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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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 青年の最後の言葉。

 ……サフィって、八つの花びらっていう意味なんだ。

 たしかに胸元の痣は、雫の形をした花びらが八枚あるようにも見える。

 神様が言ったとおりなら、この痣は花の証。

 こんなことならもっと真面目に聞いておけばよかった。本当に後悔先に立たずだ。

 聞き流していた神様の説明を記憶の隅から掘り起こす。

 ええと、テュリダーセでは女性は花から人間になるものらしい。道端に咲くタンポポが人間に化けるとは思えないので比喩的な意味だと思う。

 わたし以外の女性を目にしたことはないから推測になるけど、テュリダーセの女性の身体には同じような痣があるんじゃないだろうか?

 花びらの枚数に驚かれても痣そのものに驚く人はいなかった。皆八枚の花びらなのか、八枚という花びらが多いのか少ないのか、枚数の違いは何の違いかはまだわからない。

 女性が花なら、男性は何になるんだろう? 普通に人間、それともエルフ?

 神様が最後に言ったのはオオカミだった。まさか男がオオカミという歌の歌詞みたいな意味だろうか? 青年に尋ねてみれば教えてもらえるかもしれないけど……。

 聞くは一時の勇気、聞かぬは一生の後悔だ。勇気を振り絞って口を開いた。


「あの、聞きたいことがあるんですが……」


 恐る恐る声をかけると、ぎらっと冷たい視線が返った。

 なぜか青年の機嫌が急降下している。

 なんで? 何もしてないのに!


「自分の立場がわかっていないようだけれど、きみは虜囚だ。王家所有の庭に無断侵入の罪、侵入方法もいまだ不明。……いいように僕らの顔に泥を塗ってくれたね? 中枢にまで侵入を許すなんて、近衛の面目は丸潰れだ。王宮の警備はそこまで温いのかと内外からの嘲笑は免れないだろう。ましてや侵入者が黒髪となれば尚更だ。わが国の威信にかけても、その首輪に繋がる鎖の持ち主まで突き止めなければならない」

「ええっと、つまり……?」

「きみに質問する権利などない。質問、いや尋問は常に僕がきみに行うものであって、その逆はないんだよ」


 言い捨てると靴音一つで身をひるがえし、青年は部屋を出て扉に手をかけた。

 重たげに軋りながら閉ざされる扉は分厚く頑丈な作りだった。彼だから軽く動かせるのに違いない。わたしだったら全身の力をこめて奮闘しなければならなさそうだ。

 わたしを中に残し、閉められる扉。これは何を意味するだろう?

 もしかして、閉じ込められる……の?


「成の真紅を抱きながら香らぬその花紋が偽物かどうかも審議をしないとね。となれば、カルステンも呼ばなければいけないな。……ああ、きみはここで大人しくしているんだよ? 逃げようなんて考えは起こさないほうがいい。暴れても出られないし、痛い目にあいたくないだろう?」

「待ってください! そんな、わたしはっ……」

「……――殿下! クリストフェル殿下!」

「フィリップ! 遅かったじゃないか」


 剣を突きつけ充分痛い目をみせてくれた青年は、遠くから誰かに呼ばれ、それきり興味を失ったように顔を背けた。

 その彼の横顔も閉まりゆく扉の隙間に細く消え、ズン…と低い響きとともに部屋の中に一人取り残された。

 間を置かず扉の向こうで金属音がする。きっと施錠の音だ。


「あっ、まって! 待っておねがい!!」


 急いで重厚な扉に取りすがったけど、ビクともしなかった。拳を作り力任せに扉を叩く。


「ねえ! 待って! 行かないで! 開けてくださいっ!!」

「……よか……で? …な…い……が……」

「ああ……まうな……それよ……カルス……」

「……《八花片》!? …………ほど……りました」


 話し声はどんどん遠ざかっていく。わたしの叫びが聞こえているはずなのに、足を止める気配はなかった。完全に話し声が聞こえなくなると、扉を叩くのも声を上げるのも虚しくなった。

 力をこめて叩いたせいで手が赤くなっている。


「……閉じ込められちゃったの……?」


 こんな犯罪者みたいな扱い、されるいわれなんかないのに。

 合わさった扉の間に顔をくっつけて廊下側を透かし見たけれど、扉に隙間が無いようでどうなっているのかわからなかった。扉を上から下まで見回し、鍵穴がないことに気づいた。

 外側にしか鍵がないらしい。

 次に窓に走った。

 ふかふかとした絨毯が敷かれているところは気持ちいいけれど、楽しむ余裕はない。

 勢い込んで窓から身を乗りだし、クラッと目眩がした。

 た、たた、高い……。

 三階建ての窓から下を見おろしているようだった。へなへなと足が萎え、その場に座り込んだ。

 窓から脱出はぜったいに無理だ。

 何を隠そう、わたしは高所恐怖症なのだから……。




 ++++++++++




 わたしは絨毯の上に座り込み、ぼうっとしていた。

 できることは、ほかに何があるだろう?

 手の爪はボロボロだ。何とか扉を開けられないかと奮闘した結果、手の爪が傷んだだけだった。

 扉に体当たりするのは最初から無駄だとわかっていた。扉が壊れる前に痣だらけで泣くはめになる。扉が無理となると、あとは窓だった。自分では怖くて降りられないけれど、誰かに助けを求めようと思った。

 近寄ってみると、下には目立たない位置に見張りらしい兵士の姿が見えた。白い軍服を着た男性。前に見た人と同じ人かどうかは遠目だったし、外人さんの顔の見分けがつかないからわからない。

 わたしが窓から顔を覗かせたのを見て、兵士はじっとこちらを監視しているようだった。びくびくしながら見詰め合うこと数分以上、ついに思い切って「助けてください~!」と大声を出した。

 返ってきたのは、ひゅんっと風を切って顔の横を通り過ぎ、室内に射込まれた一本の矢だった。

 絨毯に鏃を食い込ませた矢は、勢いを表すように倒れずに揺れている。

 わたしは震え上がって窓辺を離れた。

 地上からかなり距離があるのに、窓を狙い正確に射られた矢。二の矢がないということは、声を出すなという警告だろう。

 恐ろしくていっそ窓を閉めたいけど、この部屋の窓にはガラスや板、カーテンといった窓を塞ぐものが何もなかった。


 じっとりと汗をかいた手で絨毯に突き刺さった矢を引き抜いた。かえしのついた鏃はなかなか抜けず、やっと抜けたときには絨毯はほつれて糸くずがでていた。確実に対象を殺傷するための矢なんだ。

 無意識に首筋を撫でた指先に、乾いた血がぱらぱらと粉のようになってついていた。

 青年に向けられた剣にしても、この矢にしても、平和だった日本と違ってひどく物騒なものを感じる。人を傷つける武器を振るったというのに、あの青年は一筋の動揺もなかった。興奮も、罪悪感も感じていないようだった。

 テュリダーセでは当たり前のことなんだろうか?

 他人に武器を向けられる、ということが恐ろしい。日本では考えられない。

 入ってはいけない場所にまぎれこんだ気がする。場違いな舞台へあがった素人が、言うべき台詞がわからずにおろおろしているみたいに。

 ここでも異物になっちゃうのかな……とても馴染めそうにないよ。

 一度死んで、わたしの本来の世界であるらしいテュリダーセへと帰ってきたのに、元の世界の記憶があるから違和感を感じる。最初からここで生まれていたなら何も思わなかったはず。

 今までの記憶を忘れたくないとごねたとき、神様は言っていた。


 ――きみが望むように、きみに記憶を残そう。このことがきみにとって幸いなのかどうかぼくにもわからないけれど。


 その言葉の意味を初めて実感できた。

 神様は新しい命として生まれ直していたら味わうことがなかった苦しみを予測していたんだ。

 記憶があるから、わたしは自分を認識していられる。だけどそれは見る面を変えれば不幸なことだ。

 言葉、服装、建物も景色だって、全て見覚えのないものばかり。

 人種だって違う。白人系の外国人の中で浮いている容姿。

 世界中探しても一人だけ、テュリダーセという世界でわたしはたった独りの日本人なんだ。

 強い孤独感。

 じわりと瞳が熱くなる。

 自分を哀れんで泣くことは惨めだ。そう思って止めようとするのに止まらない。決壊したように次々と熱い涙があふれてくる。哀れんでくれる人が一人もいないわたしは今、とても惨めな気分だった。

 誰とも分かち合えない価値観、記憶。覚えているから馴染めない。学んだ倫理観が、人を傷つける武器を使う彼らを恐ろしいと感じる。

 ――いっそ、日本人じゃなかったらよかった?

 ……ううん。ダメだ。日本のことを忘れたら、わたしがわたしじゃなくなってしまう。

 過去があっての現在。わたしが自分らしくあるためになくしてはならないものが、今まで生きてきた記憶なんだから。


 ズズッと洟を啜り上げた。

 涙に自浄作用があるって本当だと思う。

 涙と鼻水でグチャグチャで、ひどい顔に違いない。それでも思いっきり泣いて心の方は晴れていた。あの青年に見られたらまた貶されそうだけど。

 死んだ気になって頑張れ、と言う。

 わたしは一回死んだから、死ぬよりつらいことなんてないと信じたい。

 だったら頑張れるだろうか? この異世界で。

 いきなり放り出された異世界で右も左もわからなくても。

 殺されそうになって、スパイと間違われて、閉じ込められて、矢を射られて……思い返すとろくな目に遭ってない滑り出し不順でくじけたくなる異世界だけど――まだ絶望するにはきっと早くて。

 親より早く死ぬことが一番の親不孝。わたしはその親不孝をしてしまった。もう取り返しがつかない。

 だけど神様からもう一度未来が与えられた。

 両親がそうあれと願ってくれたように幸せになれるかわからないけれど、再び生きるチャンスを与えられた。嘆いてばかりいたら、父も母も悲しむだろう。だから頑張らないといけない。

 わたしは新たな決意を噛み締めた。


 気持ちが前向きになると、精神的に自分が追い込まれていたことに気づけた。わたしはテュリダーセに来てから起きた色々なことに参っていたようだ。ストレスがたまって軽い鬱になっていたのかも知れないと思い至る。

 泣いてよかった。涙が救ってくれた。

 ごしごしと顔を擦る。

 涙の跡で突っ張る頬が、なんだか嬉しかった。泣くことができたのが嬉しかった。


 前向きになったのはいいけれど、できることはなんだろう?

 当面の課題はわたしがスパイでもなんでもなく、異世界からやってきた一般人だとどうやって信じてもらうかだけど……説明の仕方を考えるより前に、説明する相手がいない。

 閉じ込められてしまい、外との連絡手段も、部屋から出て行く方法もない。

 青年が尋問しに来ると言っていたから、このまま閉じ込めて飢え死にさせられることはないはず。待っていればいずれ誰か来ると思う。

 ただ殺す気がないからといって、拷問する気もないとは思えなかった。

 できるならあの青年以外に保護してもらえる人を探したい。

 傍に転がっていた矢を見下ろした。この矢を使って、どうにか扉を開けられないだろうか?

 矢を握りしめ、扉に向かった。

 そこで気づいた。

 物音がする。


「……な、に……?」


 カチャッと、ごくごく小さな金属音。

 耳を澄ましていなければ聞こえないほど微かな。

 ……鍵の開く音?

 息を呑んで見守る先で、手強かった扉はゆっくりと開き始めていた。

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