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花と狼  作者: riki
第一章 花狼の誓約
3/43

 自称神様と名乗る子供の説明は、わたしはすでに死んでいる、というのものだった。

 さらに、わたしは日本でもない、地球ですらない別世界の生まれ、らしい……。

 突飛な話にぽかんとしていると、子供はもどかしそうに説明しだした。


 曰く。

 本来、魂とは生れ落ちた世界で転生を繰り返すそうで、わたしはその生まれた世界を離れてこっちの世界、(地球のことかな?)に来てしまった。そんな事態は滅多にないことで、生まれた世界の神様(この子供がその神だという)は、行方を捜していたけど、今まで見つからなかった。

 見つからなかった理由は世界が数多くあることと、こっちの世界に転生してしまったことで肉体を得たからだそうだ。

 肉体とは殻のように魂を覆い、気配を隠して神様の目をもくらませるものらしい。


 以上。現実味のない説明に唖然としてしまった。

 荒唐無稽に過ぎるんじゃないだろうか。眉唾どころか笑い話に近いような……。

 なぜ今、見つけられたのかは改めて言われなくてもわかった。

 ――わたしが死んで、肉体を失ったから。

 ただ苦笑するしかない。

 今日はわけのわからない夢だと思う。それも、良い夢じゃない。普通に考えて、自分が死んだなんて夢は悪夢に分類されるだろう。同じ夢を見るならもっと楽しい夢がいいのに。


「はやく目が覚めないかなぁ……」


 思わずもらした呟きに子供は俯いた。

 瞳らしい光点がくすんだ赤灰色に瞬く。傷ついた風にも見えて、子供を虐めているような居心地の悪さを感じる。


 ――信じていないの? ぼくの話……。


「……そう言われても、いきなりおかしな話をされても信じられるわけないよ。これはわたしの夢なんだし、きみもわたしが作った夢の中の存在なんでしょう? だったらもういいから、やめようよこんな話」


 早くこんな夢から目覚めたい。

 心が痛みつつもキッパリと言ったら、子供は憂鬱そうな声で言った。


 ――きみが傷つくといけないから本当は見せたくなかったんだけれど、しかたがないね……。きみはもう肉体を失ったんだ。二度と目覚めないんだよ。


 道理を知らぬ幼い子に言い聞かせるような、ゆっくりとした口調。子供の言葉の不吉さに嫌な予感がした。


 突然足元の空間が色味を失い、景色を映し出すスクリーンのように白く変化した。

 いつかテレビで見たグラスボートのようだった。沖縄の遊覧船で、船底にガラスがはめ込まれていて海底が見える船。足元に透明な板があり、少し遠い海底をのぞくようにわたしはその光景を見下ろしていた。


 そこは、激しい雨が降っていた。

 音は何も聞こえない。無音の映画をみているみたいだ。

 顔から血を流した中年の男性が携帯電話にむかって怒鳴っていた。切羽詰まった形相は恐怖の色を浮かべている。

 男性から離れたところにぽつんと転がった傘は、男の人が持つにはおかしい女性用だった。傘の持ち手はひしゃげ、傘骨も折れてしまって二度とさせそうにない。


 ……雨降りでも、せめて傘は明るい色がいいなって……。


 向日葵の柄が気に入っていた。鮮やかな黄色で、暗い雨の日でも気分が晴れる気がしたから。

 その隣、雨粒が叩いているバッグは父親に誕生日プレゼントに買ってもらったものだ。タータンチェックが可愛くて一目で気に入ったバッグ。口金が外れたのか中身が散乱している。

 転がって雨に打たれてるピンクの携帯電話。友達とおそろいを選んだ。「ストラップもそろえよう!」ってもらった小さなテディベアは、ちぎれたのかなくなっていた。

 男性は話がすんだのだろうか、携帯を握りしめて祈るように額に当てた。力をこめすぎて白くなった両手が震えている。 スーツが濡れるのもおかまいなしに道路にうずくまったままだ。

 男性のすぐ傍、真っ黒に濡れたアスファルトの上に少女が一人倒れている。

 はじめは人形かと思った。

 少女の身体のまわりに赤い水溜りができていた。 雨足は衰えをみせず、赤い水溜りはどんどんその範囲を広げている。

 冷たい雨に濡れ続けるというのに、少女は一向に起き上がろうとしない。ブーツが二足とも脱げて転がっている。でももう履けないのだろう。

 人形だと思ったのにはわけがあった。

 なぜなら――少女は人体の関節から通常考えられない不自然な方向に手足を曲げたまま、ピクリともしなかった。 ぐにゃりとねじれた手足。押し潰されたように奇妙に薄くなった胸。青白い顔に貼りついた黒髪。額と頬は血まみれで鼻血が出ている。

 少女の顔に、わたしは見覚えがあった。


 毎日鏡で見る顔だ。


「っいやあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 認識したとたん悲鳴が喉をついた。

 耳が痛くなるほど大声を張り上げた。 何度も、何度も、言葉にならない声だけ。

 こめかみが痛み、息切れしてもやめられなくて吐きそうになった。

 嘘だ!

 嘘、うそうそ、あんなの嘘っ!!

 いつ、足元の光景が消えたのか知らない。

 息切れして呼吸が苦しくて、喉も痛い。手で覆った顔には涙が溢れていた。

 気がつくと元の灰色の空間にうずくまり、ひきつけを起こした子供のようにしゃくりあげて泣いていた。


 ――ごめんね……でもきみに信じてもらいたかったんだ。きみが肉体を失ったということをわかってほしかったんだ。


 言い訳をならべる子供が憎らしい。

 信じたくない。

 信じたくないのに、思い出してしまった。

 ブレーキ音。水飛沫。迫りくる車。衝撃。何かが体内で折れる音。肌を打つ雨の冷たさ。

 今見せられた光景にはなかったはずの事故の瞬間を、なぜ知っているのだろう。

 まるで当事者のようにありありと脳裏に思い描ける。

 ――否。思い出せる。


 …………わたし、死んだ、の……?


 自分が交通事故に遭って死ぬなんて、本気で考えたことはない。

 わたしはごく普通の女子高生だった。

 成績は中の中。容姿は十人並みで特別秀でた面もなく、目立って悪い点もない。平凡を絵に描いた存在といってもいい。周りの友達と同じく、高校を卒業したら大学にいって就職して、結婚をして子供を育てる。ごくありふれた未来を想像していた。


 また新しい涙が溢れてきた。

 死んだなんて何かの間違いだ。

 ……もうお母さんとお父さんに逢えないの? クラスのみんなにも?

 やりたいことがあったのに。母の手伝い。父の肩叩き。友達と遊びにいく約束。

 他愛無いことだけれど、もうできないのだと思うと涙が止まらなかった。

 死んでしまったら、そこでおしまい。

 当たり前のことが辛かった。二度と親しい人の顔を見られないのが悲しくて、涙が止まらなかった。

 わたしが泣き疲れて嗚咽が止むまで、子供はじっと待っていた。


 死後の世界なのに涙がでるなんて変なの……。

 目はヒリヒリするし喉は嗄れて痛い。さんざん泣いて、ようやく気持ちも少し落ち着いてきた。

 大きく息を吸って呼吸を整える。

 自分が死んだという実感はないけれど、事故にあった事実は否応なく受け止めなければいけない。事故に遭った記憶はたしかに持っている。

 見せられた光景が真実なら、ああまで損傷した肉体で人間が生きていられるとは考え難い。

 わたしは死んでしまったのだろう。

 そこで、この子供は何者なのか、という疑問が湧き上がって来る。

 死後の水先案内人?


「……ところできみは……あなたは誰? 本当に神様なの?」


 ――この世界じゃない。ぼくのテュリダーセで、きみたちからはそう呼ばれているよ。


「テュリダーセ?」


 ――そう、ぼくの世界。世界はいくつもあり、それぞれに神がいる。もちろんこの世界にも。でもきみは本来この世界にとっては紛れ込んだ異物だ。もとはぼくの世界の魂だから。


 わたしは恐ろしい予想と、抗えない希望を感じた。

 口にするのも躊躇うほど自分にとっては恐怖の推測。肯定されればショックのあまりどうにかなってしまいそうなもの。


「じゃあ……わたしが死んだのは、異物だったから? 邪魔な存在だったから、だから死んだの……?」


 この世界にとって異物だから死んだのなら、わたしの価値はなんだったのかわからない。今まで生きてきた人生全ての意味を失う。両親にも友達にも申し訳が立たない。

 わたしが、突然入り込んだ異物が、娘として生まれていたのだとしたら? 両親には本来ならちゃんとした娘が生まれていたかもしれないのだとしたら?

 邪魔者として排除される存在ではなく、年老いた彼らの老後を世話し、孫の顔をみせてあげられるような娘がいたかもしれない。

 想像しただけでぞっとした。

 震える声で紡いだ問いかけは、神様によって否定された。


 ――それは違う。神とは律に縛られた不自由な存在だ。無闇に運命に手を入れたり、世界に干渉するのは許されないんだ。きみが肉体を失ったことに神は関わっていないよ。きみ自身に問題があったわけじゃない。


 ほっとした。

 次に、どうしようもない、抗えない希望が口をついて出てきた。


「それならわたしのところに来たのは、生き返らせてくれるからなの……?」


 ――それも違う。きみの肉体は失われた。二度とこの世界に、きみがきみとして生まれることはできない。


「じゃあ何なの! どうして来たの! 何もしてくれないなら何をしに来たの!?」


 ――はじめに言ったよ、ぼくはきみを迎えにきたんだって。連れて帰るためにきたんだよ。きみはぼくの世界の《花》だもの。


「いや! いや! わたしはこの世界がいい。花なんかじゃないっ! あなたの世界になんか行きたくない!」


 首を振って激しく拒否した。地球の日本以外に住んだことなんてない。わたしはこの街でずっと暮らしてきたのに。別の世界? 死んだっていきたくない。

 生まれ変わるならまたこの街がいい。父と母のもとがいい。

 みんなと離れたくない。生まれ変わってもこの世界が、愛する人たちがいる世界がいい。


 ――でもきみは、もうこの世界の肉体を失った。縁は切れたんだよ。もともと魂が元の世界を離れて縁を結ぶなんてそうあることじゃない。一度切れた縁は再び結ばれることはないんだ。それに、きみの魂はぼくの世界を離れてから時間が経ってとても弱っているんだ。早く帰らないと魂が消滅してしまう。


 わたしは耳を塞いでかぶりを振った。

 明確な拒否の姿勢に神様は呆れたのか、それ以上語りかけてはこなかった。




 ++++++++++




 どれぐらい時間が経ったのかわからない。

 灰色の空間には太陽もなければ月もなかった。

 ――ここに夜なんてあるの……? なんだか寒い。

 冬に手足が末端からかじかむように、指先が冷たい。わたしは両手を擦り合わせ、違和感に気づいた。

 重ねた手の下が透けて見える。慌てて確認した身体はうっすら透き通りかけていた。透き通るといっても血管や下の骨格が見えるわけではなく、霧が晴れるように身体自体が薄れて消えていこうとしている。

 幽霊とは朝日に照らされ露と消える夢幻だという。死んで霊魂になったのが幽霊だとすれば、今のわたしはどうだろう? 車にはねられて死んで、肉体を失い魂だけとなった現在のわたしは、幽霊とどれほど違いがあるのだろう?

 神様は確かに言っていた。

 「早くしないと消えてしまう」と。

 不安に思った矢先に、疑問に答えるように神様が言った。


 ――時間がないよ。放っておいたらきみは消えてしまう。無理強いしたくはないけれど、ぼくの世界の《花》をこんなところで散らせたくない。ぼくは、ぼくの世界でしか魂にやすらぎを与えて転生させることができないんだ。ここできみが消えてしまえばそれっきりだ。転生も叶わない……。


 弾かれたように顔を上げた先に、神様の二つ輝く光点があった。

 最初はなんて気味の悪い眼だろうと感じたその光は、見つめていると柔らかな癒しを与えてくれることに気づいた。震え上がるほど冷気は容赦なく身体を包み始めていたのに、その瞳を見るとわずかに和らぐ。

 迷える子供を気遣う親のように、気遣いと慈しみに彩られたやさしい光。

 このひとは、本当にわたしの神様なのかも知れない。

 理屈ではなく、そう思った。

 強く心が揺さ振られる。傍にいると、当初の悪感情を通して見ていたときには感じなかった好意や慕わしさがこみあげてくる。記憶ではなく魂が覚えているのだろうか?

 「もうきみは死んでいるんだ」と告げたり、事故の映像を見せられたりもしたけれど、無邪気な残酷さも含めて神というなら、目の前に立つ存在は神様だった。

 消滅のスピードは急速に早まってきている。寒さにこすり合わせる手もなくなった。冷えきっていた手足はもう消えてしまった。

 冷気の侵食は肘から肩へ、膝から腰へと這い上がってくる。

 本当に消えてしまうのだ。

 神様の手を拒めば、わたしの魂は永遠に消えてしまう。転生といわれてもピンとこなかったけれど、何もかも無に帰すというのは嫌だ。

 忘れたくない。

 自分が生きていた人生の記憶を全て失ってしまうのは耐えられない。たとえ二度と会えない家族や友達でも、“鈴木鈴”という人間をはぐくみ、形作ってくれた愛する人たちの記憶を失ってしまうなんて。

 それぐらいなら……。


「……わかりました。神様の世界に、行きます」


 ようやく決意して、それだけ伝えた。

 ただ消えるより、きっとその方がいい。

 十六年という時間の中で胸を張れるような出来事を成した事もないし残せるものもないけれど、泡のように消えてしまうのはさみしい。

 それにとんだ親不孝娘だと思う。父と母からもらった命を、まだ十六年しか生きていない。

 「どんな奴を連れてきてもいいが、父さんの眼鏡にかなわなかったら許さんからな」、気の早い父の言葉を思い出す。

 「私は鈴ちゃんを大切にしてくれるんだったら誰でもいいけど。はやく孫の顔が見たいわねぇ」、のんびり笑っていた母の笑顔を思い出した。

 二人の夢を叶えてあげることはもうできない。

 それが悔しくて悲しかった。


「……でも! 神様の世界に行っても、できるなら今までの記憶を残しておいて欲しいんです! この世界のことを忘れたくない。だってわたしはここで生きていたんだものっ……死んだって言われても、わたしの世界じゃなかったって言われても、わたしの世界はここだったんです! だから忘れたくないのっ!」


 異世界で生きるなら、このままのわたしで生きていきたい。

 わたしの叫びに神様は困ったものを見るように瞳を瞬かせ、念を押すように尋ねた。


 ――魂は一度自らの死を体験すると疲弊するんだ。だからぼくのもとで安らぎを与え、そのとき今までの記憶も体験も何もかもを白紙に戻し、そして無垢な状態から魂は転生する。きみは一度死を体験して魂が弱ってしまっている。安らぎを得ずに現世に戻るとそれが歪となって現れるよ。本来持ちえるはずの力が極端に弱まるんだ。


 冷気はすでに肩を越え喉まで蝕んでいたので、何度も頷いて返事にかえた。必死に眼で訴える。

 それでもいい。弱くなってもいいからわたしは忘れたくない。お父さんとお母さんの娘として生まれたこと、覚えていたいの。

 神様はしょうがないと言いたげに頭を振り、両手を伸ばしてわたしの頬を挟んだ。身体はもう消えてしまったのだろう。感覚がない。


 ――きみが望むように、きみに記憶を残そう。このことがきみにとって幸いなのかどうか、ぼくにもわからないけれど。だから祝福を与えてあげる。これは魂を守るもの。きみの魂が疲弊し傷ついたときに癒してくれるだろう。本当はこんな特別扱いはいけないんだけど、ぼくの世界を離れて彷徨うような手がかかるきみには、これぐらいのお守りがあってちょうどいいのかもね。


 ぐんと近づいた神様の顔が、わたしの額に淡い熱を移した。

 途端に身体を襲っていた冷気は跡形もなく拭われる。


 ――では帰ろうテュリダーセへ。きみの魂の故郷へ。きみの《狼》が待ち侘びているよ、リン。


 初めて名前で呼ばれた。

 額にキスされたことに驚けばいいのか、それともオオカミとは何かと尋ねればいいのか。

 考えるうちに、ぐるり、と回る視界。

 灰色の空間は真っ暗に変わり、そしてコンセントを引き抜かれたテレビのように、ぷっつりと意識が途切れた。

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