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花と狼  作者: riki
第二章 花護の騎士
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20

「でも、シラーさんも花なんですよねっ? ロベルトさんが女性はみんな花だって……」

「女である、という点でくくれば花ですが、わたくしが狼にとって花と呼べるかはまた別の話です」


 ゆるめた襟元を正し、シラーさんは額に落ちかかる前髪を耳にかけた。

 細い指と頬に影を落とす長い睫、艶めかしく色づく唇に華奢な骨格、男性との違いは明らかだ。シラーさんは同性の目から見ても魅力的な女の人だった。

 男の人は絶対に放っておかないと思うけど、花と呼べないってどういう意味なんだろう?


「あなたは花についてどれほど知っているのですか? 《花》が抱く花紋には、八つの種類があることを教えられましたか?」

「……いいえ、わたしが聞いているのは、その、大きくなったら狼を惹きつける匂いに変わることと、三つの花統があることぐらいです」

「では何も知らないのと変わりありませんね」


 あの時は切羽詰まった状況だったから、詳しい説明を聞く余裕もなかった。たとえ聞いても理解できなかっただろう。少し落ち着きを取り戻した今だからこそ、シラーさんの言葉に耳を傾けることができるようになった。


「世界を違えるあなたには、この世界におけるに人の成り立ちから話した方が良いようですね」

「あの……教えて、いただけるんですか?」


 まさかロベルトさん以外の人に、説明なんて面倒なことをしてもらえるとは思っていなかった。

 ためらいながら尋ねると、ふと水色の視線が逸れた。


「わたくしはあなたの世話役ですから、あなたが無知により引き起こすかもしれない事態を防ぐことも役目の内です」

「シラーさんにはご迷惑ばかりおかけして、本当にすみませんっ……! あの、よろしくお願いしますっ」


 きっと不本意なんだろう。申し訳なくて、わたしは大きく頭を下げた。


「わたくしはただ、己の役割を果たしているだけです」


 シラーさんはそう言って、話を切り出した。


「伝説に曰く、花は天上から落ちてきたといいます。花は力なき植物でしたが、その神聖なる香りで一匹の狼を惹き付けました。狼は無防備でか弱い花を守り、その身をもって強い日を遮り、風には盾と成り、雨から庇いました。花は奇跡のように下界に咲き続け、春には甘く、夏には爽やかに、秋には妖しく香りました。とうとう冬になり、花は枯れ果て、狼も後を追いました。全てをご覧になった神は枯れた花を女に、果てた狼を男に変えて、対なる人を創られました。残る狼はやがて犬と呼ばれ、この世界より狼は消えました。――これが子供でも知っている花と狼の伝説です」


 ……言葉が途切れても、わたしは何と言っていいかわからずにいた。

 神話というよりも御伽噺めいた内容だった。ストーリーはわかりやすいけれど現実味がない、子供向けの童話のような。

 花が女性に、狼が男性に……?

 にわかには信じ難い。ありえないと否定してしまうのは簡単でも、わたしは自分の目で神様を見ている。これまでのことが全部夢だったら、とどれだけ願っても現実に目覚めることはなかった。わたしがこの世界に存在することが、神がいる証明になる。

 テュリダーセの人たちにしたら、花と狼が人間になったことより、わたしが異世界から来たということの方が信じられないんだろうな。


「あなたは花としての自覚がとても薄いようですね。それでは良いように狼に弄ばれるだけです。花とは何かを知らねば、身を守ることもかないません」


 シラーさんはわたしに自覚を促しているんだ。

 ここは日本じゃない。今まで培った常識は通用しない。これから生きていく上で力になる知識を身を引き締めて聞くように、と。

 ロベルトさんやシラーさんといった物事を教えてくれる人がどれほど貴重な存在か。改めて優しい人たちに出逢えた幸運に感謝した。


「《リシェ》は、身の内に流れる“血”が香ります」

「血、ですか? 花紋じゃないんですか?」


 ロベルトさんもクリストフェル殿下も、みんなわたしの花紋が八花片だと気にしていたから、てっきり胸の痣が香るのものだと思っていた。だからシラーさんは痣がないから香りもないのかな、と勝手に推測していたんだけど。

 んん? 血が香るのなら、首を斬りつけたクリストフェル殿下はわたしが花だと気づいたはず。彼は花紋を見るまで狼だと誤解していたようだから、わたしは本当に花としての匂いがまったくないんだなあ……。


「花紋は生まれ持つ香りの強さを示しているにすぎません。先に言いましたが、花紋は八つに種別され、花片の多い花ほど香りが強くなります。ですが高位の花は滅多に生まれません」


 そこでシラーさんは席を立ち、鏡台へ向かうと手の平ほどのトレーを手に戻ってきた。櫛や小物なんかを置くのだろうか、それには表面に円を描くように八つの模様が彫られていた。


「ここに各花紋が彫られています。あなたの持つ《八花片サフィ》は最高位の花紋です」


 指さされたのは、泪形をした八枚の花びらの模様。わたしの胸にある花紋だ。

 花紋の説明とともに、シラーさんの指は順番に模様を辿る。


「次に、《七花片レイネ》、《六花片レダ》、この二つが高位になります」


 七花片は薔薇に似ている花紋で、六花片は大小の花片が焔や百合にも見える。


「中位と呼ばれるのは、《五花片シェラ》、《四花片ヨル》です」


 五花片は菱形が円状に五つ。四花片は四葉のクローバーみたいだった。


「そして花の半数以上を占める下位が、《三花片ニナ》、《二花片エーメ》、《一花片ルマ》です」


 三花片は風車のようで、二花片は丸を二つに割った形、一花片はハート型をしていた。

 個人的には最後のハート型が可愛いいなと思った。


「最後に《無花片セロ》ですが…………これは花片を全て失った花です」


 シラーさんは痛みをこらえるように唇を噛み、力なく彷徨った指がトレーを裏返した。

 水色の瞳に鋭く見据えられ、わたしはごくりと喉を鳴らした。


「わかっていないようですから言っておきます。あなたはどうして自分が熱を出したと思いますか?」

「疲れが溜まっていたからだと思いますけど……?」


 三日も眠っていたらしいけれど、その間の記憶がないからわたしにとっては昨日の出来事と変わらない。本当に長い一日だった。色んなことがありすぎて、精神的にも肉体的にもクタクタに疲れていたから、体調を崩すのもあり得る話だ。熱を出していた記憶もおぼろげにしかない。

 苦しい記憶がないのはかえって良かったかも、とのんびりとした考えは即座に断ち切られた。


「あなたの熱は、花狼の誓約が原因です」

「誓約が、原因?」


 教えられたのは予想もしていない理由だった。

 たしかに花狼の誓約を交わした時激しい熱を感じたけど、一瞬のことだった。身体にだるさが残っただけで、三日も寝込むものじゃなかったと思う。

 そうシラーさんに説明すると、形の良い眉がきゅっと吊り上がった。

 び、美人さんが怒ると迫力ですからっ。


「誓約が双方合意の下でなくては成立しないことを知っていますか?」

「はい、それはロベルトさんから聞きました」

「本来なら合意の誓約に病的な熱や痛みを伴うことはありません。あなたが熱やだるさを感じたのは、完全な合意でなかった証。迷いや躊躇があれば誓約は失敗し、神に誓う場において揺らいだ愚かなる者の身に跳ね返ります。反しの刃は迷いだけに止まらず、認知の不備にも及びます」


 静かに怒りを燃やす瞳はわたしを通り越し、この場にいない存在を睨んでいた。


「わたくしはあの男が許せません。神聖騎士としても花狼としても、真に卑劣な《狼》です。当然あの男は誓約を破棄すれば失明することを知っていました。では、あなたは?」


 わたしはぶんぶんと首を横に振った。

 知らなかった。知っていたらロベルトさんと花狼の誓約を交わしたかどうかわからない。

 ううん、彼の眼を賭けたものだと知ったら、たぶん怖くてできなかっただろう。


「何も、教えられていないのですね。誓約の破棄に共通するのは互いの死ですが、それ以外にも花からの破棄は花片以上の花狼を持つこと、狼からの破棄は主花以外と誓約を交わすことがあります。破棄された誓約は代償を求めます。狼から光りを――花からは一片の花片を」


 シラーさんは自分の胸元に手を置いて言った。今はもう服の下に隠れた肌に、花紋はない。

 考えてみれば合意でなければ成立しない誓約を破棄して、狼側にしか罰がないのは不自然だった。

 花が支払う代償はおそらく一人の狼に対し、一枚の花片。

 花片の数は香りの強さを表すらしいから、花片が減れば、香りは弱くなる。花は香りで狼を惹きつける。じゃあ全部無くなったら……?


「花は生まれ落ちたときから胸に花紋を持ちます。ですから無花片というのは、花片を全て無くし、花紋と香りが消えた花なのです。……わたくしもあの人を喪うまでは《一花片》でした」


 胸を締め付けられるような哀惜を秘めた瞳だった。襟を握りしめた拳が白くなっている。シラーさんは花狼を得ていたんだ。とても大切なひとだったらしいことは想像に難くない。

 狼にとって花と呼べるかどうか、あの言葉の意味がようやく呑み込めた。

 無花片になったら、花は狼にとって性愛の対象じゃなくなるんだろう。


「あの男は知っていた。あなたは知らなかった。反しの刃がどちらを向いたか、もうわかったでしょう? あなたは騙されていたのですよ。これだけ認識に齟齬があれば、普通なら意識を失い、誓約は失敗に終わります。よく誓約が成立したものだと驚きます」


 ――ロベルトさんに、騙されていた?

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