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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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「この国に《八花片》は何人いるか知っているか?」

「わたくしが知る限りでは、本国の教会にいらっしゃるセントポーリア様、ただお一人でございます」

「その通りだ。つまり、本国とこの国を合わせても一人だけだ。他にはいない」

「……では、この娘は他国の? それにしましても香りが……」

「それをこれから調べるんだ。この娘について他言を禁じる。――今見たものは全て忘れろ。余計な詮索も必要ない。わかったな?」


 強く響いた声だった。マントの中で思わず身を竦めてしまう。数瞬の間をおき、兵士の承諾のいらえが返ると、身体がふわっと浮き上がった。

 え、うわ、ちょ、怖い!

 いきなりの浮遊感に足をジタバタさせていたら、どかっとお腹に衝撃がきた。


「うぐっ……」


 腹部を中心に身体が“く”の字になる。

 うつ伏せの状態で肩に担ぎ上げられたようだけど、視界が真っ暗で確認できない。人間一人って結構重いはずなのに、幼児でも担ぐように軽々と抱える青年はよほど鍛えているのだろうか。

 わたしはマントの下からくぐもった声で抗議した。


「……ちょっとっ、なにするんですか!?」

「――耳元で煩いな、黙っていてくれないか? 《花》の甲高い声は耳障りでね、手段を問わず黙らせたくなってしまう」


 ひやりと冷たい声。剣を突きつけられているのと変わらないぐらい恐ろしい。


「離宮へ向かうぞ」

「殿下、お代わりします。ずっとその娘を担いで行かれるおつもりですか?」

「構うな。子供だからたいして重さはない」


 重くないといわれて喜んでいいのか、子供だと断言されて怒ればいいのかどっちだろう。

 だけど青年が歩き出してから、「重い」と言われて下ろしてもらえる方がましだったと思った。

 人に担ぎ上げられて運ばれるというのは想像したよりつらかった。

 裸足だったから助かった、歩かなくていいから楽かもしれないなんて、一瞬でも考えた自分を罵ってやりたい。

 まず自分の体重が腹部にかかって苦しい。脂肪のない青年の肩はゴツゴツ骨ばっていて、歩くたびにお腹に刺さるように痛い。

 そして振動。くの字になると必然的に下を向いた頭に血がさがり、加えて青年が一歩脚を踏み出すごとに身体が揺さ振られる。

 気持ち悪くてお腹が痛くて、胃から酸っぱいものが込みあげてきた。頭からすっぽり被った布地は通気性が悪く浅い呼吸しかできない。酸欠になりそうだった。

 吐いちゃダメ……吐いちゃダメ……絶対殺されるっ。

 喋っただけで黙らせるとすごむ相手の肩の上で嘔吐なんてしてみようものなら、何をされるかわからない。間違っても試してみる気にはなれなかった。

 ゆらゆらクラクラくる頭の中で、吐けば殺される、とそれだけ考えていた。




++++++++++




 どれだけ担がれて歩いた時だろう、マントの向こうで空気が変わったのを感じた。


「――お帰りなさいませ殿下! ご無事ですか!? お怪我は!?」

「殿下! ああご無事でよかった! 庭園に侵入者ありとの報を受けたときは、生きた心地がしませんでしたよ!」

「心配させたな。この通り、怪我ひとつない」


 ざわざわと周囲が一気に騒がしくなった。何人もの人たちが青年を取り囲んで口々に無事を喜んでいるようだ。

 あちこちからかけられる言葉に気さくに応じながらも青年の足は止まらない。何度か段差を乗り越えるように大きく身体が揺れ、人々の話し声が反響していることに気づいて何かの建物に入ったのだと分かった。


「――して、殿下がお抱えのものは何でございましょうか」


 ……わたしのことだよね……?

 マントに包んだでっかい荷物を担いでいたらそれは不審だろう。わたしは息を殺して身動きしないようにしていた。

 もしここで床に下ろされ、マントを剥がれたら――。

 これまでの経緯からして、どこか外国の、それもこの国にとって敵国らしい国のスパイに間違われる。

 逢った時の青年に向けられ、次に兵士達に向けられた敵意。容赦なく振るわれる剣。首筋の傷が思い出したようにチリチリと痛んだ。


「庭に侵入した子供だ。捕まえてきた」

「さすが殿下、と申し上げたいところですが、危険な真似はおやめ下さいませ!」

「子供ですと!? あの庭園に子供が一人で忍び込んだというのですか?」

「いや、どうやって入り込んできたかは調べさせているが、子供一人でできることではない。他にも仲間が居るはずだ。フィリップを呼べ。お前たちはあいつの指示に従って動け。こいつはわたしが直接尋問する」

「殿下御自らなど!」

「わたくしどもにお任せください!」

「なにも耳鼻削いで本格的にやるわけではない。わたしにも子供の一人や二人扱えるさ。お前たちは内通者について調べろ。裏切り者にせよ、敵が潜りこませた間諜にせよ、こちらの情報が洩れている可能性がある」

「はっ、ただちに!」


 散開していく靴音がいくつも響き、青年は溜息とともに肩を回した。

 ずっとわたしを担ぎっぱなしで凝ったのだろうか? その動きでさらに鳩尾に肩がめりこんだ身としては、申し訳なさよりも重いのなら早く下ろしてほしいと思う。

 カツカツと規則的な靴音と共に、こちらも規則的に揺れる身体。歩行の比じゃなく上下の落差が大きい。階段かなにかを昇っているのかもしれないけど。

 ――くっ苦しい! 吐く、吐く、やめて、止まって~!

 わき出してくる嫌な汗。

 何度も唾を飲み込み、わたしはこの苦行が一刻も早く終わることを願った。


「着いたよ」

「きゃっ!」


 吐き気を我慢することだけで精一杯だったため、青年が足を止めたのも気づかなかった。担がれていた身体が荷物のように放り出される。

 突き飛ばされるように押され、わたしはマントの中で周囲に虚しく手を彷徨わせたあと、倒れこんだ。したたかにお尻を打って悶絶する。床が石のように固い。

 痛みに呻いていたら、全身を覆っていたマントがぐいっと引き剥がされた。その勢いにまたもや転がり、唐突に光を取り戻した視界が眩しさと痛みでチカチカした。

 ……どうしてこんなに乱暴なのこの人!?

 ぜぇぜぇ息をつきながら、空気のおいしさに深く息を吸えば、込み上げていた嘔気も少しずつ引いていく。マントの中は蒸れて息苦しかったので、頬の火照りに外気が気持ちいい。


「……そのように赤ら顔をしているとますます醜く見えるね」


 ぼそりと呟かれた感想が嫌味とかそういうものでなく、ただ思ったことを言っただけ、という調子なのがショックだった。

 たしかに彼のような外人さんから見たらわたしなんてヘンな顔かもしれないけど、日本人にしたら普通です!……そう言い返してやれたらスッとするのに。

 仮にも女の子に対して醜いなんて。しかも「ますます」とつけられたから、元から醜いと思っていることは嫌でも察せられる。


「怒っているのかい?」

「……もともとこういう顔ですから」


 むっとして膨れた顔を指して言われた日には、意地でもこう言うしかない。


「生まれつきね、それは可哀想に……」


 クッと喉を鳴らした相手に酸欠ではなく怒りで顔が赤くなった。

 なんて性格が悪い人なの!

 それでも――名前は知らないが、殿下と呼ばれる青年の態度が変わったことは何となく感じられた。こちらをからかうようなことを口にするのは大きな変化だ。

 ――サフィ、そう呼ばれてからだ。

 最初の出会いから、青年は笑顔を作っていても芯には強烈な敵意があった。

 絶えず向けていた燃えるような怒りでなく、冷酷な、邪魔なものを見る眼。他人から敵だと認識され疎まれる経験なんて、平和な日本の女子高生で味わう機会はなかった。だからわたしはずっと精神的に萎縮していた。

 ところが青年が「サフィ」と呼び出してから、抜き身の剣を突きつけるような空気が若干和らいだ。蒼い瞳の奥に変わらず硬いものはあったけど、今すぐ殺されそうな雰囲気ではなくなった。

 青年は取り戻したマントを一瞥して顔をしかめ、羽織らずにくるくると巻いて小脇に抱えた。触ると病気がうつるとでもいいたそうな態度が嫌味だ。


「きみには、しばらくここで過ごしてもらおう」


 ここ、といわれて今居る場所を見渡した。

 わたしの部屋より断然広い。ぱっと見は二十畳以上ある洋装の部屋だった。床は灰色の石で、中央には厚手の絨毯が敷かれて石の冷たい印象を緩和している。

 壁はフローリングのような茶色い板貼りだけれど、天井は床と同じ灰色の石だった。もとは石造りの部屋に壁だけ板が貼ってあるらしい。

 入り口の扉と反対側に開いた窓があり、風と陽光が入り込んでいた。

 壁には大きなタペストリーがかかっている。幾何学的な模様の縁取りの中は三分割され、鹿狩り?や跪く人々など物語の一場面と思われるような図が細かく綴られている。どうやって織られたのか、それとも実は刺繍なのか、わたしの眼では見分けられなかった。

 家具の類はほとんどない。左の壁際に重厚な装飾のタンスが二つ並んでおいてあった。広いわりに殺風景な部屋だった。


「――きみは自分の立場がわかっているのかな?」


 質問の意味を掴みかねて首を傾げた。


「わたしの立場って、どこかの国のスパ……間諜ってことですか?」


 青年の「間諜」という言葉が、よりわかりやすい「スパイ」という表現に翻訳されないことから、スパイという単語はこの世界にないらしい。そう思って言い直したら怪しむ顔をされた。わたしを送り込んできた国の言葉かと疑われたのかもしれない。

 日本語、じゃないけど地球語? だからあながち間違ってないけど……って、余計怪しまれる真似してどうする気なの。わたしの馬鹿!

 さっと青ざめたわたしの顔を眇めた眼でじっくりと見下ろし、青年は言った。


「……やはり、間諜というには素人臭い。それに、八花片を間諜に使うなんて聞いたことがないしね。捕らえられたり殺されたりすれば一族の損失だ。護衛もつけずに外を歩かせるのはよほど己に自信があるか、愚か者のどちらかだろう。きみは声をかけるまで僕に気づいてもいなかった。子供が一人で忍びこめるはずもないから仲間がいるのかと脅してみたのに、剣を向けても誰も助けに来ない。一方きみは口を開けば耳を疑う意味不明な言い訳をして、媚を売るわけでもなく策があるようにも見えない。捨て駒か囮役で、仲間からも見捨てられたのだと思っていたよ。はっきり言ってきみが間諜なら役立たずでどうしようもないよ」


 滔々と連ねられた言葉の数々は、わたしがスパイだったら精神攻撃だと泣きたくなる内容だった。捨て駒とか見捨てられたとか。……ひょっとしてわたしはもう神様というか、運に見捨てられているのかもしれないけど……。


「わたしは間諜なんかじゃありません!!」

「では何者か答えてごらん?」


 ただの日本人で、普通の女子高生ですっ、と、大声で叫べたら!

 意味不明だと切り捨てられた説明を、再度青年の鼓膜にありったけの大声で叩きつけたい。ぐっと唇を噛み締めたわたしを見て青年は笑った。


「答えられないのだろう? 香りで誑しこむ手かと思えば、これみよがしに胸に抱くのは成の深紅だというのに、きみは誰も惹きつけない。おかしいじゃないか、八花片なのに」


 ……おかしいと言われても、青年が疑問に感じるものが理解できない。


「だが偽るのは意味がない。生来の花紋があれば一目で偽物と露見し、《無花片セロ》であればしょせんは刺青。上手く刺そうがどの狼も目もくれず、やはり早晩暴かれるだろう。より大きな嘘ほどばれにくいと言うけれど、騙るのが八花片ではね。きみは一体何者かな……この花紋、彫り物にしては違和感がなさすぎる」


 青年が使う言葉はわからないことだらけで、疑問符が頭の中で踊っている。

 文化も生活習慣も違う異世界のことを訪れてすぐ理解しようなんて、いくらなんでも無理だろう、誰かに教えてもらわないと。

 一番の候補はこの人なんだけど……。わたしのことを敵だと思っているから、難しいのはわかる。それでも説明を求めようと目前の青年を見上げた。

 彼はわたしの顔なんて見ていなかった。視線の先はボタンの千切れたパーカーから覗く、痣。

 見るのは二度目なのに、凝視するほど奇妙だろうか?

 この痣おかしな形をしてるけど、病気ってこと? だから青年はわたしに一度掛けたマントを羽織らなかったのだろうか?

 ううん、接触感染する病気ならあれほど顔を近付けたりしないはず。

 思い出しても恥ずかしさに頬が熱くなる。

 と、っととりあえず……。

 若い異性にじろじろと胸元を見られるのは、その意図が性的なものでなくてもいたたまれない。

 そーっとパーカーの前を合わせると、ふっと白昼夢を追うように青年の視線が上がった。


「――その花弁は麗しの泪形。一つ、二つ三つ、八つ。天上の花地上に堕つ。抱く乙女は八重に咲く、血のひと雫までも甘き蜜花。嗚呼、芳しき――」


 詩でもそらんじるようにそこまで言って、「《八花片サフィ》よ」、と締めくくった青年の声は、低く掠れていた。

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