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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
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「ニホンというのはきみの居る一族の名かい?」


 青年は再び笑顔を浮かべたけど、にじみ出る空気は険を増すばかりだった。

 こ、怖い!

 わたしって馬鹿だ。どうしよう……余計怪しまれてる!

 日本って一族なのかな? もうここで「はい、そうです」って答えて日本民族ってことにしちゃおうか!? 

 迷いつつ、しどろもどろに言葉を紡いだ。


「えと、そう、です。わたしはあの……地球の日本っていう島国から来たんです! といってもご存知ないですよね……ええと、別の国、じゃない別の世界? あの、あなたにとっては異世界から来たんです。わたし自動車事故で、あ、自動車ってわかりますか? ガソリンと、あとエンジンってこの世界にあるのかわかりませんけど、とにかくすごく早く走る鉄の乗り物で、それにはねられて一度死んだんです。そしたら神様があらわれ、て……」


 そこで一方的に捲し立てていたわたしの口が止まる。

 青年はすでに笑っておらず、蔑むような冷たい視線でこちらを見下ろしていた。

 もう二、三言説明を続けていたら、剣を抜かれていたかもしれない。

 冷や汗を浮かべて押し黙ったのを確認し、青年は溜息を吐いた。


「……きみは優れているのか愚か者なのか、判断に迷うね。いつもならきみの荒唐無稽な釈明を聞いてあげる程度の遊び心は持っているんだけれど、今は疲れているんだ。――舌を切り落とされたくなければ、言い訳は僕にではなく獄吏にするといい」


 立て、と青年が促した。


 …………わかっていたけど、信じてもらえないんだ。

 全身から力が抜けて動けない。

 ぐずぐずしていたらまた斬りつけられるかもしれないのに。

 わたしの話は、聞いてもらえなかった。頭のおかしい人間と思われているんだろう。

 耳を傾けてもらえないのも無理はない。それでも、誰に聞かれても同じ説明を繰り返すしかない。目の前の青年にも、これから連れていかれる牢獄でも。

 自分が異世界の人間だと、しかも魂は元はこの世界の人間で、育ちは異世界の日本だというややこしい説明をしなければならない。

 死んで、魂だけこの世界に連れてこられて生き返ったなんて話、一体誰が信じてくれるんだろう?

 わたし自身、自分の身に起ったことでなければ正気を疑う。

 青年が厳しく問い詰めてきたことから、わたしがこの庭に突然現れたことは不審な状況なのだと想像がついた。この世界に魔法とかそういった類の力があって瞬間移動ができるのなら、どうやって現れたのか、こうも方法を問われるだろうか? そういう方法が存在しないから青年が訊ねるんじゃないだろうか?

 だとしたら、神様に連れられて気がついたらこの場所に居た、といっても疑いを招くだけだろう。

 誰にも信じてもらえなかったとき、どうなるんだろう。スパイとして殺されるのかもしれない……。

 うなだれた拍子に首の皮膚が突っ張った。傷口から流れていた血が固まって引き攣れたようだった。流れる感触はないから血はもう止まっているらしい。ズキズキと痛みは残っているけど、そこまで深く斬られてはいないようだ。


「立つんだ」


 二回目の促しは猶予を許さない声音だった。

 わたしはのろのろと立ち上がった。

 花畑を踏みしめる足は裸足だった。神様は靴まで用意してくれなかったらしい。

 灰色の空間にいたときは魂だけの存在だったからか、服は身に着けていなかった。でも異世界で目覚めたときは死んだ時と同じ格好をしていた。

 キャミソールの上に白いフード付パーカー。下はデニム地のショートパンツ。雨が吹きつけるからと一番上まで留めたパーカーのボタンもそのままだった。ブーツやバッグといったものは持っていない。

 携帯電話をもっていたら、異世界から来たことを信じてもらえたかもしれないけど……。

 現代の誇れる多機能端末。通話はもちろんできないだろうけど、剣という武器を使っているくらいだし、カメラ機能でも充分驚いてもらえるのではないだろうか。

 そう思ってパーカーのポケットを探るが空だった。

 ……あ、いけないっ! このパーカー白だった。斬られた時血がついたかもしれない。

 気がついて心配になった。

 わたしは今着ている普段着の服が、とても大切なものになっていた。いきなり放り出された異世界で元の世界を偲ぶよすがは、身につけている洋服しかないのだ。

 首から流れた血で汚れてないか心配で、上からボタンを外す。


「……やっぱり汚れてる」


 ぐいっと引っ張り目の前に持ってきたパーカーの襟元は、赤い血の染みがついていた。


「……――ちょっと見せてみろ!!」


 唐突に胸倉を掴まれ、驚いて悲鳴を上げた。彼の存在はすっかり頭から抜け落ちていた。

 青年の手により、荒々しくパーカーの襟元が左右に広げられた。ボタンが引き千切られて跳ね飛ぶ。


「いやっ! 何するんですかっ!?」


 青年の腕を押し退けようとするがびくともしない。すごい力だった。

 青年は驚愕の表情で食い入るように胸元を凝視している。

 今まで彼に対して生命の危機以外感じたことはなかったけど、今は別の意味で危機を感じた。無理やりパーカーを肌蹴られ、キャミソール一枚の自分の胸を見られている。

 とても冷静ではいられず、ガクガクと身体が震えてくる。

 青年は一言も発さずしばらくわたしの胸元を見ていた。

 それ以上乱暴な真似はしそうにない様子に少しだけ落ち着きが戻る。何を見ているのか青年の視線を追うと、その先にあったのは胸元の赤い痣だった。

 神様に「《花》の証」だといわれた痣。魂だけの姿のときにあったその痣は、生き返った身体に目に見える形として現れていた。

 それをボタンを外したときに見咎められたらしい。けれどここまで驚かれる理由が分からなかった。

 次に青年がとった行動に仰天した。

 顔を近付け、あろうことかこちらの匂いを嗅ぎだしたのだ。

 ――なななななっ!? なんでなんで、なんで!?

 そんなに臭いだろうか? 匂いを嗅がれるほど!? だとしたら年頃の少女として消え入りたいほど恥ずかしい。

 真っ赤になった頬を背け、ぐいぐいと青年を押し退けた……はずだったのに、逆に腕を掴まれ、さらに引き寄せられた。

 力では到底敵わない。さらさらと零れ落ちる金髪が喉元をくすぐるほどの至近距離に青年の顔がある。熱い呼気が肌にかかった。

 うわ、近い近い、顔近いよ……! はなして!

 ありえない近さに心臓が早鐘を打っていた。振る舞いはどうあれ青年の容貌は気後れするほど整っている。男性と付き合った経験がないわたしはパニック寸前だった。

 青年がやっと顔を離し、わたしは息を吐くことができた。


「――信じ、られない。……《八花片サフィ》なのか……?」


 サフィ、と青年が口に出した時、蒼い瞳に混じったのは暗い色だった。苦痛や憎しみとも見える負の感情。目に見えないなにかに囚われてでもいるようにやや視点をずらした瞳で、堪えるようにきつく結ばれた唇は血の気を失っていた。

 ……サフィって、なんなんだろう?

 気になったけど、とても口に出せる雰囲気ではない。

 青年は何度か心を落ち着かせるように深い呼吸をし、ようやく腕を離してくれた。

 膝から力が抜け、よろよろとその場に座り込む。

 はだけていたパーカーの前をしっかり掻き合わせる。指が震えて無事だったボタンまでは留められなかった。強く掴まれていたせいで痺れる腕をさすっていると、青年が言った。


「――とりあえず、僕と一緒に来てもらおう」

「……行くって、どこにですか? ……牢獄ですか? そこでわたしを、ごっ拷問するんですか!?」


 青年はおかしなことを聞いたというように吹き出した。初めて見る自然な笑顔だった。

 ――こんな風にも笑える人なんだ。


「はははっ! 《八花片》を拷問にかけるだって? きみの発想は素晴しいな!」


 わたしにはどこがおかしいのかさっぱりわからない。

 それに、拷問にかけるといったのは彼の方なのに。

 ひとしきり笑うと、青年は唇に指を当てた。甲高い指笛が辺りに鳴り響く。


「――きみが《リシェ》なのは間違いないが、それにしても香りというものがないね。その花紋を見るまで《レナード》かと思っていたよ。花紋の真偽を含め、判断は教会に委ねることになりそうだ」


 そう言って横髪をかきあげた青年の耳に視線が釘付けになった。人間の耳とはあきらかに形状が異なる、ゲームに出てくるエルフのような、先の尖った耳だった。


「その耳……」

「耳? そうだ、耳を見ればよかった。僕も動揺していたんだね、丸い耳の狼なんていないのに」


 “サフィ”、“リシェ”、“レナード”、耳慣れない単語ばかりで途惑う。

 言葉がわからないわけではなく、例えば日本のことを知らない人に「東京」といっても日本の首都だとか、人口が多いなんてことは詳しく説明しないと伝わらないのに似ていて、単語の持つ意味や内容がわからなかった。


 青年の指笛から、しばらくすると城の方角が騒がしくなり、三人の男性が駆け寄ってきた。


「気をつけろ、《王花》の庭だ!!」


 青年のよく通る声が響き、勢いのまま花畑に踏み込もうとしていた男性たちはハッとした様子で歩調を緩めた。

 おじさんが三人。大柄で逞しい体つきをしている。皆同じ格好で、上下が分かれた白の軍服らしきものの上に、肩と胸の部分に甲冑のような防具。両腕には篭手をつけて帯剣している。

 そろって肩に纏ったマントも白色で、全体的に青年と似た格好だ。

 悠然と立つ青年のもとまで来ると、三人は一様に腰を落として片膝をついた。手は右手を拳にし、それを包むように左手で覆って胸の正面に掲げている。こちらの世界の挨拶の仕方なのだろうか。

 彼らの耳も青年と同じように尖っていた。


「お呼びでございますか、殿下。……その者は?」


 間に青年を挟んでいたけれど、視線がこっちに向いてわたしは縮こまった。不躾な視線は明らかな警戒心がこもっていた。

 駆けつけてきた男性たちも青年と同様、金髪碧眼で色素が薄く、彫りの深い顔立ちをしている。日本人顔のわたしに不審の目を向けるのはしょうがない。

 青年が疑っているように、わたしのことをスパイだと疑っているのだろう。

 ……この人、殿下って呼ばれてるんだ……。

 青年とは年齢が親子と呼べそうに離れているのに、三人は恭しい態度で跪いている。

 殿下、殿下ってどういう人につく敬称だっただろう。たしか王族の人につく気がする。

 ということは、この人王族なの……? 思考が鈍っていて、考えをまとめるのにも時間がかかる。


「この娘はお前たちの花統か?」


 青年は言葉を切って、男性たちを眺めた。

 誰も、反応しない。

 見回す彼らの顔に何を見てとったのだろう。

 思うような反応が返らなかったのか、青年は肩を竦めた。

 かとう? 加糖? 加藤さん? ……はないだろう。何のことか説明してほしいけど、空気はピリピリと緊張している。口を開く勇気はなかった。


「この娘がここにどうやって入り込んだのかわからない。突然目の前に現れたようにしか見えなかった。だが暗魔でもあるまいに、人間にそんな真似は不可能だろう? 王の花を囲う離宮の庭だ、警戒を怠ることはない。どこかに仕掛けがあるか、警備の隙を突いて進入したのかどちらかだ。――ところでお前たちは、この娘を見たことがあるか?」


 青年はにっこりと笑っていたが彼らを責めているのは部外者のわたしですらわかった。

 きっとこの男性たちはこの庭か、向こうに見える城を警護する職にでも就いているのだろう。侵入者に気づかなかったのは彼らの失態だ。


「はっ、申し訳御座いませんっ!」


 三人のうち、短く金髪を刈り込んだリーダーらしい男性は青ざめて顔を伏せた。額には脂汗が浮かんでいる。他の二人も青い顔をしていた。

 青年はこの庭を「王花の庭」と呼んでいた。王の花を囲うという意味はわからないけれど、重要な場所らしい。

 さらに青年はどうやら王族らしい。貴人なら普通警護の人が傍で守っているはずなのに、誰も居なかった。青年は剣を持っていたから腕に自信があるのかもしれない。だけど彼が一人で居たのは庭が安全だと思っていたからこそだろう。

 王族が歩く場所に誰にも気づかれず不審者が紛れこんだ、この危険性を警備の兵士たちはよくわかっているようだった。わたしがもし本当にスパイなら、青年を害する可能性もある。


「ただちに周囲を捜索いたします!」

「できるだけ庭を荒らさないようにしろ。詳しい事情はこの娘に直接聞こう。どこで情報が洩れるかわからない。この娘の存在は伏せて侵入者とだけ伝えるんだ。早急に侵入経路と方法を調べろ。内部に手引きしたものが居るかもしれない。洗い出せ。追って指示はフィリップからいくだろう。いいな?」

「はっ、仰せのままに。御前失礼いたします……行くぞっ!」


 短い金髪の男性が指示し、他の二人もざっと立ち上がった。

 そこで青年が背を向ける彼らを呼び止めた。


「一人残れ。この娘を連れて行かねばならない」


 自分が、と三人の中では一番若そうな兵士が名乗り出て、残る二人は足早に去っていった。青年の指示を実行するためだろう。

 庭に残ったのは、青年と兵士とわたし、三人だけになった。


「この者はどちらにお連れしましょう?」

「やっ、痛い!」


 兵士がしゃがみ込み、腕を引いて力任せにわたしを引きずり立たせた。

 扱いが手荒なのは侵入者の疑いを持たれているから仕方ないにしても、痛い。

 異世界の人間は誰も彼も馬鹿力だ。彼らにとっては軽い力でもわたしには万力の力だ。

 膝に力が入らずふらついたところを兵士に支えられた。そのおかげで転びはしなかったけど、ボタンの取れていたパーカーがはだけ、気がついて前を合わせたときには兵士の目にあの痣が映ってしまっていた。


「……八花片!?」


 またしても驚愕の叫びを上げられた。

 青年と同じように兵士の顔が近付けられ――また匂いを嗅がれるのかと身を竦めたとき、兵士との間に布が翻った。

 頭からすっぽりと覆われ、突然暗くなった視界にたたらを踏んだ身体を、誰かに抱きしめられた。


「――八花片。そう見えたか?」


 全身を覆う布越しに、頭上から青年の声が聞こえた。

 抱きしめているのは青年? ならわたしを覆ったのは彼のマントだろうか。

 ぐっと顔を胸板に押し付けられた。家族以外の男性とこれほど密着するのは初めてで、布に包まれている息苦しさとは別の理由で赤くなる。


「はっ……その娘の花紋、麗泪の八雫のように……」

「色を見たか?」

「成の深紅とお見受けしました」

「目敏いな……」


 青年は困ったように吐息を吐いた。

 せいのしんく?

 何のことだろう……わたしにはさっぱり話が見えない。

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