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花と狼  作者: riki
第二章 花護の騎士
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22

「体調はいかがですか? 熱は下がりましたか」

「も、もう大丈夫ですっ」


 額に当てられそうになった手をはっしと掴んだ。おや、と片眉を上げるロベルトさんに、「手も熱くないですし、ね?」と言ってすぐに放す。苦渋の選択だ。小さな子みたいにおでこで熱を測られるぐらいなら、一瞬手に触れる方がまだましな気がする。

 起き上がると髪の毛も服もくしゃくしゃだった。慌てて手で撫でつけるけれどあまり変わりがなかった。

 今は何時ぐらいだろう? 窓から射し込む月光と静けさが夜の深まりを教えてくれる。ロベルトさんは休んでいなかったんだろうか、暗くてよくわからないものの、パジャマではないようだ。


「三日も寝ていてごめんなさい……ご心配をおかけしました」

「いいえ、目覚められてなによりです」

「シラーさんに伺ったんですけど、ずっと外で待って下さっていたようで、ありがとうございました」

「礼など不要です。私がリン様のお傍についていたかっただけですから」


 ぺこりと頭を下げたら止められた。

 ロベルトさんて本当に親切な人だ。できるなら彼には迷惑も心配もかけたくない。そのためには早くこの国に慣れて、一人でもやっていけるようにならないと……と、わたしは決意を新たにした。


「ロベルトさんの方は大丈夫だったんですか?」

「私、ですか?」

「カルステンさんが後で査問があるって言ってましたよね?」

「心配されるようなことは何もありませんでしたよ」


 眠っていた間になにかあったのかと思ったけれど、彼はわたしを安心させるように笑うのみで……なんだか、何かをはぐらかされている気がする。

 じっと見つめても鉄壁の微笑は崩れなかった。それより、と真顔で話を切り出される。


「今後この件は口外しないことをお約束下さい。レンドルフ様がおっしゃったように、私の振る舞いは神聖騎士として許されぬ行為です。私個人の枠でとどまらず、神聖騎士や教会の信頼に傷がつくことに繋がりかねないものですから」

「わ、わかりました。でも、カルステンさんやクリストフェル殿下はもう……」


 そんな重大なことだったんだ、どうしよう。

 わたしの失言から教会と友好な間柄には見えないクリストフェル殿下側に事実が伝わってしまっている。彼らに言いふらされたらロベルトさんの立場はもっと悪くなるんじゃ……。


「私の件については、近衛は静観するでしょう。教会の処遇に口出しをすれば干渉ととられますからね。ただ、リン様に関しては静観はありえません。王宮へ招聘したいとの申し出がすでに来ています。国王の名のもとに要求された以上、拒むことはできません。今は健康面を理由に延期していますが、近いうちに王宮へ赴くことになります」

「わたし、王様に呼ばれているんですか?」

「難しく考える必要はありませんよ。リン様はハールベリス唯一の八花片ですから、国王陛下も一度お顔を見たいと思われたのでしょう」


 簡単なことのように言われてしまったけれど、王様に会うと聞いてうろたえない女子高生はいないだろう。


「……いつ王宮に行くことになるんですか?」

「完全に体調が回復されるのを待ってからになるでしょう」

「身体なら大丈夫ですけど……」

「何か気になることがおありですか?」

「挨拶や行儀作法が心配なんです。できたら付け焼刃でも教えてもらえれば嬉しいです」

「わかりました。さすがに花の作法を私がお教えするわけにはいきませんから、頼んでおきましょう。――今夜はリン様のお顔を見るためともうひとつ、指輪の交換に来たのです」

「指輪って、頂いた指輪ですか?」

「あれは間に合わせになってしまいましたから、大きさが合っていなかったでしょう? 手を貸して頂けますか?」


 お安い御用です、と両手をぴしっとそろえて突き出したら、ロベルトさんは笑いながら左手だけをとった。小学校の前にならえ状態で手を出した自分に赤くなりつつ右手を引っ込める。


「水晶が一つの指輪は、幼い《ユング》や年経た《衰花シュライテン》が嵌めるものなのです。緋紋に変わった花は、花統を石の種類で、花紋を数で表した指輪を嵌めます。リン様は恋花の八花片ですから、恋花を象徴する紅綾石こうりょうせきが八つついた指輪になります」


 元々大きかった指輪はするっと抜けてロベルトさんの掌に転がった。彼はそれをポケットにしまうと別の指輪を取り出して小指に嵌めてくれた。新しい指輪はサイズがぴったりだった。

 月明かりに鈍く輝く金の指輪。顔を近づけてよくよく見ると、幅広の表面には黒っぽい米粒ほどの石が八個、指輪を嵌めた状態で見えるように前面についている。


「日の下で見れば、紅に綾の模様が入っているのがわかりますよ」


 うう、聞くからに高そう……プラスチックとかビーズの指輪でも充分なんですが……。

 高級なアクセサリーなんて持ったことがないので怖気づいてしまう。


「あああのっ! わたしってうっかり者なんですっ、だから傷をつけないうちにお返しした方がっ……」


 焦って言うと、ロベルトさんは指輪を抜かせないようにだろうか、わたしの指を軽く握り込むように折り曲げた。


「紅綾石はそれほど高価なものではありませんよ。傷のことなど気にせず常に嵌めておいて下さい。教会の花であるこの証がリン様の身をお守りするということをお忘れなく」

「わ、わかりました。外さないように気をつけます」


 戒めの眼差しに、こくこくと首を縦に振った。

 女性は狼から身を守るために教会に登録するという。わたしの場合は近衛に対抗する意味合いが強いけれど。そういえばシラーさんも、香りがないと言っていたのに指輪をしていた。香りがなくても教会に属しているのはどうしてなんだろう?

 シラーさんのことを考えて、はっと重要なことを思い出した。


「シラーさん!」

「シラーがどうかしましたか?」

「違うんです、シラーさんがどうとかじゃなくて。せっかく記憶喪失という設定を考えてもらったのにわたしったら……ごめんなさい!」


 自分の演技力の無さが恨めしい。目覚めて早々異世界人だとバレてしまったことを小さくなって告白したら、ロベルトさんは気にしないでいいというように首を振った。


「リン様は嘘の吐けない方ですからね。逆に狼の立ち入れない場所でもお傍で助けられる人間がいた方が心強いと判断し、事情を話したのは私です。私の方こそ謝罪しなければなりません。勝手な真似をお許し下さい」

「~~とんでもないです! いろいろ気遣ってもらってありがとうございますっ」


 彼はわたしをフォローしてくれる存在を花の中に作りたかったらしい。いつも先々を考えた心配りには驚かされる。

 シラーさんが親切にしてくれるのは、ロベルトさんが頼んでくれたのも理由なのかな。二人は親しいんだろうか? ロベルトさんが誰かを呼び捨てにするのを初めて聞いた気がする。


「シラーさんとは、お知り合いなんですか?」

「腕の良い薬師であるとの評判は耳にしていましたが、リン様をここへお連れするまで面識はありませんでした。私は教会の外で任務に当たる外務の神聖騎士ですから、教会内の花と接する機会はほとんどないのです」

「でもシラーさんのことは名前呼びですよね。だったらわたしも鈴だけで……」

「彼女はこの教会で薬草学を教える教師であり、同じ教会に仕えるいわば同僚です。主花のリン様とは違いますよ」


 やんわりとたしなめる言葉の中に強固な響きを感じる。ちょっとだけでも打ち解けてほしいなぁ、なんて考えは甘かったようで、最後まで言わせてももらえなかった……。


「ロベルト。もうすぐ時間です」


 突如囁きが闇を震わせた。

 驚くわたしを余所に、ロベルトさんは扉へと視線を転じて頷いてみせた。

 目を凝らしても細身のシルエットだけしかわからないけれど、今のはシラーさんの声だ。いつから居たのだろう、まったく気付かなかった。自分が子供みたいに泣いていたことが思い出されて耳まで熱くなる。


「リン様、私はそろそろ行かねばなりません。お傍を離れるのは不本意ですが、本来外務の狼は教会内へ立ち入ることはできないのです」

「じゃあまた不法侵入なんですか? あっ……」


 咄嗟に言ってしまった台詞の失礼さにパッと口を両手で覆う。

 わたしの馬鹿! ロベルトさんに不法侵入させたのは他でもない自分なのに。

 恐る恐る窺うと、彼は低く喉を鳴らして笑っていた。


「そうです。また、ですね」

「ごっごめんなさい」

「本当のことですから構いませんよ」

「教会に入れないってことは、もうロベルトさんに会えなくなるんですか……?」

「大丈夫ですよ。花には各部屋付きの神聖騎士がおりますが、リン様のお部屋付きには私が選ばれましたので、またすぐにお会いできます。今夜はシラーの協力で伺うことができましたが、誰かに見咎められれば私も彼女も叱られてしまいます。この辺で……」


 軽い調子に誤魔化されたりしない。叱られるといっても、親に悪戯を叱られるような甘いものじゃないはずだ。わたしは慌ててロベルトさんに行ってくださいとすすめた。

 それでも彼がいよいよ出ていくというとき、背中に一声かけずにはいられなかった。


「ロベルトさん、気をつけて帰ってくださいね」


 一瞬立ち止まった彼の表情は見えなかったけれど、囁く声は容易にやさしい笑顔を思い起こさせるものだった。


「――良い夢をごらん下さい、リン様」

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