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希望回復作戦のゆううつ

 映画「プライベート・ライアン」で描かれるノルマンディー上陸作戦の映像は、上陸しようとする連合軍側と、それを阻止しようとするドイツ軍側の激しい攻防が描かれ見る者を圧倒する。上陸作戦とは、ここまで過酷なのかと。

 しかし、1992年のある夜、モガディシュの砂浜に上陸するアメリカの歩兵部隊は様子が違った。彼らを待ち受けていたのは、敵の激しい銃砲弾の嵐ではなく、メディアのフラッシュだった。ソマリアにおける人道支援活動、「希望回復作戦」の始まりの一コマだ。覚えているだろうか?

 再び第2次世界大戦に戻る。なぜ、連合軍はノルマンディーに上陸したのか?

 波が穏やかなこと。潮の流れが速くないこと。上陸した砂浜の近くに後続部隊を集結させるために十分な広場があること。弾薬や補給品などを荷揚げするための港湾が近くにあること。などなど、上陸地点を決めるために大事なことはたくさんある。そして、それらを総合的に考慮すると、最適な上陸地点はカレーであった。(イギリスのドーバーとは目と鼻の先にある。)

 当然迎え撃つ側のドイツ軍も同じように上陸適地を分析する。私が連合軍の司令官ならどこに上陸させるか?敵の気持ちで考えるのだ。結論はやはりカレーであった。そこでドイツ軍は、カレーに上陸するであろう連合軍を撃破するため、そこに強固な防御陣地を構築した。

 ただ、ひょっとしたらノルマンディーかもしれないとも分析していた。そのため、予備的にノルマンディーにも防御準備を進めていた。

 攻撃は最大の防御。防御側は事前に準備をして、迎え撃つことができるのが最大の利点だ。しかし、攻撃側(上陸側)はいつ攻撃するかと、どこから攻撃するのかを決めることができる。

 このため、攻撃側の連合軍は、ドイツ軍がすでにガッチリと固めているカレーではなく、上陸地点としてはカレーに劣るが防御準備がまだ手薄なノルマンディーに上陸することを決断したのだ。

 では、ソマリアのあのモガディシュの砂浜はどうやって選ばれたのだろうか?

 当然、連合軍やドイツ軍がやったように分析する。地図上で上陸に適しそうな地点を全部ピックアップしていく。それから、・・・?

 現代は、衛星写真があるんだから、それをチェックすれば御の字でしょ。人の顔まで識別できるらしいから。そもそも戦闘をやるんじゃなくて、ただの人道支援をするんだし、何たって砂浜でメディアが待っていたぐらいだから・・・?

 逆だ。メディアに上陸時間・場所を教えて取材させたということは、それだけ安全に上陸させる自信があったということだ。では、その自信はどこからきたのだろうか?

 海兵隊偵察隊の活躍だ。地図上の分析で候補に挙がったすべての地点に潜水して近づき、潮の流れ、海底の状況、海岸周辺の不審な構築物の有無などを一つずつ調べて回ったのだ。その偵察の結果として、あのモガディシュの海岸ならば、最も安全に上陸させられると判断したのだ。

 映画では、華々しい活躍をする特殊部隊も、実際の戦場では日の当たらない活動になる。第一線としてメディアのフラッシュを浴びた歩兵部隊。しかし、実際にはそのもう一つ前に真の第一線があったのだ。

 候補に選ばれていた海岸の中には、機雷が敷設してあったところもあったらしい。もし、地図と衛星写真だけを頼りに上陸地点を決めていれば、希望回復作戦は出だしからいきなり機雷で吹き飛ばされてつまずいていたかもしれないのだ。

 さて、メディアに歓迎されながら順調に始まったかに見えた人道支援活動だったが、誰があのような結末を予想していただろうか。

 飢えに苦しむソマリアの人たちの希望を回復するための作戦だった。ところが、救援活動の障害となっていたアイディード派排除に乗り出したことから、すべてが狂い出す。アイディード派幹部の拘束作戦として映画にもなったあの「ブラックホークダウン」が起きてしまう。米軍の誇る最新鋭の戦闘ヘリがアイディード派民兵の保有するRPG-7という旧式の兵器によって撃ち落とされたのだ。アメリカ兵の遺体がソマリアの民衆に引き摺り回される映像が世界中に衝撃を与え、クリントン大統領はソマリアからの撤退を決断する。

 そもそも、当時のガリ国連事務総長が人道目的での武力行使という新しい概念を国連の平和維持活動に持ち込み、積極的な武力行使を言い出したところからおかしくなったのだ。平和執行部隊?奇妙な言葉だ。そもそも「平和・peace」と「執行・enforcement」という言葉が両立するのだろうか?

 世界でもっとも紛争の現場を知っている人物と言っても過言ではない、あのカンボジアとユーゴスラビアにおいて国連特別代表を務めた明石氏は言っている。

「カンボジアの平和維持活動は、国内すべての勢力が長年の紛争に疲れ、もう紛争は嫌だと。国連よ、何とかしてくれというところから始まったから成功した。それに対して、ユーゴスラビアは、残念ながら各勢力が今まさに殺し合いをやっている最中であり、そこに国連が入っていっても平和を定着させることは難しい。」

 そう。残念ながら、紛争当事者間に真に平和を求める気持ちなくして第三者が割って入っても、平和をもたらすことなどできないのだ。たとえそれが純粋な人道目的であってもだ。

 平和執行部隊。それは、学者上がりの国連事務総長が紛争の実情を知ることなく、提唱した机上の空論。それによって国連部隊のパキスタン兵24名、アメリカ兵18名、マレーシア兵1名が犠牲になったのだ。そのA級戦犯であるガリ事務総長が厚かましくも、もう一任期をやろうとしたことが私には信じられなかった。当然、責任をとって潔く身を引くべきだろうと。アメリカが拒否権を使ってまで再選を阻止したのは私は当然だと思ったし、それを批判する人たちがいること自体が信じられなかった。兵士の命はそんなにも軽いのかと?

 では、ソマリアのように内戦が続く途上国に対して国際社会は何もできないのか?

 そのとおり。何もできない。少なくとも彼ら当事者全員が真の平和を望まない限り、というのが私の答えだ。酷な言い方かもしれないが、国内がいくつかのグループにわかれて殺し合ったとしても、それもその国の自決権のひとつなのだ。そこに外国人が人道を盾に割って入っても、殺し合いの構図が変わるだけだなのだ。

 さて、クリントン大統領が大統領専用ヘリのマリーンワンから降りる時の映像を覚えてはいないだろうか?黒い礼装をした海兵隊員が敬礼をしながら迎える映像だ。通常、大統領もさりげなく敬礼を返すのだが、アメリカ史上初の兵役経験のないクリントン大統領は敬礼することができず、口を真一文字に固く結び、拳を握りしめて、ウンウンとうなずくように首を振るだけだった。

 大統領選の最中にもたびたび問われた、米軍の最高指揮官としての資質。兵役逃れをした者に軍の最高指揮官が務まるのか?まさに、その疑問がこの希望回復作戦という軍事作戦の最中に現れることになるとは選挙戦の最中に予想した者は誰もいなかっただろう。皮肉にも、徴兵逃れの大統領が、ブラックホークダウンをきっかけにソマリアからさっさと逃げ出す決断を下したのだ。これ以来しばらく、アメリカはベトナム後遺症から地上戦ができなくなったと揶揄されることになる。

「米軍は張り子の虎だ。空爆さえ耐え凌いで地上戦に持ち込めば、奴らは必ず逃げ出す。」

 地上戦のできない米軍という間違ったメッセージを送ったクリントンが、湾岸戦争における最高指揮官として絶大な評価を得ていたブッシュ大統領(父)を破って当選していたのは皮肉としか言えまい。運命の皮肉は、これだけでは終わらなかった。クリントンの次に大統領に就任した息子のブッシュ。彼は、イラク戦争において米軍兵士に死傷者が続出しても、国内外の猛烈な批判にさらされても、絶対に兵を引かなかった。不人気な戦争から兵を引きさえすれば、容易に再選できることぐらいはブッシュ大統領もわかっていたはずだ。しかし、彼はこれによって、ならず者国家やテロリスト集団に対して「アメリカは地上戦を怖れない」というメッセージを送っていたのだ。当時、当事者でもなかった日本に、こういう第三者としての視点から冷静に論評できるメディアが皆無だったのは残念で仕方がない。

 私には、ソマリアの希望回復作戦について、今でも一つの疑問が残っている。アングロサクソンの国アメリカが、なぜ国益上それほど重要とも思えないソマリアに軍隊を派遣したのかがわからないのだ。私などが知りえないようなアメリカの利権があの地域にあったのだろうか?それとも、兵役経験がない大統領がゆえ、軍隊派遣に対するハードルが低かったのだろうか?


 読者によっては、この話読んだことがあると思ったかもしれない。たしかに、これは「語られることのない世界」から引っ張り出してきたものだ。ではなぜ私が今この話を持ち出してきたのか?それは、今の北朝鮮情勢と無関係ではないからだ。

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