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ニ十六通目 エゴ

「ふぅ。食べましたねー。」

 天地始粛が、とりあえずは。とでも言いたげに腹をさする。

 眼の前のテーブルには、今にもバランスを崩しそうなほどの空き皿が並べられている。


 遡ること……四時間は前だろうか。

 早朝のスーパーで大量の食材を確保した菊花。

 物理的には到底運べない量のレジ袋を天地始粛に半分を無理矢理持たせつつ、菊花は足早に拝啓の家に戻った。

 早速調理を行おう。

 だが、ここで問題が発生する。調理器具がない。包丁どころか鍋、フライパン、おたま、フライ返し、いや待てそもそも。

「炊飯器は……。」

 ない。菊花は三十キロの米袋を床に置きながら放心しかける。

 だが、すぐに菊花は立ち上がる。

 菊花の自宅には、入社祝いに、深緑からもらった十合の米を炊ける炊飯器がある。

 一人暮らしにはこんなに必要がないと、当然菊花は当時の深緑に伝えたが、まぁいいからと押し切られた炊飯器がまさかこんなところで役に立つとは。

「移動するぞ。」

 待ちくたびれたのだろう。漁ったレジ袋の中から生の人参を取り出し、食べようと手を伸ばしていた天地始粛から人参を奪い返し、菊花は言い放つ。

 そして、菊花の家に移動してから、菊花の鬼気迫る戦いがはじまった。

 作れば作るほど片っ端から喰い尽くす飢えた獣に、大量の料理を振る舞う。

 洗い物は当たり前のように間に合わない。

 普段は使わないような皿を引っ張り出し並べ、炊飯器と鍋で数十回炊いた米は底をつき、肉も野菜も全てが極上の料理へと変わり、全てが一人の胃袋に収まった。

 そうして、冒頭に戻る。

 やりきったと言わんばかりの菊花は、額を流れる汗を手の甲で拭い、肩で息をしている。

 こんなにも沢山料理を作ったにもかかわらず、一口も食べていない菊花の腹は空腹を訴えていたが、もう食べるものは米の一粒、人参の皮一欠片すらもない。


「きみにいいことを教えてあげますー。」

 菊花の腹の具合など知らず、久方振りの食事で、満足そうに片手で頬杖をついた天地始粛が菊花を見る。

 勿論、そのせいで落ちかけた皿を菊花は慌ててキャッチした。

 菊花は、迷惑そうな顔で天地始粛を見返す。

「拝啓は、QAT本部の持つ異能研究所と手を組んでいるんですよー。」

 沢山の食事によって機嫌が良くなったのか、先程よりも饒舌で楽しそうに天地始粛が話し出す。


 まず前提として。

 菊花達は、もう既にこの現実()の正体と、それを操る異能者。そしてこの夢で暗躍する晩夏の目的を知っている。

 更にこれらの情報をはじめから持っていた拝啓が、周囲にそれを隠していた理由も。

「三伏は現実世界に存在しない。」

 全てを知ってしまえば、関東支部の職員は困惑するだろう。

 そしてすぐに、この異能を片付ける策を練る。

 そうすれば、あっという間にQATの正義によって花冷は捕らえられ、その命が奪われる。

 花冷(夢の主)が夢で死に、現実に目覚めることにより、夢は呆気なく終わりを迎える。

 全てが元通り、平和な日常に戻る。

 この物語は、万人向けのハッピーエンドとして夢から目覚めた人々の元へ届く。

 たった一人を除いては。

 拝啓は、そのたった一人。晩夏の孤独を憂いていた。

 現実世界で、産まれてから一欠片の幸福も持たない男。彼()救わなくてはならない。

 故に拝啓は、この夢の中で五年もの歳月をかけて、異能研究所と共に夢の一部のみを現実にする研究をしていた。

 三伏を現実のものとして残し、晩夏を仄暗い孤独から救うため。

「しかし、それは失敗しましたねー。」

 あろうことか、晩夏が拝啓を殺してしまった。

 拝啓こそが、晩夏の唯一の理解者(味方)だったというのに。

 拝啓が夢の中にいない状況で、これ以上、この異能空間の実験を行うのは不可能だ。

 実験が行えないのなら、彼等が成果を出すことも、もうない。

「でもぼくは託された。」

 菊花は、クローゼットを大きく開く。

 祖父母(歳末の両親)から贈られた上等な服が並んだその最奥に、あの日の拝啓の外套が仕舞われている。

 綺麗に畳まれた外套を、菊花は広げる。

 思い出すのは、拝啓の最後の言葉。

『キミに背負わせてすみませんー。』

 拝啓は、菊花に背負わせた。

 それは、この先の暗く辛い人生や天地始粛の封印などのことではない。

 今ならあの遺言の意味がわかる。

 拝啓が、自身の死期を悟った手紙を書いたあの日から。拝啓には全部わかっていたことだ。菊花がようやく追いついたと言ってもいい。

 拝啓は、自分の死後。天地始粛が菊花を利用するために、菊花に己の隠した秘密を全て明かすことを確信していたのだ。

 そのうえで。菊花ならば、やり遂げてくれるだろうと。己をなぞり正義の味方(拝啓)を代行するに値すると。

 もう誰も取りこぼしてはいけない。拝啓は菊花にこの使命を背負わせた。

「お借りします。」

 菊花は、広げた外套に一礼すると大きく回し腕を通す。

 大きな(マント)がたなびいた。それは、ヒーローの証。


「きみにもう一ついいことを教えあげますよー。」

 現実世界と夢の世界の時間の進み方は、実は大きく乖離しているんです。現実世界は、まだ五年前。あの七月一日から大した時間は進んでいないんですよー。

「人間は、時間に置いていかれることを酷く心配するでしょうー?」

 良かったですねー。これで憂うことはもうありません。


 天地始粛が、はじめて拝啓と同じ表情でニコニコと笑う。

 拝啓は一つ誤認をしていた。たかが一つ。しかし見過ごしてはいけなかった強大な一つ。

 拝啓が、自身の口から全てを伝え、菊花に託していたならば……。もしかすれば起こり得なかったかもしれない大誤算。

 機械的な拝啓の正義をなぞる菊花の正義。その奥に隠れた……

「現実世界を取り戻す。その為に……誰を殺すことになっても。」

菊花の強大なエゴ。雷によって芽生えた自我。

 現実世界を取り戻す。

 現実を守り、拝啓を救う(生かす)。その為ならば、菊花は。

 この物語を万人向けのハッピーエンドとして終わらせて良いと思っている。


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