三十通目 指揮者
「鍛えてくれる奴かぁ。」
残炎は、菊花の運転する車の心地良い揺れを享受しながら考える。
話題は、菊花の特訓の話へと戻っていた。
藤花の指導は、特訓とは名ばかりで、菊花をただ闇雲に走らせるばかりだ。それを数日続けようが、直接強さには繋がらないだろう。
その事に、菊花はどうしようもなく焦っている。
「あ、余寒くんはどうよ?暫く日本にいるって言ってたぜ。」
ふと残炎が、思いついたように余寒の名前をあげる。
すかさず藤花が、あのヒョロガリ強いの?と問う。
「モチロン。昔はオレも鍛えてもらったしさ。」
残炎がニカッと微笑み肯定する。
しかし、藤花はまだ信じられないようで疑いの眼差しで残炎を見ていた。
菊花はと言うと、あの礼儀正しく紳士的な余寒に、強い異能者としてのイメージはない。
しかも、余寒の本業が世界を飛び回るオーケストラの指揮者ということもあり、余寒は関東支部に不在なことも多い。
戦う姿を見たことがある人間の方が少ないだろう。
それに余寒は、QATの中でも特殊な役職でもある。
だが、それはそれとして。この前、早々も余寒の名前を挙げていたなと考える。
余寒は、強いのだろうか。真偽はどうであれ、走らせるだけの藤花よりはマシかと菊花は思う。
そんなことを話している間に、車は関東支部のオフィスへと到着する。
「じゃ、オレは帰っから。」
藤花と共に後部座席から出てきた残炎が、運転席に座りたそうに周囲をウロウロする。
菊花はあぁ、と返事をしながら運転席を開ける。
すぐに運転席に乗り込もうとした残炎は、そこに置かれた小銭に気がつく。
それは、ファミレスで菊花が食べた食事代とぴったり同じ金額だった。内心、律儀な奴と微笑みながら、残炎はシートベルトをしっかりと締め、いつも通りアクセルを踏み込む。
「アイツさぁ。初速速すぎんだろ。なんでぶつかんないわけ?」
勢いよく飛び出していった残炎の車を見送りながら、先程のグロッキーを思い出した藤花が不機嫌そうに言い放つ。
その言葉に、菊花も口には出さず同意をした。
*
「菊花じゃん!おかえり!!」
菊花がオフィスに戻ると死角から勢いよく入梅が突っ込んでくる。
菊花は特訓で岩を避けていた要領で、つい咄嗟にそれを躱した。
菊花に躱された入梅は、勢いのまま壁にぶつかるところを異能で移動してきた向暑の腕の中に吸い込まれていく。
菊花は、向暑に抱き止められ、怪我のない入梅を無視し、その視線は余寒を探している。
「菊花。」
菊花の視界に金髪が映る。
三伏……ではなく、花冷だ。意識してみると、何故今まで気付かなかったのかと思うほどに彼等は本当によく似ている。
「あの、お弁当……。」
あ。菊花は思い出す。完全に忘れ、菊花はファミレスで食事をとってしまっていた。幸い、まだ胃袋には余裕がある。
菊花は、一度自分が決めたことを反故にする人間ではない。
拝啓がそうだからだ。
故に菊花は、花冷から受け取った弁当を必ず食べる。
その為、菊花は今から食べると花冷に返事を返し、その足で自席に向かうと、鞄の中にしまってあった花冷からの弁当箱を手に取った。
不安気な表情を浮かべる花冷を横目に、ピンクの可愛らしい弁当箱を開けば、その出来はお世辞にも良いとは言えなかった。
水っぽい米。所々が焦げたまだらな卵焼き。味の染みきっていないきんぴらごぼう。しょっぱい唐揚げ。
料理に対して一家言ある菊花は、花冷の弁当の改善点をメモ用紙に丁寧に書いていく。
そうして、唐揚げをつまみ食いしようと寄ってきた入梅の手を躱しながら菊花は完食した。
「改善点だ。こうすればもっと良くなる。」
……期待してる。
菊花の言葉に花冷は、ぱぁっと表情が明るくなる。
そして、メモに目を通す。予想と反し、あまりの改善点の多さに一瞬固まる。
固まった花冷を他所に、菊花は本来の目的の為、オフィスを見渡す。
「余寒は?」
己の膝の上にふてぶてしく寄りかかる入梅に、菊花が問う。
入梅が起き上がり、余寒を探してんのか?と問う。
入梅は、菊花の返事も待たずに、パタパタと軽い足取りで春風のところに駆けていく。
春風は、駆けてきた愛しい妹を大事に膝へと抱き抱えた。
「春ちゃん、菊花が余寒探してるってよ。」
入梅の言葉に、春風はあらそうなの?と優しく返事をする。
入梅を抱っこしたまま、春風は菊花の元へ歩み寄る。
「余寒くんなら、第三会議室のプロジェクターの調子を見てくれているわ。」
もうすぐ戻ってくると思うけど……。
ガチャ。
春風の言葉と共に、音を立てて扉が開き、そこには余寒が立っていた。
噂をすれば、と言うやつだろうか。丁度いいところにと言わんばかりに、入梅が手招いて此方に来いとジェスチャーをする。
それに気づいた余寒は、入梅達のほうへと真っ直ぐやって来た。
「プロジェクターは直った?」
春風の問い。
「いいえ、全然。専門家を呼んでください。」
無慈悲に一刀両断した余寒。
もう!頼りない人。と春風が頬を膨らませる。私に言われても困ります。と余寒は動じない。
恋人達の独特な空気感の会話に、菊花があの、と何とか口を挟む。
「なんでしょう。」
ぼくを鍛えてほしい。
単刀直入に、真っ直ぐと余寒を見据えて放った言葉。余寒の返答は……。
「私に言われても困ります。」
リピート再生のように、ついさっき春風に言っていた言葉を繰り返す余寒。
菊花が何か反論をする前に、いきなり春風が余寒の頬を引っ張った。
「意地悪かしら?余寒くん?」
「違います。」
余寒の表情は一切動じない。
春風の真似をして、入梅が余寒のもう片方の頬を引っ張る。
「|話を聞いていただいても《はひゃひをひいへいひゃひゃいへほ》?」
頬を伸ばされたままの余寒が弁明の機会を求める。
春風は納得がいかないように頬を離したが、入梅は頑なに離さない。余寒の頬は伸びていく。
「……。」
少しの沈黙。
無言でやってきた向暑と、その手に握られたエクレアによって入梅が回収されていった。
「私は体術が強いわけではありません。異能の性質も貴方とは大きくかけ離れています。」
残炎に教えていたというのは。菊花は咄嗟に問う。
余寒を薦めたのは残炎だ。ならば、残炎に教えていただけの技はあるのではないかと菊花は考えた。
「彼に教えたのは、誰でも知っているような基礎のみです。」
あとは彼の努力ですよ。
菊花は小さくショックを受ける。
これでは振り出しだ。やはり、早々に殴られてでも頼み込むべきか。
そう考えた時。
「藤花に頼むのはどうですか。」
余寒から思いも寄らない言葉が出た。
あろう事か早々だけではなく、余寒も藤花に頼めというのだ。
「何故、あれに。」
菊花の絞り出した声に、余寒は当たり前だと言わんばかりの表情をする。
「強い異能者であるのもそうですが……彼は思ったより貴方をわかっています。」
藤花だけで不満なら、指揮ぐらいはしましょう。本業ですので。




