十一通目 黄鶯睍睆
*
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
青年の目が微かに開く。
だが、視界は暗いままだ。青年が、自分の異能を防止するために意図的に目隠しをされていると気づくのに、そう時間はかからなかった。
ただ、不思議なことに、体に痛みはなく、先ほどまでギフトやQATと戦っていたのがまるで嘘のように調子がいい。
だがしかし、動き回れるのかといえばそうではないようだ。すぐに己の体が椅子に座らせられたまま、縄のようなもので拘束されていることに気づく。
視界と体の自由が奪われている。身じろげば縄がギチギチと音を立てる。つまり自分は捕まっている。青年は理解した。
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
「お前には、聞きたいことがある。」
突然、女の声がする。
声の主は厳冬だ。青年との面識はない。青年は音を頼りに声の方を見上げる。
「異常異能者の不審死についてだ。」
犯行動機や方法。犯人と決めつけられ、問われたのはそんなことばかりだ。
どれもこれも、街で好き勝手暴れていただけにすぎない青年に心当たりなんてなく、てんで的外れな質問ばかりだった。
「ハッ!知ってたって教えねェよ!」
傷が癒え、威勢の良さを取り戻している青年は、犯人であるかのように、厳冬をわざと煽るようにそう吐き捨てる。
もうこれはこの青年の性分だろう。厳冬は酷く冷たい声で、そうか。と言い放った。
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
「であれば、喋りたいと言わせるまでだ。余寒。」
厳冬が声を掛ける。階段を降りるような音が聞こえる。
ギィッと軋む音と共に扉が開く気配がする。
ここは地下の一室なのかと、青年が呑気なことを考える。
室内に入ってきた足音は、一定の間隔で青年に近づいてくる。ゆっくりと、一歩ずつ。そうして青年の前で立ち止まった。
「後は頼む。異常異能者集団との関係について聞き出せ。」
そう言って、今度は厳冬が立ち去る足音がする。
青年の脳裏で何か引っかかる。いくら話を聞く気がない青年といえど、ここまで露骨ならばわかるだろう。あの女は、何か言動が変だ、と。
「はじめまして。余寒と申します。」
礼儀の正しい男性の声が、青年の耳に入る。青年の思考が男性に向く。
声だけでわかる。戦闘慣れしてなさそうな随分とナヨナヨとした男だ。所謂お坊ちゃん。これから何をされるかは知らないが、隙をついて逃げ出してやる。青年はそう決意する。
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
「QAT関東支部。拷問官をしております。」
余寒の口から発された言葉に、青年は思わず笑い出す。
関東はおきれいな連中って聞いてたけど、裏でコソコソ拷問なんてしてんのかよ!これがバレたらどうなるんだろうな!
笑いながら関東支部を馬鹿にする青年に、余寒が動じる様子は全くない。
「問題ありません。何しろ、私の異能は……」
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。
何かがおかしい。何かがおかしいと青年が気づく。
目覚めた時から聞こえる水音。何処かで水が漏れているのか。場所なんてわからない。どうでもいい。青年は目隠しをされている。場所なんてわからないはずなのに。
「見える傷などつけませんから。」
|何故自分の頭の中から音がするのか!《ぴちゃん。ぴちゃん。水音が鳴る。》
「オレに何したッ!」
頭の中の水音をかき消すように、気づいてしまった事実を誤魔化すように、抗うように青年が叫ぶ。
余寒がつく、静かなため息さえ、青年の頭の中にこべりついてはなれない。
「私の異能、『黄鶯睍睆』です。」
余寒が答える。
名前だけではなんの答えにもなっていないと、青年は動かない体を精一杯揺さぶり抗議する。
ギチギチ、ガタガタと縄と椅子が音を立てる。
「今から音を使って。貴方の暗い記憶を呼び起こします。どんな屈強な戦士でも、過去の辛い体験には弱い。そういうものです。」
話していただければ、すぐにやめますので。
青年の抗議を無視し、頭の中で余寒が話す。
でもそうでなければ。
「鼓膜が破れても、骨伝導で。いずれ、骨が全て砕けようとも。続けます。」
青年の息が荒くなる。そもそも、何を話せという。
青年は、異常異能者の不審死についても、異常異能者集団についても何も知らない。何も話せない。
なら、この音はいつ止むのか。
息を呑んだ。
一瞬、恐ろしい程の静寂。さっきまでの水音も。自分の呼吸も、鼓動も聞こえない。
だが、次の瞬間には。青年の頭の中は音に乗せて、様々な記憶が駆け巡っていた。
自分を蔑む母の目。反抗ばかりして、その目が気に食わないと、突きつけられたハサミ。抉られた目。その熱を思い出す。義眼を与えられ、もう何ともないはずの右目が熱くてたまらない。片目を失った日。
バキバキと家が崩され、両親が喰われた日。精一杯助けようとしたのに。自分は兄として、守ろうとしたのに。三歳違いの弟が、決して自分の手を取らなかった。兄であることをやめた日。
放浪し、疲れ果て、寒空の下、路地裏で眠った。異能で悪さをすれば、生意気なガキだと酷い報復にあった。大人を信じられなくなった日。
そして、次の。次、次の記憶は。あぁ、あの、あの着物姿の男は……!
「困ります。今は仕事中です。」
記憶を遡っている青年にとっては、異音ともいえる余寒の声で我に返る。
突如、頬に鋭い痛みが走る。
殴られた。
それはあまりにも強い衝撃で。今までの記憶も吹き飛び、一瞬またあのギフトが攻撃を仕掛けてきたのかと思うほどだ。
殴られた衝撃で、青年の目隠しが外れた。その視界に飛び込んできたのは。
「藤花ァ!」
強烈な怒鳴り声。懐かしいタバコの臭い。
青年、藤花の顔が喜びに歪む。
彼と知り合いですか。余寒が眉を顰め、二人を交互に見た。
「こいつの躾はワイがやる。」
早々は、余寒の問いに答えない。床に投げ捨てられたタバコが早々の足によって踏み消される。
殺されるのは困ります。咄嗟に制止する余寒の顔を、早々が躊躇いもなく殴る。
「小鳥風情がぴーちくぱーちく喚くなや!」
怒鳴った早々はそのまま余寒の胸ぐらを掴み壁に叩きつけた。
このままでは、こちらが殺される。そう判断した余寒は、わかりましたから。と無理矢理早々の拘束から逃れた。
「後は早々さんがご自由にやってください。」
でもいったい。彼はなんなんですか。余寒は振り返る。
ただの異常異能者ではないのか。余寒はその疑問を部屋の扉に手をかけながら、早々にぶつける。
「コレは、関西支部所属のアホや。」




