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こんなにも理不尽な世界の中で

 この小説を読む上で、自身が正常であると自覚している御方は感情移入とか辞めた方が良いと思います。それができないというのなら苦痛を受けながら読み進めて下さい。どうぞ気持ち悪くなって下さい。そういうわけですので『全然問題無いぜッ!』って方のみ閲覧してどうぞとの注意喚起だけはここに書き記しておきます。

 秋も終わり頃に差し掛かり・・・。

 未だ暖かな日差しの下、彼女は澄んだ川のほとりで座っていた。歩き疲れてしまったのだ。ただひたすらに逃げたくて、逃げ続けて・・・。

 眩しい太陽はいつだって温かい。しかし心は、虐待という名の理不尽に抉られ続けている。

 彼女は、ただ泣きたかった。甘えたかった。その為に、何処かへと向かっていたはず。だけど彼女の心は、既になにもかもを忘れてしまっていて・・・・。

 いつまでたっても涙は溢れてこず。

 誰に甘えれば温もりを返してくれるのかわからず。

 どこへ逃げれば理不尽から解放されるのかを知らず。

 彼女は無感情に向こう岸を眺めた。誰もいない向こう岸。そこには、途中まで積み立てられた石積みの塔があった。しかしそれは、彼女の視界にのみ映る。他の誰からも、見えることはない。

 「ワンッ!!」

 何かが吠えて、唐突に引き戻される。濡れた足が、全身に寒気を運ぶ。

 「ワンッ!!ワンッ!!」

 「私のこと・・・気にしてくれるんだ。」

 彼女は・・・今度は逆方向へと歩き出す。その視線が向く先には、立派な柴犬が一匹。

 「おまえ、野良か?」

 首輪がないのを確認して、彼女は問うた。しかし返事とかはなく、何故か尻尾をブンブンと振っていた。

 首輪を確認する為に首に触れたのが、どうやら気持ちよかったらしい。

 「やめろよな・・・・。」

 小さく、ボソッと。そう。それは、心から漏れた感情が溢れ出てしまった呟きだった。

 しかし言葉の理解できぬ犬っころ・・・されど人の感情に機敏な犬っころは、両足だけで座り込む彼女の・・その足元を、包み込むようにして寝転んだ。

 「いいよ。おまえが濡れちゃうだろ。」

 そう言ってやっても、犬っころは動かない。彼女の足をじっと包み込み、温め続ける。

 「・・・・おまえは、寒くないか?」

 「ワォーン!」

 大丈夫だ、問題ない・・と。そんな言葉が聞こえてきそうな吠え方だった。これは決して、彼女自身の勝手な解釈などではない。犬っころは心の底から、彼女に対して「心配するな」と吠えていた。

 

 リンゴーン・・・と、五時のチャイムが鳴る。

 「うそ・・・・。」

 彼女は小さく声を漏らす。その声は震えていた。その声には、絶対の恐怖が乗せられていた。

 数秒立ち尽くし、お腹のポケットからおやつカルパスを取り出す。小腹が空いた時ようにと買っていた自分のご飯。結局お腹は空かなかったから、それは余っていた。

 「ほら、食え。」

 袋を開け、犬っころに投げる。犬は走り、そして彼女も走った。もちろん逆方向に。やがて走り去る彼女の背中を、犬っころは眺め続けていた。

 これが、彼女と犬っころとの初めての出会いであった。

 次の日。犬っころが待つ河原に、彼女は姿を現さなかった。

 その次の日も・・・またその次の日も・・・。

 犬っころはあくびをし、それでも彼女を待ち続けた。

 ・・・ーーーそして七日が開いた月曜日の二時過ぎ。河原に再び、彼女が姿を現す。

 「ワンッ!!」

 「おまえ・・・まだいてくれたんだ。」

 犬っころは走り、そして彼女に飛びつく。

 「ははは、やめろよワンさん。くすぐったいじゃん。」

 顔を舐める犬に、彼女は自然と笑顔を見せた。

 「あ、ワンさんっていうのはおまえの名前な。この一週間ずっと考えてたんだ。どうだ?嬉しいか?」

 「ワンッ!!」

 「そうだろそうだろ!なにせ私のネーミングセンスは世界一だからな!はっはっは。」

 「ワンッ!!ワンッ!!」

 若干、抗議の声とも聞こえなくはないが、それでもやはり、一人と一匹は、楽しそうに笑いあった。

 この一週間、ただ会うことだけを希望に生きた両者。子を亡くした母犬と、親の愛情を知らぬ子ども。互いが互いを求め、たった一度の出会いと、そして会えない日々で募った想いが、二人をより強固な絆で結ぶ結果となった。

 

 それからの四日間。彼女は毎日、河原へと向かった。もちろん、ワンさんと一緒に食べれる食い物を持って。ただちょっとだけお金の事を気にしながら・・でも密かに貯めた分がそこそこあるから大丈夫と言い聞かせて・・・・。

 すぐ外には建物が立ち並ぶが、ここらはちょっとした田舎だ。人通りが少ない。そしてこの河原は特に。人はみんな都会へと吸い寄せられる。また田舎好きも、平日の昼過ぎであるがために・・・。

 その結果として、彼女とワンさんの楽しそうに遊ぶ姿が誰かの目に留まることは無かった。


 土、日、月と三日が開いた。

 昨日、ワンさんは彼女を探そうと動いた。しかし、できなかった。彼女の匂いは、毎日違ったから。体からも、服からも、毎日別人の匂いがした。ただしだからといって、彼女自身の匂いがしないわけではない。近くに来れば、ワンさんの持つ五感で判別がつく。でも遠く離れてしまえば・・・匂いが薄くなると、複数の匂いから彼女特有の匂いを判別できなくなる。それが、彼女特有の体質故か、それともワンさんの嗅覚に異常があったためか、はたまた別の特別な理由があって故かの真偽は、定かでない。ただし結果として、ワンさんは途中までしか追跡できなかった。それだけは事実である。

 「・・・ッ!?ワンッ!!」

 朝方。向こう岸の橋上に彼女の姿が見えた。

 三日が開いてようやく、彼女が姿を現した。しかしその様相は酷く憔悴しきっていて・・・なんというか死に瀕した状態を耐え抜き、ようやく目的地にたどり着いたと言わんばかりの姿であった。

 「ごめん・・・遅くなっちゃった。」

 弱々しく鳴く彼女の裾を、ワンさんが引っ張る。

 ついてこいと言っているようだ。それが分かって彼女も、ゆっくりと歩いた。

 着いた先は段ボールハウス。いわゆるホームレスの家というやつか。しかし中には誰もいない。しかししかし、人がいた痕跡は残されている。

 「ワンッ!ワンッ!」

 「・・・いいの?」

 誰かの家であること・・又はあったこと、は、間違いなく。だから無断で上がっていいものかと・・・少しの躊躇いが湧いた。しかしワンさんがあまりに引っ張るものだから。

 「お・・じゃまします・・。」

 中は・・少し温かった。あくまで外気と比べてだけど。つまり肌寒いことに変わりはない。あとそれと、びっくりするくらいワンさんの匂いが充満していた。

 「ここ・・・ワンさんの家?・・・で、いいん・・だよね?」

 「ワンッ!」

 らしい。彼女はそれで納得した。

 多分・・ここにはもともと、誰かが住んでいた。それだけは間違いない。ただ、今はもう住んでいないと見てよさそうだ。乾ききったカップ麺の箱とビール缶がありながら、見た感じ直近の物は一つもないし、また外装の段ボールが幾つか剥がれ落ちていたから。未だに人が住んでいるのなら、それを治しているはず。中には予備の段ボールだっていてあるのに。

 しかしながら、外装が剥がれ落ちて尚この暖かさ。ブルーシートと段ボールの三重構造・・・もしくは五十構造?・・・は、とても優秀であることを理解できた。

 『ここでなら・・・』そんな思考が、彼女の脳裏を過る。しかしすぐに首を振る。

 帰るべき場所・・・というよりも帰らなくてはならない場所と言うべきか。彼女はそれを優先した。

 どうしたって逃げられない・・・と、本能が訴えかけてくる。だから。

 それに今は、お金を貯めることを優先したい。本能の訴えを覆すためにも、何処か遠くで暫くの間は隠れて過ごせるだけのお金が・・・。

 「ワンッ!」

 「休めって?」

 「ワン!」

 肯定・・だろうと思う。薄っぺらい座布団を二枚重ねたその上に、ワンさんが前足を乗せているし。

 つまりこれを枕にしろと・・・。

 敷かれたカーペットだけでも十分寝心地は良いんだけどな・・・。

 しかしワンさんの好意を無下にもできない彼女は、座布団の上に頭を落とす。

 「わッ!」

 寝転んだ彼女に寄り添って、ワンさんも一緒に寝転んだ。

 「あったかい・・・。フサフサだな、お前。ちょっと臭いけど。まあそれは私も一緒か。」

 自嘲しながら、ワンさんのツンツンとした背中を撫でる彼女は・・・そうして目を瞑ることにした。

 案外にも、寝れてしまう。

 暖かい空気に疲れ切った体の状況が合わさり、強い眠気に意識を落とす。

 

 「ふわぁぁ・・・あぁぁぁ・・・・。」

 時間にして3時間程か・・・あまり眠れたわけじゃないが、寝覚めはまあまあに心地よかった。

 きっとワンさんのおかげ。

 「ありがと、ワンさん。」

 ワンさんはぐっすりと眠っている。だから起こさないようにと彼女はゆっくりに動くが、ワンさんも目覚めたようだ。

 彼女の事を気にして、深い眠りには入れなかっのだろう。それに・・・。

 「ごめん。起こしちゃったな。」

 「クゥ~。」

 「ありがとうな。」

 そう言ってワンさんの頭を撫でた彼女は外に出る。

 「んっ・・ん~~・・・。はぁ・・・それじゃあバイバイだな、ワンさん。今日はありがとう。ワンさんのお陰でまだまだ頑張れそうだわ。」

 彼女はえらく胆気に言葉を述べて、その場を離れようとした。しかし・・・

 「ハッ・・ハッ・・ハッ・・ハッ・・。」

 「ワンさん。ついてきちゃダメなんだ。」

 彼女の後ろをワンさん1つ分も離れること無くピッタリと着いてくるワンさんに、彼女は座り込んだ。

 「あのな、ワンさん。家じゃお前を飼ってやれないんだ。」

 「ハッ・・ハッ・・ハッ・・ハッ・・。」

 「ん~~~~・・・・んんん~~~~~~・・・・。」

 家じゃ飼えない。飼っちゃいけない。あの男が、そんなことを許してくれるわけもないのだから。

 そのことを、頭では理解している。しかし理解していても、抗えない本能は存在してしまう。彼女はそれを、よく知っている。だからこそ・・・。

 「よし!決めた!」

 彼女は恐怖や不安よりも、安らぎや温もりといった愛情のようなものを優先した。

 「行こう!一緒に!・・・大丈夫!今はまだ居ないはずだから!けど一応、そっとな?わかったか?」

 「ワンッ!」

 「それにアイツがいる間は絶対に吠えるなよ?バレたらお前、絶対に追い出されるんだから。」

 「ワンッ!」

 「よし!・・・ってお前、本当に理解してるよな?」

 「ワンッ!」

 「・・・・気にしちゃ負けか。よし!じゃあ走るぞ!ダッシュだ!」

 「ワンッ!」

 そして彼女とワンさんは、取り敢えず自宅に帰るのであった。

 

 家に着いて、中に誰もいないことを確認した。そして・・・。

 「お前重いな。」

 ワンさんの足は汚れている。何せ野良だ。仕方がない。しかし家に上げる以上、足跡が付くことだけは避けなければならない。そこで彼女は玄関前からワンさんを抱っこして、そしてお風呂場へと運び込んだ。

 幸いにして・・・いや、いつも通りのようにして、彼女の父親は家にいなかった。しかしいつ帰ってくるかがわからない以上、早めに終わらせる必要がある。が・・・

 「ちゃっちゃ〜か、ちゃっちゃ〜か、ら〜んら〜んら〜ん。」「・・ワンッ!・・ワンッ!ウゥゥ~~。」

 結構楽しそうに、彼女とワンさんはその時間を過ごした。

 「できた!」

 洗い終わりタオルで拭いて・・・。変色してはいるが、しかしまぁ多分綺麗になったであろう足でワンさんが走る。

 彼女の家は2階建てで、そこそこに綺麗だった。そして彼女にも、自分だけの部屋が存在していた。

 「今日からここがワンさんの住処な。で、扉が開いてない限り、絶対にこの部屋から出ちゃ駄目ね。あと吠えるのも。できるだけ猫さんみたいに静かにしてて。」

 「ワンッ!」

 「後、餌は買い溜めておくとして散歩は・・・・アイツが居ない間でいっか。トイレはどうしよ・・・。匂いとか絶対にアレだよね・・・。」

 「ワンッ!」

 「え?何?」

 「ワンッ!」

 吠えながら、木目の床を叩く。

 「床?・・・絶対駄目。跡が残る。」

 「ワンッ!」

 吠えながら、カーペットを叩く。

 「カーペットも駄目。」

 「ワンッ!」

 吠えながら・・・

 「絶対駄目!そこベッド!」

 「クゥゥゥ・・・。」

 しょんぼり・・・な、ワンさん。

 「あ、良いと思いついた。えっと・・・桶と・・・・ナイロン。布は要るかな・・・。いや、ティッシュでもいっか。いややっぱ布?・・・ワンさん。お前オシッコどれくらい出る?」

 「クゥ?」

 「オシッコ。」

 「クゥ?」

 「くッ・・わからないか。・・・てことはこれがトイレってこともわかってない?」

 彼女が、桶の中とワンさんを交互に見やる。

 「クゥ?」

 「・・・・・・私が・・実践してみせれば・・・。そしたら理解できるか?」

 「クゥ?」

 「いや待て早まるな私。まずは落ち着け。そうさ、取り敢えずドラッグストアに行こう。そこでならトイレ用の何かが売ってあったはず・・・確か・・・・。・・・だよなワンさん。」

 「ワンッ!」

 「よし!そうと決まれば出発だ!」

 「ワンッ!」

 「あ、ごめん。やっぱワンさんは・・・・」

 「クゥゥゥゥゥゥゥ」

 「ごめ、ごめんって。わかったよ。連れてく。うん、そう時間は掛からないだろうし、たぶん大丈夫かな。」


 ドラッグストアについた。が、ワンさんは入店を拒否された。

 しまった。生野菜とか丸出しの食べ物ないから行けると思ったのに・・・・。

 「どうする?」

 「クゥ?」

 「・・・お前・・・待てるか?」

 「クゥ?」

 「待つ、此処で。」

 「・・・・・ワンッ!」

 取り敢えずジェスチャーで表現してみたが、それをワンさんが理解できかは分からない。

 「ん~~・・・」

 「困りごとかい?」

 知らないオバサンに声をかけられて。

 「あっ・・やっ・・あの・・・その・・・」

 口ごもり何も言えない彼女とワンさんを見やり、ある程度の事情を察したオバサンが助け舟を出す。

 「あたしゃ買い物終わったさかい、暫く見といちゃるよ?なんかいりようならはよ買ってきぃ。」

 親切なオバサンだ。何処からどう見ても。ただその親切さに、彼女の心はさらなる混乱を見せた。

 「どぉしたん?・・・あぁごめんなぁ。怪しいよなぁ。んん~~それならあたしが買い物してこよか?あんた、何を買おうとしとんのや?それ教えてくれたら買ってくるよ?」

 「あ・・・その・・・いや・・でも・・・」

 「ワンッ!」

 混乱する彼女を叱咤するようにワンさんが吠える。

 「ワンッ!」

 シャキッとせえ!俺は大丈夫や!まるでそう言っているかのようで・・・・。

 「ワンッ!」

 3度目の吠え声を聞いて、ようやく彼女は落ち着きを取り戻した。

 「あ・・あの!お願いします!」

 それだけ言って、彼女は店内へと走った。

 「走ったあかんよ~~・・・・ありゃ、聞こえてないかぁ・・・。」

 「ハッハッハッハッハッ。」

 ワンさんは一生懸命に尻尾を振り、オバサンの瞳を覗く。

 「どぉしたんや?」

 「クゥゥゥ。」

 今度はオバサンのスネに頭をスリスリする。

 「頭撫でて欲しいんか。そーかそーか。ほら、よしよし。」

 「ウゥゥゥ。」

 「わしゃわしゃわしゃぁ~~。・・・なんやぁ・・お前さんはええ子やなぁ。あの子はちょっと人見知りみたいやったし、お前さんがしっかり見といてやりーや?」

 「ワンッ!」

 「おぉ!ええ返事や!ほら!わしゃわしゃわしゃぁ~!」

 「クゥゥゥゥゥ。」


 「ワンッ!」

 「ん?」

 扉が開き、彼女が出てくる。

 「お、ちゃんと買えたか?」

 「は、はい。あ・・あの・・あ・・ありがと・・ございます・・した。」

 「ええよええよ。ほな、気ぃつけて・・・お前さんら歩きなんか?」

 「あ・・え・・・あ・・は・・はい。」

 「ほな乗っていくか?席はよおけ空いとんのや。ひとり寂しーてなぁ。」

 「あ・・いや・・でも・・・その・・ごめんなさい。」

 「ん~・・そーかそーか。わかった。それじゃあ気ぃつけて帰りや。」

 「あ・・は・・はい。」

 「ワンッ!」

 そうして知らないオバサンは去っていった。

 「クゥ・・?」

 視線は決して合わせなかったが、車に乗って立ち去るまで・・彼女はずっとオバサンの事を見ていた。

 別に何かを求めていたわけじゃない。ただ少しだけ心が揺らいだだけで・・・。

 「行こっか。ワンさん。」

 その表情は一切変わらず・・・しかし枯れきったその瞳からは、不可視の雫が溢れていた。

 

 ある日のこと。下の部屋から戻ってきた彼女が、直ぐにベッドに倒れ込んだ。

 「ワン?」

 「ごめ・・ん。・・・ちょっと・・・しんどくて・・・・。昨日さ・・・餌・・朝まで待たせてごめんな・・・。」

 「ワン。」

 「あの人・・・金払い良いから・・・・長く・・て・・・ワンさん・・・・私・・・・・・もう少し・・・・・・。」

 彼女は眠りに落ちた。が、「この季節にそんな薄着では風邪を引いちゃうだろ。ちゃんと気をつけろよ。」そんな感じのことを言ってる風のワンさんが彼女に毛布をかけた。そして自身も中に潜り込んで、彼女の横側に引っ付き眠った。


 また別のある日のこと。

 「見ろ!ワンさん!フリスビーだ!」

 「ワン!」

 「よし!これを見たら何をするか!わかってるな!そら!!!」

 「ワンッ!」

 高架下から精一杯にフリスビーを投げた彼女であったが、しかしワンさんは、はしゃぐ彼女を見て喜んでいた。

 「ちがぁぁぁぁぁう!!!いいかワンさん!私がこれを投げるからお前が取りに行くんだ!!」

 「クワァウ?」

 「わからんか?・・わかった!よし!見てろ!そら!!そしてぇ・・・キャウッ!!!」

 彼女は、セルフフリスビーを実践してみせた。なんとまぁ運動神経の良いことか・・・。しかし歩き方や走り方・・・つまり足遣いに若干の歪さが垣間見える。とはいえ、極小。よほど観察眼が優れている人間でなければ、それを見抜くことなどできはしない。

 「行くぞワンさん!!」

 また人気の無い場所でもある為に、この仲良しを微笑ましく見守る大人は何処にも存在していなかった。

 「ワンッ!・・・キャウッ!!」

 「ナイスッ!!凄い!もっかい行くぞ!!!」

 「ワンッ!・・・キャウッ!!!」

 「ほらもっかいだワンさん!!!」

 ゼェゼェと息を荒くするワンさんは、それでも彼女に付き合おうとした。が、ワンさんがすっ転んだ。

 「ワンさん?!?!大丈夫?!」

 ワンさんは普段からあまり動かい大人しい犬だ。それは達観した精神故であり、また老化による所も大きい。だからこそ彼女の家でも吠えることなく大人しくできているのだが、この今に至っては元気な彼女とずっと遊べないこの老いぼれた体に、ワンさんは思った以上のショックを受けてしまった。

 それにだ。ワンさんは昔に足を悪くしている。自身の子犬を守ろうと河に飛び込んだ時に傷がついてしまったのだ。そこに細菌が入り込み炎症を起こした。そして、もともとワンさんを飼っていたホームレスにはワンさんを治療できるだけのお金がなく、結局お金が貯まった頃には既に手遅れ近くの状況となってしまっていた。

 謂わばこの傷は自身の子どもを救えなかった不甲斐ない母の証であり、そして今日こんにちに至ってもまた、彼女と思いっきり遊べない不甲斐ない親の証となってしまった。

 ワンさんがこうして想像以上のショックを受けたのは、こうした理由があって故のことだったのだろう。

 「ワンさんこの怪我・・・そっかごめん。私知ってたのに無理させちゃったみたい。」

 ワンさんの傷事態は初めて家に上げた時・・・足を洗ってやった時に気が付いていた。しかし普通に歩くし走るしで、大丈夫なものなんだと彼女は錯覚していた。でもこうしてワンさんのすっ転びを見てしまい、ちょっとだけ罪悪感が生まれてしまった。

 「ワンッ!!」

 「気にするな・・って?」

 「ワウ。」

 「そっか。でも無理はさせられないよ、うん。走れる時に一緒に走ろう。だから・・今はゆっくり休もう。それに今はもう冬だ。ワンさんって結構年いってるんだろ?あの段ボールハウスにあったぞ。ワンさんの年齢と名前が書かれた写真。」

 ホームレスのおじさんとワンさんと、そして子犬が一匹写っていた写真。元あった場所に戻しはしたが、記憶としては新しい。

 密かに隠されていた写真だったから。見つけたのだってたまたまだった。ワンさんが暴れて無ければ、たぶん今も知らなかった写真だ。 

 「ワンさん・・・名前・・変えたほうが良いか?」

 「ワウぅぅぅ・・・。」

 「嫌だよな。そうだよな。・・・そうだよな。間違ってないよな・・・。」

 ワンさんはここにいた。でもホームレスと子犬は居なかった。だから多分、ワンさんは捨てられたんだ。ホームレスのおじさんは多分お金に問題があって、だから子犬だけを連れて移動してしまったんだ。

 ワンさんの元の名前は、当然、ホームレスのおじさんが付けたに決まっている。そんな名前を、彼女は呼びたくなかった。また彼女が付けた名前を、否定されたくもなかった。ワンさんという存在を、奪われてしまうような気がしたから。

 そうやって二人して少しだけ心細くなって、でも互いに寄り添うことで、心はまた温かさを取り戻した。二人は笑顔を取り戻した。

 「うぅ・・寒。今日はやっぱ帰ろっか。」

 「ワウ(そだね)!」

 「あ、今頷いてくれた?・・へへ。なんかちょっとだけ分かるようになってきたかも。」


 暫く経ったある日のこと。

 「あれ・・鍵開きっぱなしじゃん・・・。はは・・こんなことも忘れるくらいに疲れてるのかな・・・。」

 そして部屋に戻ってきた彼女が泣き崩れた。心も体も顔も瞳もグシャグシャ濡らして泣き崩れた。そんな彼女に頭を擦り付けながらワンさんも鳴く。

 「クゥゥ(大丈夫)・・・クゥゥ(大丈夫)・・・・ウゥゥ(泣かないで)・・クワァゥゥ(側にいるよ)・・・。」

 酷く心が揺れた日だった。とにかく感情的になって自制が利かなくて感情の起伏が激しくなって・・・。

 全身が気怠い。気分が悪い。自分も大人も社会も世界も・・・全てが気持ち悪くて仕方がない。

 「死にたい。・・・ワンさん・・どこ・・・。」

 「フスッ(ここにいるよ)・・・。」

 彼女をベッドに移動させて毛布をかけて、彼女の鼻に自身の鼻息を吹き込んだ。

 「はは・・ちょっと臭いよワンさん。でも・・うん。・・・良い。」

 「ワウ(よかった。)・・ワウ(ほら、おやすみ)・・。」

 彼女はぐっすりと、深い眠りに落ちた。

  

 数日後の夜。立ち直った彼女がワンさんを抱きしめる。今までに無いくらい強く抱きしめる。

 「ワンさん。私決めた。もう、この家を出る。」

 「ワン!(一緒に行くよ!何処までも!)」

 「でも、ね。その為には、もうちょっとだけお金が欲しいの。欲張りかもしれないけど、でももう少しだけ頑張れそうだから。」

 「ワン!(だめだよ!)ワン!(ここから早く出ようよ!)」

 「ワンさん。お願い。ちょっとだけ我慢して。もう少しで目標にしてたお金が貯まるの。詰め込めばあと数日で貯まるの。今までよりちょっとだけ頑張らないとだけど、でもそしたら数日でこの家ともおさらばできる。だから・・・。」

 彼女の言う目標金額。それはこの家からできるだけ遠くに離れる為の資金と、その上で誰にもバレずに、そして最悪稼ぐ必要無しで長期間過ごせることができるだけの資金を合わせた額のこと。

 それは子供目線からすれば相当な額となる。それを彼女は集め続け、そして大事に保管し続けた。その結果、あと少しで目標に届きそうなのだ。此処まで来てそれを台無しにすることを彼女は拒んだ。またワンさんの為のお金も必要になってくる為、できることなら更に追加でお金を欲した。

 「大丈夫。今日までバレてこなかったんだよ?だから心配しないで。」

 「ワウ(違うよ)・・・ワウゥゥ(心配してるのは君のことなんだ)・・・・。」

 「大丈夫。ほら見てよ。私ピンピンしてる。ワンさんがいてくれれば、私どんなことだって耐えれるの。ね?」

 「クゥゥゥ(わかった)・・・。」

 納得のできない了承。それがワンさんの応えだった。だけどここまで来た以上、彼女は止まれなかった。ハイになっていたのかもしれない。それでも心に決めたことである以上、また大切な将来に関わることである以上、どうしても止まることを許容できなかった。


 ・・・ーーーそんな、長い・・本当に長いワンさんとの日々が過ぎた。だけど体感ではほんの数日のようにも感じる。ワンさんが家に来てからは、本当に時間という時間があっという間だったのだ。

 そしてワンさんとの日々は、彼女に光をもたらした。どこまでも眩しく、そして温かな光。こんな理不尽な世界でも、その空間だけは彼女にとって正しく聖域だった。少しでも早く此処から逃げ出すために理不尽を許容し、そうして受けて傷を聖域で癒して浄化して。

 彼女の部屋は・・・彼女とワンさんだけの空間は、今の彼女にとって何よりも大切で、明日を生きれる希望の空間となっていた。この聖域は誰にも穢されること無く残り続けて、ずっとずっと未来・・・彼女が逃げ出した先まで続いていくものだと、彼女は本気で信じていた。そのはずだった。

 「・・・犬なんて飼ってたのかよ。」

 酷く冷たい声が彼女の心臓を穿つ。

 よくよく考え直してみたら、今まてバレなかったことの方が奇跡に近い。だからこそきっと、彼女は今日までの日々で自身の運を使い果たしてしまったんだ。彼女はただ、そう自嘲した。

 もう少し・・もう少しだけお金を貯めようとして・・・その結果粗が生まれた。

 本当に笑える。

 最後の最後で欲張って、ワンさんに無駄な心配をかけさせてしまった。ワンさんとの時間を減らしてしまった。・・・だからだろう。殺されかけた私を救うために、ワンさんは私の部屋を抜け出してしまった。そして私の上に跨る男に噛みついた。殺す勢いで噛みついた。

 ばか・・・本当にばか・・・。

 鍵、ちゃんと掛けておいた筈なのに・・・。

 いつの間に学んでたんだよ・・・。

 ほんと、そういう無駄なお節介・・・やめろよな・・・。

 ワンさんの突撃がなければ死んでいた。そう実感できるほどに、この三日間は地獄の連続だった。そして今日を最後に・・・この客を最後に、彼女は限界を迎えようとしていた。

 何せ彼女の父親は本気で娘を殺そうとしたのだ。これ以上の成長は自発的行動を生み出しかねない。自身が犯罪者として裁かれない為にも、ここで殺しておこうと、そう決めていたのだ。幸いこの娘のおかげで裏社会との繋がりは良好。殺すでなくとも、どこかしらに売り飛ばすつもりでいたというのが事実であった。

 そんな冷たい視線が向けられる中で、彼女は既にまともに息ができていない状態だった。体中が痙攣を起こして、ギリギリの状態でなんとか生を保っている状態だった。

 そんな彼女の視界に・・歪み霞む景色の中に映った明るい茶色の模様は、なんと神々しく映えたことか。

 涙が溢れ、嗚咽を繰り返す。微かな息が強く吹き返し、そして彼女は死の淵を脱した。

 ああ・・・ワンさん。ワンさん。ワンさんが・・・ワンさんが殺されてしまう・・・。

 いっそあの時死んでいれば、こんな激情に駆られることは無かった。ワンさんに余計なお節介出されて無ければ、こんな苦痛を味合わなくて済んだ。でも・・・あんな日々があったからこそ・・私は・・・本気で生きてみようってそう思えた。

 いっときは神様が微笑んでくれたなんて盲信しちゃったけど、でも今ならよくわかるよ。あれはただほくそ笑んでいただけなんだって。そう。神様は私に微笑みかけてくれたんじゃなくて、私を嘲笑っていただけなんだ。始めから信じちゃいけなかった。奪うくらいの気概でいなきゃいけなかった。空想浮かべて誰かが手を差し伸べてくれるなんて理想論は、とっくの昔に理解できてた筈なのに・・・なのにあのひと時が嬉しくて楽しくて最高だったせいで・・・私は・・・私は・・・。

 「どぉ~りで臭いわけだぁ。なぁ、燕子つばめこ。」

 私の上に跨る男を、ワンさんは盛大に張っ倒した。しかし横から現れたもう一人の男に蹴られて、今はそいつの足元にいる。

 絶対に助けないと・・・。けどどうやってやれば・・・・。

 痙攣の収まった手足に力を入れる。

 そういやだけど私がお前に救われたお返し、まだちゃんと返せてなかったな・・・ワンさん。

 「ウゥゥ・・・。」

 ワンさんを救えさえすれば2対1。状況は少しばかり好転するはず。投げれる物は幸い、沢山ある。私も動きやすい格好をしている。一瞬でも隙をつければ・・・そしたらきっと抜け出してくれる。信じてるよ、ワンさん。

 心は久しぶりの激情に困惑しながら、しかし異様な程冷静な精神で彼女は臨む。望む。

 「お前なんて大っきらいだよ。」

 「なんだ燕子・・今日は随分と反抗的じゃないか。いつもの可愛い演技はどうしたんだ?ん?それともなんだ・・久しぶりに反省部屋をお望みか?」

 「黙れよ。お前の息は臭くて構わない。」

 この男は、煽れば煽るほど怒りをあらわにする。それはもうわかりやすいくらいに。だからそうやって怒らせて視野を狭くした上で、この男の顔面にこの鈍器を投げつけてやるんだ。

 たけど本当にそれでいい?

 この男の足元にはワンさんがいる。その腐った足で、ワンさんを踏みつけている。私が煽れば煽るほど、その足はより深く沈んでいく。

 いっそのこと無様に惨めに懇願すれば・・・いやダメだ。そんなことしてもこの男には通じない。どのみちワンさんが酷い目に遭わされて殺されるだけだ。だから・・・。

 ごめんワンさん。でも我慢して。今、その男をどかせてみせるから。

 「ははは・・・本当に・・今日は随分と威勢が良いじゃないか。しかし分かっているのか?俺の足元には、お前の大切な大切な駄犬が横たわっているんだぞ?そんな態度してると、ほら。こうやって深く深く深く深く深く深く深く深くってさぁ!」

 男が一瞬下を向く。踏みつけたワンさんの苦しみ顔を笑う為に。そして顔を上げようとする。自身の大切を殺されそうになって泣きじゃくる、男の玩具を見る為に。が・・・。

 「んがッ?!」

 複数の鈍器というか玩具というか・・・まあ鈍器に似た物体が空中を飛んで、その内の一つが男の顔面に直撃した。そこにすかさず突進を加える燕子。

 小さくひ弱な子どもの・・しかも女の子の突進。大の大人であればそんなもの歯牙にもかけない程度の突進であった筈だがしかし、重心が後ろに逸れバランスを崩した人間に対しては、最大限の効果を発揮する。

 男が転倒した。その隙にワンさんを持ち上げ、そしてキッチンへと走った。

 燕子が手に取ったのは、包丁。しかしそれは自衛の為のもので、決して誰かを殺す為の物ではなかった。

 だからこそ燕子は走る。幸い貯めたお金は、高架下の土の中に移動させてある。この理不尽な世界の中から抜け出せさえすれば、後はきっとどうとでもなる。

 だから今は逃げろ。逃げて逃げて逃げ続けて、そして誰にも見つからない世界の外へ。

 「待てやぁ!」

 男とは距離がある。外にさえ出れば視線がある。行ける・・行ける・・行ける・・行ける!

 廊下を走り、ドアを抜けて。玄関口まで後少し。

 燕子の頬が緩んだ。瞬間、正面先でドアが開く。そこは居間に繋がるドア。つまり、初めに燕子がいた場所。しかしワンさんを踏みつけた男・・・燕子の父親は、彼女の軌跡を辿ってキッチン方面から追いかけてきていた。ならばこのドアから出てくるのは・・・。

 ワンさんに張っ倒された男・・・服を血で汚す男がが正面に立つ。私を見て、眉間に皺を寄せて・・・。

 「こんのクソ犬がぁぁぁ!」

 この男は、ワンさんに襲われた恐怖で気絶していた。決して死んだわけではなかった。いや、その肉厚さのお陰で軽症で済んでいた。そして最悪なことに、目覚めたタイミングが丁度良かった。

 血濡れた男が突進する。

 逃げられない。そう悟った燕子は、ワンさんを手放し顔面ギリギリのギリで包丁を構えた。そして反射的に目を瞑り・・・。

 加速した男は止まることができず、その豊満で肉厚な腹に深々と包丁が吸い込まれていく。

 「え?」

 一人の少女がひしゃげる音と共に、男が疑問を浮かべる。理解の追いつかない精神で、必死に現状を理解しようと・・・そうしてでた最後の言葉は・・・。

 「なん・・・これ・・・。」

 包丁の柄の部分で片目を潰された燕子の上に、血塗れの男が倒れ伏す。

 「ふッ!!ッざけんなぁ!!!何してくれてんだお前らぁ!!!!」

 三者三様に混乱する。一人は死に瀕し、一人は人を殺し、一人は未来を悟って。

 脚が震える。力が入らない。私が・・・殺した。殺したのは・・私・・・。

 狂い始める精神。動揺し、錯乱し・・・しかしそれ以上の疑問が燕子を襲う。いや、精神を守る為に必死になって忘れようとした結果、別のことに意識が向けられる。

 な・・なんかおかしい。視界が変。右の方・・よく見えないな・・・。な、なあワンさん・・・。

 真っ赤に濡れていくワンさんを燕子が抱き寄せる。

 痛いとかそういうのは、不思議と感じなかった。けどそれは最初のうちだけで・・・。

 痛いのなんて慣れている。その筈だった。その筈だったのに、耐え難い・・・非常に耐え難い鈍痛が、燕子の全身を襲う。

 「ワウゥゥ・・・クゥ・・・・・ッ?!ワンッ!!!」

 「ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」

 「うるッさいんだよッ!クソがッ!!」

 父親が娘を蹴り飛ばした。飛びかかってきた犬も蹴り飛ばした。

 「どぉぉしてくれんだよこれぇぇ!!!死んでんじゃねぇか!!」

 刺された男はまだ生きてはいる。微かにだが、息はしている。が、どのみちもうすぐであることに変わりはないから・・・。

 「どぉすんだよマジで。このまま警察家に上げんの?でもそしてらこいつが何言いふらすか・・・いや殺したのはこいつなんだ俺じゃない。でもそもそもこの男を呼んだのは俺でそしたら必然的にここ暫くの状況とか漁られるんじゃねぇの?・・・クソッ・・ありえねぇってマジでふざけんなよどう考えてもおかしいだろなんで俺がこんな目に・・・・・・・そうだ。そもそもこいつが犬なんていうクソ汚いゴミを家で飼ってたから・・・。」

 息が続かず、呼吸は荒く。必死になって吸おうとしても横隔膜が上手に動いてくれない。

 視界は滲んで体中が熱で覆われて・・・痛くて痛くて堪らない。思考なんてできるはずもなく、燕子はただ目前の生に対して必死になってしがみついていた。

 男が近づく。包丁を拾う。犬を足で移動させる・・・が、血のついた毛皮は上手く滑っていかなかった。だからなのかもう一度、男は犬を蹴飛ばした。そして・・・・・。

 「キャウッ・・・・・・・・・・・・・。」

 「ぁぅッ・・ぁぁッ!」

 「お前もこっち来いよ。一緒にさぁ送ってやるよ。だがその前に、駄目な娘にはちゃんと躾をしてやらなきゃなぁ・・・。はは・・なんかもう、全部どうでもよくなっちゃったよ。だから時間いっぱい躾けてやる。」

 燕子つばめこ。それは母親が名付けた彼女の名前。その名は、燕子花かきつばたから取ったと母親は教えてくれた。燕子花・・・『杜若かきつばた』。通り名としてはこちらの方が有名であろうか?その花言葉は『幸せは必ず来る』『高貴』『思慕』。

 ずっと側に居てやることはできないと悟った母親。それ故の想いが乗せられた燕子という名前。

 いずれ会えなくなるからこそ思い慕い、母が居なくとも堂々たる風格で以て生きて欲しいと・・・。そうしていれば何時か必ず、幸せはやって来るはずだから。

 お母さん・・・私・・幸せ・・なったよ・・・。ワンさんといれた時間・・まだまだ短かったけど・・・でも楽しくて・・温かくて・・・・凄く幸せで・・・・大切で大切な私だけの・・・・・私だけの・・・

 

 「酷い・・・これ・・犬ですかねぇ・・・。」

 「だな。でその隣に居るのが、この家の娘さん・・であってるよな?」

 「はい~恐らくは~。ただ確証を得る為にはDNA検査の必要を待つ必要がありますね~。顔面は相当潰れてますから~。」

 「見た感じ床に打ち付け続けた感じですか?」

 「だろうな。あと付着物を見るに、多分犬越しだろう。」

 「うっ・・わぁ・・・。相当恨みでもあったんですかね。」

 「さぁな。だがまあ、それくらい激昂していたのは事実だろう。じゃなきゃこんな所業できねぇよ。」

 「犯人は父親でよさそうですか?」

 「まだ第一容疑者ってだけだ。」

 「でも確定でしょ。仕事はここ数日無断欠勤。個人携帯は繋がらない。・・・早いとこ探し出せないとですね。」

 「ああ・・そうだな。」


 警察の立てた推測は、概ねその通りだった。

 父親が娘に身売りを強要し、また自身からも暴行を加えるなどを繰り返した。

 これらは父親のpc内に残っていた写真や動画などから確定。またこれらの販売を行っていたことも確定。

 次に数日前に起きたであろう事件の概要。

 まず娘が身売り途中の状況で、そこに娘に懐く犬が乱入。客の首元に噛み付く。ここから不明確な何かしらが起き父親が行動不能に。その後娘がキッチンへ移動し包丁を手に取った。次いで玄関に向かう。その途中で客と鉢合わせ。客の包丁の刺さり具合と娘の傷から、客が娘の包丁目掛けて突進したものと推測できる。ここで客は死亡。しかし同時に娘も重傷を負い、そして犬が父親に殺される。後はひたすら、父親が娘に対して暴行を加えた。そして一段落したところで父親は逃亡。その数日後、警察署へ通報が入り事件が公となった。以上。

 ・・・ーーーそして数日後。燕子の父親が捕まり、この事件は呆気なく幕を閉じた。

 これ、連載です。主人公は代わりますがもう一個だけ続きます。(いつ頃になるかは未定)

 次は学校と高架下を舞台にしたいじめです。不快感多めの内容です(健常者目線での話)。まあ徹底的なまでのいじめなので、そこは仕方ないのかな?

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