12
無精髭の男性が一歩前に踏み出した。
「はじめましてだなぁ、黒犬。ダールガンの走狗は表に出ねぇんじゃなかったのかい?」
「失礼ですが、どなたかとお間違えでは? 私は黒犬と呼ばれるような者ではありませんよ」
「人違い? はっはぁ、そうかもなぁ~。オレも黒犬には一度も会ったことがない。確かにお前さんがそうだと決めつけることはできねぇな」
くっくっと喉を鳴らして笑う。険しい顔の兵士たちの中で、彼だけは旧友にでも会ったように嬉しげにしている。
ロベルトさんはトリスタン人の部分は否定しなかった。そういえば、わたしが尋ねた時も否定はされなかった。
クリストフェル殿下を筆頭に、兵士達は多少の濃淡は違えどみんな金髪碧眼だ。
黒髪なのはわたしとロベルトさんだけ。
テュリダーセにやってきた時、クリストフェル殿下にトリスタン人かと聞かれた。黒髪が即トリスタン人に結びつく人種のイメージがこの国にはあるらしい。
「よう、なら自己紹介といこうぜ。オレはフィリップ。フィリップ・フライヘーア・フォン・マルシュナーだ。近衛の三青隊で、隊長なんて柄にもねぇ仕事をしている。こいつの紹介は必要ねぇだろう。お前さんは何者だ?」
こいつ呼ばわりされて顔をしかめたのはクリストフェル殿下だ。
王子に対してずいぶんぞんざいな態度だと思うけど、部下の兵士はいつものことなのか気に留めていないようだ。
「“青狼隊”のマルシュナー卿でしたか、ご高名は耳にしております。私はロベルト・リッター・フォン・アイヒベルガーと申します。――御目にかかれて光栄です、クリストフェル殿下」
そう言いながらも、ロベルトさんはわたしに対する時と違って、会釈一つしなかった。
途端に周囲の兵士が色めき立った。
「礼をとれ! 王太子殿下に向かって無礼なっ!」
「なぜでしょう? 王権に逆らわず傅きもせず――王家と教会が交わした条約は、もう破棄されたのでしょうか?」
「ふざけるなっ貴様ぁ――!」
一触即発の空気が高まる。
抜剣しかけた兵士を止めたのは、フィリップさんだった。
「あほう、挑発に乗るな。奴に口実を与える気か?」
「ですがっ!」
「だから熱くなるなって。先に抜けばこっちが悪者になるんだよ。なあ、クリストフェル殿下?」
「……ま、そうなるだろうね」
何も知らないわたしの目から見ても、ロベルトさんの態度は不遜に映った。
挑発、しようとしていたのだろうか。でもどうして?
「もっとも、手合わせしてくれるってんなら大歓迎だけどな。どうだい、一手?」
「お前も自重しないかフィリップ。目的は別にあるだろう」
期待にあふれた顔で尋ねたフィリップさんに、クリストフェル殿下は呆れた眼を向けた。
すかさず止めに入る間合いは付き合いの長さを感じさせる。
「へぇへぇ、殿下はお堅いこって……。オレたちはお前さんとやり合う為に来たんじゃねぇ。王花の庭にまぎれこんだっていう、《花》の顔を拝みに来たんだ」
おもむろにこちらを覗きこんだフィリップさんと目が合い、急いでロベルトさんの背中に隠れた。
部屋中の意識が一気にわたしに集中する。わたしをそっちのけでいがみ合っていたから、ちょっとホッとしてたのに、存在を忘れられていたんじゃなかったんだ……。
「――……異国の花だな、妙な服を着てやがる。おい、あれが《八花片》か? かつぐなよ殿下」
「お前をかついでどうするというんだ? この目で見たよ、八花片の花紋がある」
「香りもしねぇ、あんなガキが?」
「ガキ、というのは、まさかリン様のことではないのでしょう? マルシュナー卿」
「ふうん、リンって名前なのか。ガキがまずいならお嬢ちゃんだ。まだ初潮も迎えてない《蕾》にはそれで十分だろう? アイヒベルガー殿」
神聖騎士と近衛はどうやら仲が良くないようだ。
軽いやり取りに見えて、底には好戦的な意思を感じる。とくにフィリップさんはロベルトさんと戦いたいのか、明らかに喧嘩をふっかけている。先に剣を抜くとどうのと言っていたから、手を出した方が負けらしい。お互い言葉で挑発し合っていた。
ロベルトさんが不遜な態度をとっていたのもこれが原因?
「どうして蕾だと思われるのです?」
「あったりめぇだろ? 八花片が居て窓が開いているんだ。今頃窓の外には、匂いに惹かれて涎を垂らした野狼が山をなしているはずだぜ。下は静かなもんだ。他に何が考えられる?」
また匂いだ。
一体、どんな匂いがすればいいのか、誰も教えてくれない。
「それでまだ咲かぬ蕾と? 白々しいですね、すでにご存じなのでしょう。リン様が深紅の花紋を持っていらっしゃることを」
確かに、わたしの胸の花紋は鮮やかな赤だった。
ちらっとクリストフェル殿下とフィリップさんは目配せし、何かを確認し合った。
「話だけはな。胸に緋紋の八花片。本物だったら国中が湧き返るだろうが……」
「偽物だとお疑いですか?」
フィリップさんは肩をすくめ、周囲の兵士を示した。
「状況から偽物と考えざるを得んだろう。ここには、《恋花》、《寧花》、《希花》、三種の狼を揃えたんだ。お嬢ちゃんの花統がどれにしろ、誰かは反応するはずだ。子供の蕾なら納得もできるが、成の深紅となれば《一花片》だって香りを纏う。オレ自身は恋花だが、何も感じねぇしな」
狼を惹きつける香りの系統は三種類あるそうだから、フィリップさんはそれぞれの花統の狼を集めてきたんだろう。それなのに、誰も反応しないのを不審がっている。
子供と大人では花紋の色が違い、匂いも違うようだ。
わたしに香りがないことは本来ならありえない事態ということ? ひょっとして、異世界から来たのが関係あるのかもしれないけど、口止めされているから尋ねられない。
「マルシュナー卿は恋花ですか、それはおかしいですね……リン様も私も、恋花ですよ」
ええっ、わたしってロートっていう花の系統だったんだ!
ロベルトさんも同じロートらしい。それって喜んでいいことなのかな? なんだか、彼と一緒というとささいなことでも嬉しくなる。
ロベルトさんの一言がもたらした周囲の驚愕ぶりは相当なものだった。
クリストフェル殿下は激しい衝撃を受けたようで、顔面蒼白になっている。兵士のうち二人はフラフラとこっちに来ようとして、仲間に止められていた。
フィリップさんは顎に手を当て目を眇めた。
「……ひとつ聞きたいんだがな、黒犬が花狼だとはどの報告書にも上がってねぇ。その花刻はどうした?」
「わかりきったことをどうしてお聞きになります? 誓約を交わしたからですよ。それに、私は黒犬ではないと申し上げたはずですが」
目の前の背中が消えた。
隣に回ったロベルトさんがわたしの腕を取り、彼にエスコートされるまま、あれよあれよという間に衆目の面前に立たされた。
頭の天辺からつま先までくまなく眺められる。
ボタンが千切れて開きっぱなしだったパーカーの胸元に、痛いぐらいの注目を浴びているのを感じた。花紋を確認されているんだろう。恥ずかしいけど、この瞬間に隠すような真似をすれば、疑惑の火に油を注ぐようなものだ。
「――私の《命花》、リン様です」
複数の息を呑む音が響いた。
「……そんなはずがないっ! 降ってわいた恋花の八花片が、命花だったとでも言うつもりか!? よりによってダールガンの黒犬、お前が!」
空気を震わせた怒声は、クリストフェル殿下だった。
蒼い瞳にみなぎっているのは暗い怒りだ。ぎりっと食いしばった唇の隙間から、発達した犬歯が鋭い先を見せる。傲慢な貴人の印象は崩れ去り、感情を剥き出しにした彼は怒れる獣のようだった。
激しい憤りを向けられているというのに、ロベルトさんは落ち着き払っていた。わたしは横にいるだけで圧倒されて動けない。
「今ここにある現実を見れば、私が何者であるかは関係ないでしょう。緋を刻むマルシュナー卿にはご理解いただけるはず」
この場で唯一、ロベルトさんと同じ花刻をもつフィリップさんが顔を歪めた。
同意を求められることは不愉快だが、否定はできないというように。
「《狼》であるならば、出逢ってしまえば花を請わずにはいられない。すべての狼が本能で探し求める己の《命花》を――見つけたのですから」
……ロベルトさんは何の話をしているの?
内容についていけず助けを求めて見上げた横顔は、感情の読めないものだった。それでも、わたしを顧みない瞳に、甘い含みが一切ないことだけはわかった。
「――戯言をほざくな! お前の言うことなど信じられると思うのかっ!!」
激昂したクリストフェル殿下が剣に手をかけた。
反射的に身体が強張る。
すっとロベルトさんが間に割り込み、わたしを庇ってくれた。
今にも詰め寄ろうとした殿下の背後に、いつ動いたのかフィリップさんが回り込んでいた。
「落ち着けクリス!」
「はな、せっ……! 放せフィリップっ!」
「乗せられんなってんだ! ……ったく、過剰反応すんなよ。おら、お前らも手を離せ」
殺気立つクリストフェル殿下を羽交い絞めにし、フィリップさんは周りの兵士に命じた。彼らを守るように取り囲んでいた兵士たちは躊躇ったようだけど、フィリップさんに睨まれて次々と剣の柄にかけていた手を下ろす。
「まだ花紋の真贋も見極めてないだろうが。本物か偽物かも判明しねぇ内に教会と一悶着起こす気か? あいつの花刻も、主花が本当にお嬢ちゃんかわからねぇんだ、冷静になれ」
「…………わかっているさ」
「わかってる態度かよ、これが」
「うるさいな」
二人の関係は、まるで短気な弟と、その面倒をみる兄の図だ。最初はクリストフェル殿下がフィリップさんのストッパー役かと思ったけど、実際は逆だったらしい。
上手く場を収めたフィリップさんは、ガシガシと頭を掻きながら詫びを口にした。
「騒がせてすまん。血の気の多い年ごろだからな、大目に見てやってくれ。……話を戻すが、花紋についてはオレたちでは判断ができん。《主教》を呼んでいる」
「レンドルフ様ですか? あの方は王家と懇意にしていらっしゃるようですから」
「あぁ~……引っかかる物言いはよしてくれねぇか、短気な奴が多いもんでね。ま、それはそれとして、お嬢ちゃんが王花の庭に侵入した事実は消えないわけだ。ちょこっと事情を聞きてぇんだがな? アイヒベルガー殿もだ。離宮への立ち入り申請を受けた覚えはねぇぜ」
「私のことはグラナート教会へ問い合わせて下さい」
「へぇ……お前さん、あそこの神聖騎士団所属か」
フィリップさんは得心がいったようだ。
神聖騎士団の所属は教会ごとだとわかったけど、ロベルトさんがいるグラナート教会ってどんな教会なんだろう? 名前を聞いてすぐフィリップさんがわかったぐらいだから、有名なところかな。
「リン様については――指輪を確認できるでしょう?」
わたしはロベルトさんに左手をつかまれ、周囲からよく見えるよう、胸元に掲げさせられた。
小指に嵌った指輪が金色に輝く。
すぐに腕は下ろされたけど、手は繋がれたままだ。男性と手を繋ぐなんて体育の授業以外で経験がないので、頬が熱くなった。あたたかく大きな手に包まれていると、ドキドキする。
「リン様は教会に属する花です。あなた方にお任せすることはできません」
「おいっ、捕らえた時に指輪などしていなかった! 騙されるなフィリップ!」
「……と、うちの殿下は言ってるがなぁ?」
鋭い指摘が援護に飛び、わたしは冷や汗をかいた。
少しでいいから、ロベルトさんの落ち着きようを見習いたい。
「尋問をまぬがれるため、急遽教会に属したんなら、教会は罪人を匿ったことになるぜ? 捕まったとき故意に指輪を外してたんなら、これまたどうしてだろうなぁ。お嬢ちゃんが単独で忍び込めるほど警備は甘くねぇ。背後で糸を引いてる奴と教会は関わりがあるんじゃねぇか、そう考えるのは邪推かい?」
「確証がない以上、おっしゃることは推測の域を出ませんね」
「なら確証を得るために、花の引き渡しを要求する。花だろうが狼だろうが、八花片でも関係ねぇ。許可なく王宮に立ち入った者は厳罰に処す――それが、オレたち近衛の仕事だ」
死刑宣告を受けた心地だった。
怖い。
ロベルトさんの言ったとおり、教会に属しているだけでは駄目なんだ。
王宮に無断侵入するということは、それほど罪深い行いだったんだ。
ロベルトさんはついてきてくれるって、花狼の誓約を交わせば引き離されないって言ってたけど、このままだとロベルトさんにも迷惑をかけてしまう。
仲間だと思われて、彼まで罪人にされたらわたしは一生後悔する。
「この人は関係ありません」と弁明のために口を開きかけたら、ぐっと繋がれた手に力が入り、ロベルトさんに止められた。
どうして? 捕まるのはわたしだけでいいのにっ……!
「――隊長! レンドルフ様がご到着されました!」
絶妙のタイミングで兵士が飛び込んできた。
緊迫した空気は一拍、空白を生む。
気抜けした表情でフィリップさんは溜息をついた。
「おいおい、まさか読んでるんじゃねぇだろうな? 食わせもんだな、あの人は。――レンドルフ殿をここへご案内しろ。……そういうこった。ひとまず捕縛は後回しにして、花紋の真贋を明らかにしようぜ」
「ええ、結構ですよ。偽物だとお疑いなのはあなた方だけですが、根拠のない誹謗をこれ以上受け続けるいわれはありませんから」
自信に満ちた言葉で応じるロベルトさんの横で、わたしは逃げ出したくなっていた。
不安で不安でたまらない。
テュリダーセに来てから、さんざん言われたことだ。
『――八花片なのに匂いがしない』
この世界で花がもつ香りを、わたしはもっていない。
香りのない花は、《花》といえるのだろうか。
そして胸にある花紋。
日本にいた時はなかったものだ。
自分でも知らないうちに現れたこれが、本物か偽物か、どうしてわかるだろう?
――偽物だった場合、どうなるの?
覚悟を決める時間は長くもらえなかった。
「レンドルフ様がいらっしゃったぞ!」
扉付近にいた兵士が道を開けた。
フィリップさんが丁重な態度で、クリストフェル殿下は親しげな笑顔で出迎える。
「このような場所まで足を運んで頂き、感謝しております、レンドルフ殿」
「待っていたぞ、カルステン!」
「いやいや、遅くなって申し訳ありません。やはり寄る年なみには勝てませんなぁ」
口ではそう言いながらも軽い足取りで入ってきたのは、小柄なおじいさんだった。
色褪せた金髪を後ろでくくり、顎髭をたくわえている。黒一色の服を身につけているのはロベルトさんと同じ。違う点と言えば、帯剣していないことと、首に金色のメダリオンをかけていることだ。
「用件は伺っておりますぞ。なんでも、緋紋の八花片が突如現れたそうで……」
おじいさんの視線がわたしを捉える。
ほう、と柔和な顔に驚きを浮かべて尋ねられた。
「あなたが、八花片の花紋をおもちの方ですかな?」
わたしはうなづき、勇気をもらうために一瞬ロベルトさんの手を強く握る。思いがけず握り返され、涙が出そうになった。
「……はい、そうです。鈴といいます……」
干上がった喉から、どうにか掠れた返事を出すことができた。
緊張で胃がキリキリと痛む。
今からなにを言われるんだろう……。




