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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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 ぐずぐずと鼻を鳴らすだけになったわたしに、黒髪の男性はもう一枚ハンカチを貸してくれた。一枚目のハンカチは涙でぐっしょりと濡れていたので、ありがたく借りることにした。


「……どうも、ありがとうございます。洗って返しますね、ええと……」


 お礼を言いたかったのに、まぬけなことにわたしは彼の名前を忘れてしまっていた。一度自己紹介されたというのに、呆けているのにもほどがある。なにより失礼だ。

 ああ、失礼といえばわたしは名乗ることも忘れている。

 言葉が続かず焦っていると、見かねたのか助け舟が出された。


「私のことはロベルトとお呼び下さい」

「ごめんなさい、ちゃんと聞いてなくて……わたしは、鈴木鈴です」

「スズキリン、様ですか」


 ロベルトさんが言い慣れない感じで口に出すのを聞いて、慌てて言いなおす。


「鈴が名前で、鈴木が姓です。様なんてつけずに呼び捨てにしてください、ロベルトさん」

「そのようなわけにはいきません。それに私のことはロベルトとお呼び下さい。さんは必要ありません」

「じ、自分だけ言い分を通そうなんてずるくないですかっ?」

「リン様と私では立場が違います」


 最初の跪いた体勢こそやめてくれたものの、ロベルトさんはあいかわらず丁寧な態度を崩そうとしない。


「わたしには立場なんてないです。ごく普通の人間ですから」

「しかし姓をお持ちでしょう? 私は無学なものですから、スズキ、というのが、家名か群の名かは存じ上げませんが」

「……姓なんて、誰でもあるものですよね……?」


 よっぽど突拍子もないことを言ったらしい。

 ロベルトさんはまじまじとわたしを見たあと、「いいえ」と否定した。


「じゃ、じゃあロベルトさんは!? 姓はありますよね!?」

「どうぞロベルトと。私は《士爵リッター》を叙勲されましたので、アイヒベルガーを名乗っています」

「じょくん…? あ、あの、士爵って、なんでしょう……?」


 ロベルトさんはじっと見つめてくる。わたしは冷や汗をかいていた。

 彼は知っていて当たり前のことを今さら聞いてくる訝しさを感じているのかも知れない。それでも質問には答えてくれた。


「士爵とは、《神聖騎士団シュテルン》においては神聖騎士の勲位です」

「あの、神聖騎士団って……?」

「《聖光リヒト教》が抱える騎士団です」

「聖光……?」

「太陽神ゴルトを崇める聖光教です。この国の国教でもあります。単に教会と呼称されるのが一般的ですね」


 淀みない返答は打てば響くように返る。どうも異世界独自の言語というのは日本語に翻訳されにくいらしい。一度説明してもらえると何となく意味合いは伝わってくるけれど。

 ここには王様や貴族や騎士がいるってこと? そんな存在がいるなんてまさにファンタジーだ、現代的じゃない。わたしったら、一体どんな世界にきてしまったんだろう?

 おろおろしているとロベルトさんは言った。


「――失礼ですが、リン様はこの国に対してあまりお詳しくないようですね」


 ドキッとした。詳しくないも何も、今日この世界にやってきたばかりの人間だから、国どころか今いる場所がどこかもわからない。

 いっそ言ってしまおうか。


「――じ、じつはですね……あの……」


 無言で瞬いて言葉を待つロベルトさんに、言おうと思い……だけどやっぱり信じてもらえなかったらと不安になって、言葉が喉に引っかかる。

 頭がおかしいって思われないかな……?

 だけど、ここで打ち明けなかったら先がないような気がする。

 無知も程度によるだろう。物を知らなさ過ぎると言うのは不審を与えてしまう。

 現に金髪の青年もロベルトさんも、わたしの態度を怪しんでいる。


「あの、その、わたし、とても信じてもらえないかもしれませんけど…………異世界からきたんです……」


 何度も唾を飲み込み、ようやく口にした。

 ……怖々しながら見ると、ロベルトさんは眉一筋動かしていない。

 頭のおかしい妄想家と思われたんだろうか。


「いきなり言われても信じられないですよねっ、あの、でも嘘じゃないんです! おかしくなったわけでもありません! ええと、ここに宇宙の概念があるかわからないですが、地球って星の、日本って国からきたんです。だからこの世界のこととか国のこととか、何もわからないんですっ」

「……ウチュウというのも、ニホンというのも聞いたことがありません」

「や、やっぱりそうですよね……」


 この世界の文明がどこまで発達しているかは知らないけれど、電気がないことは確実だろう。明りが窓しかないため、自然光だけでは広い部屋を照らしだせずに隅は薄暗い。日本だったら天井に蛍光灯がついているところだ。

 わたしは途方に暮れていた。

 どう言ったら伝わるのだろう。

 どんな言葉でなら、真実をわかってもらえるだろう?


「リン様のいらっしゃった国は、ニホン、というところなのですか?」

「ええ、そうなんです」

「大陸でいうと、南のトリスタン寄りでしょうか。髪色が似ています」

「……どの大陸にも日本はないと思います、違う世界の国ですから。……トリスタン人かって、クリストフェル殿下にも言われました。トリスタンの人って黒髪なんですか? じゃあロベルトさんもトリスタンの人ですか?」


 何気なく発した問いだったけど、ロベルトさんは瞬きもせずに動きを止め、ごく薄く苦笑を口の端に上らせた。


「――本当に、何もご存知ないのですね」


 聞いてはいけない質問だったのかな……?

 わたしはぶんぶんと首を縦に振ってうなずいた。


「き、気に障ったのならすみませんっ!」

「いえ、構いませんよ。異世界から来たと言われましたが、この世界については何もご存じない?」

「は、はい。信じてもらえないかもしれませんけど、わたし自分の世界で一度死んだんです。そうしたら神様が現れて、わたしは本来テュリダーセの生まれだから迎えにきたって言って、この世界に連れてきてくれたんです。その時気を失って、目が覚めたら花畑で……何がなんだかわからない内にクリストフェル殿下って人にどうやって侵入したんだ、って剣を向けられて……」

「気がついたら、庭園に?」

「そうなんです。すごく怒られました……」


 怒られたどころではなく、殺されそうになったけど、そんなことを切々と訴えてもしかたない気がした。脅したのはロベルトさんじゃないんだから。

 わたしの話を信じてくれるのだろうか、と不安を抱えて見上げると、ロベルトさんは内心を推し量ることが難しいポーカーフェイスで考え込んでいるようだった。


「――リン様はこの国に対して何の知識もお持ちでない?」

「この国だけじゃなくて、この世界に関することは一般常識を含めてまったくわからないんです……」

「本当に別の世界から来られたのですか?」

「そうです。……わたしの言うこと、信じてくれるんですか?」

「リン様に嘘はつけません。信じるかと尋ねられれば、あまりに変わったお話ですから、心から信じられるとは申し上げられません。ですが、リン様は作り話をされているようには見えません」


 ようするに嘘がつけないってこと? クリストフェル殿下にも似たようなことを言われたけれど、それってわたしが単純な性格をしているという意味にも取れて複雑な気が……。

 いや、気にしている場合じゃない。今はロベルトさんに信じてもらうことが先決だ。


「異世界から来たこととか、全部信じて欲しいとは今は言いません。でも、わたしはこの国のこと何も知らなくて不安なんです。だから、だから……ロベルトさんにはご迷惑だってわかってますけど、少しの間だけ助けてほしいんです!」


 口に出した後、なんて厚かましいお願いをしたんだと真っ赤になった。

 やっぱり訂正しようとするのを、ロベルトさんの微笑みが遮った。


「リン様がこの国について無知であることはわかりました。私でよろしければ、及ばずながらお手伝いさせて頂きましょう」

「……っ! お、お願いします!」


 ロベルトさんが手伝ってくれる! 嬉しい、どうしよう。また泣いてしまいそうだ。

 わたしはだらしなくエヘヘと泣き笑いを浮かべた。頭のおかしい奴だと切り捨てられなくてよかった。この先どうしようと思っていたけれど、心強い味方ができた。

 胸を撫でおろしていると、ロベルトさんがふと表情を切り替えた。


「リン様、この国、いえこの世界についてどれぐらいの知識をお持ちですか?」

「ほとんど知りません。ええと……女性は花といわれていることぐらいしか」

「リン様の世界では《花》ではないのですか?」

「わたしの世界では、女性を花に喩えて言うことはありますけど、花とは言いません。男性も女性も人間ですから」

「リン様の世界とは人の在りようからして違うのでしょうか……。一つ一つ疑問に答えて差し上げたいのですが、今は時間がありません」

「時間が、ないんですか?」

「はい。正直に言いますが、私はクリストフェル殿下の指示を受けてここに居るわけではないのです」


 ――つまり、無断でここに? ってことは不法侵入!?

 わたしはどぎまぎとしてロベルトさんを見た。

 悪い人には見えない。優しくしてくれたし、悪い人と思いたくない。わたしに取り入ったって何もいいことはないだろうし、親切の裏に打算があるとは考えられない。


「私が恐ろしいですか?」


 恐ろしくは、ない。

 ただそういうことを聞かされると不安になる。


「ロベルトさんが、わ、悪い人でも、殿下よりロベルトさんの方がいい、です……」

「一国の王太子と一介の騎士をお比べになられますか、リン様は変わっていらっしゃる」


 ふっと笑んだ瞳は面白がっているようだ。

 わたしは逆に試されたような気分でおもしろくなかった。


「ロベルトさんは優しいです! 殿下は乱暴で意地悪だし、怖いです。どちらがいいかと聞かれたらロベルトさんについていきますっ」

「光栄です、リン様」


 ごく自然にとられた礼は手を組み合わせた例の拝跪で、何度されても慣れない。

 やっぱりわたしのような小娘が受けてよいものとは思えなかった。呼び方も鈴様から変えてもらえないし……。


「リン様が別世界から来られたこと、今しばらく胸の内に留めておいて下さい。この国は異を嗅ぎ分ける者が多く、過ぎる違和は望まぬ猜疑を招きます」

「じゃあどうしたらいいですか……?」

「別世界より、異国の方がまだ受け入れられやすい。これからは南方の小さな群れより来られたと説明された方が無難ですね。習慣や名称については国が違うためにわからないで通して下さい」


 嘘を言うことに抵抗はあるけど、ロベルトさんの勧めるとおりにしたほうが良さそうだ。殿下と兵士の視線の冷たさを思えば、ロベルトさんが受け入れてくれたことが奇跡に感じられる。


「わかりました。ロベルトさんの言った通りにします」


 わたしがうなずくとロベルトさんは顔を上げた。ちらっと窓の外に視線を走らせ、表情を硬くする。

 なんだろう? 同じく窓を見るが、わたしには異常は感じられなかった。


「リン様、この世界について詳しいことは時間のあるときにお教えしますので、今は最低限、これから私の言うことを理解して下さい」

「は、はい!」


 居住まいを正して背筋を伸ばす。

 難しい話じゃないといいんだけど……。

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