公安テロ捜査情報流出事件から見た日本の影
ネタがまったくなくなってしまいました。今までにもこういうことが
ありましたが、今回はかなりの重症です。そこで、前作の
「語られることのない世界」の修正が終わった部分から少しずつ
ここに投稿していきます。
2010年の秋ごろ公安テロ捜査情報がインターネットに流出し、メディアを騒がせた。どんな内容なんだろうと興味を持たれた方も多いのではないだろうか?私もぜひ手に入れたいと思っていたある日、ネットのニュースに、ある出版社が流出したテロ情報を一冊の本にまとめて出版したと出ていた。これは、ぜひすぐにでも手に入れようと神田の書店街をさそっく回ってみた。10軒ほど回ったがどこへ行っても、「うちでは扱っていませんし、扱う予定もありません。」とつれない返事が返ってきた。なんだ、神田に来れば一軒ぐらいは在庫のある書店があるだろうと期待して来たのに。全国にその名を知られる神田書店街もこの程度かとがっかりしながら神田を後にしたのだが・・・。
公安テロ捜査情報のことも忘れかけ、別の件でインターネットをいろいろと検索していたときのこと。偶然に流出データを載せているサイトを見つけたのだ。ウィルスは心配であったが、まあそのときはまたパソコンを初期化するだけさ、と覚悟を決め、とりあえずダウンロードしてみた。さて、その中身は・・・。
テロとの関わりが疑われる人物として海外から通報されたイスラム教徒に関する文書、注意人物とされる大勢の在日イスラム教徒の身上調書、在日イラン大使館勤務者たちの銀行預金残高調査報告、現職警察官の身上調書、サミット警備計画、公安の担当者向け教育資料などなど。
この公安テロ捜査情報が出版社により一冊の本として販売されるという事態に至って、ようやく警視庁はこれらが警視庁のデータであると認めた。インターネット上にテロ捜査情報が流出してからすでに2ヶ月も経過していた。しかし、この数ある流出資料の中のひとつ、13名分の警察官の身上調書には、警察官の氏名と顔写真から始まり、住所、電話番号、生年月日、家族構成とそれぞれの生年月日、現所属、保有免許まで記入されている。これら13名分の身上調書に間違いがないのであれば、外部の誰かがいたずらで作成することは不可能であろう。したがって、警視庁は流出の経緯はともかく、警察が作成した資料であることはかなり早い段階でわかっていたはずだ。にもかかわらず、なぜ2ヶ月もの間、流出の事実すら認めようとしなかったのだろうか?その謎を読み解く鍵は「なだしお事件」にあると私は考えている。
みなさんは、この海上自衛隊の潜水艦なだしおが起こした事件をまだ覚えているだろうか?1988年、遊漁船と潜水艦が衝突して遊漁船が沈没、民間人30名が死亡、17名が重軽傷を負った事件だ。
このとき行政関係者を震撼させるようなことが起きている。それは、裁判になり裁判官が真相解明に必要と判断すれば、機密だからという理由で壁を築くことが許されないということだ。この裁判での争点のひとつ、潜水艦は、ほんとうに遊漁船を回避できなかったのか?これを解明するために、実際に潜水艦を使って検証させ、国家機密の塊である潜水艦の動力性能まで白日の下に曝さなければならなかったのだ。そして、裁判で明らかになった事実は、そのまますぐにメディアで報道され、世に知れ渡ってしまったのだ。
警視庁が公安テロ捜査情報の流出を認めること、それはすなわち、裁判沙汰になりかねないということでもある。そうなれば、裁判の過程で流出データの中にあったイスラム教徒に対する監視など、公安がふだん行っている活動を明らかにしなければならなくなる可能性は高い。そうなることを恐れて、長くデータの流出すら認めず、ひたすらほとぼりが冷めるのを待っていたのではないだろうか?公安という組織を守るためにデータ流出犯を見逃そうとしていた?これが、公安の過去の大きな疑惑をも蘇らせる。国松警察庁長官銃撃事件だ。あの事件はなんだったのか?
1995年の3月地下鉄サリン事件に続いて国松警察庁長官銃撃事件が起きる。このとき犯人は、20m以上離れたところから歩いているターゲットに対して4発を発射し、うち3発を命中させている。私の経験から言えば、これは1回や2回ぐらい拳銃射撃をやった者ができる芸当ではない。それなりの指導者の下、何回か射撃訓練を積んでいなければ極めて難しいだろう。当然警察もそんなことぐらいわかっていたはずだ。
翌年の5月にオウム真理教の信者でもあった警視庁公安の巡査長が犯行を認める供述をしたことから、警視庁は事情聴取を始める。しかし、警視庁はこんな重大な事実をこの後半年もの間、一般に公表しなかったばかりか警察庁にも通報しなかったのだ。しかもその公表ですら、内部告発をきっかけに公表に追い込まれただけなのだ。
このため、初動捜査が遅れに遅れ、元巡査長が神田川に捨てたとする拳銃の捜索も、本人の自供からさらに半年も過ぎてからようやく着手されたのだ。結局、捜査はぶれにぶれ、元巡査長を不起訴処分として時効を迎える。
ところが、時効が成立した日に公安はオウム真理教の仕業と断定した。犯人も特定できなかった事件をオウムの仕業と断定するのか?おかしくはないか?公安はまだ何か情報を隠しているのではないかと疑われても仕方がないだろう。この事件は最初から最後まで異例ずくめだった。
もし、警視庁がこの公安テロ捜査情報流出事件を闇に葬るのならば、この警察庁長官銃撃事件の被疑者を隠蔽し続けたのも、裁判から公安という組織を守るためだったのではと疑われても仕方がないのではないか?
私は、流出情報を掲載した本を買いたいと思ったが、実際のデータを見てこれはあまりにも詳細な個人情報があり過ぎて、本として出版するのは問題があると感じだ。そして、神田の書店がどこも私を門前払いした理由がよく分かった。出版社が指摘する公安によるイスラム教徒監視活動を国民に知ってもらうという大義は理解できないことはない。しかし、このような一般人の個人が特定できてしまう情報を売って利益を得ようとする出版社の姿勢にも疑問を感じざるをえない。