皇女と勇者の戦場
風が強く吹いている。山の上には雪が積もり、そこに立つ者に容赦無い責め苦を与えている。
即席で作られた木の城柵が、風で震えている。巨大な長方形を成した城柵の四角には、赤い馬の描かれた軍旗がはためく。
城柵に囲まれている中には、大量の男たち。そして――一人の、少女。
寒そうに身体を縮こませる屈強な男もいるなか、その少女は、軽装にも関わらず毅然としていた。寒さなどまるで意に介していないかのように。
先頭に立つ少女、その後ろに三人の若者、そして整然と並んだ兵士たち――少女を隊長とする、第一旅団第一大隊の面々だ。
〝姫〟と呼ばれる少女の装備は、とても万全なものとはいえない。革の鎧にブーツ、その上に金属製の胸当てや肩当てが、動きを阻害しない程度に付けられている。背中には風でうごめくマント――軍旗と同じ、赤い馬が大きく描かれた、黒のマント。腰には、長剣を納めた鞘がまかれている。
真新しい装備だった。傷はほとんどなく、金属は艶々と輝いている。
まるで新兵――いや、少女はまさに新兵だった。
「いよいよ、ですね」
姫の背後の若者が、声をかける。真面目そうな顔つきの青年だ。姫は幼さの残る顔を青年に向けた。
「……ええ」
三人の若者のうち、中央がその青年だ。精悍な顔つきに、鍛えられた身体。金属の鎧に、背中には刃の巨大な槍を担いでいる。身体を包む装備はあちこちに傷や血糊があり、いくつもの戦いを生き抜いてきたことが伺える。しかし、肩当てに煌く赤い馬の紋章だけは、綺麗に見えるように磨かれていた。
「これで、終わる――のです」
「最終決戦ってやつですか。まあ、悪くない」
姫から見て青年の左に立つのは、軽薄そうな印象を与える男だ。肩をすくめながら、両手を上げる。その、いつもと変わらぬ男の調子に、姫も青年もわずかに顔が綻ぶ。
姫の身長ほどもありそうな極厚の大剣を二本、両脇の地面に突き刺している。装備は姫に近い軽装備。左胸を覆う金属には、赤い馬。
「緊張ばかりしてたら、勝てる戦も負けちまうぜ。肩の力抜けよ、姫サマ」
「また、お前はそういう口調で……皆に示しがつかないぞ」
青年は真面目そうに口を出すが、それもまた挨拶のようなものだった。
「あんたもだぜ、老将サマ?」
「……某は、問題ない。それに……老将ではない」
応えるのは、右側に控える壮年の兵士だった。姫よりも、青年や男よりも大きく逞しい身体をしている。鎧は青年の比でないほどに汚れている。その右目は、縦に描かれた刀傷で塞がれていた。腰と背中に刀を差し、腕組みをして仁王立ちする姿は、味方からも敵からも軍神と呼ばれ畏怖されるそのものだった。
頭を覆う兜の額部分には、姫と、青年と、男と同じ赤い馬。
先頭の姫は、三人の男を――猛将たちを見る。その瞳には、彼らに対する信頼と、戦場に立つ覚悟――そして、憂いのようなものが見える。
青年は姫を見て、沈痛の面持ちを見せたが、不器用な笑みで取り繕う。
「姫、戦場では僕のそばから離れないでくださいよ」
「分かっている、わ。……迷惑かけて、ごめんなさい」
「何が迷惑なものですか」
姫は――少女は、部下の男たちよりもはるかにひ弱だった。そして、少女の背負う運命に対しても、明らかに不釣合いだった。
ばさばさ、と軍旗が風に煽られている。
「思い返せば、早かったものですね。〝彼〟が反旗を翻し、戦いを重ねてきてからは」
男のうんざりしたような口調。しかしその内には、湧き上がる怒りがあった。
「――あいつのせいで、姫サマは」
「いいのです」
姫が遮る。
「こうなったのも、また運命」
「……姫は、強いですね」
青年はその言葉を紡ぎながらも、違う、と心のなかで確信していた。彼にとっての姫はいつになっても、快活で、外で遊ぶのが好きで、悪を許すことのできない、真っ直ぐな心の少女だった。己の妹のような、愛おしい存在だった。
真っ直ぐ故に、悪を許せない故に、今の世界を憂いておられる、ただの女の子だ。
だからこそ、青年は姫を支えたい。止めることのできない状況だからこそ。
「私の兄は――今となっては、ただの敵です」
姫の、兄。
全ての因縁の――元凶。
言い放つ姫の唇は、震えていた。きつく目を瞑り、見開く。
「時間がありません。――行きましょう。全てを終わらせに」
――そして、また、あの夢の様な遠き日々を。
姫は、マントを揺らしながら、振り返る。木の門が開けられ、寒い風が吹き抜ける。
「みなさん……私に、力を貸してください」
そして、姫と男たちは、因縁渦巻く戦場に駆ける。
◇◆◇◆◇◆◇◆
青年には、大切な人がいた。その双肩に抱えきれない重責を背負った、はかなげな少女だった。
姫の、そして〝あいつ〟の姉だった。
国王のもとに生まれ、早くに王妃を失ってからは、彼女こそが王国の象徴のような存在だった。穏やかな笑顔を国民に向け、癒す人だった。彼女が背負う期待は、計り知れないほど重かった。
青年は、国王の側近のもとに生まれ、彼の子どもたちの世話係となっていた。その中で彼女の心を知り、いつしか惹かれていた。
「はっ――」
戦場を駆ける。彼の槍によって、何人もの敵が命を落とす。その中の何人が青年のことを知っており、青年は何人を知っているだろうか。無心に徹し、ただ槍を振るい続ける。
かつて、世界は不穏な空気も流れていたが、少なくとも青年の周りが穏やかだった。青年はその類まれなる能力により若くして大隊の一隊長に任ぜられていて、各地で敵国との小競り合いを繰り広げていた。だが、城へ帰ると、自分の帰りを待ち望んでくれる人がいた。
それも、長くはなかった。
〝あいつ〟の謀反から、日常の崩壊は始まった。
家族として戦友として交わってきた〝あいつ〟だったが、果たして何を思っていたかを分かったことがあっただろうか。
ただ、何も考えずにこんなことをするような奴ではなかったのは確かだ。
――だからこそ、真実を聞く必要がある。だからこそ、日常を取り戻す必要がある。
青年は、ただ槍を振るい、屍の先にあるモノを目指す。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その壮兵は、姫を、青年を、男を、そして〝彼〟を知っている。彼らの生まれる前から、その男は兵士であり、国王を守る者だった。
四十年以上も前から、壮兵は王国を、世界を見続けてきた。
だから、〝彼〟がこの世を変えたいと思うのも無理はない、と思っている。
「――ぬ」
だが、間違っている。
男が彼に説いてきた〝道〟とは、このようなものではなかった。
民は貧困に喘ぎ、人々は戦乱に恐れ慄いている。それは、誰も望まない道。
国王から託された彼の息子をこうさせてしまったのは、監督たる自分の過ちでもある。
だからこそ、壮兵は戦いに志願し、姫の願いを叶えるべく剣を振るう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「――そろそろか」
その男は、ぼそりと呟いた。背が高く、鋭い眼光をした、まだ若い男だ。
整然と並んだ軍団の一番前に立つその男は、敵がいるであろう方向を睨み付けていた。
筋骨隆々なわけではない、決して屈強とは言い難い肉体。だが、それに秘めた力は、この場にいる誰もが知っている。その力が、男がリーダーとなれた所以であり、しかしそれ以上に、彼のカリスマ性――言いようのない魅力こそが、リーダーたる所以である。
男の斜め後ろには、一人の少女。心配そうに男を見つめていた。
「大丈夫」
男の手が、少女の頭に置かれる。人を安心させる、不思議な温もり。
――男は、〝反逆した英雄〟と呼ばれていた。
かつて沸き起こった、謎の化け物たちの発生。それにいち早く対応し、優秀な仲間を集め、〝魔王〟と呼ばれ畏怖された敵を倒した。多くの国から、数多くの腕利きが英雄のもとに集まった。戦士や僧侶を始め、盗賊や海賊といった荒くれ者たちも、英雄に惹かれ集まった。果てには商人のような者まで集まり、一致団結して〝魔王〟に挑んだ。
化け物たちの発生は、少なからず良い部分もあった。各国の連携である。それまで、国と国は争っていた。しかし、共通の敵の出現により、友好を結ぶチャンスが出来ていた。
――だが、英雄が魔王を倒した。
世界は、何一つ変わらなかった。
どの国も大陸の覇権をめぐり、ぎらぎらした目で他国を睨み付ける。祖国も例外ではなかった。
男の国は、かつては聡明たる女王が統治していた。しかし女王は病に倒れ、まだ若い少女が継いだ。巨大な国を支えるには、身体も精神もまだ未熟すぎる少女が。
――見ていられなかった。
どうして、世界は争うのか。
俺が魔王を倒したのは、何の意味もないことであったのだろうか。
かつての仲間だった戦士は危険だからと獄に入れられ処刑された。僧侶は大教会に戻ったが、派閥争いの道具にされ心を病み、死んだ。魔法使いはその類まれなる秘力を狙われ、自ら死を選んだ。
俺のもとには英雄を国に有したいと目論む王侯どもの娘が送られてきた。結局は俺を魔王を倒した英雄として利用したいだけだった。
世界は狂っている。
だから、正したいと思った。
俺こそが、世界を一つにしてやる。誰も争わない、理不尽に死ぬことのない世界を作り上げる。
たとえそれが、どれだけの犠牲のもとに成り立とうとも――未来を、作る。
「行こう」
男は、眼前に広がる戦場を、その先を見た。少女が――姫が、わが妹がいるであろう天幕を見た。そしてその先を、未来を見据えていた。
男は踏み出す。
「今会いに行こう。そして、お別れだ」
久しぶりの投稿になります。
報われない皇女と勇者のお話でした。
そういえばツイッター始めました。くだらん話もしますが、興味があればフォローしてくれると励みになります。