ep.2
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※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています
牢獄の冷たい石壁に背を預け、アウレリアは静かに呼吸を整えた。
薄汚れた衣服は、北国の厳しい冷気を容赦なく肌に伝え、骨の髄まで凍えさせるようだった。
まだ一週間も経っていないというのに、祖母と二人で慎ましく暮らしていた日々が、遠い幻のように思える。
あの暖かな家。
祖母の皺だらけの手から渡される焼きたてのパン。
炉端で語り合った穏やかな時間。
ささやかで優しさ溢れるその日常は、突如として踏み込んできた国の魔術師達によって、無惨にも侵されていった。
その忌まわしい日を境に、アウレリアの世界は一変したのだ。
あの日、薄曇りの空の下。
アウレリアが薪を割っていると、遠くから何かがこちらに向かってくる気配を感じた。
それは、まるで嵐の前の静けさのように、肌を粟立たせるような。
不穏な魔力の乱れだった。
やがて、その気配の主がはっきりと視界に捉えられた時、アウレリアの心臓は嫌な音を立てて脈打った。
黒いローブを纏った男達が複数人、森の木々の間を縫うようにして現れた。
彼らの胸元には、この国の王家を示す紋章が誇らしげに輝いている。
そして、その表情は一様に高揚しており、獲物を見つけた狩人のような獰猛な光を瞳に宿していた。
「見つけたぞ! 番だ!」
その声が、アウレリアの穏やかな日常を打ち砕く最初の楔。
彼らはアウレリアを一目見るなり、まるで何か特別なものを発見したかのように騒ぎ立てた。
「間違いない、この魔力……まさに『番』の証!」
「まさか、こんな辺境の地に竜の番が隠れ住んでいようとは!」
彼らの興奮した声が、アウレリアの耳にはただの雑音として届いた。
何が"番"なのか。一体何を言われているのか。
言語は分かっても全く理解できなかった。
しかし、彼らの目に宿る狂気にも似た熱気が、尋常ではない事態であることをアウレリアに悟らせた。
「お前を、王城へ連れていく!これは、王と竜の命だ!」
彼らの一人が、声高らかに。
まるで命令のように告げる。
「急に何を言っているのですか! 私はどこにも行きません!」
アウレリアは必死に抗った。
高齢の祖母を残してなど行けるはずがない。
幼い頃から両親の代わりにアウレリアを慈しみ、育て。
この小さな家で、二人寄り添って生きてきた。
それが、アウレリアの世界の全てだったのだ。
しかし、魔術師達はアウレリアの抵抗を意に介さなかった。
彼らはアウレリアの腕を掴み、有無を言わさず連行しようとする。
その時、家の中から祖母の声が聞こえた。
「アウレリア! 大丈夫かい、アウレリア!」
祖母は魔術師達の突然の訪問に驚き、恐怖に震えていたのだろう。
その声を聞いた瞬間、アウレリアは全身の力を振り絞って抵抗した。
「祖母を置いて行きません! 離してください!」
しかし、魔術師達は容赦などない。
彼らは魔術の鎖でアウレリアの動きを封じ、祖母の元へ駆け寄ろうとするアウレリアを無理やり引き離した。
外へと顔を出した祖母が、心配と恐怖で顔を青ざめさせ、か細い声でアウレリアの名を呼ぶ。
その光景は、今もアウレリアの脳裏に焼き付いて離れない。
「この者を連れていく。逆らうなら、力ずくでも!」
魔術師達の冷酷な言葉が、祖母の顔からさらに血の気を失わせた。
魔術の鎖を全力で破壊する。
無理に術を破ったせいでアウレリアは小さな傷を多々拵えることになったが、構わなかった。
直ぐさま家へ駆け戻り、厳重に防御魔術を施す。
その後、数日間にわたる抵抗が続いた。
アウレリアは、あらゆる手段を使って彼らから逃れようとし。
彼らもまた、アウレリアを捕らえるために家を取り囲み続けた。
その間、祖母は日に日に弱っていく。
心労のためか、食欲も落ち、やがて床に伏せるようになってしまったのだ。
そして、あの日──。
アウレリアが薬を調達するために魔術師達との押し問答を続けている最中、家の中から祖母の苦しそうな咳が聞こえ。
慌てて家の中に戻ると、祖母はベッドの上で息も絶え絶えになっていた。
「おばあちゃん! おばあちゃん!」
大丈夫!?と。
呼びかけるアウレリアの声も届かず、祖母はアウレリアの手を弱々しく握り締め、何かを言おうと口を開きかけたが。
結局何も発することなく、あっという間に息を引き取ってしまったのだ。
祖母の死は、魔術師達にとっては好都合だったに違いない。
祖母と二人で維持していた防御魔術は、アウレリアの感情の乱れもあって崩れてしまった。
その隙を見逃さず、押し入って来た魔術師達は、祖母の葬儀をさせてほしいと泣きながら懇願するアウレリアの言葉を無視し。
まるで荷物のようにこの王城へと連れ去ったのだ。
「番が国王と竜の元に参上することは定めである。いつまでも私情に囚われていてはならない」
魔術師達は全く聞く耳を持たず、剰え、冷酷にそう告げるほどだった。
彼らの目に映るのは、ただ"竜の番"という存在であり、アウレリアという一人の人間ではなかった。
祖母の最期に花を手向けることも、見送ることすらも許されなかったアウレリアの怒りは、沸点を超えていた。
悲しみと喪失感、そして何よりも深い憤りが、アウレリアの心を支配する。
王の前に押し出された時、アウレリアは驚いた。
あの時、魔術師達が騒いだ"番"が、まさかこの国の冬の王たる"雪竜"だったとは。
祖母の葬儀に戻れるだろうか、もし彼が番ならばこの理不尽な状況を理解してくれるだろうか、と抱いた淡い期待は、謁見の間で瞬く間に脆く崩れ去ることになった。
当の雪竜が、アウレリアを唯一無二の番であると認識できないばかりか、番を騙った詐欺師として投獄を命じたのだ。
「コレは偽りだ。地下へ入れておけ」
あの低い冷徹な声が、アウレリアの耳にこびりついて離れない。
それを思い出して、アウレリアの怒りは頂点に達した。
望んで番になったわけでもないのに、ここまでの屈辱を味合わなければならないような所業を、アウレリアはしていないと断言できた。
故に、怒りと憎しみ、その全てが他ならぬ雪竜へと向かうのは当然の帰結である。
"番"だというのなら、何故、目の前にいる私を認識できないのか。
何故、魔術師達に捕らえさせ、祖母の死を招いたのか。
慈しみ、守り、愛す者だと認識するはずの番を、牢獄に閉じ込めるとは。
これは一体どういう了見なのだろう。
竜種の言う"番"という理屈は、アウレリアにとっては全くの戯言でしかなかった。
祖母との優しく幸せな生活を奪われ、挙げ句の果てにこの屈辱的な状況に置かれているのは、すべてあの雪竜が無能なせいだ。
アウレリアはぎゅっと拳を握り込む。
冷たい掌に爪が食い込むのも構わず、力を込める。
瞳を閉じれば、祖母のあたたかい笑顔が鮮やかに浮かぶ。
優しく微笑む祖母の姿が、今もアウレリアの心の奥深くに根付いている。
そしてその笑顔が、あの雪竜によって無惨にも踏みにじられ、胸の奥底で黒い炎が燃え盛るのを感じた。
アウレリアは静かに、しかし決意に満ちた眼差しで、閉ざされた鉄格子に視線を投げ。
その先の、闇の奥に続く冷たい階段を見やる。
「何のために…」
掠れた声が、暗い牢獄に虚しく響く。
かけがえのない最後の肉親を失い。
剰え、その大切な祖母の見送りに立ち会うことさえ許されず。
あの雪竜が、自分を番だと認識しないせいで、アウレリアは処刑を待つ身となった。
氷の希少亜種、冬を司る王。信仰の象徴とまで謳われる雪竜は、確かに美しかった。
その白銀の髪、蠱惑的な金の瞳、全てがこの世のものとは思えないほどだ。
だが、その瞳には、アウレリアを映す光は微塵もなく、まるで金属のように冷え切っていた。
番を慈しみ、守り、愛す存在だと? 何の戯言だ。
アウレリアと祖母に関わらないところで勝手にやっててほしかった。
自身の運命を嘲笑うように、再び瞳を閉じる。
彼女の心には、抗い難い運命への諦念と、冷たい怒り。
そして何よりも、この不条理な状況を作り出した雪竜への憎しみが渦巻いていた。
このまま朽ちていくのは嫌だ。
暗闇の中で、アウレリアの心に宿った黒い炎が、静かに燃え続けていた。
ご一読いただき、感謝いたします
引き続きお楽しみいただけましたら幸いです