二十七通目 照合
*
うっすらと青みがかった壁。物々しい雰囲気で閉ざされた扉。
その扉付近の壁には、IDカードを翳す機械が埋め込まれている。
そこに、一人の男が歩いてきた。
男は、慣れた手つきで首にかけていたカードを機械に翳す。
ロックが解除された目印に、機械が青く点滅したのを確認してから、男がゆっくりと扉を開く。
「こんばんはー。」
部屋の中には数人の人影。
男は、彼等にこんばんはと挨拶はしたものの、窓がなく、人工の明かりが煌々と照りつけるだけの部屋では、外の時間はわからない。
男の挨拶には、数人のうち一人だけが顔を上げて反応した。
「随分と早い帰還だね。僕はてっきり、もう少しかかるものだと思っていたけど。」
汚れ一つない清潔な白衣。肩につく程度の金髪に赤い瞳。右目を布で覆った人物が穏やかに微笑む。
「お土産です。」
男は、片手に持っていた紙袋を手渡しながら、おれもそのつもりだったんですけどねー。と苦笑する。
「それはどうかな。」
男の目の前の人物は、不敵に、しかし楽しそうにふふふ……と微笑む。
「きみの勘は、下手な未来視よりも優れているだろう?拝啓。」
買い被りすぎですよー。
拝啓は、軽く微笑み、そう言い返しながら、傍らに設置されていたソファに深く座り込む。
長い脚を器用に組み、胸ポケットから煙草を取り出す。慣れた手つきで煙草に火を付けると緩慢な動きで大きく息を吸い、そしてゆったりと吐き出す。
その仕草を見ながら、白衣の人物は、私も一本貰っても?と問う。
「ふふ、嫌ですよー。ロキさんは煙草を吸わないでしょうー?」
拝啓が意地悪をするように胸ポケットに煙草を仕舞う。
ロキと呼ばれた白衣の人物は、拝啓からの施しがなかったことを気にせずにまぁね。と答え、向かいのソファへと腰をかける。
「おれはただ、顔を見せに来たというわけではないんですよー?」
拝啓の言葉に、ロキはだろうね。と頬杖をつく。
穏やかに会話をしているように見えるが、この二人はさして仲良くはない。
少なくとも、今の拝啓は、ロキの在り方を拒否している。
何しろ、片や犠牲や混沌を良しとするロキ。片や人類全ての平穏を良しとする拝啓だ。
思想も手段も目的も、二人の意見は全くと言っていいほどあわない。
だが、今回だけは特別だった。天文学的な利害の一致。
そのために、QAT異能研究所の所長とQAT関東……日本支部代表は手を組んだ。
「ロキさん。異能の把握のため、貴方達が異常異能者を殺して回ったでしょうー?」
拝啓の突然の指摘。空気がひりついた。
だが、ロキは余裕そうに微笑む。その微笑みの意味は……肯定だ。
そもそもの話、異常異能者の不審死。
それは、夢の中で関東支部が取り上げていた問題だ。
花冷の行方不明や、晩夏による拝啓の死によって、今の彼等には気にする余裕もないことだろう。
はじめに、拝啓によって、異常異能者集団が原因だと思われていたこの事件。
しかし、その仮説は水面下ではとっくに否定されていた。
そもそもの前提からして、この仮説は最初から全て拝啓の嘘である。
何故なら、あの集団には。夢がはじまった五年前から、拝啓が厳冬をスパイとして送り込んでいたからだ。
厳冬はずっと、集団やそこに所属した晩夏のことを拝啓に伝えていたのだった。
厳冬の調査によってわかったことは。
異常異能者集団に所属する者の中には、晩夏をはじめとし、確かに人を殺す異常異能者も確かに存在すること。
しかし、それだけでは説明できないほどに、夢の中では多くの死者が出ていた。
拝啓の視点では、それらのほとんどが、異能研究所によって、実験材料にするために、わざと効率的に殺されたと考えるのが妥当だった。
研究所職員に夢で殺され、現実に戻った異常異能者達は、待ち構えていた別の職員に捕らえられ、実験に協力させられる。
「拝啓がわざと調査をさせるから、うちの子達が動きにくくて仕方なかったね。」
ロキは楽しそうに笑う。
ロキの言う通り、拝啓は関東支部職員に異常異能者集団が原因だと嘘を伝え、わざと見回りをさせていた。
それは、研究員職員を少しでも活動し辛くするため。
だが、そのことに関して、拝啓がはっきりと真実を伝えず、こんなに回りくどくしたのには理由がある。
見回り中に不審な異能者を見つければ、正義感の強い関東支部職員はそれを食い止めるだろう。
だが、それがQATの研究員職員であると判明した場合。
彼等は、組織としては同じQAT……つまりは味方同士となる。
ロキの指示で動く研究員職員は当然、異能空間の情報を知っている。そして、その情報を接触した関東支部職員に明かす可能性がある。
それは、この異能の秘密を守りたい拝啓にとっては非常に困る事態だ。
故に拝啓は、関東支部職員と研究員職員の情報共有を避けるため、彼等は元から敵なのだと嘘をつく必要があった。
そして、この嘘のため。敵として、拝啓が騙ったのが異常異能者集団という組織だ。
QATに所属していない彼等が、大勢の異常異能者を殺したとなれば、それは大問題だ。当然、QATが動かねばならない。
拝啓は、そうやって大切な味方すらも誘導し、欺いた。
ただ、拝啓の行動は幾つかの矛盾がある。
これまでの行動を見るに、拝啓は夢の中で研究所に非協力的だった。
それは、利害の一致によって、秘密裏に手を組んだとは思えないほどに。
拝啓の性格を考えれば。夢の中とは言え、誰にも死んでほしくないのだろうか。いいや、これはそんな簡単な偽善ではない。
拝啓は、夢から醒め、研究所に捕らえられた異常異能者がどんな目に合うか知っていた。
理由は簡単。
拝啓自身、過去に研究所に囚われていたことがある。故に、他者をこの場所に送り込むことだけは避けようとした。
そもそも、彼の知能を持ってすれば、異常異能者で実験する必要などないはずなのだ。
だと言うのに、彼等は悪戯に被検体を増やす。
それは、拝啓にとって耐え難い。
しかし、このことを咎めようにも……厄介なことに、集められているのは全員異常異能者だ。
北欧にあるQAT本部は、支部を置く各国と特別な条約を交わしている。
それは、QAT職員の行う異常異能者に対するありとあらゆる行いは、民間の平和を保つという誓約のもと許可されるというものだ。
即ち、QATに所属してさえいれば、相手が異常異能者である場合、いくら害そうとも……時にその命を奪う行為さえ、認められる。
勿論、関東支部では拝啓が許しを出すはずもなく。そういった行為の一切が封じされているが、ロキは関東支部の所属ではない。
これらが原因で、何があろうとも拝啓が直接ロキや研究員職員を非難することはできない。
だが、当然。拝啓がそのような凶行を許容するはずもない。
だからこそ、妨害した。
利害は一致した。苦肉とはいえ手を組んだ。しかし、拝啓には許せないものが、許してはいけないものが、ここにはあった。
因みに、今回隠れ蓑に使われた異常異能者集団は、拝啓の作り上げた架空の組織ではない。
彼等は、現実にも確かに存在する。
そのボスは、拝啓への恨みから、今も関東に拠点を置いている。
関東支部としても、集団の行動が激化するようならば、今度は冤罪ではなく、正しく彼等を処罰する必要がある。
「そういえば、夢の中の異常異能者集団は、おれ達と違って本人ではありませんでしたよね。何故ですかー?」
拝啓の問い。
微笑みを崩さないまま、ロキの眉がピクリと動く。
拝啓が彼等が本物でないと確信したのは、厳冬からの報告ではなく、花冷を拐うという行動からだ。
拝啓から見て、集団のボスの男は、己より弱い人間を拐って情報を聞き出そうなどということはしない。
いくら拝啓を貶めるためだとしても、絶対に、だ。
実行犯が彼でないとしても、彼は自身の部下にそんなことはさせない。勝手なことをすれば彼が許さない。
彼は、己より強い相手を負かすことのみを目的としており、弱者を理不尽に挫くことを絶対に許容しない。
彼が如何なる悪と外道の道に堕ちようとも、彼の幼馴染として、拝啓はそれだけは確信を持って言える。
故に、花冷を拐い。花冷を守護しなくてはならない晩夏が訪れるまで、花冷を虐げていた異常異能者集団は、本物の彼等ではなく、恐らく……夢の異能で構成された容姿を模しただけの不完全な存在だと拝啓は感じていた。
「きみは本当に鋭いね。あの集団が影響を受けなかったのは、あの子が調べていたからじゃないかな。」
拝啓の問いにロキはぼかすような返答をする。
拝啓は、その返答に明らかに眉を顰めた。
短くなっていた煙草を取り出したポケット灰皿で消すと、もう一本取り出し火を付ける。
「馨くん、ですかー。そういえば見ていませんねー。」
ロキの言うあの子に心当たりがある拝啓は、チラリと周囲を見渡した。
拝啓と目があった数名の職員が会釈を返す。
「会いたいなら呼ぶよ。」
「結構です。あまり話したくないのでー。」
携帯を取り出し、画面を見せつけるように振るロキの提案を拝啓は容赦なく断る。
ロキは、食い下がりもせずあっさりと携帯を仕舞いながら、他に聞きたいことは?と言わんばかりに拝啓を見つめ直す。
「そういえば、他にも。」
異常な強さのギフトがいました。あれも貴方が仕組みましたねー?
拝啓は、更に指摘する。
ロキは、途端に満面の笑みになった。
ロキは、ウキウキとした様子で立ち上がると、真っ直ぐと壁際の棚へと向かい、その一つである鍵のかかった棚を開ける。
そこから、迷いなく分厚いリングファイルを取り出して、ロキは拝啓の前へと戻って来る。
「あれはね、こちらで死んだ異能の熊の死骸を使ったのさ。」
異能の熊。QATの中でも異能の蛇は有名だが、異能の熊とは。
また妙なものを取り出してきたなと拝啓は考える。
ロキはリングファイルを机に広げ、そのページをパラパラとめくりながら拝啓に写真を見せてくる。
収められていたのは、ブルーシートに乗せられた熊の死骸。横には、丁寧な文字で三メートル、ヒグマと記されている。
巨大なその躯体は、確かにあの時のギフトを彷彿とさせる。
勿論、あのギフトのほうが何倍も大きくはあったが。
「異能の熊が死ぬなんてね、本当に珍しいことだよ。」
しかも、人間に殺されたのさ。
嬉々としてロキは語る。
異能の、と名付けられる以上。
異能の蛇である深緑と同じように、この熊には人と同じ姿が存在する。
なんとこの熊は、そんな人姿で、東北の大学教授をしていたらしい。
賢く優しく、容姿も整った人格者。兎に角、誰からも人気な教授だったが、ある時とある生徒と親密な関係になったらしい。
「いや、親密かは……未遂だったかな。後で本人に聞いておこう。」
とある日。彼が彼女の家で、手料理を振る舞おうとしていた。
そこで事件は起こる。
問題があるのは、自身が熊であるという正体を隠していた彼の方ではなく、彼女の方だった。
はじめて与えられた幸福の果て、いつか来る終わりに恐怖した彼女は、それを自ら終わらせることを選んだ。
そう。彼を殺してしまった。
「異能者だったのさ。彼女も。」
彼女は自身の異能の副作用で倒れ、彼は呆気なく絶命した。
絶命した彼は巨大な熊へと姿が戻った。
彼女と連絡が取れず、彼女の家を訪れた大学関係者は、倒れる彼女と巨大な熊の死骸に大きく驚いた。
その事件は、女子大生の家を熊が襲撃したとして、東北で大きな話題になった。
「私はその熊の死骸を貰い受けてね。」
その後はまぁ、様々な実験を経て、彼をなんとかギフトととして動くまでに復元したのさ。だと言うのに。
ロキがわざとらしく残念そうに続ける。
「異能空間に取り込まれたと思ったら、きみが討伐してしまっただろう?素材が良いからとても強靭だったのに。」
是非、市街地に放ちたかった。
最後の言葉を飲み込み、ロキはほろりと嘘泣きをする。
拝啓はそれを華麗に無視し、適当にリングファイルをめくる。
速読しているようで、中身はきちんと理解できているようだ。
「量産できないようで安心しました。」
ロキの話と、リングファイルの中にまとめられた資料を経て、あの強さが素材ありきであることを理解した拝啓はリングファイルをそっと閉じる。
拝啓が、丁度てくてくと横を通り過ぎた白衣の少年にリングファイルを渡すと、少年はそれを受け取って会釈する。
「あぁ、後で話を聞きたいんだけど。」
ロキがついでと言わんばかりに、その少年を呼び止める。
ロキの手には、紙の切れ端が握られており、そこには今発言した言葉と一言一句同じ文が書き留められている。
少年はその紙を覗き込み、文章を読むとブンブンと首を横に振って拒否をする。
そしてすぐにロキから逃れるためか、リングファイルを棚に戻しにいくためか、早足で駆けて行ってしまった。
「……だいたい知りたいことはわかりましたー。」
拝啓は立ち上がる。
最終的に五本の煙草が詰められたポケット灰皿を仕舞いながら、最後にもう一度辺りを見渡す。
研究所職員達が、忙しなく赤い液体で実験をしている。
「完成はまだ先ですか。」
拝啓の問いに、あの子がいないからねぇとロキは答える。
僕よりあの子のほうが実験は得意なんだよ。ロキの言葉に拝啓はまた眉間にシワを寄せる。
「馨くんは、いてほしい時にはいないんですよねー。」
いてほしくない時にはいるよね。
ロキが拝啓の言葉に続けて、にこにこと微笑む。
「それでは、おれはこの辺で。かしこくんにはよろしくお伝え下さい。」
拝啓はIDカードを翳し、部屋を出ていった。
*




