ハチャメチャに揺れるブランコ
第113回文学界新人賞落選分を加筆訂正しました。
四つの目玉が紫煙の向こうで、あたしの全身を舐め回した。
男の視線には慣れているつもりだった。けれど探るような目つきに、あたしは不快を覚えた。それらの瞳に、一筋の驚きがたたえられていたことにも。
あたしが図書館に来たら、おかしいか。
本当は彼らをにらみつけてやりたかった。しかしあたしは、代わりに宙をにらみながら、喫煙所の脇で立ち止まった。自動ドアの反応が少し遅い。華奢さを称えられているような気がする。
ドアをすり抜け、苛立ちの理由を知った。案内板が出ていたのだ。
「結婚相談は二階です」
あたしは奴らに、結婚相談に来た女だと思われていたのだ。冗談じゃない。あんな奴らと同類だと思われたら迷惑だ。機嫌を損ねながら、「え」のコーナーへ向かう。今あたしは、遠藤周作を追いかけている。
するとそこに、一人の男が立ち尽くしていた。図書館に男がいるのは珍しいことではない。だが彼は、周囲から浮いていた。一言で言えば、彼はまるで、ホストのような風貌をしていた。
再び軽く苛立ちながら、周作の書籍に手を伸ばした。その時男が、「すいません」と声を発した。低く染み渡るような声に、男と目を合わせた。つり上がった力のある目だった。
「遠藤周作に、詳しいんですか」
並べられた背表紙の上に伸びた、あたしの指先が止まる。爪が何もまとっていないことが、こんなにも恥ずかしいことだとは、それまで知らなかった。爪先を隠すように手を握り締めながら、「どうしてですか」と尋ねた。隠した右手とは別に、なぜか左手の薬指は見せびらかしたくなった。
「もし詳しいんなら、最初に読むのは、何がお勧めか聞きたいと思って」
「うーん、『海と毒薬』とか『わたしが・棄てた・女』とか『ファーストレディー』とかかなあ」
「『沈黙』とか『深い河』とか、『白い人』とかは?」
両耳にピアスを差しているような男が、周作にある程度詳しいという事実に喫驚した。この男は、本気で周作を借りるつもりで、下調べを済ませてあるようだ。
「『沈黙』は有名だけど、普通の日本人には向かないんじゃないかなあ。『深い河』は最初よりもむしろ、周作をより知ってから読むべき作品な気がするし、『白い人』はあたしにはよさがよく分かんないんだよね。『黄色い人』も書いてることから、日本人とはいかなる民族かっていう、周作の生涯のテーマの、出発点として読めばいいのかも知れないけど、初期の頃の作品だから、円熟してない感じがして」
思っていたよりもすらすらと言葉が出た。すると男は、『海と毒薬』を本棚から抜き取った。その本はあたしも所持しているので、借りられてしまっても寂しくはない。安堵していると、男は突然
「ところで時間ある?」
と尋ねてきた。
軽い失望が湧き起こった。見た目がチャラ男なのに、実はインテリだったのかとせっかく好意を持ったのに、やはりただのチャラ男だったのか。
「どうして?」と問うあたしに、男は
「お勧めを教えてくれたお礼に、そこでジュースでもご馳走したい」
と高そうなシルバーの指輪がはまった指先で、入口の方面を指した。その気合が入った指先が指した向こうには、自動販売機がある。
急に気が軽くなって、あたしは
「いいよ。そんなの」
と笑顔になった。気合が入ったいでたちの男に、自販機のジュースという、気合の入らない物をおごられる落差が滑稽に思えた。あたしは面白い物事が好きだ。
それから五分もしない内に、あたしは男と二人で、テーブルに向き合っていた。テーブルの上には、結局のところ男におごられた緑茶のペットボトルがある。
結婚して約二年、こうして夫以外の男と二人きりになったのは、初めてのことだった。あたしは結婚前のような気分で、斜に構えて着座している男を眺めた。独身の頃、あたしは勤め先でよくこういった風貌の男の、対面や隣に座った。早い話が、結婚直前まで水商売をしていたのだ。客層は様々だったから、別にホストばかりを相手にしていた訳ではなかった。けれど仕事帰りのホストたちの接客をすることは、珍しくなかった。
正直言って、あの頃あたしは、ホストたちのテーブルにつくことに、気が進まなかった。まず同業者の目で、厳しくチェックされているのではないかというおびえがあった。また彼らがなぜ、女が酒を注ぐ店に、飲みに来るのかが分からなかった。あたしはホストクラブというものに行ったことが無いからだ。男に酒を注ぎ、タバコに火を点ける仕事で得た金で、男に酒を注いでもらい、タバコに火を点けてもらうなど馬鹿馬鹿しい。
ただあたしは、別にホストを嫌いな訳じゃない。ホストをしていながら、女が相手をする店に飲みに来る男が理解できなかっただけだ。だからあたしは、自分の職場ではない場所で出会ったホスト風味の男に興味を持った。
男に名前を尋ねると、ケイゴと名乗った。ここは図書館だというのに、テーブルの上にあるのはソフトドリンクだというのに、苗字ではなく下の名前だけを名乗られたら、何だか合コンをしているみたいだ。二人きりなのに合コンを彷彿とするのは落ち着かない。どういう字を書くのかと、あたしは尋ねた。彼は圭吾だと答えた。
圭吾という漢字に、どういう意味が込められているのかピンと来なかったあたしは、無責任に
「いい名前だね」
と言う訳にもいかなかったので
「ホストだとしたら、ぎりぎり源氏名考えなくてもいい感じだね」
と言ってみた。あたしは多恵子という名前がダサいので、源氏名を使っていたからだ。
すると圭吾は
「あ、俺ホスト」
とタバコが似合いそうな唇で答えた。そういう冗談を言う男は、残念ながら珍しくないので、冷静に追及してみた。でもどうやら彼は、本当にホストをしているらしかった。
「どうしてホスト?」
「金がいいから」
「……、接客が好きとかじゃなくて?」
何だかもう帰りたくなった。働く以上、誰だって稼げた方がいいのだから、こんな返答に、意味は無いからだ。大体世の中に、実入りのいい仕事などいくらでもある。その中で、なぜホストを選んだのかを答えて欲しかったのだ。
あたしの不機嫌を察したのか、圭吾は
「接客は好きだよ」
と笑った。
「好きじゃなきゃ、仕事にするはずないじゃん」
笑顔がやけに無邪気で、どきりとした。緑茶を一口飲んでみた。苦味が爽やかだ。あたしはこんな自販機のドリンクでさえ、おごられると相手に好意を持ってしまう。気に入らないことに目をつぶって、長所だけに目を向けようとしてしまう。それはあたしの性格のよさ? 馬鹿な。
圭吾はあたしに、いくばくかの好意を持っている。でなければたかが自販機のドリンクとはいえ、おごるはずが無い。その好意を、なるべく長持ちさせたいと願うのは、勝手なことだろうか。
「ホストが何で、周作なんか読むのよ」
「おーお、通っぽいねえ。さっきもそう呼んでたけど、遠藤周作のことは周作って呼ぶんだ」
茶化しているのか感心しているのか、よく分からない調子で言った後、圭吾は連絡先を尋ねてきた。あたしは若い子にナンパされた時の癖で
「あたしの歳分かってる?」
と尋ね返した。
「二十二、三じゃないの」
「それ言いすぎ。本音で答えて」
「本音は二十四、五」
「ホントは二十九」
その時思い当たった。圭吾はあたしと友達になりたい訳じゃなく、客としてあたりをつけているんじゃないかと。そうするとあたしの実年齢など、まるで意味をなさない。従って今交わしている会話には、まるで意味が無い。
「えっ、わっかいね」
切れ長の目を見開く圭吾に、あたしは
「……て、店で客に年齢聞くたんびに言ってんでしょ」
と平坦な声で返した。使い古された文句で、機嫌をとれる女だと思われたくなかった。
「ぶっちゃけ言ってるけど、でもマジで若いって思った。お客さんでやっぱ二十九の人いるんだけど全然違うから」
「圭吾くんは、いくつなの」
「二十五」
四歳下は男友達でも初めてだ。自分の年齢が上がるにつれ、関わる男の年齢は、若くもなりえるのだなと思う。
「ホスト始めて、長いの?」
あたしが初めて水商売を経験したのは二十一の頃だったと、懐かしく思い返した。きっかけは勤めていた会社のセクハラに耐えかねたからだ。転職を考えたあたしは、当面の資金を調達するために、お座敷コンパニオンのバイトをした。まるで礼儀作法が学べるかのようなキャッチコピーにだまされ、のこのこと出かけて行ったあたしは、早速客に触られ、バイトを辞めた。
セクハラに耐えかねたゆえに、始めたバイト先で、またもやセクハラに悩まされたとは皮肉だ。それなのに二十三になった時、性懲りもなくあたしはスナックで働き始めた。街を歩いていたら、スカウトされたからだ。望まれて行くというのが、幸せというものだろうという気がしたし、たまたまカレシがいなくて暇だったので、その時間を、金に替えたかった。もっともその後、すぐにカレシができて辞めてしまったが。
しかしその三ヶ月の、スナック勤めの経験があったからこそ、二十六で会社を辞めた時に、パブに応募する気が起きたのだと思う。面接に受かったあたしは、初めて夜の仕事を専業にした。夜一本にしぼったのが二十六とは、遅すぎるスタートだけど、仕方が無い。あたしはパブ勤めを、一年半行なった。
「四月に始めたばっかだから、ホスト歴九ヶ月ってとこ」
まだまだひよっこですといった腰の低さで、圭吾は説明した。歴はあたしより短いが、あたしにはブランクがある。現役にはかなわない。
「それまで何してたの」
「大学生。大学に六年通ってた」
大卒だったのかと意外な気がした。よくホステスは、新聞を何紙も取っているが、ホストはスポーツ新聞くらいしか、読んでいないのではないかと言われるからだ。もっともあたしが勤めていた店も、場末の飲み屋だったから、女の子は馬鹿ばっかりだったけれど。
しかしそれにしても、六年とは意外だ。「医大?」とあたしは早口で尋ねた。
「違うよ。留年」
「何で?」
「遊んでて」
ホストの休日着といったムードの革ジャンが、馬鹿馬鹿しいほど似合って見えた。遊んでいて二回も留年するという、ホストっぽいことをしたこの男が、途端に色あせて見えた。 あたしは突然、圭吾と対面していることが厭わしくなり
「じゃあ、そろそろ」
と傍らのバッグを引き寄せた。
「え、このまま帰したら、もう会えないじゃん」
「じゃあ名刺ちょうだい。こっちから連絡するから」
「そう言って、連絡くれないつもりでしょ」
図星だったので、あたしは慌てた。そして
「違うの。あたし結婚してるから、メールならいいけど、ダンナがいる時に電話かかってくると、ややこしいことになるから」
と言い訳した。でもこれは本当だ。夫はあたしが男友達をつくることを反対していないが、相手が現役ホストとなれば、その限りではないだろう。
「ああじゃあ、基本、連絡はメールにするよ。赤外線通信でいい?」
圭吾がさっさとケイタイを取り出したので、あたしも仕方なく、バッグからケイタイを取り出した。こういう少し強引な男がモテることを、あたしは知っている。まあホストなのだから、モテる行動をとっても当然なのだけど。
通信成功後、圭吾はケイタイを差し出しながら
「この筑間多恵子っていうのが、そうだよね?」
と確認した。「うん」と答えながら、あたしもケイタイの画面を見た。津久井圭吾とある。あまりホストっぽい苗字ではない。本名なんだろうかと考えながら、ケイタイを操作したら、住所まで登録されていた。
これは仕事用のケイタイではない。プライベート用だ。軽蔑した男であっても、心を許されると悪くない気分になる。
図書館を出て、真冬の空を眺めると、青々とした空間に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。今日の降水確率は0%だから、あの雲が、泣き出すことは無いだろう。朗らかな雲だと思った。同時にあたしは、反対のことを考えた。
雨雲にもなりえるのに、今のところは、泣く気配さえ見せない白い小さな雲。酷く冷酷な存在にも思える。まるであたしの心が投影されたかのように。
白は本当に清らかだろうか。清らかだとしたらそれはよいことだろうか。冷酷でもあるといえないだろうか。
多恵子という名は、父親につけられた。彼は牧師だったからだ。聖書には神の恵みについての記述が多い。だから「恵」の字を、娘の名に使った父親は、クリスチャンらしいといえる。単純に恵や恵子にせず、どうせなら多く恵まれる子にと、欲張った辺りも彼らしい。つまり彼は、そしてその妻は、本質的にはクリスチャンらしくなかった。クリスチャンとは基本的に慎ましいものだ。
一方あたしは、信仰を捨てるまでは、非常にクリスチャンらしかった。あたしは両親と違って、真面目にキリスト教に取り組んだからこそ、捨てる気になったといえる。あたしは教えの一つ一つを胸に刻み、その実行を試みた。教えの伝道者である両親が、教えから著しくかけ離れた存在であることには、なかなか気付かなかった。牧師夫妻を批判的な目で見るなど、罪深いことに思えたからだ。
神に背いて、悪事を働いてやろうと思って棄教した訳ではない。幼い頃は、本気で宣教師になろうとしていたくらいだから、あたしの本質は真面目だ。クリスチャンだった頃は、自分はキリストの救いが必要な罪人だと思い込んでいた。でも今考えてみると、随分清らかだった。もちろん絶対的にではなく、相対的にだけど。
そう相対的に。例えばあたしは、圭吾より清かったと思う。そして今も、清い自信がある。あたしだったらどれだけ金持ちの家に生まれても、遊んで留年したりはしない。学費の高い大学に通うかも知れないし、留学もするかも知れないけれど、遊んで留年したりはしない。
それにあたしは、人に気を遣う。そのせいで、高校に入学して一年、友達ができなかったくらいだ。あたしは父親に
「お前をつくって、本当に損した」
と言われて以来、人と接するのが、申し訳なくなってしまったのだ。
自分の親にも嫌われているような人間など、よそ様にとっては、どれほど煩わしい存在だろうという気がした。あたしはそれ以来、既存の友人や、向こうから近づいて来る人間としか交際しなくなった。
高校に入学した時、クラスには中学からの知り合いが誰もいなかった。隣の席に座ったてるほという女が、やたらとまとわりついてきたが、あたしは彼女が嫌いだった。てるほはヤンキーに憧れていたからだ。
今考えてみると、不器用極まりない話なのだが、あたしはてるほから逃れるために
「あたしとあなたは合わないと思うので、お付き合いを控えたい」
といった趣旨の手紙を渡した。怒ったてるほは、あたしをクラスで村八分にするよう働きかけた。あたしはクラスで孤立した。
だからといってあたしは、当時のクラスメイトたちを、残忍だとは思わない。彼女たちはあたしを構わなかっただけで、用があってこちらが話しかければ口をきいたし、特に意地悪もしてこなかったからだ。彼女たちの中には、あたしがてるほとこじれる以前に、友達になるためのアクションをしかけてきた者たちもいた。それを喜びながらも、あたしは自信の無さから、受身に徹していた。
そのため彼女たちには、あたしが友人を求めていないように見えた節があるのだ。彼女たちはあたしのことを、よく分からない女だと思っていただろう。そしててるほが、あたしを排除しようとしていたのを、何となく眺めていた。
今こうして思い起こせば、自分の過ちがよく分かる。てるほが嫌なら、自分から気に入りの女に近づいて、自然にてるほと、距離を置けばよかったのだ。あたしは何も、てるほのプライドを傷つける必要は無かった。それなのにおめでたいあたしは、気に染まない相手に対しては、手紙でお断りしなければならないと思い込んでいた。
最初に失敗したせいで、あたしの高校生活は、苦痛なものになった。友人が誰もいない教室に通う事実に、あたしのプライドはずたずただった。肉親に嫌われている自分など、よそ様にとってはどれ程煩わしい存在か。そう考えて、控えめに振舞いつつ、あたしは他人にすら受け入れられない自分に失望していた。
あの頃あたしは、一日の内で、クラスメイトと口をきいた回数を、ノートに正の字で記していた。一年の間、正の字が完成した日は、一度もなかった。それどころか一の字すら書けない日も珍しくなかった。
授業が始まれば、クラスメイトと会話をしなければという強迫観念からは解放される。だから授業中は、安寧の時であるはずだった。それなのに突然、大声をあげて叫び狂いたいという衝動に駆られた。何度も何度も駆られた。親にも世間にも受け入れられない自分の存在が、恥ずかしくてたまらない一方で、どうしてそんな目立つ行為をしたくなったのかは分からない。
世界中の全ての人に、自分を忘れて欲しかったし、忘れないで欲しかった。風穴の開かないあたしの心は、ハチャメチャに揺れるブランコだった。しかもあの高校は、三年間クラス替えが無かった。その上あたしは、四月早々、てるほが仲介してきた東郷というクラスメイトの男子を振っていた。
ところが翌年の春に吉兆が訪れた。信美というクラスメイトが
「これ、読まない?」
とある日突然、あたしの机に、漫画がどっさり入った袋を置いて行ったのだ。
袋を開くと、そこには
「友達にならない?」
と書かれたポストカードが添えられていた。翌日、手持ちの漫画と
「あたしでよかったら、よろしく」
と書いたメモを入れた袋を信美に渡し、友人関係が成立した。
その時あたしは、ただただ感激していた。信美はおとなしい女だったからだ。その頃てるほは、さすがヤンキーに憧れていただけあって、すでに高校をやめていた。だからあたしに近づいたからといって、もう信美が、てるほを恐れる必要は無かったが、信美はクラスで最も勢力のある女子グループに所属していたのだ。何もわざわざ一匹狼のあたしに、声をかける必要は無いと思われた。
控えめな性格でありながら、進んであたしの窮状を救ってくれた信美の心意気を、あたしは素晴らしいと感じた。しかし信美と友達付き合いを始め、あたしの考えは変わり始めた。別に信美が、性悪女だったという訳ではない。信美は事実、出すぎたところが無い上に、優しい女だった。ただあまりにも、つまらない女だったのだ。信美はとにかく無口な上に、たまに口をきいても、たいしたことを言わなかった。
けれど性格が悪い訳ではない、ただつまらないだけの女を切るほど、あたしは鬼ではなかった。加えてもう一人ぼっちの高校生活は懲り懲りだった。信美と交際するようになって、あたしは信美の友人たちとも、交流するようになっていた。しかし信美の所属していたグループは、規模が大きすぎたため、あたしに回ってきたのは、グループ内でも地味な女たちばかりだった。
地味とはいえ彼女たちは、信美よりは話していて楽しかった。でももうその時、あたしの一番の親友は、信美ということになっていた。
目立たなかったので、それまで気付かなかったのだが、信美には浅い付き合いをする友達はいても、親友がいなかったらしい。信美はつまらない上に、美しくなかったので当然だ。信美は眠たげな目に受け口を持った、決して愛らしいとはいえない女だった。
対してあたしは入学早々、男子バスケ部のマネージャーを頼まれたりしていたので、可愛い子にカテゴライズされていたようだ。あの高校では、男子バスケ部のマネージャーをすることが、女子生徒のステイタスの一つだったのだ。しかしあたしは、その誘いをあっさりと断った。実はあたしが振った東郷は、その男子バスケ部の部員だった。そしてあたしは、東郷と二週間ほど付き合った。
認めたくはないのだけど、事実だから仕方が無い。東郷はあたしの初めてのカレシだ。教室で東郷を初めて見た時、一目惚れしてしまったのだ。すると何とその翌日、東郷と同じ中学だったてるほが
「東郷が、『多恵子ちゃんと付き合いたい』って言ってるんだけどどうする」
と聞いてきた。
信じられない幸運に、頭をくらくらさせながら、あたしは二つ返事で承諾した。ところがどういう訳か、その翌日に、東郷の顔を見た途端、あたしはすっかり気持ちが醒めた。若い頃あたしは、男に対し、ごくたまに気まぐれだった。あたしは中学時代の友人に、どうしたものかと相談した。
彼女は
「付き合った途端、『やっぱ別れたい』なんて言ったら、気分屋だなって思われちゃうから、しばらくしてから別れたら?」
と提案した。もう嫌いになった男の評価を、なぜ気にしなければならないのか分からなかったけれどあたしはその通りにした。
それは男と付き合ったのが初めてだったからだ。付き合い始めた途端、別れを望んだあたしは、男と別れるための勝手が分からず、友人の意見に従った。とはいえ男女交際が初めてだったということは、男と付き合うための勝手も、あたしは分かっていなかった。その上相手は、すっかり嫌いになった男なのだ。
重苦しい気分で、あたしは東郷と交際した。その頃、東郷に男子バスケ部のマネージャーに誘われたのだ。あたしは躊躇なく断った。東郷のことがなくとも、そもそもあたしは、ステイタスなどどうでもよかった。東郷がショックを受けたので、あたしは面倒臭くなって、そのまま別れてしまった。
今思い返してみると、あたしは汚れてはいなかったかも知れないが、何だか酷い女だ。てるほがあたしを村八分にさせたのは、もしかしたらその辺りにも、原因があったかも知れない。
そしててるほの扇動に、クラスメイトたちが乗ったのも、無理は無かったかも知れない。ひたすら受身に徹し、ステイタスを蹴り、男と付き合ったかと思えば、即座に別れるあたしは、気難しい変わり者に思えてかばい辛かったのだろう。
ただ付き合っていたとはいっても、たった二週間のことだから、クラスメイトたちはすぐに、あたしと東郷が、カップルだったことを忘れた。その点は、早く別れておいて、本当によかったと思う。
ただあたしは思うのだ。それから一年の時を経てから、アクションを起こした信美のことを。信美はあたしのことを、最初にやらかしてしまって、孤独に陥ってしまった、おとなしくてちょっと綺麗な女だと判断したのだろうと。信美は親友がいなかったから、親友が欲しかったのだろう。自分より綺麗な女と、仲良くなってみたかったのだろう。
信美はあたしを救ってくれた。あたしは信美を、決して嫌ってはいなかった。ただ信美と一緒にいることが退屈だっただけだ。
高校卒業後、あたしたちはお互い実家を出て、別々の進路に進むことになった。引越し先の住所を信美が尋ねなかったので、あたしも教えなかった。高校卒業後あたしと信美は、一度も会わなかっただけでなく、電話の一本も交わさなかった。
あたしの思いを、信美は察していたのかも知れない。控えめなタチだから、卒業と同時に、あたしに近づくことをやめたのかも知れない。ただもしそうだとしたら、信美はいつから、あたしの気持ちを知っていたのだろうか。知っていたのだとしたら、信美のプライドは傷付かなかったのだろうか。なぜあたしに合わせ、高校卒業まではあたしに付き合っていたのだろうか。
自分からあたしにアプローチをした手前、引っ込みがつかなくなったのだろうか。それとも信美にとっても、あたしを手放すことは惜しかったのだろうか。だから卒業まで引っ張ったのだろうか。高校生活において、一般的に親友という存在は大切だ。しかもその相手が意地悪くもなく、ちょっとばかりでも可愛らしければ尚更だ。
ではあたしにとって、信美はどうだったのだろう。信美は美しい女ではなかった。あたしはそれを不満に思いながら、一方では気にしていなかった。面白い女でありさえすれば、あたしは相手の外見に頓着しない。
でも信美は、つまらない女だった。だから信美のみにくさが、あたしは鼻についた。産まれついた顔だって、顔の額縁と呼ばれる眉毛を、ちょっと整えてやるだけで、随分変わる。それなのに信美は、眉どころか、口の上の産毛さえ処理していなかった。
「あなたはただでさえブスなのに、どうしてグルーミングに力を入れないの」
こんな質問を、信美に投げられる訳が無かった。あたしと信美は、心が通じ合っていなかったからだ。
こんなことを密かに思っていたことを、信美は気付いていたかも知れない。だから遠慮して卒業後は、一切連絡を寄越さなくなったのかも知れない。それとも信美の方こそ、思っていたよりあたしがつまらなかったので、卒業を心待ちにしていたのかも知れない。
しかしそんなことは、どうでもいいことだった。学校は違ってしまったけれど、あたしは中学生時代からの友人たちとは、今でも付き合いがあるし、入学した短大で、友人に恵まれたからだ。不毛な高校生活を送る中で、あたしはようやく気付いた。実の親が自分を嫌っているからといって、卑屈になったりしては、世間からも疎まれるのだと。
根拠など無くていいのだ。自分は普通に人に好かれる人間だと信じ込み、目についた女たちに気楽に話しかけていれば、友達などできる。思えば父親に
「お前を作って、本当に損した」
と言われるまでは、あたしはクラスの人気投票で三位を獲得したこともあるのだ。それほどまでに親の言葉というものは重い。
けれどあたしは、いつまでも親の支配下にいるつもりは無かった。父親は週に一度は、訳の分からないことを叫び狂いながら、テーブルをひっくり返したり、食卓盆を叩き割ったりするような男だったからだ。
あたしは神がいるのかどうかを知らない。いたとして、それがキリスト教の神なのかも分からない。ただ仮に、キリスト教の神が真実だったとしても、あんな男が、牧師をしていたなんてお笑い種だ。あの男を止めることすらできなかった妻が、副牧師の資格を持っていた事実も噴飯ものだ。全く救われていない奴らが、世間様を迷った子羊扱いしているなんて。
こんな家にいたら、いずれ頭がおかしくなるだろうと、あたしは危惧した。だから少ない仕送りを覚悟で、家を出た。するとあたしの仕送りは、祖母が出してくれることになった。もっとも両親が、そこからピンハネをして、あたしの手元に、三万程しか入らなかったのは計算外だった。まだあの頃あたしは、両親が真のろくでなしだと分かっていなかったのだ。
まあだからこそ、実家を出たのは正解だった。バイトに追われる短大生活だったとはいえ正解だった。あたしは優しく楽しい友人たちに恵まれ、ついでに新しいカレシも手に入れたからだ。本当にあの家を出てよかったと思った。あたしは信美のことを思い出しもしなかった。
いや嘘だ。あたしは数年に一度の割合で、信美のことを思い出した。今頃どうしているのだろうと思った。そして「友達にならない?」とポストカードを寄越したあの時、信美が何を期待していたのか、尋ねたい気分になった。そして卒業と同時に、なぜあたしの前から消えたのかを知りたかった。
別に信美があたしを切ったことが、不満な訳じゃない。ただどうして、あたしを切ったのかを知りたいだけだ。けれどつまらない女だから、連絡を取るのがはばかられた。
さて今、目の前には、メニューに目を落とす圭吾の姿がある。世の中には、ああいった暗澹たる高校生活があるということを、この男は知りもしないだろうと、あたしは確信した。
食事を誘うメールが来たのは、連絡先を交わした当日だ。忙しいはずなのに、当日に連絡をくれたことには、素直に嬉しさを感じる。このマメさは、女心を掴むのにいい。また圭吾は、男心を掴むのも上手そうだ。水商売は異性にモテるだけでは続かない。同性にも好かれなければ、フォローしてもらえないからだ。
圭吾は見た目が完璧過ぎない上に、闊達にものをしゃべるから、男女問わず、支持を得るタイプに思える。きっとクラスの人気者だっただろう。しかし学生時代に皆の人気者だった人間というのは、何だかつるつるしていて、味気なく思える。
別にあたしは、圭吾をあだめいた相手にする気は無い。しかし男友達とはいえ、つまらなくては困る。心配しながらあたしがセーラムライトを抜き取ると、圭吾がテーブルの上のライターを、骨ばった手で握り、その後、はっとしたように離した。
あたしはにやりと笑うと
「今、職業病、出そうになったでしょ」
と指摘した。店で客のタバコに火を点けてばかりいると、その内プライベートでも、目の前の相手が、タバコを吸おうとした際に、反射的にライターを、握るようになってしまうものだ。
「分かる?」
「分かるよ。あたしも水商売やってたから」
「え、マジで?」
その時、店員がオーダーを取りに来た。あたしはポークソテーのセットを、圭吾はパスタセットを注文した。ここで夕飯を食べた後、圭吾は出勤するらしい。
店員が去ると、あたしは
「ねえ圭吾くんは、何で周作を借りたの」
と尋ねた。今日ここに来たのは、何よりもそれを尋ねたかったからだ。
「前も言ったじゃん? 多恵子さんと同じ二十九歳の客がいるって。彼女が周作を読むんだよね」
「指名客?」
「そう。とにかくひたすら無口で、話が弾まないんだよね。それで困ったなと思ってたら、『周作が好きだ』って言うから、話合わせるために読んでみようかなあと思って」
ホストクラブで作家の名を出され、こうして読んでみようというホストもいるなんて、意外な気がした。しかし惜しい話だと思う。その指名客は、周作ではなく話題の作家を挙げるべきだった。それなら読後の圭吾と、話が弾んだかも知れなかったのに。
「それで読もうと思ったなんて、熱心だねえ」
あたしも読書は好きだが、客のお勧め図書など読んだことが無い。圭吾は素直なのかも知れないと思う。
「まあ熱心っつーか、元々読書は好きだしね」
「ふうん。だったらお客さんの好きな本読むのは一石二鳥だよねえ。ホストやってる人って、本読む人少なそうだから、圭吾くんがそうやって、お客さんのお勧めを読めば、それが圭吾くんの売りになるし」
「んー、どうだかね。つーか今日はダンナさんは?」
せっかく本の話をしていたのに、話題を変えられてしまった。やはり主婦が、外で夕飯を済ませようとすると、理由を問われるものなのか。
「今週は、遅番なの」
あたしは寂しがりやなので、夫が遅番の週は落ち着かない。だけどこうして予定を入れられるのが、便利でもある。
「何時頃、帰って来るの」
という圭吾の問いに
「日付が変わる前には、帰って来るよ」
と答え、あたしは
「ねえそれより圭吾くんは、作家は誰が好き?」
と話を戻した。せっかく読書好きと会話しているのに、作家の話をしない手は無い。
「そうだなあ。村上春樹とか」
「春樹のどこが好き?」
「……世界観?」
理性が苛立つのを感じた。春樹を好きなくせに、好きな理由を挙げる際に、自信無さげに語尾上げをされた理由が分からなかった。読書家だと思ったから、目をかけてやったのに、こいつの作家への情熱は、そんな程度だったのかと呆れた。言葉を操る人間でありながら、言葉のつづられた書物に対し、失礼な態度を取った圭吾が不快だった。
し かも「世界観」という返答が、癇に障った。圭吾が春樹の「世界観」を、具体的にどう解釈しているのか、そこまで答えなければ、あたしの質問は意味をなさないからだ。そんなことまでいちいち言ってやらなくちゃいけないのかと、億劫な気分になった。あたしをうんざりさせて、何のメリットがあるんだろう。馬鹿か。この男は。六年も大学に通うほど勉強好きのくせに、そこまで馬鹿なのか。
内心で一通り憤った後、ふと冷静になったあたしは、確かに圭吾は、馬鹿なんだろうと思った。そうでなければ、日本の大学で、二回も留年するはずが無い。それを知っていながら、この場にのこのこやって来た馬鹿女はあたしだ。
水商売をしていた頃、店に晴菜という二十一の女がいた。待機席で話をしていたら、同じ短大の出身であることが分かった。晴菜は表情豊かな雛人形のような顔で
「あの短大出て水商売やるなんて、パンクですよね」
とはしゃいだ。
あたしはそれまで、「パンク」とは音楽のジャンルのことだと思っていたので、晴菜の言わんとすることが分からず、「パンクなの?」と尋ねた。けれどそこで、晴菜に指名が入ってしまい、話は打ち切りになった。
晴菜とは気が合って、その後も、待機席で一緒になれば、よく話をしたのだけれど、あたしはそのままパンク発言を忘れていた。それなのに店を辞めた後になって、ふと気になって、辞書をひいた。おそらく晴菜の言った「パンク」とは、「パンク・ロック」の略と思われる。そして「パンク・ロック」とは、「体制化・複雑化したロック音楽への反発から始まった攻撃的で強烈な音楽」のことであるらしかった。
パンクと分類される音楽が、強烈だということは言われるまでもなく感じていた。パンク音楽は反体制の象徴だということも、聞いたことはあった。けれどパンクが、ロック音楽への反発だったとは知らなかった。しかしあたしと晴菜が通っていた短大は、別にロック音楽を教えていた訳ではない。おそらく晴菜は、広い意味での反体制という意味合いで、パンクという言葉を用いたのだろう。
だが単なる短大卒ではなく、「あの短大を出て」水商売をやることを、晴菜はパンクだと言った。なぜだろう。あの短大の特徴というと、ミッション系だったことくらいだ。しかしミッション系だと、なぜパンクということになるんだろうか。ミッション系の教育を受けておきながら、水商売をする辺りが、何となく反体制な感じがするからか。
そういえばあの短大がミッション系だったことも、あたしが入学を決めた一因だ。学費が高くなかったことや、奨学金が充実していたことも、あたしがそこを選んだ理由ではある。けれどミッション系だったことも無視できない。
それは高校生の頃、あたしは恐れを抱いていたからだ。いつか自分が信仰を捨てるのではないかと。
そんなもの捨てたければ捨てればいいと、宗教心の無い日本人は言うだろう。いやあたしは別に日本人を責めている訳じゃない。ただ育ってきた環境が違えば、夏が駄目だったりセロリが好きだったり、信仰を捨てるのにためらいが生じたりなどの、個人差が生まれると言いたいだけだ。
冠婚葬祭宗教と揶揄される宗教観を持っている上に、多神教の日本人には、一神教の神を信じる人間の必死さは理解できないだろう。別にあたしは、必死なことが素晴らしいと言っている訳じゃない。ただ当時のあたしにとって、信仰を捨てるとは、百人の恋人と別れる以上の出来事だったということだ。
だったら捨てなければいいと言われるかも知れないが、あたしはキリスト教の神に、腹を立てていた。必死で神の言いつけを守っていたのに、父親に与えられるストレスのせいで、幼稚園児の頃から神経性胃炎に悩まされていたからだ。そして小学校の高学年になってからは、胃けいれんと片頭痛を起こすようになったからだ。
経験した人なら知っていると思うが、胃けいれんの痛みというものは、今すぐ死にたいと思うほど激しいのに、痛みに翻弄されるのに忙しく、死んでいられないほど凄まじい。また片頭痛の痛みというものも、思わず頭に、包丁を突き刺したくなるほど激しい。それなのにあたしは、鎮痛剤一つ与えられず、家事を命じられていたのだ。
「神様、どうしてですか」
とあたしは星の数ほど叫び祈ったのに、神は沈黙していた。生きることに疲弊したあたしが
「死ねってことですか。自殺を禁じ、自殺者は地獄行きってことにしときながら、それを承知で、あたしに自殺を選ばせる気ですか」
と尋ねても、神は沈黙していた。
あたしは別に、神に対して、この世の富を全て寄越せとか、世界を征服させろなどと願っていた訳ではない。肉体的な苦痛を取り除いて欲しいとか、父親が暴れないようにして欲しいなどの、人間として生きるための、最低限の願いを持っていただけなのだ。
それなのにどんなに願っても叶えられなかった。どんなに呼ばわっても、神は沈黙したままだった。聖書に書かれたことをがむしゃらに守り祈ったのに、状況は好転しなかった。このままでは、自分は信仰を捨ててしまうのではないかと、あたしは危惧した。
実家が教会だったから、高校を卒業するまでは、自動的に日曜日は礼拝に出席していた。けれど卒業後には、実家を離れる予定だった。親の監視が無くなれば、あたしは教会に通わなくなってしまいそうな気がした。
キリスト教の神を、真実の神だと信じていたあたしはおびえた。何か手を打たなければいけないと思った。だからミッション系の短大に進学を決めた。もっとも短大在学中に、あたしは信仰を捨ててしまったので、その工夫は、全く功を奏さなかった。しかしそれは、まあいい。それよりも短大うんぬん以前に、教会の子だったということの方が、今は重要だ。
「あの短大出て、水商売やるなんてパンク」
どころの話ではない。牧師夫妻の娘なのに水商売をしていたのだから、その見地でいった方が、よっぽどパンクだ。ただあたしは別に、体制というものに反したいと思って、水商売をした訳ではない。あたしは基本的には、まっとうに生きるのが好きだ。
しかしまっとうに生きたかったのに、堅気の仕事が長続きしなかった。そこでやむを得ず、水商売をしてしまった。とはいえミッション系の短大を出ておきながら、水商売をすることを「パンク」と表現することは面白く思った。あたしは本当は、それをパンクではなく、振り幅と考える。だけど別に、論文を書く訳じゃあるまいし、その辺の表現の違いは、たいしたことじゃない。
あたしが言いたいのは、ミッション系のお嬢さん短大に通っていた晴菜は、水商売を始めた時点で、卑屈にならなかったということだ。晴菜も親に金を使い込まれたりしていたクチなので、卑屈になる資格は充分あった。それなのに晴菜は、わたしってパンクじゃんと、肯定的に捉えていた。その点に、あたしは好感を持った。
その際、本音などはどうでもいい。大体知り合って間も無いのに
「一応、お嬢さん短大って呼ばれた学校出たのに、水商売に身を落としちゃうなんてへこみますよね」
などと嘆かれたら、同じ境遇のあたしまで、つられて憂鬱になってしまう。それくらいなら「パンクですよね」と笑っていた方が、結局は思いやりだ。
そしてあたしは、パンクかどうかは分からないけど、振り幅が大きいのは確かだと考える。どうせ生きていなければならないのなら、振り幅が大きい方が面白くていい。だからあたしは、教会に生まれ、幼い頃は熱心な信者だったにも関わらず、成人後は信仰を捨てて、水商売を専業で始めた経緯を、面白く思う。教会の子だからと、苛められたこともある。親に日曜日に、遊びに連れて行ってもらったことは無い。じゃあ平日なら遊んでもらえたかというと、そうでもない。
けれどそういった苦労をしても、信仰を守り続けていたことに、意義がある。あたしは形だけのクリスチャンではなく、熱心な信者だったからこそ、その後に水商売を始めた時に、落差を楽しめたのだ。
水商売を好きか嫌いかと尋ねられれば、決して好きではない。あたしは一晩八~十時間勤務をしていたからだ。八~十時間もの間、ほぼ初対面の男たちに気を遣って過ごすのは疲れる。もしあたしが販売員だったなら、客の目的は商品だから、気配りなぞ造作も無いことだ。けれど自分が商品になった場合は、一挙手一投足が客を楽しませるためのサービスになるのだ。
毎晩そこまで長い時間愛想を振りまき続けるのは、非常に疲労した。ある一定の時間内に、人間が放出できる愛想の量というものは、決まっているんじゃないだろうかと、真剣に考えた。それなのに愛想を完全放出しても、まだ勤務時間が残っていれば、客の相手をしなければならないのだ。そうすると余程感じがいい客以外は、うっとうしくてたまらなくなる。
それでいて、あのミラーボールがくるくる回る俗っぽいきらめきの中で、おめかしして働いている自分を嫌いじゃなかった。教会と飲み屋の比較だけでなく、あたしは子供の頃、ワンシーズンごとに一着ずつしか、よそゆきの服を持っていなかったからだ。一着ずつしか無かったため、それらは酷使されくたびれていた。
そんな自分が、その店では、肩を出したワンピースを身にまとい、髪をウィッグで盛り上げ、「綺麗だね」と賛辞を受けていたのだ。唇が乾燥しても、親にリップクリーム一つ塗ってもらえず、割れた唇から血を流すような子供時代を送っていたあたしが。
世間の人々は、親に様々に世話を焼かれている。しかしあたしは、自分の力で、自分を装うことができた。それがあたしには、自信につながった。水商売を好きではないことには、意味は無かった。そんなことに意味を求める余裕なんか無かった。せっかく不幸を得たのなら、どんな方向でもいい。違う方向へ飛んでいって、落差を楽しむのだ。
さてでは、高二の春に、あたしを救ってくれた信美は、あたしの好む落差に絡んでくるだろうか。ブランコは揺れが大きいほど楽しい。それに貢献してくれるだろうか。
パンク発言の晴菜は、信美の対極に位置する女だと思う。あの店で、一番ノリがいいと評されていたけれど、ただの騒々しい女ではなかった。変な男に恋をしていたのだ。彼は音楽を作るために、様々な音を拾っていた。そのため動物園に行き、象にマイクを差し出すこともあった。そういう男に焦がれる晴菜が、あたしには好ましかった。
あたしは別に、男を学歴や顔などで選ぶ女も嫌いではない。ただ学歴で選ぶ女はすでに友人にいたし、あたし自身が男に関しては面食いだったので、違った価値観を持つ女友達が欲しかった。なかなか鳴いてくれない象の前で、じっとマイクを差し出し待っている変わり者を慕う晴菜が、あたしには面白く思えた。
晴菜と信美の間の、振り幅は大きいと思う。でも信美がつまらない女なので、あたしはその現象を、イマイチ楽しめない。あんなつまらない女と親友だったあたしが、その七年後には、晴菜のように面白い女と仲良くなったなんて、とその事実を楽しむという訳にいかない。信美のようにつまらない女と親友だった事実は、あたしの心に暗い影を落とす。
それはあんな親に育てられたことによって生じる影とは、また違ったタイプのものだ。なぜなら両親はとんでもない輩だけど、彼らは彼らでドラマティックだからだ。彼らは教会堂でセックスしていたことまであるのだ。
あたしはもう、信仰を持っていないけれど、そんな罰当たりな真似はできない。しかし彼らは、信仰を持ち続けながら、そんな罪深いことをしたのだ。これがドラマティックでなくて何だろう。
それなのに信美ときたら、あたしの心に、暗い影を落とすだけで、ネタにすらならないのだ。性格は悪くないんだけど、ブスで地味でおとなしくて、とにかくひたすらつまらない女なんて、全くどうでもいい存在だ。
だからあたしは、友達には信美を基準とした落差を求めない。色んなタイプを取り揃えたいとは思っているから、結局のところ、落差を求めてはいるけれど、それは決して、信美との落差ではない。例えばあたしは、昼間勤務の友人が多いから、夜勤務の友人をもう少し増やしたいとか、そんな感じだ。
つまりそういうことだったんだろうと思う。あたしが圭吾の呼び出しに応じてしまったのは。遊んでいたせいで、二回も留年したような、薄っぺらい男の誘いに応じてしまったのは。
人間は、手広く揃えればいいというものではないのに。
それにも関わらず、あたしはまだその時は、もう圭吾と会いたくないとは思っていなかった。いやむしろ、物足りなさからあたしは、圭吾と別れることを惜しく思った。そこで食事を終えた後
「圭吾くんが勤めてるお店、行ってみたい」
とねだった。
「いいよ」と答えた圭吾に連れられて、夜の繁華街を歩いた。この辺りの店はホストクラブだけでなく、女の子の店まで、客の呼び込みをやっているので大変だ。寒中だというのに、この辺の店は、随分気合が入っている。あたしは一通り感心した後、ふと思い立った。
つまり圭吾が、誤解しているのじゃないかと気付いたのだ。あたしはただ、店を外から見てみたいだけだったのだが、圭吾はあたしが、来店の意思を示したのだと思ったのじゃないかと。
どうしようかと考えていたら、圭吾が
「そこ曲がって、すぐだよ」
と低い声を出した。胸にしみる音だ。これを失望の音色に変えたくない。あたしは
「あ、じゃあもういいや。またね」
と慌てて手を振った。
圭吾は一瞬きょとんとしたけれど、すぐに「ああ、じゃあ」と背中を向けた。猥雑な繁華街に、圭吾のシメサバみたいなコートが溶け込んでいく。ざわめきが暗がりがネオンが、しみじみと人生だ。あたしはしばしぼんやりとした。だから「あの」という女の呼びかけを、最初は聞き逃した。
その後発せられた「多恵子でしょ」という声が、ようやく耳朶を打った。あたしはやっと、傍らを見た。こげ茶のダッフルコートに身を包み、キャメル色のマフラーで巻かれた首の上に、眠たげな目と受け口の、女の顔があった。あの頃より、十一歳老けた信美の顔だった。
「信美?」と尋ねると、その老けた顔がうなずいた。
「何で、こんな所にいるの」
あたしは仰天した。信美はどうでもよさそうに
「こっちで、勤めてるの」
と答えた。
あたしは漠然と、記憶を手繰った。卒業後の信美の住所は覚えていない。ただ看護学校に行くと言っていた記憶がある。じゃあ信美、はこの近所で看護師をしているのか。根無し草のあたしは、卒業後に四度引越しをした。そうこうしている内に、信美の生活圏内に越していたという訳か。
その回想を遮るように、信美が
「ちょっと、話があるんだけど」
と言い出した。十一年も音信不通だったのに再会した途端に話があるだなんて、宗教かマルチ商法の勧誘だろうか。
警戒しながらもあたしは結局、信美に連れられて、その辺の喫茶店に入ってしまった。十一年振りに友人と路上で出くわしたという事実が、面白かったからだ。世間の狭さが愉快だった。
店に入ると、信美はカフェオレを注文した。そういえば信美は、いつもそうだった。一方あたしは、いつもコーヒーを注文して、ミルクをどさどさ入れて、カフェオレ状態にしていた。その方が、安くつくからだ。
出会った時、あたしより金銭的に恵まれていた信美は、今もカフェオレを頼めるくらい、恵まれているようだった。どの店でも、ふんだんにミルクを出してくれる訳でもない現状から、あたしは舌が慣らされてしまい、今やブラック好きになってしまったというのに。
ブスでセンスの無い女を前にすると、高ぶってはならないという自制心によるためか、あたしは妙に自虐的になる。ひりつくように苦いコーヒーを飲みながら、あたしはくたびれたシガレットケースを取り出した。昔のセックスフレンドがくれたケース。もう四年程前のこと。彼はこのケースと共に、「読みなよ」と周作の本をくれた。彼曰く、あたしは悪い女なので、周作を読む必要があったそうだ。
付き合う気もないくせにあたしを抱く男が、クリスチャン作家である周作の、熱心な読者であるという落差が愉快だった。昔クリスチャンだった女に、知らずにクリスチャン作家の著書を勧める男が滑稽だった。しかもシガレットケースと周作を、セットでクリスマスプレゼントにするとは。クリスマス。イエスキリストの誕生を祝うキリスト教のお祭り。キリスト教の神は、迷える子羊が喫煙することを、決して望まないだろうに。
周作を読むのは、それが初めてではなかったけれど、あたしが本格的に、周作にはまったきっかけはそれだった。セックスフレンドとは別れたけれど、あたしは周作を読み続けた。そしてシガレットケースも使い続けている。心の弱い人間の持つ喫煙習慣。真面目な信美様から見たら、きっと軽蔑に値する行為。
セーラムライトに火を点け、最初の煙を放つと、待っていたかのように信美が
「圭吾と、どういう関係なの」
と固い声で、口火を切った。普通はまず、「久し振りだね」とか「こんな所で会うなんてね」とか「今、何してるの」などの会話を交わすものなのに、すっ飛ばされてしまった。
「どういうって、そう言う信美は、圭吾くんと何か関係あるの」
「わたしはお店で、会うだけだけど」
「信美って、圭吾くんの客なの?」
度肝を抜かれた。あの地味で目立たなかった信美、いや今でも地味で目立たない信美が、ホストクラブ通いをしているなんて。ただ最初の驚きが通り過ぎると、あたしは納得した。つまり信美は、今宵も圭吾に会うため、ホストクラブへ向かっていたのだ。だからこそ店の近くまで来ていたあたしたちに目を留め、声をかけてきたのだ。
ということは、もしあたしが気まぐれを起こして、圭吾の店を見に行こうとしなければ、信美と再会することもなかったのだ。圭吾のような薄っぺらい男に運命を握られたとは、妙な心地だ。
「多恵子は、圭吾くんの客じゃないの?」
眠たげな目が、重そうに見開かれた。どうやら同類だと思われていたらしい。
「客じゃないよ。お店にも行ったことないし」
「じゃあ、何なの」
「何なのって言われても……。知り合ったばっかだから友達とも言えないし……。この間、近所の図書館で知り合って、今日初めてごはん食べたの。それだけ」
信美の眠たげに重い目が、今何がしかの光を放っている。こんな強い眼差しに対抗できる程、あたしは圭吾に、強い感情を持っていない。そのことが大層、居心地が悪く思えた。
「図書館で知り合うって、どうして?」
信美が切羽詰った声をあげた。確かに言われてみれば、ホストと図書館で知り合うのはおかしい。
「遠藤周作のコーナー見てたら、周作に詳しいのかって聞かれて、それでちょっと話したの」
「どうして? 遠藤周作だったらわたしだって読むって圭吾に言ったよ? でも圭吾は、わたしとはお店でしか会ってくれないのに」
「でも圭吾くんは、周作好きな客と話合わせたいからって、周作を物色してたよ。信美と話合わせたいってことじゃん?」
周作好きな客とは信美のことだったのかと、あたしは合点した。確かに信美なら、話をしてくれなくて困るだろう。今こんなにも口をきいていることが、信美としては異常なのだ。
「じゃあ多恵子は、圭吾くんと何でもないの?」
「ないよ」
らしくない態度を取る信美。惚れているからだろう。あんな馬鹿ホストに惚れるなんて、そこまでつまらない女だったとは思いたくなかった。腐っても信美は、あたしの恩人だというのに、これじゃあ腐っている。失望した。同時にこれは使えると思った。つまり信美を言い訳にして、あたしは圭吾を切ることができる。
「そんなに信美が心配するなら、あたしもう圭吾くんとは会わない」
精一杯優しい声色を使った。これで恩返しができたと思った。
「いいの?」
「いいも何も、今日だって別に、流れで何となく会っただけだし」
ふと、これはもう完全に昔の恩はチャラだろうという気がした。それはあたしの心を軽くした。そしてあたしが、信美のことを重苦しい記憶に仕上げていたのは、恩返しができていなかったからだろうと悟った。
返せない恩というものは、返せない膨大な借金のようなものと言ったのは、三島由紀夫だっただろうか。人間は借金取りを憎むかのように、恩人を憎む場合もあれば、借金を忘れるかのように、恩を忘れることもあるという。あたしは多分、その中間にいたんだろう。
信美が面白い女だったらよかったのにと思った。そうすればあたしは、信美と接している時、自分が楽しいのだから、相手も楽しいに違いないと解釈しただろう。そうすれば信美に、恩を感じることも無かっただろう。ただ単に、お互いが楽しいから一緒にいるのだと思っていられたことだろう。青春時代にはそうした気楽な友人関係がふさわしい。
この際だから、更に恩を着せてやろうと、あたしは伝票に手を伸ばした。だが横から信美に奪われてしまった。信美は
「わたしが、誘ったんだから」
と制した。そう言われると、確かに信美が払うべきという気がする。さっきの店でも、圭吾が同じことを言って、財布を広げていた。
「ご馳走さま」と別れようとすると、連絡先を尋ねられた。あたしが圭吾とつながっているので、あたしを確保したいのだろう。あたしに付録が付いていなかった高校卒業時には、易々と手放したくせに。何となく気に入らなかったけれど、断る理由も無かったので、連絡先を交換した。
店を出て夜空を仰ぐと、胸がもたれた。強すぎたブラックコーヒーと、信美の新しい連絡先の分だけ、胸が重かった。
そういえば高校時代に、信美から好きな男子の話を、聞いた覚えが無い。
卒業までの三年間、信美にカレシがいなかったのは確かだ。ただ信美には、好きな男性アイドルがいた。相手は旬を過ぎた、たいしてかっこよくもない男だった。その辺を歩いていれば、まあまあ好青年だといえたけれど、あたしは芸能人に興味が無かったので、納得できない思いだった。
とはいえあたしは、信美にケチをつけなかった。世の中に、芸能人好きが多いことは知っていたから、もしかしたら自分の方が、おかしいのではないかと思ったからだ。
そして歳月が流れ二十九歳になった現在、あたしはやはり、芸能人にはまる人間のことはよく分からない。なぜなら彼らは、あたしに秋波を送らないからだ。未婚だったなら、彼らの内の誰かと出会いアタックされれば、あたしは陥落するだろう。でもそんなことは、まず起こらない。そしてあたしが芸能人と知り合う可能性など、どうでもいい。
さしあたって重要なのは、信美には高校時代に好きな男がおらず、アイドルを好きだったということだ。それなのに今は、現実の男である圭吾にはまっている。
どうして圭吾なんだろうと思う。高校時代には好青年アイドルを好きだったはずなのに、どうしてホストなんかに目を留めてしまったのだろう。ただ考えてみると、あたしも過去に付き合った男は、全てタイプがバラバラだ。そうすると信美の好みの変遷も、仕方無い気がしてくる。人間は学習する生き物なので、同じタイプとばかり付き合っても駄目なのだ。
そこまで考えて、あたしは思った。ということは、信美は好青年タイプと付き合って、破綻した過去があるのだろうか。
もしそんな過去が無いのなら、やはりここは、好青年を狙うべきだと思う。見た目が好青年で、中身が食わせものでは問題だが、実態も好青年なら問題ない。信美は真面目な性格だから、好青年と合うはずだ。どう考えても、ホストと釣り合う女じゃない。好青年と破綻した過去があろうと無かろうと、信美はホストと釣り合う女じゃない。
人は変わる。そして変わらない。十一年前に古びた好青年アイドルに惚れていた信美は、今や圭吾の客になった。男の好みは変わったけれど、男に対峙する姿勢というものは、あまり変わっていない気がする。それは男への姿勢を変えるには、場数を踏むことが必要だからだ。信美は男にモテないタイプだ。恋愛対象にならないだけじゃなく、友達としても見なされていなかった。
そんな女が、十一年の年月を経たからといって、どうして男への姿勢を変えられよう。考えてみればアイドルに熱を上げる行為は、懐の豊かさが必要だ。アイドルのためにCDを買い、コンサートにも行かねばならない。
あたしは幼い頃から貧乏だったので、自制心によって、金のかかる芸能人を好きにならなかったのかも知れない。向こうから寄ってくる男でなければ、本気にならなかったのは、好意を寄せてくる相手は、金払いがいいということを、分かっていたからかも知れない。
恋愛対象がアイドルからホストに代わっただけで、信美の恋愛における本質は、何も変わっていない気がする。信美は大金持ちではなかったけれど、とりあえずあたしよりは、金に困ったことが無いので、男に金を使うことに、抵抗が無いのだ。そういえば看護師は、労働はきついけれど、一般的なOLと比べれば、いい給料を取っているそうじゃないか。
これは信美を説得するのは難しそうだと、あたしは溜め息を吐いた。とはいえ最初から、説得しようと思っていた訳では無かった。ただ何というか、昔の親友であり恩人でもある女が、ホストにはまっているという事実を、見過ごすのが気持ち悪かった。しかも圭吾には、カノジョがいるのだ。どうせ信美には知らされていないだろうけれど。
一般的な人々は、水商売の人間というのは、悪魔的な心理テクニックを使って、客をたぶらかしていると考えているだろう。あたしも以前は、そう思っていた。もちろん中には、そうした手練れもいるだろう。けれど実際に水商売をやって、あたしは知った。高等テクニックは必要無いということを。
例えば指名客が、「付き合ってくれ」と言い出す。勘弁してよと思うけれど、客じゃなくてもそんな断り方をしては思いやりが無い。あたしは基本的には、相手が傷付かない言葉で、丁重にお断りするタイプだ。けれど指名客の場合は、ばっさり切るのは惜しいと思う。指名料が入ってこなくなるからだ。
そもそも交際を申し込まれる以前に、プライベートだったなら、お酒のお付き合いをお断りしている相手なのだ。それを仕事だからと自分に言い聞かせ、愛想笑いを浮かべながら、くそ面白くもない話に相槌を打ち続けていたのだ。だというのに、交際申し込みだけは真面目にお断りするのも、妙な話だ。
そこであたしは、とりあえず
「ごめんね。あたしって人を好きになるのに、時間がかかるタイプだから、今すぐ返事ができないの」
などと言ってみる。大体、飲み屋に来るような客は、すぐ口説いてくるので、このセリフは、使い回しできた。
すると大抵の客が、信じてある程度の期間通い続けたので、あたしは心底びっくりした。今までチャレンジしたことが無かったから知らなかっただけで、自分に惚れている相手を言いくるめるのは、こんなに簡単なことなのかと思った。
再会した日、信美は圭吾とは、店で会うだけだと言っていた。信美が誘わないから、店で会うだけなのか、誘っても圭吾が、あたしのようにはぐらかしているのかは知らない。ただ少なくとも圭吾は、自分からあたしを食事に誘い支払いをした。それなのに信美のことは誘わず、金を吸い上げているだけということだ。
そりゃあ信美に、忠告をしたいと思った。
「あたしにも水商売の経験があるから言えることだけど、ホストなんかに、本気になるべきじゃないと思う」
と言いたかった。高等テクニックが必要無いからこそ、水商売の人間は、客を簡単に言いくるめられるからだ。
でもあたしは、自分が水商売をやっていたことを、信美に言いたくなかった。
水商売をしていた当時、あたしは周囲の友人たちに、仕事を伏せなかった。仕事を明かしても皆は、変わりなく自分と付き合ってくれるだろうことを分かっていたからだ。けれど信美は違う。信美とあたしの間には、そこまでの信頼関係は無い。それに信美は、水商売を軽蔑するタイプの女だ。男にモテない上に手に職のある女が、水商売の女に、敵意を持たない訳が無い。それを承知の上で、過去を打ち明け、忠言をするのははばかられた。
信美は恩人かも知れない。昔の親友かも知れない。でもあんな空虚な関係だったというのに、その過去の関係ゆえに、あたしには信美を戒めなければならない義務があるんだろうか。
男にはまっている女の目を覚まさせることが、いかに困難かを、あたしは知っている。しかもそれが、仲のいい相手ならともかく、昔の微妙な友人では、どれほどの困難を極めるだろう。ただ困難だからといって、昔の恩人であり親友であった女が、ホストに金をつぎ込むことを、静観していていいのだろうか。この思いは、あたしを数日悩ませた。普通なら嬉しいはずの親友との再会が、あたしには気がふさぐことこの上無かった。
あのやけに濃いコーヒーを飲んだのは、何日も前だったはずだ。それなのに沈黙を守る舌が、焼け付くように苦かった。
もう会うつもりは無かったのに、つい誘いを承諾してしまった。それは圭吾が、仕事を辞め、実家に帰ると言い出したからだろうか。最後にもう一度だけ会いたいという言葉には、なぜか逆らいがたいものがある。
もう会うつもりが無かったのなら、最後のチャンスを棒に振ったところで同じだ。もう会うつもりの無い人間は、引っ越そうが死のうが、あたしにとっては、関わりが無いのだから。それなのに最後に会いたいと言われると、断ることが非情に思える。あたしが圭吾を見限ったことを、彼は知らないのだから尚更だ。
待ち合わせ場所に現れた圭吾に
「カラオケ行きたい」
と提案すると、彼は戸惑った顔をした。これで最後なのに、会話の機会を放棄するのかと驚いているのだろう。しかしそう言われても、あたしは特に、圭吾と話したいことが無い。それより最近、カラオケに行っていないので行きたかった。相手は誰でもよかった。
あたしが熱唱すると、圭吾は実に楽しそうに手拍子を打った。悲哀に富んだ歌詞だったため、楽しそうな手拍子はふさわしくなかったのだけど、あたしは面白かった。また職業病が出ているなと思ったからだ。水商売の人間は、目の前でカラオケを歌われると、ノリよく手拍子を打ったり、合いの手を入れたりする癖がついてしまうのだ。
自分の過去の職業を、職業病として発する人を見ると、懐かしい気分になる。でもそれが何だというのだろう。この思いは、会って日が浅いからこそ芽生えているのであって、もし何度も、圭吾の水商売的職業病を目にしたら、新鮮さは無くなってしまうのだ。そうしたら圭吾には、価値が無い。
お互いが二曲ずつ歌った後、気付いたら次の曲が入力されていなかった。圭吾の番だったので、あたしは「入れないの?」と尋ねた。
「んー、まあとりあえず後で」
と圭吾はタバコに火を点けた。
タバコを吸いたいなら、あたしが歌っている間に吸っておけばいい。それを敢えて、このタイミングで点けるとは、おしゃべりがしたいのだなと思った。そこであたしは仕方なく
「何で、お店辞めることにしたの?」
と尋ねた。頭の片隅で、信美の真摯な視線が光った。
「まあいつまでも、こんなことやってられないっしょ」
「実家帰れば、仕事あるの?」
「うち、工場やってるし」
掴みどころの無い会話に、憂鬱を覚えた。そもそも「いつまでも、こんなことやってられない」というセリフが、あたしには分からなかった。水商売というものは、若いある一定の期間だけ、社会勉強の一環としてやるという前提の仕事なんだろうかと思った。転職を繰り返し八方ふさがりになり、生きていくために、やむを得ず水商売を始めたあたしとしては、恵まれたいい加減な圭吾が憎らしかった。
工場を継ぐことを親も望んでいるのなら、卒業後にさっさと継げばよかったものを、モラトリアムを引き伸ばして、ホストをやっていた圭吾に、嫌悪を覚えた。大学を二回も留年しておきながら、更にぐずぐずと逃げ回っていた圭吾が、卑怯に思えた。世の中には、家庭の事情で、中学しか卒業できない人もいるというのに。
それくらいならいっそ、親の敷いたレールを踏み外して、やりたいように生きればいい。だが結局のところ圭吾には、そこまでの勇気も、ビジョンも無いのだ。こんな刹那的な男に、不況の続く日本で、工場の仕事ができるのか分かったもんじゃない。まあ工場の内容にもよるのだろうけど、あたしは興味が無かった。
そこであたしは
「そういえば、遠藤周作どうした?」
と話題を変えた。こうして圭吾に会ってしまったからには、何を置いても、これを聞かねば甲斐が無い。
「あー読んでないね。もう店行く必要無いし」
「ちゃんと、図書館に返しなね」
「んー、ただ荷造りとかあって忙しくってさ」
この様子では、返しに行かないのだろうと、腹立たしく感じた。せっかくの周作の書籍を、店に行く必要が無いからと、目を通さない圭吾が忌々しかった。しかも図書館から、貴重な書籍が奪われたことになる。いくら田舎の図書館とはいえ、周作の『海と毒薬』が無いようでは、品揃えが悪すぎる。誰かが借りに来たら、どう責任を取るつもりだろう。
ただその懸念を、ここで表明することはふさわしくない。いい加減な男の性格というものは、あたしの経験上直らないからだ。少なくとも一度理屈をこねられたところで直ったりしない。一度で自省するような人間は、そもそもいい加減な性格にはならない。
苦々しく思いながらも、あたしは仕方がないと割り切り、順番を無視して、楽曲を入れた。あなたが疎ましいという歌詞を心を込めて歌ったら、圭吾が実に楽しそうに、手拍子を打った。
退出時刻になり部屋を出たところで、あたしのケイタイが鳴った。着信を見ると信美からだった。清算を圭吾に任せ、電話に出た。待合所のベンチに近づくと、窓越しに見やった外が、闇に犯されていた。
電話越しに信美は、圭吾が店を辞めたと訴えた。ケイタイもつながらなくなってしまったと、信美はうろたえていた。
「多恵子、何か聞いてない?」
ケイタイの向こうで、取り乱す信美に、あたしは「聞いてない」と嘘をついた。圭吾のためというよりも、信美のプライドを守りたかったからだ。信美は今、圭吾と連絡を取ることだけを、念頭に置いている。しかし自分は知らされなかった圭吾の新しい連絡先を、あたしが掴んでいることを知ったら、信美は傷付くだろう。
ところが信美は、プライドなどかなぐり捨てて、とにかく圭吾の連絡先を知りたいようだった。あたしは
「どうしてそこまでして、圭吾にこだわるの」
と尋ねた。清算を終え、こちらに近づいて来ていた圭吾が、整えた眉を、ぴくりと動かした。
「どうしてって、圭吾のこと好きだからに決まってるじゃない」
「だから何で、ホストなんかに熱あげちゃったのよ。水商売するような男なんて、風来坊なんだよ。ある日突然、行方をくらましても当たり前じゃない。ホスト遊びするならその辺、割り切ってやりなよ。逃げ出したホストの行方なんか、追ったって仕方ないじゃん」
「わたしの気持ちなんて、多恵子には分かんないよ」
悲痛な信美の叫びに、あたしは同情と、どうでもよさを感じた。電話の相手が、悲しげなのは気の毒だが、わたしの気持ちなんて分かる訳ないと壁を作られては、乗り越える根気が湧かない。
信美は学生時代から、アイドルに金を投じていたような女だから、圭吾に金と心を貢いだのだろうことは察した。しかしその裏づけを取るためには、信美とその件について語り合わなければならない。そう考えただけでめまいがした。そんな問いかけをするのが面倒臭かった。
「そう思うなら、あたしなんかに電話しなきゃいいんじゃない?」
冷ややかに尋ねると、「……そういうことだよね」と信美は、案外あっさり電話を切った。やれやれと思った。これで一息吐けたのだ。しかし二息を吐いている余裕は無い。
「ホストなんか」とか、「水商売するような男なんて」とか、「風来坊」などと散々けなした圭吾の元に、あたしは向かった。もうこれきりで会わない男とはいえ、バツが悪い。ただバツが悪いからこそ、あたしは信美が、高校時代のクラスメイトであることを、告げることができた。こんな時には、黙りこくっているよりも相手に新しい情報を与えるに限る。
友人だったとは告げなかった。あんなみにくくて愚かな女が友人だったとは、圭吾に知られたくなかった。そんな自分の感情を、あたしは恥じた。それでいて、わたしの気持ちなんて分かる訳がないと言った信美に傷付いてもいた。だから隠していてもいい気がした。
世間は狭いと、圭吾は目を見張っていた。前から思っていたけど、目つきの鋭い人が目を見開くと、何やら間抜けな顔になる。あたしは圭吾の驚愕に付き合うのももどかしく、だからホストを辞めて実家に帰る旨を、伝えてやってくれと頼んだ。
「いやでも、俺言ったじゃん? 店辞めたから、ケイタイ番号も変えたんだよ」
「だったら非通知でいいから、かけてやってよ」
「非通知拒否とか、してるんじゃないの」
「してないわよ。信美は圭吾くんからの連絡待ってるんだから。てゆうか非通知拒否してたらそれでいいよ。してないかも知れないからかけてやってよ」
あたしが粘ったので、圭吾は渋々、ケイタイを取り出した。二人の会話を聞きたくなかったので、あたしは化粧室へ向かった。鏡を眺めると、鼻の頭に脂が浮いていた。圭吾と会うのは最後だというのに、こんな顔でお別れではサマにならない。手早く脂を押さえ、毛穴をカバーする下地を塗りこんだ。その上に、フェイスパウダーをはたき、唇にはグロスを塗り直す。何とか見られる顔になった。
その時、あたしはふと、自分は圭吾を、好きになりかけているんじゃないかという気がした。そしてすぐに、それを打ち消した。まさか。あんな薄っぺらい男に恋心なんてまさか。
化粧ポーチを引っ掴むと、あたしは慌てて化粧室を出た。圭吾の姿を見れば、先ほどの思いつきが勘違いだと、すぐに分かる気がした。
圭吾はまだ、ケイタイを握り締めていた。信美をなだめているのだろう圭吾の背中を見ていたら、なぜか切ない気持ちになった。
その後に起こった結末らしきものを、あたしはずっと忘れていた。それはたいした展開にならなかったからだ。
圭吾はあの後、予定通り実家に帰った。その後の一ヶ月の間に、二、三度連絡を取り合ったけれど、あたしは落ち着かない気持ちだった。圭吾へ恋心が募ってしまったからだ。あたしは圭吾の薄っぺらさを嫌悪しつつ、その薄っぺらさに挑発されていた。薄い人間とは、メールをしても電話をしても満たされない。その飢餓感が、あたしの恋情を挑発した。満たされないから満たされたかった。でも満たされようがなかった。
自分が、昔の友人であり恩人である信美の想い人と、通じている事実も受け入れ難かった。それに肝心なことに、あたしは夫を愛していた。最後のどうということのないメールを無視したら、圭吾からの連絡が途絶えた。たった一度メールを無視しただけで、あたしを忘れた圭吾に、あたしは傷付いた。
信美からは一度だけ電話がかかってきた。淡々と圭吾との電話をあたしに伝えた後、信美は
「以前から打診されてたんだけど、看護師不足の他の病院に移ろうと思うの」
と抑揚の無い口調で言った。
「引っ越すの?」
「ここに住んでると、圭吾のことを思い出すから」
信美にとっては、あたしがここに住んでいるということは、何の意味も成さないのだと知らされ、寂しく感じた。しかしどうして、今になって、自分が信美に執着するのかは不思議だった。軽薄な圭吾に、恋心をそそられたように、つまらない信美に、注意を喚起させられているのだと理解しながらも。
つまらない人間は、尊敬に値すると知った。人は誰かの好意を得たいと思ったなら、相手を楽しませるものだ。あたしなどプライドが低いから、人様と接する時は、面白おかしい話を披露したり、物真似をしてみたりと、すぐピエロになる。親に愛されなかった分、他人の寵愛を得ようと躍起になる。
信美がごく普通に親に愛されていたことを、あたしは知っている。何だ、お似合いだったんじゃないかと思った。二浪をさせてくれて、工場を継がせてくれる親を持った圭吾と、同じ人種だったんじゃないかと。だからこそ圭吾は、春樹の「世界観?」を好きだと言ったのだろう。もうすでに愛を会得している人間は、自分を分かってもらうために、言葉を尽くす必要が無い。
言葉が足りないくせに
「分かってくれない人は、別にいい」
と威張る人間を、おこがましいと思っていた。けれど違うのだ。そんな不遜な態度は、努力して人様のお情けを得ているあたしのような人間がとってはおこがましいが、すでに愛されている人間にとっては特権なのだ。少なくとも両親に愛されているような、きらめく立場の人にとっては。
だからあたしは、二人を忘れた。雲の上の世界の人たちのことを、いつまでも考えていても、仕方が無いからだ。
その二年後に、信美を思い出したのは、夫の社宅が、老朽化に伴い取り壊しが決まったからだ。荷物をまとめていたところ、それが出てきた。
それは信美と交わしていた交換日記だった。これを交わすことになった経緯を、あたしは覚えていた。鍵付きの日記帳への憧れを、あたしが口にしたところ、信美が購入したのだ。
信美は優しい女だった。あたしが何かに興味を持てば付き合ってくれた。けれどあたしは、自分から何かを提案しない信美を、つまらなく感じていた。その感情が適切なものだったのか、あるいは不適切なものだったのか、今となっては分からないけれど。
日記帳は鍵が無くなっていた。どうしたものかと思ったら、鍵は開いた状態だった。これでは鍵の意味が無い。あたしは呆れながら、それを開いた。
ページをめくると、ノートの上で、高校時代のあたしと信美が、「友達」として会話をしていた。「友達」ごっこをしていた昔の自分の証を見るのは胸苦しい。あたしは自分を苛めたくて、敢えて読み続けた。
帰宅したら、自分の部屋にエアコンが付いていたなどと、つまらないことを書いているのは信美だ。そんなことは、わざわざ鍵付きの交換日記に書くようなことだろうか。やはり交換日記を交わすからには、それなりの秘密を打ち明け合うべきだろう。
そこへいくとあたしはさすがだ。交換日記を交わす間柄でなければ、知り得ないような重いテーマを打ち明けている。やはりここまで心のヒダを見せなければ、交換日記もしがいが無い。ただあたしは、その内容に愕然とさせられた。
あたしはどうやら高校時代に、遠藤周作の『沈黙』を完読していたらしい。そういわれてみれば確かに思い出されるが、あたしはクリスチャンだったからこそ、読んでいて辛くてたまらなかった。だがだからといって、周作は二度と読まないと、信美に宣言していたとは知らなかった。
ただ確かにあたしは、しばらくの間、周作を遠ざけていた時期があった。最も有名な作品である『沈黙』を最初に読んだところ、胸がえぐられたからだ。『沈黙』とは神の沈黙を意味していた。キリスト教がご禁制だった当事の日本に、宣教に来ていた男が主役だ。彼は追われながら、神に呼びかける。それに対し、神が沈黙しか返さないというきつい内容だ。
あたしがキリスト教を棄てた理由は数あれど、「神の沈黙」が辛かったというのも、大きな理由だ。だからこそ棄教前のあたしは、『沈黙』が正視できなかった。その八年後に知り合ったセックスフレンドに、シガレットケースと『ファーストレディー』を渡されるまで、あたしは周作を禁書にしていた。
勧められるまま再読したのは、その八年の間に棄教したからだ。かつてあたしを苦しめた書籍が、八年後の自分に、どんな影響を与えるのか興味があった。そして読んでみたところ、あたしはとりこになった。セックスフレンドとは別れたが、周作は読み続けた。それは棄教したからこそ理解できるようになったからだ。
周作は生涯に渡って、クリスチャンであり続けた。だからクリスチャン時代のあたしが、周作を拒否し、棄教後にありがたがるというのは矛盾している。しかしそうはいわれても、あたしにとって周作とは、そういう存在なのだから仕方がない。周作は、自身は信仰を持ち続けながら、信仰を捨てる人間の痛みに、優しい眼差しを送る作家だからだ。
しかし甚だ失礼ながら、今のあたしにとって、周作論はどうでもよかった。あたしにとって肝心なのは、高校時代のあたしが、信美にそんな大事なことを伝えていたということだ。そして再会した時、信美が周作のファンだったということだ。
信美はあたしの発言を受けて、周作に近づいたのだろうか。違うきっかけで近づいたとしても、周作を読みながら、あたしのことを思い出したことは無かったのだろうか。作品を読んだ信美は、あたしの苦悩を理解しただろうか。
その時、あたしの中で、何かがぱんとはじけた。ああそうだったのかと思った。
「友達にならない?」と近づいてきた信美。おとなしい女なのに、行動を起こした信美。あたしと別れてからも、あたしに影響を与えた作家を、読んでいた信美。信美はあたしを好きだったのだ。あたしに気にして欲しかったのだ。圭吾に去られたあの時、信美は本当は、あたしに気にかけて欲しかったんじゃないだろうか。
でもあたしは、すぐにそれを否定した。そんなはずは無いと思う。そんなことを思う自分は、自意識過剰だと思う。
気分が不安定になった時の癖で、あたしは本棚に視線を泳がせた。荷造り途中のすかすかの本棚に、寄りかかるようにして『沈黙』が存在していた。
あたしはあれだけ、沈黙が辛かったというのに。
唇を噛んだ。あ、振り幅だと思った。あたしの信美への思いも、ブランコのように揺れている。それはそれはハチャメチャに、激しく揺らいでいる。
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