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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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 息を呑む間に、扉が押し開けられた。

 衣擦れを殺すように入ってきたのは見知らぬ男性。彼は素早く後ろ手に扉を閉めた。

 今まで出会った中でとりわけ背が高い人だった。百九十センチはありそうだ。

 年は金髪の青年より少し上に見える。黒髪で、右の前髪だけ伸ばした髪型。そのため右眼はほとんど髪に隠れていて見えず、露わな左眼は青より黒味がかって見える藍色。

 わたしは異世界に来て初めて見る日本人に近い髪色に親近感をおぼえた。

 といっても髪色だけで、彫りの深い顔立ちと肌色は日本人の扁平な顔とは人種からして違うと示しているけれど。

 ……異世界の人って、美形率が高いのかもしれない。

 金髪の青年もこの黒髪の男性も、系統は違えどとても整った造作をしている。ファッション雑誌のモデルのように、顔も格好良いけれど、身体つきも手足が長くすらりと引き締まった体型だった。

 金髪の青年が中性的で甘い顔立ちなら、黒髪の男性は精悍で硬質な印象があった。

  黒一色の服に身を包んだ男性は、この部屋に入ってきたときから一瞬たりともわたしから視線を外さない。食い入るような熱心さとも違う、なにかを確かめるような視線だ。


「《八花片》?」


 甘い響きの低い声が、目の前の人から発せられたと気づくのに数瞬遅れた。あまりに微動だにせず見つめてくる彼が血の通わない彫刻のように思えてしまい、喋りかけられてもすぐに反応できなかった。

 端的な問いかけに答えられずにいると、男性は歩を進めてきた。

 無駄のない動き。身のこなし一つ一つが洗練されて見える。しなやかな動きは忍び寄る獣のようだった。腰に吊るされた剣が音も無く揺れている。

 剣――剣、だ。

 ふいに、金髪の青年に剣を突きつけられた恐怖が蘇った。

 引き攣る首筋の傷。冷たい鋼の恐ろしさは心と身体に深く刻み付けられていて、怖いと思った時には体が反応して逃げ腰になっていた。


「こ、こないでください!」


 声が聞こえなかったはずがないのに、男性はさっと残りの距離を詰めた。

 慌てて逃げようとしたわたしの肩を掴むと顔を寄せて、くん、と鼻を鳴らした。

 金髪の青年と同じ仕草。

 力強い手の平ががっちりとわたしを捕らえて逃げられない。彼はこちらの抵抗など気にも留めていないように、仰け反る身体に顔を寄せてきた。

 距離が近すぎて、相手の髪が頬に触れてくる。

 ふうっと吐息が耳朶にかかり、頬に血が集まるのを自覚した。サラサラと肌をかすめて流れ落ちる髪で相手がどこに顔を埋めているかに気づき、心拍数が跳ね上がった。

 猛烈な恥ずかしさが込み上げてくる。

 日本では毎日お風呂に入っていたけど、この世界にきてから花畑に落ちて土にまみれたり、冷や汗脂汗をかく状況ばかりで、間違っても清潔な身体とはいえない。

 自分が汗臭い自覚はあったし、相手はモデルのように綺麗で格好良い人だ。男性と付き合った経験がないわたしは内心激しく動揺していた。

 身をよじって腕から逃れようとするとますます手に力をこめられ、肌に指が食い込んでくる。

 全力で抵抗しているのに体勢が変わらない。目の前の人は子供がじゃれてくるのを相手にするように、少しも本気を出していない。肩をすっぽりと包む大きな手に目をやり、ぞくっと寒気がした。


「……八花片にしては匂いがない」


 男性はぽつりとそう漏らした。

 わたしはかぁっと頭に血が上るのを自覚した。

 ――金髪の青年も、この人も、香りだ匂いだと訳のわからないことを言う!

 緊張の反動から段々と腹が立ってくる。

 こっちの人たちが何にこだわっているのかなんて知らないけど、納得がいかない。

 どうして匂いなんて曖昧なもので、批判されなくちゃいけないの!?

 香水の香りでもさせていればいいのか。鼻をつまむような悪臭がしていれば満足なのか。


「……い、や! もういやっ! 触らないで!!」


 苛立ちを我慢できなくなり、わたしは悲鳴をあげて目の前の存在をドンッ、と突き飛ばした。

 渾身の力をこめたのに、よろめいたのは自分の方だった。恐怖で身体が強ばり覚束ない足元のまま、ドスンと絨毯に尻餅をついたけれど、痛みを気にする余裕なんてなかった。

 知らない間に落としていた矢が目に映る。

 とっさの行動だった。無我夢中で握りしめ、尖った鏃を男性に向けた。


「さ、触らないで! わたしから離れてくださいっ!」


 男性は自分に向けられた鏃を目にしても表情を変えなかった。わたしの手がブルブル振るえていたからかもしれない。他人に凶器を向けるのは初めてだ。今も恐ろしさに腕の力が萎えそうになっている。

 矢を向けたはいいものの、次にどうしようかなんて考えていなかった。

 ただ怖くて腹立たしくて、目の前の男性を睨みつけた。

 静かに目線を下げたその人は一歩下がって距離を置くと、その場に片膝をついた。


「――振る舞いが過ぎました。どうかお許し下さい」


 殿下と呼ばれた青年に兵士たちが取ったものと同じ体勢で、右拳を左手で包むように添えて胸の前に掲げている。彼は本当に反省して許しを請うているように顔を伏せた。

 ……豹変した態度についていけない。

 乱暴に肩を掴んだすぐ後で敬うような礼をとられても、驚きと怪しむ気持ちが入り混じって冷静になれない。腕が疲れてきたけれど、矢を下げる気にはなれなかった。

 背の高い彼は膝をついても床にへたり込んだわたしよりまだ目線が高い。ゆるりと伏せていた目を上げ、藍色の左眼がまっすぐこちらを見た。


「申し遅れました。私はロベルト・リッター・フォン・アイヒベルガーと申します。お目にかかれて光栄です、八花片」


 丁寧に名乗られても、何が何だかわからない。

 突然の展開に反応できずに、ただぼうっとして聞いていた。


「…………八花片? 私の振る舞いにお腹立ちなら、どうぞこの剣でもって私を断じて下さい」


 男性が腰の剣に手をかけたのでわたしはビクッとした。

 剣は、怖い。だけど怖れていたように剣が抜かれることはなく、鞘ごと外して絨毯の上に置かれた。柄をわたしの方に向けて。

 男性は無言でじっと待っている。

 ……断じる、とこの人は言った。

 まさか、この剣をわたしが抜いて斬りつけるように、という意味なのだろうか……?

 とんでもない、とわたしは青ざめた。人を斬るだなんてこと、できるはずがない。


「……そ、それをあっちにやってください!」

「しかし、あなたはお怒りなのでしょう?」


 怒っていないかと聞かれたら、それは怒っているに決まっているけれど!

 だからといって相手を刃物で傷つけたいとは思っていない。いきなり乱暴な扱いをしたことを反省して謝って欲しいだけで、報復のように痛みを与えようなんて考えたこともない。


「おっ怒ってますけど、怒ってませんからっ……あっちにやってください!」


 上ずってしまう声で言ったことが矛盾していたけど、夢中で省みる余裕はなかった。

 男性は窺うように、わたしと剣を交互に見た。

 コクコクとわたしがうなずくと、彼は剣を手に取った。

 条件反射のように剣に対する恐怖が蘇り手の震えがひどくなる。わたしの様子に気づいたらしい男性は、再び剣を吊るすことはなく、自分の後方に置いた。

 視界から剣が消え、ようやくほっと息を吐いた。


「あなたのお気に召されるように従います。その矢を射ると仰せなら、私は甘んじてお受けしましょう」


 男性に言われて、わたしはまだ自分が命綱のように矢を握りしめたままなのを思い出した。

 ぱっと矢を放り捨てる。

 剣に怯えていた自分が、同じく人を殺傷する力を持つ凶器を目の前の人に向けていた。自分が向けられることは嫌がり、そのくせ自分は矢を人に突きつけたまま。

 強引に肩を掴まれはしたけれど、彼は剣で斬りつけようとはしなかった。自分の行動はといえば近寄れば突き刺すとばかりに矢を構えている。顔から火が出る思いで頭を下げた。


「すみませんっ! あの、もう怒ってません……だから、その、気にしないでください。わたしも、矢をあなたに突きつけたことを謝ります。ごめんなさい」

「おやめ下さい。あなたが私に頭を下げる必要などありません。全ての非は私にあります」

「そ、そんなことないです。だって危ないものを人に向けたのはわたしですから……本当にすみません」


 再度謝ると、男性はしばらく黙った後、「では私のことをお許し下さいますか? それでなかったことにいたしませんか」、と提案してくれた。

 わたしは思い切りうなずいて歓迎した。


 ――それにしても、どうしてこの人はわたしに丁重な態度で接するのだろう。

 最初に乱暴な事をしたお詫びにしても行き過ぎている気がする。

 彼とは初対面だから、何か丁寧な態度を取られるようなことをしたわけでもない。かえって矢を突きつける失礼な真似をしたのに、過剰な丁寧さだと思う。

 今も組んだ腕はそのままだし、跪いた姿でわたしと話している。


「あの……その言葉遣い、やめてもらえないですか? 普通に喋ってください」

「それはできません」

「できないって、どうしてですか? わたしはあなたより年下だし、そういう風な態度だと、その、緊張するんです……」


 実際のところ、男性と近く接すること自体慣れていない。

 さすがにそれは恥ずかしくて口に出せなかったけど。


「では、どのように話をすれば宜しいでしょうか?」

「普通で、本当に普通でいいです」

「わかりました。《八花片》の望まれるように」


 深く頭を下げる男の人に、う~…と文句を言いたくなった。

 丁寧な態度、直ってるように思えませんが……。


「……ええと、その体勢も苦しいです、よね? きっと。だから楽にしてください。わたし、偉い人でもなんでもないですから」

「偉い人、そう思うような場面をどこかで見られたのですか?」


 彼はわたしの申し出には答えず、逆に質問してきた。

 わたしは金髪の青年を思い出していた。彼は身分の高い人のようだった。


「ええと、殿下って呼ばれていた金髪の人に、兵士みたいな人があなたと同じ挨拶をしてました」

「それはおそらくクリストフェル殿下でしょう。《国王軍エーアスト・シュタルク》の兵が敬意を払うのは当然のことです。しかしあなたは八花片です。教会に属さない方とはいえ、《神聖騎士シュテルン・ゼーレ》として私が大袈裟な態度をとっているとは思いません」


 エーアストなんとか、とか、男性が話す言葉は謎の単語だらけでさっぱりわからない。

 耳慣れない言葉は適当に漢字を当てはめて推測することも不可能だ。異世界なのだから言葉がわからなくて当たり前、と流してしまうことはできなかった。わたしはこれからこの世界で生きていかなくてはいけないのだから、言語がわからないのは死活問題だった。

 とにかく理解できたのは、この人が丁寧な態度をとるのは、わけがあるらしいということだけ。

 八花片というのがキーワード?

 この人に教えてもらうことはできないだろうか……?

 わたしはこの世界で右も左もわからず困っている。今のところ、もっともいい案に思える。

 初めに尋ねようとした金髪の青年――クリストフェル殿下とかいう人にはきっぱりと切り捨てられ、しかも尋問すると言われてしまった。

 そういえば、クリストフェル殿下はいつこの部屋に戻ってくるのだろう? あれから何時間もたっているはずなのに。

 そこまで考え、おかしな点に気づいてしまった。

 クリストフェル殿下は、確かに「大人しく待っていろ」と言ってわたしを閉じ込めていったのに、次に部屋に入ってきたのはこの人だ。

 彼は扉を壊すでもなく、鍵を開けて入ってきた。クリストフェル殿下が鍵を渡したのだろうか? それならこの人はわたしの尋問を任されているはず。

 兵士がスパイと疑われるわたしに向けた態度は、敵意と疑念だった。扱いも手荒で、間違っても殿下に対するような挨拶と敬いを持って接することはないだろう。

 だったら彼のこの態度は何だろう。はじめに優しくしておいて話を聞き出そうという作戦?

 敵には見えない。でも味方と思うには、わたしはこの人のことをなにも知らない。

 聞けば答えてくれるだろうか?

 ……そして、わたしの言うことを信じてくれるだろうか?


「あの、ええと……わたし、わからないことがたくさんあって……」


 むしろわかることの方が圧倒的に少ない。

 誰かに助けて欲しかった。敵かどうかなんてわからないけど、彼はこれまで唯一敵意を向けてこなかった人だから。

 不安で、心がぐらぐらと揺れている。自分一人では立っていられそうにない。


「この世界のこと全然知らなくて、あなたのいうこともわからなくて……おっ教えてもらおうにも誰もきいてくれなくてっ、困ってて……わたし、こわくて……だからわたしっ……」


 喉に何かがつかえてうまく喋れない。見つめてくる男性の視線を感じて恥ずかしくて情けない。子供みたいに大声で泣いてしまいそう。

 じわりと潤む瞳をこすったら、その腕をそっと止められた。

 いつの間にか傍にきていた男性は、ハンカチを差し出してくれた。


「――目が腫れてしまいますよ。わからないことは何でも訊いてください。私が答えられる限り、あなたの質問にお答えします」


 わたしはぼろぼろと決壊した涙腺を隠すためにうつむいた。

 あふれ出る涙が借りたハンカチに染み込んでいく。

 思いもかけなかった言葉が嬉しかった。この男性にとっても、わたしはきっと異質なものなのだと思う。見慣れない顔で、変な格好で、矢を向けたかと思えば泣き出す、自分でも情緒不安定だと思った。それでも彼は優しい言葉をかけてくれた。

 この世界にきてはじめて安心した。

 自分を哀れんだ涙はとても苦い味がしたけれど、今は違う。ほっとして、嬉しくて。人って悲しくなくても泣けるものなんだ。

 まだ何も問題は解決していないし、わたしのことを信じてもらえるかどうかもわからない。だけど今この時だけは何も心配いらないような気がした。

 気を遣ってもらっているから早く泣きやまないとと思うのに、ちっともとめられない。

 彼は何も言わず、わたしが泣きやむまで傍にいてくれた。

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