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ニ十五通目 轟

 晩夏は、照らされてしまったのだ。夢の中でのみ輝く光に。


「そこではない。そんなことはどうでもいい。読み飛ばすな。おっと、読み飛ばさないでくださいー。」

 菊花の思考を遮り天地始粛が口を出す。

 菊花は、怪訝そうに天地始粛を見上げる。

 天地始粛の指は、日記を軽く叩きトントンと音を鳴らしながら数行前の文字を指差している。

 『この異能は、異能空間の中で死ぬと現実世界に戻される。』

「この意味、わかりますかー?」

 菊花は賢い。

 衝撃的な展開が続きすぎていただけで、この一文だけを読み、意味が理解できない阿呆ではなかった。

「つまり、拝啓さんは⋯…。」

 色の失われていた視界が、世界が色付き出すのを感じた。

 そうだ。そういうことだ。菊花は理解する。

 拝啓は。異能空間(この夢の中)で命を落とした拝啓は。今も現実世界で生きている。

 菊花は、酷く安堵した。

 ならば、生き急ぐ必要も、憂うことも、もうない。側にはいられずとも何処かで拝啓が生きているならそれで。

 菊花は、満足そうに拝啓の日記を仕舞う。

 そうして、菊花は自らの家へと帰り支度を始める。

 しかし次の瞬間。天地始粛は、菊花の頭に拳を食らわせた。

 軽い音に反して強烈な一撃。菊花の視界が一瞬ぐらりと歪む。

「菊花くん?何を満足そうにしているんですかー?」

 拝啓の独特な間延びした声に呆れが滲む。

 じっとりとした目付きで、菊花を睨む天地始粛が菊花の返答次第では。と言わんばかりに次の一撃を構えている。

 もう一度その拳が直撃すれば、菊花の頭は今度こそ真っ二つに割れるだろう。

「拝啓さんが無事なら、事を急ぐ必要はない。」

 菊花は当然のことだ。とでも言いたげに答える。

 だが、天地始粛はその返答に大きな溜息をついた。落胆か、呆れか、肺の中の空気を全て吐き出すような大きな溜息だ。

「きみにはやるべきことがあります。」

 きみは、晩夏くんが何故花冷(夢の主)くんを狙ったのかわかっていない。拝啓のこと以外はてんで駄目な頭のようだ。

 天地始粛が馬鹿にしたように大きく肩を竦める。

 だが、菊花も負け時と拝啓以外に大事なことなどあるものかとでも言いたげに天地始粛を見る。


「晩夏くんは、この夢の世界を()()()()()()()を既に知っている。」


 夢を、現実に。するとどうなるか。

 天地始粛の言葉で菊花は考える。

 三伏ですら知らなかった晩夏の目的とは、夢を現実にすることなのか。

 理由はわかる。それ即ち、この夢が目覚めれば、共に消えてしまう三伏の為。この世界()を永遠に続けることだろう。

 では、それによってどのような弊害が起きるか。

 まず第一に、この夢の中に拝啓はもういない。現実が消えてしまえば、拝啓の生きる世界がなくなる。

 それは駄目だ。それどころか。それどころか?菊花は考えた。


「拝啓さんが死ぬ?」

 ぽつりと口から溢れた絶望。理解よりも早く、脳から発せと伝わった電気信号。

 背筋が凍る菊花を他所に、天地始粛は満足気に御名答。と指を鳴らす。その顔はニタニタと笑い、拝啓の顔だと言うのに拝啓とは似ても似つかない。

 しかし、すぐに表情は仏頂面へと変わる。

 普段、にこにこと微笑んでいるだけの拝啓とは別の意味で似ても似つかない百面相だ。今の表情を例えるならば、まるで玩具を取り上げられた子供。

「拝啓が死ぬのは、天地始粛(おれ)としては大変好都合ですがー。」

ですがー。天地始粛が不服そうに繰り返す。

 天地始粛の相反する感情による煮えきらない態度は、それもそのはずと言っていい。

 天地始粛にとって、この夢が現実になるのは大変不都合だったからだ。

 その理由は。例え現実になろうとも、その実この夢の中には、日本という島国の関東圏というごく僅かな世界しか再現されていないのだ。

 自身をこんな辺鄙な島国に連れてきたQATの北欧本部どころか、数多の大陸に生きる大勢の人間達(食料)

 今も現実に生きているその全てが、この夢に塗り潰され露と消える。存在しなかったことになる。それは、あまりにも勿体ない。

 『天地始粛(てんちはじめてさむし)』。

 際限なく飢え、世界を喰らう獣。

 それが、そんな偉大な存在が、たかが島国の、たかが()()()()()()で当然腹が膨れるはずもない。だからこそ、だからこそだ。

 天地始粛は、いいことを思いついたと言わんばかりに、菊花の目を覗き込み、己の力が封印された眼帯をそっと撫でる。

「菊花くん。おれが力を貸してやりますよー。」

 晩夏を殺して、世界(現実)を救おう。

 そうして、そのあとは。天地始粛(おれ)が世界を喰らう。真意を隠し、獣は悪魔のように囁く。

 暫しの沈黙、熟考。その果てに、菊花は獣を真正面から睨み返す。

「……わかった。だが、お前が力を貸すんじゃない。」

 ぼくが、お前を使うんだ。強く輝く菊花の眼光には、拝啓と同じ正義が宿っている。

 不愉快だ。だがしかし……その正義を喰い破ってやるのは、さぞや甘美だろう。天地始粛は、心の内でほくそ笑み、舌舐めずりを……。

 んぐぅるるるるぎゅぅぅぅぅ……。

 突如として、けたたましく。地を揺らすほど豪快に響き渡る天地始粛の腹の虫。

 二人の間には、得も言えぬ沈黙が流れる。

「……お腹がすきましたねー。」

 先に沈黙を切り裂いたのは、当然、天地始粛。

 まぁそうだろうな。今の音を聞けば誰であろうと、目の前の獣が空腹であることがわかる。


 菊花は、思案する。

 そして、少し周囲を見渡した後、徐ろに台所に向かう。

 飢えた獣は何をしでかすかわからない。協力関係を結ぶと言い放ったその口から、次の瞬間には鋭い牙を剥き出す可能性もある。いつ菊花の喉元を食い破るともしれない。それならば、早急に自分が何か作って食わせてやったほうが幾分かマシだ。

 それに。相手はあの『天地始粛』とは言え、その身体は拝啓のものだという。

 そのことに関する真偽はどうであれ、拝啓の身体が飢えているという事実に、菊花は耐えられない。


 菊花は台所に立ち、拝啓の部屋の冷蔵庫を開く。

 何か、食材はあるだろうか。この部屋があの日から放置されているのなら、ついでに腐っていそうなものは片付けよう。

 そんな悠長なことさえ考えていた。

 が、菊花は絶句する。

 冷蔵庫の中には何も入っていない。

 買ってから、一度でも開けたことがあったのだろうか。そう疑いたくなるほどチリ一つない。

 一瞬、天地始粛が食い荒らしたのかとも思ったが、そんな痕跡もないほど綺麗さっぱり何も入っていない。

 拝啓は、普段何を食べていたのか。菊花は思案する。まさか、菊花(自分)が用意するもの以外何も?

 菊花は内心頭を抱えた。そして決意した。

 自分がこの夢から帰還し、真っ先にやるべきことは。

 あの、糖分だけ取っていれば大丈夫ですよーとでも言いたげな拝啓に、栄養価バランスの整ったものをたらふく食べさせることだと。

 その為にも、早く。


 そんな菊花の決意を露も知らない天地始粛は、菊花の背後から食事はまだですか。と顔を出す。

 菊花は、本日何度目かの強い衝撃により、忘れかけていた目下の課題を思い出す。

 兎も角何もないならば仕方ない。

 菊花は、自身の携帯で二十四時間営業のスーパーを検索する。


 玄関を開けば、空は徐々に白み始め、菊花の生きる新たな一日を祝福しようとしていた。


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