一通目 一夜新霜著瓦輕
異能力。
それは、一部の生命が生まれながらにして持つ神秘の力。
神代にて。蛇が与えた、人智を超えた偉業。
人の身では決して成し得ない、選ばれし者だけが与えられた大いなる栄光。
……本当にそうなのだろうか?
それは、人の身に余る強大な力。
「禁忌こそ、最も甘い味がする。あの果実のようにね。」
この力が、導く先は……。
「あぁ。この手紙が、キミに届く頃には─────」
早朝。まだ涼し気な風が頬を撫で、早起きな蝉達が一斉に時雨を奏でる季節。
ここはまだ薄暗く、質素な白い壁に覆われた長い廊下が続いている。左右には、壁と同じ白い色をした引き扉が均等に並んでいる。
そのうちの一つが、今ゆっくりと開かれた。
「それでは、失礼します。」
その扉の奥から出てきたのは、長身で白い髪の男。
これから夏だろうに、男の動きに合わせ、たなびく黒く長い外套が特徴的だ。
また、怪我をしているのだろうか。その右目には、医療用の眼帯を着用している。
男は、にこやかな微笑みを浮かべ、部屋の中にいる人物へと軽い会釈をする。そして、音を立てないように扉をゆっくりと閉じた。
扉を完全に閉じきった瞬間。男は、先ほどまでの緩慢な動きとは裏腹に、プレゼントを待つ子供のようにソワソワとした様子で足早にその場をあとにする。
「彼が来るまでに、間に合いますかねー。」
白い廊下を進み、一目散にエレベーターホールへ向かった男は、そこで自分を待っていたらしい女に問いかける。女は静かに頷き、その問いに肯定した。
高層ビルが立ち並ぶオフィス街。その中の一角。
塵一つなく清掃の行き届いた室内。上品に整えられた観葉植物。いくつもの机とパソコンの並ぶ典型的なオフィス。
「菊花が来て何年だっけ?」
棒グラフの描かれたホワイトボードの前で、男が首を傾げる。
男の赤髪がふわりと揺れた。室内だというのに着用しているサングラスは、その視線を隠している。
赤髪とサングラス。その容姿と、先程の発言の声音からして、男は随分と軽薄な印象がある。
そんな軽薄な男が声をかけた相手は、隣に立つ神経質そうな眼鏡の青年だ。
「五年です。」
青年は、自身の不機嫌を一切隠さずに、眉間にシワを寄せ答えた。
「え、もうそんなにか。そりゃあ、オレ達も業績抜かれるよな。」
目を丸くした男があっけらかんと答える。
青年はますます眉間のシワを深くした。
不機嫌な時の癖なのだろうか、青年は着用している眼鏡を態々二回ほど直す仕草をし、男を強く睨みつける。
「貴方がそんな様子だから抜かれるんじゃないですか。残炎さん。」
青年に残炎と呼ばれた男は、気の抜けた笑みを零した。
「敬具くんったら厳しい〜。」
残炎のおちゃらけた声音の返事は、敬具と言う名の青年の苛立ちを更に煽る。
「もういいです。」
明らかに不快感を示した敬具が冷たく言い放つ。
敬具は、ホワイトボードに目線を移し、菊花&三伏と書かれた文字を睨みつけ、すぐに隣に並ぶ残炎&敬具の文字に目を向けた。
「なぜ俺がこんな真面目に仕事をしない人と……。」
敬具が舌打ちをする。
だいたい、拝啓さんのやり方を真似れば業績があがるなんて理不尽です……。俺は俺のやり方で……。やっぱり、残炎さんの実力不足ですか……。
ホワイトボードを睨みつけながら、敬具は、ぶつくさと不平不満を漏らしている。
「聞こえてるよ?」
隣で堂々と残炎の力不足を決めつける敬具の露骨な文句に残炎が肩を竦めた。その時。
「出動命令です。現在、西地区に異常異能者の通報が入りました。担当者は至急現場に向かってください。」
スピーカーから凛とした女性の声が響く。
その声で、各々の席でパソコンに向かっていた青年二人が勢いよく立ち上がる。
片方は、しなやかな金髪に深い青色の美しい瞳をし、その腰に刀を携えた青年。三伏。
そしてもう片方は、肩につくほどの艶のある黒髪をし、左右で微かに色が違う瞳が印象的な青年、菊花。
瞳の色が違う理由は、隻眼で生まれた彼の右目に義眼がはまっているからだ。
彼等が三伏と菊花。
異常異能者の通報のあった西地区の担当者である二人は、迅速に現場に向かう。
ここで、まずキミ達に異常異能者について説明しておこう。
この世界には、一部の人間にのみ発現する異能という人智を超えた力が存在する。
異能を持った人間は、異能者と呼ばれ管理される。
だが、大いなる力を持つ者が、何も善人だけとは限らない。悲しいことだが、その力を扱い、悪事を働く犯罪者がいる。その総称こそが異常異能者である。
菊花達は、そんな異常異能者を取り締まり、非異能者である民間人の安全を守るため、異能者によって構成された組織。『|Quattuor Anni Tempora《クウァットゥオル アンニー テンポラ》』通称、『QAT』。
その日本支部、その中でも関東支部に属する異能者だ。
「俺は非異能者の保護を優先する!お前は異常異能者の無力化を!」
現場に急行した三伏が菊花に叫ぶ。
どうやらこの異常異能者の異能は、非異能者、異能を持たない人間を意のままに操るものらしい。
操られた人々は、まるでゾンビのように意思もなくただ一直線に歩いている。
だが、三伏と菊花を視認するや否や。操られた非異能者達は、二人へと一斉に襲いかかってきた。
襲いかかってくる人の群れに、三伏が臆することなどない。冷静に抜刀した刀の峰で、的確に彼等の意識を落としていく。
菊花は、三伏が割った人の群れを糸を縫うように駆けていく。
一番奥。人の群れに隠れ、怯えたように、しかし妙な自信があるような出で立ちの男を菊花は見つける。
この男こそ、この事態を起こした張本人。
人を操る力を持って生まれたせいか、本来ならば抑えるべき支配欲がいたずらに増殖し、やがて今回の凶行に走った異常異能者だ。
「おれに近寄るなッ!」
男は、人の群れを逆行し、自身に近づく菊花に気づいた。
瞬時に、菊花が異能者であり、自身では操ることができないことも理解したのだろう。男は怯えたように、半狂乱の叫び声をあげた。
男の叫びに共鳴したように、操られた人の群れが三伏を無視し、菊花に群がる……その寸前に。菊花が男の顔を鷲掴んだ。
「一夜新霜、著瓦輕。」
突如、菊花の周囲に霧が立ち込める。
一見すれば無害そうな淡く、美しい菊の花が咲いたような霧が広がる。
だが、その霧を吸い込んだ瞬間。男は突如脱力し、地面に伏す。
そして、男に続くかのように周囲の人間達もまるで線が切れた操り人間のようにバタバタと倒れだした。
これは、菊花の異能。『一夜新霜 著瓦輕。』
自身の周囲に催眠効果のある霧を発生させ、霧を吸い込んだ対象を昏睡状態に陥れる効果持っている。
その効果を利用し、菊花は異常異能者含め、操られていた周囲の非異能者達の無力化を成功させた。
「巻き込まれた非異能者の数が多いな。春風さんに応援を頼む。」
三伏は、菊花の異能で発生した霧を吸い込まないよう口元を抑えながら、周囲を見渡す。
倒れている人々を踏まないように、器用に跳び越えている。
そうして、すぐに異常異能者を拘束している菊花の元へやってきた。
「あぁ。」
三伏の言葉に肯定をしながら、菊花は立ち上がる。
「春風さんが来るまで、ここは俺が見る。」
君は先に戻って報告書の作成を頼む。
三伏の言葉に頷き、菊花は一人先にQATのオフィスへと戻っていく。
「なんや。早かったやんけ。ぼちぼちワイが出てみぃんないてこましたろかと思っとったところや。」
オフィス街に並ぶビルの二十階。QAT関東支部のオフィス。
自席に戻ろうとした菊花に、クセの強い関西弁が飛んでくる。
その男は、堂々と菊花の席に座っている。それどころか、行儀の悪い姿勢で足を机の上に上げている。
菊花の机の上で整頓されていた書類達は、男の踵によってくしゃくしゃに踏み潰されている。
しかもこの男、こんな状態で更に堂々とタバコまで吸っている始末だ。
このオフィスは禁煙である。男の行動はマナー違反どころかルール違反だ。
だが、誰も彼に注意することはできない。
糸目に眼鏡。ニマニマと人を馬鹿にしたような表情。厭味ったらしく関西弁を話すこの男の名は、早々。
何故誰も早々に注意ができないのか。
それは、QAT関西支部からここ関東支部に派遣された、いわゆる助っ人であるからだ。
しかも、ただの助っ人ではない。
元々、実力主義で知られている関西支部のボスに最年少で就任した、恐ろしい実力者だ。
「どうせ、また生ぬるい拝啓のやり方真似して誰も殺してへんねやろ?」
早々が立ち上がり、菊花の前に立ち塞がる。菊花の眼前に火のついたタバコをゆらゆらと近づけると、嫌味な言い方を続ける。
「ワイの関西支部やったらそないなこと許されへん。異常異能者に何したって誰も何も言わへんし、殺してもうてちょうどええくらいや。」
それがいつまでたってもわからへんみたいやな。
タバコの灰が、菊花の頬を掠め、床に落ちる。
早々の煽りによって、場には緊張が走っている。
事務員の女性は、怯えた様子でそそくさと別室に移動していく始末だ。
「早々さんの言う通りですよ。異常異能者には、何をしてもいい。強いほうが偉い。常識です。貴方が真似る拝啓さんのようなやり方は、根本的な解決にはなりません。」
そこに、早々の意見に賛同する敬具が現れ、更に菊花に苦言を呈す。
菊花は早々と敬具を睨むばかりで、何も言い返しはしない。
だが、誰にも怪我をさせず解決した菊花の行動を、そして拝啓のやり方を、貶すような言い方には確実に怒りが見える。
周囲には一触即発の空気が漂う。
そんなとき、突如オフィスの扉が開かれる。
「揃いも揃ってなんで入り口に立って……。邪魔……あぁ、早々さんここは禁煙です。」
場の緊張をものともせず、声を発したのは、たった今現場から戻ってきたばかりの三伏だ。
突然現れた生真面目で面倒くさい三伏の言葉に毒気を抜かれ、早々は大きな舌打ちをする。
そして、あっさりとタバコの火を消しながら、自らの席に戻っていく。
何となく事態を把握したのか。君も帰ってすぐに災難だったな。と三伏が菊花に声をかけ、自身の席に戻っていく。
「菊くん。ありがとう。お手柄だったわ。」
菊花がやっと席に戻り、早々に崩された書類を整えた後。
報告書を書いていた菊花に、淡いピンク色の長髪をした、柔らかい雰囲気の女が話しかけた。
彼女は春風。異常異能者の情報の取りまとめを行っているQAT関東支部の諜報員だ。
「貴方が、彼が最悪な事態を起こす前に迅速に無力化してくれたおかげで怪我人もでなかったの。ボスにもそう伝えておくわ。」
菊花はその言葉に深く頷く。
QAT関東支部のボスについて。名前を拝啓といい、菊花の敬愛する人物である。
そして、日本に存在するQAT支部全体の統括も行っている。
よほど捻くれた見方をしなければ、誰もが認める人格者だ。そんな人物に功績を伝えられることは、出世に興味がない菊花としても嬉しい。
まぁ、菊花にはそれ以外の理由もあるのだが……。
「そ、それにしても……。」
談笑していた菊花と春風に、オドオドとした声音で、声がかかった。
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