で実感した。
「いや、もちろん友達やに」
手島はあっけらかんと答えた。こいつ、よく恥ずかしげも無くこんな事言えるなと感心していると、手島は「けど」と付け加えた。
「俺も部活に入ったら、飯とか部活のみんなで食うようになるかもしれへんし。教室におらんようになるかもなあ」
ぼっち飯。一人でご飯を食べること。友達が用事でいないときや、休んでいるときにしょうがなく一人で食べる特例を除き、友達が存在しないぼっちが行う行為。大変つらい。(俺調べ)
それだけは何とかして避けなければいけない。
「そうなのか、そうだよな。何か俺も部活に入ろうかな」
考えてみれば、別にずっと部活に入ってなきゃいけない訳でもない。友達だけ作ってあとはやめればいいのだ。それに、俺の高校生活を手島に握られているというこの状況も、何となく嫌だった。
「それがいいに、折角の高校生活なんやしさ」
手島はそうだとばかりにコクコクと頷いていた。
入学前の、俺の固い決意が早くも崩れてしまった様な気がするが、まだ終わってない。別に運動部に入らなければ良いのだ。そうだ、新しく何か始めれば良いのだ!文化部に入ろう。運動はもう十分したはずだ。
新しい決意を抱くと同時に、教頭先生がマイクで喋りだした。
「えー、静かにしてください。今から、部活動紹介を始めます。えー、まずそうきょく部からお願いします」
そうきょく部とは何ぞや。俺が知らないスポーツか何かかな?
「そうきょく」を脳内で必死に漢字変換していると、今まで下ろされていたステージの幕が上がった。そこには、きれいな着物を着た15人ほどの女子生徒が、それぞれ大きな木製の何かの側に座っていた。
丁寧に座礼をすると、木のソレに手を掛けた。何かを始める所作らしい。
よく目をこらして見てみると、糸が張ってあるのが微かに見えた。
なるほど、お琴だったか。
部の名前を紹介するめくりには、毛筆で「箏曲部」と書かれていた。
これは後で知ったことなのだが、うちの高校の箏曲部は全国大会にも出場しているらしい、結構な強豪校だったのだ。
そんなことはつゆ知らずとも、演奏曲目である有名な桜の曲は、心地よくて力強く体育館に響き渡り、俺は目をつぶってしばらくその音色に聞き惚れていたのだった。