三通目 竹笋生
「というわけで、入梅と菊花とボクでオヤツを買いに行くんだね?」
陽気な声で男が、入梅と菊花に確認をとる。彼の名は向暑。先ほどまで険悪な雰囲気を漂わせていた二人を前にして、ただ単純に外出が楽しみだというように爽やかに笑っている。
「お前は、アタシの目の届くとこにいるんだぞ。」
その言葉を肯定するように入梅がしっかりと向暑の腕を掴みながら言う。あぁ。向暑は爽やかな笑顔を崩さず了承する。菊花と入梅。二人の用事に何故わざわざ向暑がついていくのかと言うと、それは向暑という生物が置かれている立場と関係している。
向暑は、人と同じ形をし、人と同じ言葉を話す。何処にでもいるようなただの好青年に見える存在だ。だが、その実態は人間とは違う出生している全く別の生物。そんな彼は、QAT関東支部では拝啓からの信用が厚い入梅の監視下に置かれている。
QATに入り、向暑という名をもらう前の、元々の名は実験No.560。向暑は、自身の姉と共にとある海外の実験施設を逃げ出し、発見され次第殺処分される筈だった。それを拝啓が、二十四時間の監視付き、更には向暑が人に害を成した場合は自分共々処分される、という厳しい条件で引き取ったのだ。そうまでして拝啓が向暑を引き取った理由は単純で、ただ自分に助けを求めたからだという。拝啓のこの精神性は、まさしく拝啓の人望の理由だ。
「勝手な行動はするなよ。」
菊花の言葉に入梅と向暑は揃って、はーい。と返事をする。菊花は脳裏に遠足に行く園児を引率する教師を思い浮かべながら、菓子を購入する為に百貨店へと足を進める。大都会に位置する関東支部のオフィスから、大型百貨店への道のりはそれほど遠くはなく、菊花を先頭に後ろに二人が行儀よくついてきている。入梅は、自身が怒られたことなどすっかり忘れたようにこんなお菓子が食べたいやら、この前食べたナントカというお菓子が美味しかったやら、楽しそうに向暑に話しかけている。入梅の話をうんうんと笑顔で聞く向暑だが、ふと反対側の歩道が騒がしいことに気づく。
「ひったくりだ!」
叫ぶ通行人と道に伏す、荷物を奪われたらしきスーツの女性。全速力で走る帽子を深くかぶった男が、たった今起こった事件の詳細を一目見ただけで鮮明に現していた。
「追うよ。」
許可する。向暑の一言に入梅が許可をだす。その瞬間、向暑の姿はその場から消える。竹笋生。そう名付けられている向暑の異能は、簡単に言えば瞬間移動の能力だ。その移動距離は、凄まじく。大海を渡り、正確な目的地へと一瞬で辿り着く。監視者である入梅の許可がなければ使用してはいけない制約こそあれ、望みさえすれば向暑は何処へでも行ける。
向暑が姿を消した数十秒後。反対側の歩道でひったくりの男が消えた路地裏から向暑が男の首根っこを掴み出てくるのが見える。菊花と入梅も青になった横断歩道を渡り、向暑と合流をする。
「本当に便利だな。お前の異能って。」
入梅の言葉に、入梅の異能ほどじゃないよ!と向暑が笑う。ひったくり犯の男は、誰もいなかったはずの道に、突然現れた向暑に呆気なく無力化され捕まったことに驚きを隠せない様子で放心している。
「あの…。」
ひったくり犯を捕らえた向暑へ荷物の持ち主であろう女性が声を掛ける。あぁ、これだね!と気づいた向暑が笑顔で女性に鞄を手渡す。ふと、向暑と触れた手を女性は勢いよく引っ込めた。そうしてそのまま、自身が触れた向暑の手を凝視している。そのオドオドとした様子に、菊花は何処かかしこに似ているななどと考えていた。何か、お礼を…。女性が小さく呟く声に大きく反応した入梅が本気か!と声をあげる。入梅が何がいいかとお礼に想いを馳せているのを横目に、菊花が結構です。とはっきり断った。え!なんでだよ!何かもらおうぜ!菊花の腕を掴みブンブンと振る入梅に、菊花の眉間が険しくなる。
「ボクらは本当に大丈夫。今度は気をつけてね!」
ブンブンと腕を振ってくる入梅を振り払う菊花の様子に、二人を気にしながらも向暑が女性に対し答える。女性は、やっと向暑の手から視線をそらした。そうして、そうですか…。ありがとうございます。と深々と礼をし三人の前から静かに立ち去っていった。
「さて。」
向暑が立ち去る女性の背から視線をそらし、今度は自身がずっと首根っこを掴んでいたひったくり犯に視線を移す。交番に行こうか。向暑の笑顔は誰にでも平等だ。怒りも嘆きもしていない純粋なその笑みに、ひったくり犯はか弱く、はい…と返事するしか無かった。
「お礼もらえばよかったのに。」
交番にて。向暑が警察官と話している間、外で待つ入梅がいまだ不満気にそう零す。そんな入梅に、菊花は腕を組み淡々と話す。ぼく達の立場は公的にも警察みたいなものだ。さっきの人助けも仕事の一環だ。
そもそも彼等の所属する組織。Quattuor Anni Temporaの始まりは、とある地方の自警団であり、異能とは無関係だった。しかし、後にその自警団の祖となる一人が、一匹の蛇と契りを交わし新たな名と異能の力を得た。蛇は祖に対してこう言ったという。
「これはきみへの贈り物。そうして仮初の名は、きみを守るもの。」
これ以来、QATは異能の存在を認識し、やがて彼等は異能者が集まる組織となった。
弱きを助け強きを挫く。異能の力でそれを実現した彼等は、また同様に異能の力で悪事を働く存在を忌み嫌った。人を助けるための異能で人を傷つける…異常な行動をする者。それが、異常異能者が異常と呼ばれる由来となる。
QATのロゴには、今でも祖となる人物が契りを交わした蛇を模したのマークが使われており、またこの逸話からQATに所属する全ての異能者は本名ではなくコードネームを使用することが義務付けられている。
「そうだけどさぁ。」
入梅がいまだ文句を言う中、向暑が交番から出てくる。ごめん。随分時間がかかったね。早く行こう。腕時計を見ながら言う向暑に二人が頷く。
そういえば、うちの財布は大丈夫なんだろうな。ぼくは春風からもらっていない。菊花から背後を歩む二人に投げかけた問いに、入梅が肯定する。おう。アタシの異能空間にしまってあるからな。
入梅の異能。菖蒲華は、自由に物体を出し入れできる広大な異能空間を作り出すことができる。ただし彼女曰く、酸素が存在しないその空間には、生きた人間を収納することは不可能のようだ。入梅としては、いつかこの異能空間内を酸素で充満させ、人間を仕舞いたいと思っているらしいが。
「ならいい。」
入梅の答えに納得し、菊花は百貨店への道を足早に進んだ。
百貨店の地下。所謂、デパ地下スイーツが並ぶその場所で、入梅は目を輝かせていた。キラキラ輝く宝石のような菓子達へ目移りするようにキョロキョロする入梅と違い、菊花は自身のスマートフォンを片手に予め目星をつけていた菓子を探す。入梅が食べてしまったシュークリームは常日頃、午前中で完売してしまう限定品であり、今更同じものを手に入れるのは不可能だ。ならばそれに見合う菓子、または量を手に入れなければならない。全ては甘いものに目がない拝啓の菓子休憩のため。使命感に燃える菊花は、複数の店舗のショーケースを眺めては行ったり来たりをし、悩み続ける。その菓子のどれもが高額で、菊花としては春風から受け取った資金が足りなければ自腹も辞さない覚悟だ。欲しい菓子が決まったのか、早く帰って食べたいと訴える入梅が何度か菊花に話しかけているが、集中しすぎた菊花には聞こえていない。
「あれ、君達何してるの?仕事は?」
ふと菊花達へ、壮年な男性から声がかかる。
更新ペースは遅くとも二週間に一話です。
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