四通目 高級スイーツ
「あれ、君達何してるの?仕事は?」
ふと菊花達へ、壮年な男性から声がかかる。入梅とは違う声に流石の菊花も菓子から視線をそらす。そこに立っているのは、蛇のぬいぐるみを首に、いいや生きた白蛇を首に巻く男性だ。男性は不思議そうに菊花達三人を見ている。
「やぁ!歳末さん。おやつの前に入梅がボスの分のお菓子を食べちゃって、だからボク達で買いに来たんだ。」
向暑が声をかけてきた男性、QAT関東支部所属の異能者、歳末に挨拶をしながら事の経緯を説明する。今日は非番で、詳細を知らなかった歳末はその説明に納得したような顔をしながらも、拝啓ってそんなこと気にする奴だっけ?と言葉を零す。歳末と拝啓は古くからの友人であり、歳末は他の誰よりも拝啓に気安い態度をとる。
「大方、気にしたのは菊花の方だろうさ。」
歳末の呟きに返事をしたのは、歳末の首元にいる白い蛇だ。名を深緑。彼女も異能を持つ存在である。その異能は、今歳末に話しかけたように、動物に人間の言葉や知性を与えることができる。QATでは蛇が喋ることなど一般常識となっており、異能の存在を知らない一般人でなければ、今更深緑が喋ることに驚く人物は居ない。
なるほど、と深緑の言葉に再度納得した歳末は、ふと菊花が見ていた重厚にチョコレートが使われた、キラキラと輝かんばかりのケーキ達が並ぶショーケースを覗き込む。
「たっっっか!」
歳末は自身から出た大声に慌てて両手で口を塞ぐ。そのままモゴモゴと、なんてもの見てるの。たかが会社のお菓子代でしょ!?絶対足りないよ。と菊花へ早口で捲し立てる。菊花はその様子に全く動じず、拝啓さんに提供するものならば当然です。と冷静に言い放つ。歳末は目をパチクリさせながら、そういえばこの子はこういう子だった。と内心頭を抱える。
「と、とにかく別の棚を…。」
そう言って視線をそらす歳末をよそに、菊花は、ではこれの…サイズは六号を。と店員へ話しかけている。ちょっと待った!と歳末が慌てて菊花の肩を掴む。足りないよね?予算。だいたい拝啓なんて何食べてもおいしいしか言わないんだから、二十円ぐらいの駄菓子でいいんだよ。と菊花を諭すように軽く肩を揺する。足りない分は自腹で払うので問題ありません。それと、拝啓さんに提供するお菓子が、二十円の駄菓子でいいはずがありません。菊花は普段通りの仏頂面でトゲトゲと歳末に言い放つ。気の小さい歳末は、菊花の様子に怯えつつ、負けてはいけないとブンブンと頭を横に振る。
歳末は今、ここ半年で一番思考を巡らせている自信があった。こうなった菊花を説得できるのは、この世界中何処を探しても拝啓だけだ。拝啓と共に幼い頃の菊花を見守っていた歳末にはその確信がある。ならば、部下がたかが上司の菓子代に何万も自腹を出そうとしているこの現状をどう切り抜けるか。
「なぁ、歳末。さっさと決めて帰ろうぜ。」
入梅が退屈そうに話しかけたことで、歳末は周りを見渡す。周囲の人々は各々の買い物を楽しみ賑わっているが、その一部は確実に歳末と菊花のやりとりを奇異の目で見ている。ケーキ屋の店員も、店の前で注文を阻止し文句を言う歳末に怪訝そうな視線を向けている。歳末は、こういったプレッシャーに酷く弱い。
「き、菊花。」
はい。歳末の絞りだした声に菊花が返事をする。
「ぼくが出すから…。」
か細く絞り出された声。支払いを任せることに不満気な菊花の表情。歳末のブランド物の財布からおずおずと取り出された黒いクレジットカード。菊花が見ていたケーキ以外にも入梅の希望で購入された沢山の菓子。
菓子の詰まった袋を持って菊花、入梅、向暑、そして歳末と深緑はオフィスに戻る帰路についている。向暑からの歳末さんは、今日は非番じゃないのかい?という問いに、先程の出来事でシナシナとしていた歳末は、前方を歩く菊花の持つケーキの紙袋をこっそりと指さしながら、アレ、拝啓に請求するから。あ、菊花には内緒にして。と小声で話す。向暑はそんな歳末に了解。と親指を立てハンドサインを返す。
「なにか騒がしいな。」
ふと菊花が口を開く。歩みこそ止まってはいないが、その視線は前方の人だかりへと向いている。菊花の背後にいた歳末がひょこりと覗き込むようにその人だかりを見ながら大道芸でもやってるんじゃないかな。と菊花の言葉に歳末が気にすることはないと言ったふうに返す。見ていってもいいかい?という興味津々な向暑の背中を早く帰んぞ!お菓子食うんだから!と入梅が押す。オフィスに戻るためにはその人だかりの前で道を曲がる必要があるため、チラリとも見れなかった向暑が残念そうにしている。
「ただいま!」
入梅がオフィスの扉を開け放ちながら、大きな声を出す。おかえりなさい、梅ちゃん。春風がニコニコと入梅を出迎える。オフィスに鎮座する大きめの大理石の机には、お菓子の到着を待っていた人数分の紅茶や珈琲が並べられていた。入梅と向暑が大量のお菓子の袋を起き、ソファに腰掛ける。菊花はというと、拝啓にケーキを届けるべく、一目散に同じオフィス内にある拝啓の仕事場に向かっていた。菊花が拝啓の部屋のシンプルな扉を四回ノックする。中からの返事はない。
「拝啓さん、菊花です。」
菊花の声がけにも部屋の中にいるはずの拝啓は返事をしない。あれ、いないの?拝啓。と菊花の後ろを遅れてついてきた歳末が問う。菊花は、無表情ながらも微かに困ったような表情で歳末を見る。それを肯定ととった歳末が、容赦なく扉を開く。
ガチャリ、と音を立てて扉が開いた。室内には電気がついておらず、人の気配もない。そもそも今日、オフィスで拝啓の存在を見た人物は誰一人いない。完全に留守だった。いないね。ズカズカと部屋の中に入り歳末が部屋を物色する。カバンもないし、完全に留守かな。歳末の結論に、菊花はそうですか。と言って、買ったばかりの高級ケーキを箱ごと拝啓専用として設置してある小型の冷蔵庫に仕舞う。共有の冷蔵庫に仕舞えば、シュークリームのように必ず入梅に食べられるだろう。菊花の判断は賢明だった。
拝啓が不在だったため、部屋から歳末よりも一足先に菊花が退出をしようとした。その時。ドォン!と廊下中に響く大きな音が鳴る。音と共に、菊花を襲う強い衝撃。菊花は為す術なく、真横に吹き飛ばされる。受け身が取れず地面に倒れ込み、打ち付けた痛む肩を庇いながら菊花は自身を襲った衝撃の発生源を見上げる。
そこに立つのは、約二メートルの長身を持つ、巨大な女。空色に輝く彼女の瞳が地に伏す菊花をとらえる。
「すまない、見えなかった。」
菊花を心配する様子もなく、女は淡々と言い放つ。巨大で、不躾で、容赦がない。彼女は、厳冬。この関東支部に所属するQATの幹部であり、拝啓の右腕。簡単に言えば、ここで拝啓の次に偉い存在だ。菊花を襲った強い衝撃と音の正体は、長身故に一切周囲を気にしない厳冬の鍛えられた強靭な胸部とぶつかったものだ。
一部始終を見ていた歳末がいまだ地面に座り込む菊花に小走りで駆け寄る。厳冬に対し、怯えたように拝啓は…?と歳末が問う。厳冬は変わらず淡々とした声でボスは現在、緊急の会議に出席しているため不在だ。と言い放つ。緊急の会議?聞き返した歳末を無視して、厳冬は踵を返して去っていく。どうやら、菓子休憩をはじめている入梅達の待つメインオフィスに戻ったようだ。歳末が小さく、あの人怖いんだよなぁと呟く。
「ぼく達も…戻ろうか…。」
歳末は菊花の怪我を気にしながらそう言った。
「近年。異常異能者の不審死が相次いでいる。」
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