第9話 沈黙の箱
魔法という現象を、多くの人間は『奇跡』だと思っている。
だが、魔導師や私たち魔導具職人(の端くれ)からすれば、それは単なるエネルギーの変換運動に過ぎない。
水が高いところから低いところへ流れるように、魔力もまた、術者の回路を通って具現化する。
ならば、その流れをせき止めたらどうなるか?
答えは単純。行き場を失った水がパイプを破裂させるように、魔力は術者の内側を破壊する。
だからこそ『対魔・阻害機構』は、魔導具開発の歴史において長らくタブーとされてきた。
◇◆◇
放課後の特別棟。
一般生徒の立ち入りが制限されているこのエリアには、高価な実験機材や、過去の遺物が保管されている資料室がある。
私は掃除当番という免罪符を首から下げて、廊下の床をモップで撫でていた。目的は掃除ではない。この奥にある教員用保管庫だ。
(......見つけた)
廊下の角から、そっと顔を出す。
保管庫の重い扉が、少しだけ開いていた。
中にいたのは、先日の生徒指導室で私たちを恫喝した学年主任だ。
彼は部屋の奥で、背中を丸めて何かを覗き込んでいた。
彼の手元にあるのは、黒ずんだ金属片。
間違いない。ミリアが使っていた増幅器の残骸だ。"整備不良のゴミ"として処分されたはずのそれが、なぜ厳重に保管されているのか。
「......ふむ。やはり『吸魔』の術式が組み込まれていたか」
学年主任の独り言が、静かな廊下に漏れ聞こえてくる。
「学生の魔力ごときでは、実験データとしては不足か。次はもっと純度の高い素体が必要だな」
背筋が凍った。
実験? 素体?
彼はミリアが暴走することを知っていた。いや、暴走するように仕向けたのか?生徒を守るべき教師が、生徒を実験動物のように扱っているというのか。
学年主任は、ピンセットで金属片を摘まみ上げると、手元の木箱にそれを収めた。
何の変哲もない、掌サイズの木箱。
だが、蓋が閉じられた瞬間、私は息を呑んだ。
気配が、消えたのだ。
さっきまで確かにそこにあった、微量な魔力の残滓も、焦げた匂いも、存在感そのものが世界から切り取られたように消失した。
「――『沈黙の箱』か」
私は音にならない声で呟く。
あれは、私の失敗作の完成形だ。
内部の空間を世界から隔離し、あらゆる魔力の流出入を遮断する封印具。
本来なら、国宝級の危険物を輸送するために使われるような代物だ。一介の教師が持っていていいものではない。
あの箱があれば、どんな違法な魔導具を持ち込んでも、魔法探知機には引っかからない。
誰にも気づかれずに「毒」を学園に持ち込み、証拠を隠滅することができる。
カツ、カツ、と足音が近づいてくる。
私は慌ててモップを握り直し、角の陰に身を隠した。
学年主任が部屋から出てくる。彼は小脇にあの箱を抱え、満足げな笑みを浮かべていた。
「優秀な道具は、使い手を選ばねばならんよ」
誰に向けた言葉でもない。
彼は廊下の闇へと消えていった。
私はその場にへたり込んだ。
心臓の音がうるさい。
見てはいけないものを見てしまった。
これは、ただのいじめや事故じゃない。
学園という巨大なシステムの中に、致命的な欠陥――いや、悪意ある「裏口」が作られている。
そして、その悪意の矛先が、「次の素体」を求めているとしたら。
脳裏に、銀髪の姉の姿が浮かんだ。
圧倒的な魔力を持ち、学園で最も目立つ存在。
もし私が研究者なら、これほど魅力的な実験材料はないだろう。
「......冗談じゃない」
私はモップを強く握りしめた。
守られたくない、なんて言った。
関わるな、とも言われた。
だが、事態は私の感情論などお構いなしに進行している。
この学園は、狂っている。
そしてその狂気は、確実に私の平穏な日常と、あの不器用な姉を飲み込もうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
犯人は、生徒を守るべき教師でした。 しかも彼が使っていたのは、皮肉にもセレナがかつて考案した技術の「完成形」。
最悪の真実を知ってしまったセレナですが、相手は学年主任という権力者です。 正論も証拠も、握りつぶされるのがオチ。
次回、第10話「正しい側が責められる」
権力という名の理不尽が、容赦なくフィオナを追い詰めます。 しかし、その悔しさが、ついにセレナの「安全装置」を焼き切ります。 お楽しみに!




