ニ十ニ通目 会議は踊る
*
昼休み。
各々が昼食を取ろうと話している間も、朝からずっと仕事を続けていた菊花の手が休まることはない。
何度、花冷が声をかけようと、視線も返さず、なんだ。と返事をするばかりで、取り付く島もない。
「菊花⋯…。おべんと、う。私の…⋯。」
花冷が、何も食べる気配がない菊花に自分の弁当を差し出す。
普段の菊花ならば。拝啓に差し入れる弁当を作ったついでに、余った食材を自分の弁当箱に詰めて持ってきているはずだ。
だが、拝啓亡き今、恐らくそれはもう用意されていないだろう。せめて食事はとらないと。花冷は、心配を募らせていく。
「いらない。」
菊花が抑揚なく放つ言葉によって、花冷はまた眉をひそめた。
そんなやり取りは、一週間も続いた。
菊花の顔は目に見えて窶れ、花冷だけではなく、やっと現場に復帰した入梅も顔を顰めるほどだ。
今まで皆が楽しんでいた菓子休憩に、菊花はいつも通り菓子を提供するが、そこに己の分はなく、あの入梅が無理にでも自分の分を分けようとするほどだった。
勿論、菊花は入梅の善意も受け取らず、ただずっと一人でできるデスクワークをこなしていた。
「作戦会議をしたい。」
三伏が職員達に言う。
それは晩夏のこと。あの強さに対する対抗手段、晩夏と晩夏の所属する集団の目的。
ここまで来ても、分からないことだらけだ。
拝啓がいなくなったからと言って、立ち止まっているわけにはいかない。少なくとも、三伏はそう考えている。
三伏の声掛けで、彼等は会議室へと向かった。
「春風さん、議事録を。」
三伏の目配せに春風はえぇ。と頷く。
そうして、ガリガリとボールペンで議題を書き、議事録の準備を進めていた菊花から用紙を奪い取る。
菊花の動きが鈍くなっているのか、春風が素早いのか、用紙はあっという間に春風の手中に収まった。
花冷が仕事、しすぎです。と菊花にまた文句を言っている。
「結局のところ、俺達は晩夏の目的を知らないんです。」
三伏が話を始める。
晩夏は三伏に無言でQATを去った。三伏にすら話していないということは、他の誰も知るはずがない。三伏は共通認識を再確認する。
拝啓は知っていたのかもしれないと向暑が意見を出すが、それならば、拝啓が皆に説明せず沈黙を貫く理由がない。晩夏と特別に親しかった三伏にならば尚更だ。
彼等が今ここで、晩夏の目的を決定づけるには、あまりにも判断材料が足りない。ただ目的が⋯…QAT、少なくとも拝啓の庇護下にいる存在では、決して成し得ないことだということはわかる。
「人殺しがしたかっただけやろ。」
嘲笑うように指摘した早々を三伏が睨みつける。
三伏に睨まれようと、早々に悪びれる様子は一切なく、呑気に煙草に火をつけている。
「人殺しが目的なら、それこそ関西支部《貴方の支部》に移動届けを出せばいいのではないですか。」
余寒が早々に反論する。
理責め糞鶯。と早々が瞬時に暴言を吐く。
険悪になりかけた空気を花冷が切り裂く。
「あの人、が。人を殺す⋯…のは、作業?に見えます、した。」
殺す、のは、よくない、です⋯…けど、が?仕方なく⋯…に見え、ます。
花冷による新たな視点に、三伏が本当か。と反応する。
花冷はその問いを肯定し、強く頷く。
晩夏の凶行を目の当たりにし、そしてそれが誰かのためだと気付いた花冷には自信があった。
ただし少なくとも、それは自分ではない。自分に似た誰かだと、花冷は感じた。
「どうせ動機がわかれへんのやったら、ちゃっちゃとどう殺すか話し合おか。ジブン、ワイに言うたやろ。ジブンが殺すて。」
一本目を吸い終わった早々が、二本目の煙草に火を付ける。
吐き出された煙に、深緑が歳末の服の中へと隠れていく。
「せやけど、ジブンは負けて逃げ帰ってきたんやろ。なっさけない奴やな。」
ワイがやったるで。
呆れたような、嘲笑するような早々の言葉に、三伏が俺が!と咄嗟に口を開く。
「ジブンが、なんや?」
有無を言わさず聞き返す早々に三伏が口ごもる。
「まぁええ。ワイは関東に協力するつもりはあらへん。ジブンで落とし前つけんかい。おい菊花。ジブンもや。」
早々が菊花を顎で指す。菊花はチラリと早々を見るが、また手元に視線を移す。
どうやら自分のノートに議事録を記しているようで、それに気づいた花冷が没収しようとノートを引っ張っている。
「ほな、二人でどうにかせぇや。あの糞女呼び戻して稽古つけるでもええ。糞鶯に殺ってもらうでもええ。無策で死んでもワイは知らん。」
そう言って早々は席を立つ。
それについて、藤花や敬具といった早々を慕う面々も会議室を出ていく。
「一度締めますか。あまり、早々さんの言葉を受け止めすぎないように。」
腕時計を確認しながら言う余寒の言葉に、三伏は納得が渋々頷く。
作戦会議を開き、晩夏をどうにかしたい。しかし、あの強さの前では自分ができることは何もないのではないかと、錯覚してしまう。
そのせいで、打開策は見つからず。早々の言った通りの体たらくだ。
皆が退出した会議室。一人残る三伏の表情には、悔しさが滲み出る。
喪失との別離。それは時間が解決するのを待つしかない。⋯…本当にそう思う?
会議の後、菊花は一人階段を登っていた。資料を倉庫へと届ける。それだけの為に。
瞬間、ぐらりと揺れる視界。体を酷使しすぎた代償が、ついに出たのか。
ぐらついた視界によって、菊花は足を踏み外す。今は何段目だろうか。もう少しで踊り場だったはず。ならば相当高い位置だ。
菊花はぼんやりそう思う。空中に投げ出された体が、迫りくる痛みすらも諦める。
「危ない!」
痛みが菊花を襲うことはなかった。
「気をつけなよ、全く。」
階段から放り投げだされたはずの自分を抱えているのは、前略だった。
先程まで、菊花は一人で歩いていたはずだ。
何故、背後に前略が。いつの間に?そうした疑問すら持てないほどに、疲れ切った菊花の瞳はゆっくりと閉じられた。
穏やかではない寝息を聞きながら、前略は寝てるだけか⋯…。と安堵の息を零す。
前略は微笑むように目を細める。
それは、自分の腕の中に落ちてきた菊花に向けられている。よかった。前略は心の底から安堵していた。それは、
「おい。今すぐその子から手を離せ。」
背後から、酷くドスの効いた女の声がする。
前略が振り向けば、そこに立っているのは白い髪の女。赤い瞳は、前略を睨みつけている。
「深緑、誤解してる?」
ボクは転んだ菊花を助けただけだよ。
前略は、この女に深緑と声をかけた。
深緑は、異能の蛇。異能の蛇は、人の姿を持っている。
深緑と親しい、ごく僅かしか知り得ない情報を前略は知っていた。しかし、深緑にはそんなことは今どうでもいいようだった。
あるいは、その理由をわかっているのか。
「いいから菊花を離せ。」
怒りの籠もった深緑の瞳に睨まれようと、前略は余裕そうな薄ら笑いを浮かべている。
「嫌だと言ったら?」
「全力で奪い返す。」
一歩、しっかりと歩み寄ってくる深緑に前略は乾いた笑いをする。きみにそんな権利あるワケ?
「黙れ!オレは菊花の母親だぞ!」
伸ばされた深緑の腕は力強く、前略から無理矢理奪い返した菊花を大切に抱き締める。
「乱暴だなぁ。」
菊花が起きたらどうするんだい。折角眠ってくれているのに。
前略の言葉を無視し、深緑は階段を駆け下りると、仮眠室のある方向へと早歩きで去っていく。
「はは、無視かよ。」
深緑にやられたのだろうか。たった今、前略腕にできた引っ掻き傷から血が滴り落ちた。
その血を舐め取り、前略は不敵に微笑む。
そうして、菊花が倒れた際に落とした資料を拾い上げ、前略はゆっくりと倉庫へ続く階段を登って行った。




