ep.3
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※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています
アウレリアは、ただ死を待つつもりはなかった。
牢獄の冷気は、皮膚を容赦なく蝕む。
薄汚れた粗末な衣服の下で、体は細かく震えている。
しかし、その震えは寒さだけによるものではない。
内側から燃え盛る怒りと、今まさに決行しようとしている、魂を削るような所業への覚悟が、全身を震わせていた。
祖母の命を奪い、自分をこの絶望的な状況に突き落とした雪竜に対して、ただ朽ちて終わらせるだけなど、断じて受け入れられない。
竜種が番と認識する"魂の繋がり"が、どれほど強固なものか。
それは、魔術師達が興奮して語っていたことからも。
そして何より、雪竜の近くにいる時に微かに感じられた、自身の奥底から湧き上がる魔力の奔流からも。
嫌というほど理解していた。
だからこそ、その繋がりを断つことを決意したのだ。
生まれ変わって結ばれるなど、冗談ではない。
来世まで雪竜の番として囚われるなど、想像すらしたくない。
たとえ、己の魂を傷つけることになろうとも。
祖母の無念を晴らすためにも。
そして何より自分を番と認めぬ、あの傲慢で間抜けな竜への、昏い意趣返しとしても。
アウレリアは自身の魂の奥底、もっとも神聖で触れてはならない場所へと意識を集中させた。
そこに存在する、"番"としての本質。
雪竜との間に生まれた見えない絆。
それを自らの手で、この世から消し去る。
それは、自らの存在そのものを否定するような、自殺行為に近い荒業だった。
魔術師の知識として、魂に直接干渉する術があることは知っていた。
だが、それは禁忌であり、並大抵の術者が手を出せる領域ではない。
ましてや、魂の核にある"番"の繋がりを断つなど、前例のない、狂気の沙汰だった。
体に宿る全ての魔力を総動員し、そのエネルギーを魂の核へと集めていく。
体中の血が沸騰し、皮膚の下で血管が脈打つのが分かる。
脳裏に、魔術師達が"番の証"と称した、アウレリアの体に宿る微弱な魔力が、光の塊となって収束していくイメージが浮かんだ。
それは、祖母を失った深い悲しみと、雪竜への燃え盛るような怒りが混じり合った、暗くも激しい光。
「…っ!」
その光の塊が魂の最も奥深くに到達した瞬間、想像を絶する激痛に襲われた。
その激痛は、アウレリアの全身を内側から食い破るかのような。
まるで、千本の針で全身を突き刺され、同時に全身を内側から引き裂かれるような。
肉体と魂が同時に悲鳴を上げる感覚。
「あああ……っ!」
喉の奥から、押し殺したような呻き声が漏れる。
体中に電流が走ったような激痛が、アウレリアの全身を駆け巡り、意識がぐらりと揺れた。
胃液が込み上げてくるほどの吐き気を覚える。
竜種の"番"という繋がりは、単なる精神的な絆ではない。
それは存在そのものに濃く刻まれ、魂の根源に深く根ざしたものだ。
それを引き引き千切る行為は、自身の魂を引き裂くことに等しい。
しかし、アウレリアの決意は揺るぎはしない。
額には脂汗が滲み、髪の毛が肌に張り付く。
奥歯を噛み締め、痛みに耐える。
歯が砕け散るのではないかと思うほど、強く、強く。
魂の核に、無理やり魔術の刃を突き立てる。
それは、物理的な刃ではない。
自らの魔力を、魂を破壊するための純粋な意思の力へと変換し、その脆弱な結びつきを寸断しようと試みるのだ。
何が何でも、例え死んででも。
絆を断ち切る事だけを考えた。
その表情には、ある種の達成感すら浮かび上がっている。
これで、あの雪竜から自由になれる。
これで、僅かばかりでも祖母の無念の手向けになる。
その思いだけが、アウレリアの意識を繋ぎ止めていた。
魂の奥から、パキリ、という乾いた音が聞こえたような気がした。
それは、氷が砕けるような、あるいは骨が折れるような、悍ましい響きだった。
魂の傷は、肉体にも影響を及ぼす。
アウレリアの視界は、激痛と意識の混濁で霞んで、牢獄の冷えた床が近付いてくる。
膝から崩れ落ち、そのままぐったりと横たわる。
全身が熱く、同時に悪寒が走る。
呼吸は浅く、鼓動は不規則に跳ね。
まるで、生命が風前の灯火であるかのように揺らぐ。
朦朧とする意識の中で、正しいことをしたのだと繰り返し呟いた。
この選択は、祖母を失ったアウレリアに出来る、唯一の抵抗で。
あの大嫌いな雪竜への、最大の報復なのだ。
意識が少しずつ遠退いていく中で、アウレリアの脳裏には、祖母の面影が鮮明に浮かび上がった。
霞む視界の向こう側に、哀しそうな表情の祖母を見た気がした。
祖母が、心配そうにこちらを見つめている。
「ぉ、ば、ちゃ……」
声に出そうとするが、喉はひび割れたように渇き、音は出なかった。
祖母の温かい手が、アウレリアの頬に触れるような錯覚に陥る。
その温かさが、魂の傷からくる冷たい痛みとは対照的で、アウレリアは抗えない眠気の中へ引きずり込まれ。
そして、意識は、暗い深淵へと沈んでいった。
同じ頃、アウレリアが投獄されている地下牢の入り口に、二つの影が現れた。
湿った空気と、カビの匂いが充満している。
一人は、雪竜の遠縁にあたる氷竜の女性、グラシエ。
純白の髪は、雪原に降り積もったばかりの新雪のように輝き、凍えるような金の瞳は、研ぎ澄まされた氷の刃のように冷徹な光を放つ。
彼女は、雪竜よりもいくらか年長に見え、その佇まいには、長きにわたる時の流れを感じさせる威厳が備わっていた。
そしてその隣には、時空竜のウルクが腕を引かれ、無理やり付き添わされていた。
深淵を思わせる黒髪は、夜空の闇そのもの。
星屑を散りばめたような金の瞳は、まるで遠い宇宙を覗き込んでいるかのような神秘的な輝きを放っていた。
彼は、いかにも不満気な表情を浮かべ、グラシエに捕まれた腕を軽く振り払おうとする仕草を見せる。
「まったく。何故私が雪竜の番の様子を見に来ることに付き合わされねばならんのだ、グラシエ。貴重な時間を無駄にするな」
氷竜のグラシエは顔色一つ変えない。
それどころか満面の笑みで、ウルクの腕を離そうとしない。
「あら、ウルク。あなたが最近退屈そうにしていたから、連れてきてあげたのよ。それに、あの子の番なんて気になるでしょう?」
グラシエは、好奇心に満ちた目で地下牢の奥を覗き込む。
「ところで、番を見に来たのになんでこんなところに繋がったのかしら?」
グラシエが首を捻る。
彼女は雪竜の側に置いた子飼いから、番らしき人物が見つかったという知らせを受けたものの、詳しい事情は聞いていなかった。
ただ、何か引っかかるものを感じて、ウルクを伴って番の魔力を辿って訪れたはずだった。
とりあえず、と二人が牢の奥へと進むと、鈍い光を放つ牢の中で、倒れ伏すアウレリアの姿が目に入った。
その瞬間、グラシエの金瞳が、信じられないものを見たかのように大きく見開かれる。
「……まさか」
ウルクもまた、その光景に息を呑んだ。
アウレリアの周囲には、ごく微かに、しかし確かに魔力の残滓が漂っている。
それは、魂に直接干渉した際に生じたであろう、異様な残滓。
普通の人間には決して感知できない、非常に繊細で、しかし決定的な異変の証拠。
「自ら、魂に…傷をつけたのか? 番の証を、消し去るために?…人間が、そこまで…」
ウルクの言葉は、驚愕に満ちていた。
彼の普段の冷淡な表情からは想像もできないほどの動揺が、その声色にも滲む。
竜にとって、番の繋がりとは至上のもの。
生命の根源に刻まれた、絶対的な絆だ。
それを番自ら断ち切ろうとするなど、彼らの想像を絶する行為だったのである。
それは、宇宙の摂理に逆らうかのような、途方もない試み。
「嘘!……そんなことをすれば、命を落としかねないじゃない…!」
グラシエが素早くアウレリアに駆け寄る。
意識を失っているアウレリアの体は、魂の傷による反動で、弱々しく震えていた。
その顔は蒼白で、唇は血の気を失い、呼吸も浅い。
まさに死の一歩手前だ。
グラシエは、アウレリアの様子と、周囲に残る魔力の残滓を瞬時に分析し。
彼女の知識と経験が、この人間の少女が何を成したのかを正確に示唆していた。
このままでは、アウレリアの命は長くない。
そして、何よりも、魂に傷を入れてまで番の繋がりを拒絶しようとする人間の存在は、竜族の歴史においても前代未聞の事態だった。
「あの子が来る前に、連れて行きましょう」
グラシエは即決する。
自らの魂に傷を入れてまで、番の繋がりを拒絶しようとする人間を、番とはいえ雪竜に会わせるわけにはいかない。
それは、アウレリアにとってあまりにも酷なことであり、彼女の意思を無視することになる。
そして竜族にとっても、尊厳に関わることだ。
自分達の絶対的な"番"という概念が、人間によって拒絶されたという事実、その影響は計り知れない。
グラシエとウルクは、迅速にアウレリアを抱え上げた。
二人は、雪竜に気付かれる前に、静かに地下牢を後にした。
足音は慎重で、まるで影のように闇に溶け込む。
昏睡状態のアウレリアの意識は、深く深く、暗い淵へと沈んでいく。
魂につけたその傷が、彼女の今後の人生にどのような影響を与えるのか。
彼女が再び目覚めることはあるのか。
今はまだ誰も知る由もない。
しかし、彼女の魂に刻まれた深い傷は、決して消えることのない痕跡として、彼女の存在を揺るがし続けるだろう。
ご一読いただき、感謝いたします
引き続きお楽しみいただけましたら幸いです