第8話 理由なき異変
噂話というものは、伝書鳩よりもタチが悪い。
鳩なら目的地へ飛んでいくだけだが、噂は無差別に飛び火し、尾ひれという名のぜい肉をつけて肥大化していくからだ。
◇◆◇
ミリアが停学から明けて登校してきた朝、学園はその話題で持ちきりだった。
「聞いた? ミリアさん、魔法が使えなくなったんだって」
「嘘でしょ? 杖が壊れただけじゃないの?」
「違うよ。新しい杖でも反応しないんだって。
......魔力そのものが『枯れた』らしいよ」
教室の隅で息を潜める私の耳に、そんな会話が嫌でも飛び込んでくる。
魔力枯渇症。
通常は老齢の魔術師や、重篤な病を患った者に見られる症状だ。まだ十代の、しかも魔力量に自信を持っていたミリアが突然発症するなど、前例がない。
私は教科書を開きながら、視線だけで教室内を見回す。
ミリアの姿はあった。だが、かつて女王のように振る舞っていた彼女の面影はない。
顔面は蒼白で、目の下には濃い隈が浮かんでいる。取り巻きだった女子たちも、腫れ物に触れるように距離を置いていた。
「......ありえない」
私は小さく呟く。
先日の「事故」。確かに彼女は増幅器を暴走させた。だが、あれは回路が焼き切れただけで、本人への逆流はフィオナが遮断したはずだ。
後遺症が残るとしても、せいぜい数日の魔力酔いくらいだろう。
「完全に使えなくなる」なんて現象は、理論上説明がつかない。
ふと、廊下ですれ違った時の会話を思い出す。
『やっぱり、あの転校生のせいじゃない?』
『フィオナ様? まさか』
『だって、あの日からでしょ? 何か恐ろしい呪いをかけたんじゃ......』
犯人探し。
理解不能な現象を前にした時、大衆はわかりやすい『イケニエ』を求める。
その矛先が、圧倒的な異物であるフィオナに向くのは必然だった。
◇◆◇
放課後。
私はいつも通り逃げるように帰宅し、自室の作業机に向かった。
引き出しの奥から、一つの「ガラクタ」を取り出す。拳大ほどの、いびつな金属塊。
かつて私が、魔導具の廃材と安価な鉱石を組み合わせて作った試作品だ。
「......似てる」
私はその金属塊を見つめ、冷や汗を流した。
この試作品のコンセプトは「魔力阻害」だった。
周囲の魔力波長に逆位相の波をぶつけ、相殺することで魔法の発動を妨害する。
理論は完璧だったが、実用化には至らなかった。なぜなら、特定の波長に合わせる調整が難しく、狙った相手だけでなく周囲一帯の魔導具まで誤作動させてしまう欠陥品だったからだ。
だから私は、これを「失敗作」として封印した。
だが、今のミリアの症状は、この装置の効果と酷似している。
彼女の体内で、魔力の流れが「何か」によって阻害されているとしたら?
外部からの呪いではなく、彼女自身の魔力回路に、阻害信号を発する異物が埋め込まれているとしたら?
「まさか......」
嫌な想像が頭をよぎる。
あの増幅器。
ミリアが使っていた、黒ずんだチャーム。
私はあの日、一瞬だけ見たその構造に違和感を覚えた。「部品同士が噛み合っていない」と感じた。
あれがもし、単なる出力アップのための道具ではなく、意図的に回路を狂わせるための罠だったとしたら。
ガチャリ、と玄関が開く音がした。
フィオナが帰ってきたのだ。
私は慌てて金属塊を引き出しに戻し、部屋を出た。
リビングには、いつものように涼しい顔をした姉がいた。だが、その制服の袖口が、微かに煤で汚れていることに私は気づいてしまった。
「......おかえり」
「ああ」
フィオナは短く答え、すぐに洗面所へと向かう。
その背中に、私は問いかける勇気を持てなかった。
まさか、姉さんがやったのか?
ミリアへの報復として、二度と魔法が使えないように細工をしたのか。
それとも、彼女は「何か」を知っていて、あの日、ミリアの増幅器を破壊したのか。
わからない......
確かなのは、学園という穏やかな水面の下で、私の知らない「ナニカ」が動き始めているという事実だけだ。
私は自分の掌を見つめる。
油汚れと、小さな切り傷。
ただの魔導具オタクである私には、この謎を解く術も、権限もない。
そう、無いはずなんだ。
それなのに、なぜ私の心臓は、新しい設計図を思いついた時のように、ドキドキしているんだろう。
お読みいただきありがとうございます。
ミリアの不可解な魔力喪失。 ただの事故の後遺症にしては、あまりにも不自然です。
セレナは技術屋としての勘で「何かおかしい」と気づきましたが、まだ確証はありません。 しかし、その違和感の正体は、すぐ近くに転がっていました。
次回、第9話「沈黙の箱」
セレナは見てはいけないものを見てしまいます。 学園の闇が、その醜悪な本性を現します。 お楽しみに!




