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花と狼  作者: riki
第二章 花護の騎士
34/43

32

「では彼らに承認の証を」

「はい」


 ダールガンさんの促しに頭の中で手順を確認する。

 右側から順に承認するから、まずはロベルトさんだ。

 拝跪している広い肩に両手をかけると、彼は顎を上げてわたしを見た。身長差のためそれほど屈む必要はない。ぎくしゃくと肘を曲げ、「……勇敢なる双牙に、《春の神フリューリング》の御加護を」と、エリカさんに教わった祈りの文句を唱え、て。


 う、えぇっ?

 こちらを見上げたままの瞳にゴクリと喉を鳴らした。

 …………目、閉じないんですか?


 額に、としか聞いていなかったわたしが動きを止めたせいで、周囲の空気がピンと張りつめた。嫌な汗が背中をつたう。

 ちっ、違うんです! ここにきて撤回とかではなくてですねっ、見つめ合ったままというのは非常に難度の高いチャレンジかとっ……!

 ウロウロ視線が泳ぎまくるわたしに沈黙が重く圧しかかる。

 ……承認するか否かはわたしの行動にかかっているんだ。口づけるふり、うん、何も実際にするわけじゃないし、意識しすぎる方がかえっておかしいよねっ?

 自分が目を閉じればいいと逆転の発想に勇気づけられ、固く目を瞑った。

 息を止めてそっと顔を寄せる。

 あとは記憶の中の距離を詰めるだけ――。

 「遠すぎます」と囁く声がした。焦って一センチ目測を修正したはずが、唇に触れたものにガバッと上体を起こす。

 ~~いいいっ、今! ロベルトさんっ!?

 うろたえるわたしをよそに、何食わぬ顔をした人は俯いた額へ拳を当てて返礼した。

 本当に遠かったのかどうか、確認する術はない。

 わたしは一層ぎくしゃくした動きで隣へ向かった。


 手袋をしていてよかった。緊張に汗ばむ手をクラウスさんの肩に置くと、すっと顔を上げたひとつきりの青灰がわたしを捉えた。

 あれ、似てる……?

 傷跡にばかり目がいってしまった面差し。あらためて眺めれば誰かを彷彿とさせることに気づいた。彫りの深い顔に目許、通った鼻筋。

 外人さんに知り合いはいないけれど……おぼろげに記憶が刺激され、わたしは内心首を傾げた。


「――勇敢なる双牙に、《春の神》の御加護を」


 クラウスさんは軽く目を伏せてくれたので、落ち着いて唇を寄せることができた。

 察してくださってありがとうございます……。

 今度は慎重に距離を詰めたおかげか、承認は無事に終わった。


 ダールガンさんの隣へ移動して祭壇の前を空けると、二人は立ち上がって無人の祭壇に礼をした。

 そしてわずかなタイミングのずれもなく剣を抜き放つ。ロベルトさんが左手なのは怪我のせいだろうけれど、クラウスさんは元々左利きなのだろうか、左手で柄を握っていた。

 胸の前で切っ先を上に垂直に構え、剣を胸元へ引き寄せる。次に握った拳を心臓に重ねた。

 ダールガンさんが二人に近づき、黒塗りのお盆から赤い布を渡した。剣を収めた彼らはそれぞれ自分の左腕に輪っか状の布を通し、針を留める。

 黒の袖に目を引く、真新しい深紅の腕章。


「ロベルト・リッター・フォン・アイヒベルガー並びに、クラウス・リッター・フォン・セーヴェリング、汝らをリン・ハールスラントの《花護騎士》に任ずる。己が牙をかけ、万難を排せよ」

「はっ!」


 覇気の漲る返答が聖堂を震わせた。

 こうしてロベルトさんとクラウスさんが、正式に花護騎士としてついてくれることになった。




 +++++++++++++++




 任命式が終わり、神聖騎士たちは各自持ち場に戻ったようだ。人気のなくなった聖堂はガランとしている。わたしたちはある程度人がはけてから帰った方がいいと言われ待っていた。

 舞台袖に下がったところでユーリウスさんに出会った。

 「お疲れさまでした」とにこやかに迎えてくれたのに、わたしの横に流れた視線は打って変わって冷たかった。


「私が内務士長のユーリウスです。ロベルト、クラウス、これから君たちは花護騎士として内務の管轄、つまり私の指揮下に入ります。まずは八花片を館へ送り届けるのが初仕事ですね。詳しいことは後程伝えますから、宿舎へ来るように」


 「はっ」と応えた二人を順に見やり、またロベルトさんに戻る。


「残念でしたね。上手くやりましたが、団長たちや私を欺くことはできませんよ」

「……何をでしょうか? お話が見えません」

「私は“眼”が良いんです。氣が緩んで斬られたなどという言い訳が通用するとは思わないことですね。治りが早いとトリスタンの血に胡坐をかいて、腕を差し出したんでしょう? 内務からの風当たりを弱めたかったのかもしれませんが、小賢しい芝居は人を不愉快にさせるだけです」

「買い被っていただくのは光栄ですが、あれが私の実力です」

「二度同じことを言う気はありません。くだらない真似を続けるなら腕章を剥奪するだけです。――ああ、私が怒っていると口にしなければわかりませんか?」


 ユーリウスさんの声はがらりと低く変わり、かろうじて聞こえたのは、「……《花》を泣かせるな。次はないぞ」という部分だけだった。


「八花片」

「は、はい」

「《狼》は知恵の廻る獣です。それはどの狼に対してもいえることだとお忘れなきよう」


 忠告ともとれる台詞。

 誰を対象として? 狼全般か、特定の人物か。

 わたしはびっくりしてただ頷くことしかできなかった。

 ユーリウスさんが立ち去ったあと、耳にした会話がどうしても気になって黒い上着の裾を引っぱった。こちらを見下ろす藍色の瞳は冷静なままだ。


「ユーリウスさんが言われたこと、本当ですか?」

「何がでしょう?」

「試合のことです。わざと怪我したんですか?」

「いいえ、まさか。自分から進んで傷つく人はいないでしょう? 誰しも見誤ることはあります。内務士長は実力以上に私を買って下さっていたようですね」


 やや不躾な質問にも気を悪くした様子はなく、穏やかな答えが返る。

 じゃあユーリウスさんは憶測を述べたにすぎないということ……?

 ロベルトさんの考えはいつも読めない。彼が大人で、わたしが子供すぎるからだろうか。

 釈然としないながら、自分から怪我をする人はいないという言葉に納得もしていた。常識的に考えて木の床に易々と突き立つ剣をわざと受ける人はいない。


「では参りましょうか、リン様」

「は、……」


 あぶないあぶない。

 差し出された腕がごく自然すぎて、あやうく掴まるところだった。

 もし手当の場にいなかったら一見平気そうなロベルトさんに甘えていたかもしれないけれど、あの傷を見たあとでは無理に決まっている。

 いくら狼が頑丈だといっても限度がある。館に帰るためには誰かの手を借りなければならないけど、団長さんはもう居ない。ロベルトさんとクラウスさん、どちらかにお世話になるしかないだろう。

 わたしは迷わず一歩踏み出した。


「よろしくお願いします」


 けれど手を伸ばした先、意外そうに片眉を上げたクラウスさんが突如体を反らした。

 パシッと鋭く打ち合わされる音。

 なっ、なんで殴ろうとするんですかっ!? ロベルトさんっ……!

 突き出された拳を掌で受けたクラウスさんは、「行け、獲る気はない」と呆れたように言った。

 ロベルトさんがわたしの前に通せんぼをするように立ちはだかった。

 中途半端に伸ばしていた腕を引っ込め、彼を窺う。


「リン様、気を遣うところが間違っていますよ」

「えっ、あの、だって右腕が」

「斬り落とされたわけではありません。あなたを抱き上げることができるか、それが心配ですか?」

「ちがっ……、~~心配ですよっ! わたしじゃなくて、ロベルトさんが痛い思いをするのが嫌なんです! 無理してほしくないんです! わたしは自分の足で歩けます。でも誰かに運んでもらうなら、クラウスさんにお願いした方がっ……」


 的外れな推測に対する反論は、無言の威圧に尻すぼみに消えた。

 ……わかってくれないロベルトさんに怒っていたのに、今は彼の方が怒っている気がする。

 途惑うわたしの上に、覆いかぶさるように黒い影が降ってきた。

 耳元に顔を寄せられ、ぴしっと身体が固まる。

 空気の流れで鼻を掠めたのは汗の匂いと、少しの獣臭さ。


「――《主花アウリーシェ》、私が何のために花護になったのか、おわかりにならないと?」


 質の異なる黒髪が頬に触れ、囁きと一緒に熱い吐息が首筋に落ちた。

 責める調子の問いかけに、だけど真っ白になった思考が働かない。

 答えをねだる狼の息が絶えず耳にかかるというのに、一体何を考えられるだろう!

 ビクッと肩をすくめたわたしの反応が気に入らなかったのか、彼はさらに顔を寄せて追い打ちをかけるように言葉を吹きこんだ。


「狼という生き物は呆れるほど狭量なのですよ。何度あなたを団長の腕から攫おうと思ったか、教えてさしあげましょうか。《花狼》を差し置いて他の狼に頼るなど……許しがたい」

「ひゃっ!」


 やわらかな熱が耳朶を食み、次にピリッと痛みを走らせた。

 とっさにロベルトさんの胸を押しやったけれど、逆に身をかがめた彼に両足を掬いとられた。反動でグラついた身体を支えるには縋りつくしかなくて。

 肩に手を置いて安堵の息をついたところで、じっとこちらを射抜く視線に気づいた。

 吸い込まれそうな深い藍色に潜んだもの。

 獰猛な気配にひるんで俯いたわたしを、まだ彼は許してくれなかった。

 顎下に添えられた指の意図に従わずにいたら、残る指で喉をくすぐられた。つ…と肌を撫でる感覚に鼓動が跳ね上がり、泣きたい気持ちでそろそろ顔を上げる。

 藍色の瞳に映り込んだ自分が見えるほど近い。眦に沿った緋色は褐色の肌に沈むことなく、くっきりと切れ長の輪郭を際立たせていた。


「公にあなたを抱えられるのが花護ならば、その座を誰に譲れましょう。腕の傷よりもあなたに拒まれることの方がつらい」

「こ、拒んではっ……」

「クラウスの手を借りようとしました」


 ぐっと言葉に詰まった。

 それはロベルトさんの怪我が心配だったからっ……!

 顎から滑った指先が唇にちょんと触れてきて慌てた。無意識に尖らせていたらしい。


「ええ、わかっています。あなたが優しいことも、《狼》について知識が乏しいことも。これは本当に大した傷ではないのです。ですからもう少し、私に頼って下さいませんか」

「でも……」

「リン様?」

「はいっわかりました!」


 不穏に上がった語尾に必死で頷いていると、満足気に笑みを刷く唇が視界に入り、感触を思い出してしまった。

 ……さっき、わたしの耳を……。

 甘噛みにジンと疼く耳が燃えそうに火照っている。

 恥ずかしくてまともにロベルトさんの顔が見られない。

 再び俯いて目を瞑ったけれど、心臓は痛いぐらいにドキドキしていた。

 子供をあやすようなゆったりとした口調で低い声が囁く。


「――どうぞそのまま、目を閉じていて下さい。そして私がどんな風にあなたを抱いているか、覚えていて下さい。誰の腕があなたを抱き上げようと間違えないように。目を閉じていても私だとわかるように」


 ロベルトさんの腕……?

 逞しくてしっかりしている。抱き上げる瞬間は力強く、わたしが腰かけるように腕に乗っていても揺らがない。膝を支える手は大きいから、片手ですっぽり両膝を覆ってしまう。触れあっている箇所は一部なのに丸ごと囲われているようだ。

 しばらく抱かれていると服越しにじんわり体温が伝わってきて、ほっとする。自分とは違う温もりにすり寄ってしまいたくなるのはどうしてだろう。

 人恋しくなってるのかな……。

 そんな子供っぽい甘えもロベルトさんなら受け入れてくれそうで、駄目駄目、と首を振った。


「舞台に現れたリン様の姿に驚きました。正装がよくお似合いですね」

「はっ恥ずかしいのであまり見ないでください。馬子にも衣装なのはわかってるんです。せっかくシラーさんが綺麗にしてくれたのに、泣いたせいでお化粧も落ちちゃって……」

「これは涙の訳に自惚れたい狼の欲目ではありませんが……化粧などしていなくともあなたは可愛らしい」


 泣いた理由……。

 やっと意味を呑み込めたわたしは、顔が赤くなるのをおさえきれなかった。

 誤解、じゃないですけどっ! それは心配のあまりであって、うっ自惚れたいとかっ……!

 ロベルトさんの言い方は意味深で困ってしまう。

 顔以外にも身体中がかっかと熱い。

 ぼうっとして視線を巡らせていると、額に手を当てられた。


「――リン様、熱がありますね?」


 熱?

 顔が熱いのはロベルトさんのせいじゃないですか、当たり前みたいにおでこで熱を測ったりして。

 でも……。


「ロベルトさんの手、冷たくて気持ちいいです……」


 へらりと笑ったら、眉を顰めたロベルトさんはわたしを抱え直し、急に足を速めた。

 わっ、しがみついていないとやっぱり高いところは怖い。

 後方に流れ出した景色を目で追っている内にぐるぐると世界が回りはじめ、目の前にある肩に頬を預けた。

 あ、ロベルトさんのにおいがする……。

 なんだか無性に安心して、わたしは瞼を閉じた。




                第二章 了

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