第13話 選ばないという選択
人生における選択肢は、常に二つとは限らない。
「戦う」か「逃げる」か。生物学的にはその二択が基本らしいが、人間社会という複雑怪奇な回路の中では、どちらを選んでも詰む盤面が多々ある。
戦えば潰される。逃げれば追い詰められる。
ならば、第三の選択肢――「盤面そのものを書き換える準備」をするしかない。
◇◆◇
放課後の特別棟、屋上への階段踊り場。
ここはお気に入りの死角だ。教師も見回りも来ない。
私は膝の上に、昨日完成させた「記録機」を展開していた。見た目はただの古びた弁当箱だが、中身は私が魂を削って調整した高感度魔力センサーの塊だ。
イヤホンを耳に押し込み、ダイヤルを回して周波数を合わせる。雑音の海を越えて、目的の声が拾えた。
『――そう、例の件は処理しました』
学年主任の声だ。
場所は二階下の準備室あたりか。
相手は誰だろう。電話か、あるいは来客か。
『ええ、シルヴァーノの娘は大人しくしています。......はい、次の実験には支障ありません。素体としての鮮度は保たれています』
ザラリとした悪寒が背中を走る。
やはり、フィオナを狙っている。
「実験」の内容は不明だが、それが彼女の尊厳を、あるいは命を削るものであることは間違いない。
私は録音用スイッチを入れて水晶に魔力を流し、この会話を固定する。
決定的な証拠だ。これを理事長や、あるいは王都の監査機関に提出すれば、奴を破滅させることができるかもしれない。
......いいや、無理だ。
私は冷静な頭で、その選択肢を破棄した。
学年主任があれだけ堂々としているのは、背後に強力な支援者がいるからだ。
ミリアの実家か、あるいはもっと大きな組織か。
私がこの水晶を持って訴え出たところで、『生徒の捏造』として処理されるか、最悪の場合、証拠ごと私が消される未来しか見えない。
正攻法の告発は、自殺行為だ。
かといって、このまま指をくわえて見ているわけにもいかない。
じゃあ、どうする?
奴を闇討ちにする? 私にそんな腕力はない。
フィオナを連れて夜逃げする? あのお堅い姉が首を縦に振るわけがない。
思考の歯車が軋む。
その時、イヤホンから別の音が聞こえた。
『......姉さん』
フィオナの声ではない。
私の記憶の底にある、幼い頃の自分の声だ。幻聴か。
いや、思い出したのだ。
昔、私が積み木を高く積みすぎて崩れそうになった時、父に引き取られる前のフィオナが、無言で手を添えて支えてくれたことを。
彼女はいつだって、自分の身を削って『支える側』だった。だから今、孤立して折れそうになっている。
「......なら、私が土台になればいい」
私はイヤホンを外した。
告発もしない。復讐もしない。
そんな派手な真似は、主人公の役目だ。モブである私には荷が重い。
私がやるべきは、奴らの実験を「物理的に失敗させる」ことだ。
どんな強力な魔法も、発動しなければただの空気。どんな完璧な檻も、鍵が開かなければただの箱。
奴らがフィオナを利用しようとするその瞬間、装置が誤作動を起こすように仕向ける。
あるいは、フィオナが追い詰められた時、彼女を守るための最強の盾を、こっそりと渡す。
それなら、私にもできる。
魔導具職人としての、私の領分だ。
私は水晶をポケットにしまい、立ち上がった。怒りは消えていない。むしろ、冷たく鋭く研ぎ澄まされている。
やることは山積みだ。
奴らの使う魔導具の解析。妨害装置の小型化。そして、フィオナ自身の杖の強化。
全部、誰にも知られずに、水面下で進めなければならない。
孤独な戦い?
望むところだ。私はもともと一人遊びの天才なのだから。
窓の外、夕焼けに染まる校庭を見下ろす。
そこにはもう、怯えるだけの陰キャの姿はなかった。
あるのは、獲物を狙う狩人のような、あるいは難解なパズルを前にした技術屋の、静かな興奮だけだった。
正攻法は通じない。だから裏から手を回し、物理的に実験を「失敗」させると誓います。
次回、第14話「危険な就職先」
家の借金を返そうとフィオナの選んだ就職先。
それはセレナですら心配をする"危険"をはらんでいました




