八通目 蛇の贈り物
「くっそ!」
青年が蹴り飛ばした空き缶がゴミ箱にぶつかりゴミ箱を倒す。溢れ出た空き缶が転がっていき、一人の男の靴にぶつかりとまった。その空き缶はその場で、強い重力を受けたかのようにクシャクシャにつぶれる。青年がその音に疑問に思い、男の顔を見る。
悪魔のような赤い瞳が、青年を射抜く。
「お前は、異常異能者か。」
男は淡々と青年に問う。だったらなんだよ。青年が不機嫌そうに返す。その返答に男は黙ったまま自身のスーツの胸ポケットから、黒い封筒を差し出した。
光を反射しない、その漆黒の封筒は。じっと見ていると吸い込まれそうな程の魅力を放っている。青年も手を伸ばし、その封筒を男から受け取る。だが。
「ハッ!いらねー!」
青年は受け取った封筒をすぐにビリビリに破き捨てる。黒い紙片が地面にパラパラと散る。男は散っていく黒い紙片をやはり黙ったまま見ている。
「異常異能者集団。QATがそう呼ぶ存在のネットワーク。これはそのアクセスコードだ。」
男はそう言いながら、全く同じ封筒を胸ポケットから取り出す。いったい何枚入っているのか。いらねぇって言ってんだろ!青年が再び封筒を奪い取り、豪快に破く。
「そうか。残念だ。」
二度とあることは三度ある。もう一枚封筒を取り出すかと思われた男だが、案外あっさりと引き下がった。イライラとした様子の青年は、男を興味をなくし、踵を返す。だが、次の一歩。足は重く捕らわれたように動かない。青年が慌てて体を捻り振り返る。てめぇ!何しやがった!その言葉は青年の口から発されることがなかった。
理由は。男が青年の顔を掴み、勢いよくコンクリートの壁へと打ち付けたからだ。青年は、先程の戦闘から時間が立っていない。体も、異能も全快とは言えない。男の攻撃は青年にとって完全に不意打ちだった。
「仕事の話は終わったが。お前には個人的な恨みがある。」
男の冷たい声が青年の痛む傷に響く。青年が異能で男を吹き飛ばそうとする。青年は、男をしっかりと視界に収めている。異能で操ることは可能なはずだ。はずなのだが。
「クソ……なんで効かない……ッ。」
青年が苦痛に呻く。
「格が違う。」
男が無慈悲に返答し、重力を操る異能が、青年の体を歪めていく。
*
「皆さん。大変だったようですね。」
白衣を着た女性が、医務室に並ぶ四人に声をかける。彼女は白露。QAT関東支部に所属する医療スタッフだ。その異能は非常に珍しく、他者を治癒することができる。彼女の手にかかれば、死体同然の大怪我も忽ちに治るという。元々は財閥の令嬢であったが、家が没落したことにより逃げるようにQATにやってきたという。
「白露ちゃん。オレの怪我が治ったらデートしない?」
白露の治療を受けながら残炎が軽薄に言う。隣の敬具が眼鏡を二回直しながら軽蔑の眼差しを向けているが、残炎に効果はない。白露はただテキパキと治療を進めており、デートの誘いに否定も肯定もしない。ただ無言で残炎を一瞥しただけだった。残炎が再び白露を口説こうとすれば、何やら医務室の外が騒がしい。
「そんなことを言っているから、彼が来ますよ。」
その音を聞き、敬具が残炎に忠告をする。それと同時に勢いよく医務室の扉が開かれる。
「軽傷者がお嬢様の手を煩わせるな!特に残炎!お前は医務室を出禁だ!」
白露と同じように白衣を纏った男性がズカズカと医務室に入ってくる。彼は紅葉。元々白露の側で執事をしていた人物であり、白露についてQATにやってきた今は、同じ医療スタッフとして配属されている。
「いやいや、オレ重傷患者だって。」
ケロッとした様子で紅葉に言う残炎の頭がガシッと掴まれる。残炎から、あだっという間抜けな声が出た。お前はお嬢様に悪影響だ。紅葉が怒りに満ちた恐ろしい顔で残炎を睨みつける。そうしてそのまま問答無用で、紅葉によって残炎がずるずると医務室から引き摺り出されていく。残炎の気の抜けた悲鳴がピシャリとしまった医務室の向こう側から聞こえてくる。
「大丈夫でしょうか。」
白露の心配に、あの人が一番軽傷者なので問題ありません。と敬具が淡々と返した。
「では、菊花等が遭遇したという異常異能者を集団の手掛かりとして捜査を進める。」
厳冬の凛とした声が会議室に響く。その言葉に三伏は不満気な表情をしている。菊花が、異能者の特徴を述べる為に立ち上がる。
「奴の異能は、所謂サイコキネシス。恐らくですが視界内にいる対象を……」
その時、急に会議室の扉が開かれる。皆が注目する中、歳末の肩で深緑だけが、ウチの扉は乱暴に開かれることが多いなァと笑っている。
「あぁ、よかった。みんなここにいるね。」
会議室に入ってきたのは前略と新秋だ。見回りから帰ってきたばかりのようだが、ただそれだけにしては随分と慌てて会議室に入ってきたように見える。それを察した厳冬が、どうしたと前略に向き直る。
「ギフトを発見したよ。厳冬さん。」
ギフトとは、異能者が変質した存在。その意味は、贈り物ではなく、毒。異能は、一部の人類や動物に人智を超えた力を与える。それと同時に、使用者を蝕む毒ともなり得る。そうして、異能を使いすぎた異能者は、醜いギフトと呼ばれる怪物へと変貌する。肥大化し、己の姿を失い、理性を失い、知性を失い、ただ毒に侵された獣のように力を奮い暴れ狂う。それが毒の由来。二度と、元の人間や、動物に戻ることは出来ないとされている。討伐こそが双方共に救いとなる。ギフトは本当に恐ろしい。異能を用いて戦うQATが討伐しなくてはいけない存在に関わらず、異能の力そのものであるが故に他者の異能が効きにくい性質まで併せ持つ。しかし、他にギフト討伐ができる組織もない。QATは命がけでギフト討伐に挑まなくてはならない。
「会議内容を変更する。発見したギフトについて詳しく話せ。前略。」
厳冬の言葉に頷き、菊花と入れ替わり前略が話を始める。
ギフトの発見場所は、山間地域。今はまだ人の少ないところを徘徊している様子だが、いつ暴れ出すかはわからない。体がでかく、移動速度は遅いように見えた。前略、新秋共に異能の攻撃性能が高くないため、その場でギフトに対してアクションを起こすことはしなかったという。
「前略。菊花。三伏。お前達でギフトの様子を再度見に行け。その後、作戦を立てる。」
前略の報告を聞いていた厳冬が命令を下す。菊花達はわかりましたと返事をする。だが一人、歳末が眉をしかめている。
歳末は、入梅と向暑がメンバーに選ばれなかったことを疑問に思っている。何故なら、ギフトに気づかれた際、向暑の異能があれば一瞬で安全地帯に移動することができるからだ。しかし、厳冬は向暑を選ばなかった。即ち、ギフトと戦闘になった場合、その三人のみで何とかしろと言うことになる。菊花と前略の異能は、戦闘に特化していない。当然メインで戦うのは三伏になるだろう。厳冬は、三伏に危険が及ぶことを気にしていない、どころかそれを望んでいるのだろうか。そうとも取れる明らかに違和感のある采配に歳末が頭を悩ませる。
「…末。歳末。もう皆出ていったが。お前は?」
歳末がシュルシュルと舌を出しながら問う深緑の言葉でハッとして辺りを見渡す。方針の決まった会議は終わり、皆会議室から退出してしまっていた。歳末は慌てて立ち上がり、会議室を消灯して出ていく。
「拝啓…。早く帰ってこないかなぁ。」
歳末の心労が滲み出る声が廊下に小さくこだまする。