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26 みんなの中にある、ぼくの輪郭

 今日の『Café Catalyst』は、臨時の定休日。


 わたし、星野かなたは、最後の一人が到着するのを待っていた。


 いつものテーブルや椅子は隅に寄せられ、店内の中央にはささやかなステージが作られている。


 もっと広い場所を借りることもできたはずだけど、きっとここが一番いい。


 ひかりお姉ちゃんが、本当の自分を取り戻すための、大切な『触媒』になる場所だから。


 ステージ袖では、あきらさんとつむぎさんが静かに準備を終えている。その表情は真剣そのものだ。


「あとは、ひかりさんだけですわね」


 まどかちゃんが、少し不安そうな声で呟く。


「大丈夫だよ。『大切な話がある』って伝えてあるから」


 わたしはそう答えたけれど、心のどこかで考えてしまう。


 もし、ひかりお姉ちゃんが来なかったら?


 それは、もう彼女が「あまりん」として、わたしたちの手の届かないところへ行ってしまったということかもしれない。


 でも、もし来てくれたなら……まだ、希望はあるはずだ。


 ちりん――。


 その時、静寂を破ってドアベルが鳴った。


「あれ? みんな、どうしたの? 今日はお休みじゃなかった?」


 入ってきたのは、紛れもないひかりお姉ちゃんだった。


 けれど、その姿にわたしは息を呑む。


 キラキラと輝く大きな瞳、丁寧にセットされた艶やかな髪、ふわりと揺れる可愛らしい衣装。


 そして何より、彼女から放たれる圧倒的なオーラ。


 (すごい……もう、「あまりん」として完成しちゃってる……?)


 来てくれたことに安堵すると同時に、これからやろうとしていることが、本当に彼女に届くのだろうかと不安が胸をよぎる。


「ひかりさん。わたしたちは、あなたに見せたいものがあるんですの。ささ、こちらへ座ってくださいな」


 まどかちゃんが努めて明るく声をかけ、ひかりお姉ちゃんをステージ前の席へと促す。


「う、うん……?」


 戸惑いながらも席に着いたひかりお姉ちゃんの手には、いつものようにスマホが握られている。


 彼女が座ると同時に、店内の照明がふっと落とされ、ステージだけにスポットライトが当たった。


 さあ、はじまるんだ。


 ふと、ひかりお姉ちゃんのスマホが微かに振動した。


 通知だろうか。


 無意識に画面に目を向けようとする彼女の手を、わたしはそっと、でも強く押し留めた。


「ひかりお姉ちゃん。お願いだから、今だけは、ちゃんと見てて」


「かなたちゃん……? うん、わかった」


 わたしの真剣な目に、何かを感じ取ってくれたのかもしれない。


 スマホを手放しはしなかったけれど、彼女は顔を上げ、まっすぐにステージを見つめてくれた。




 ――あのはじまりの時が、今、再現される。


 ちりん、とベルの音が響く。


 ステージに現れたのは、少し照れたような表情を浮かべた、一人の男の子。


「いらっしゃい、ひかりくん。今日もよろしくね~」


 つむぎさんが、カウンターの中から声をかける。


 その声色、仕草、雰囲気は、まるで時間が巻き戻ったかのようだ。


「お疲れ様です。……って、つむぎさん。その服はなんですか?」


 男の子――あきらさんが演じる「ひかりくん」が、困惑したように尋ねる。


「ふふ。ちょっとね、メイドイベントをやろうと思って」


 つむぎさんが悪戯っぽく笑う。


「それで、ひかりくんにもお願いできないかなって思って、これ」


 差し出されたフリルのついたメイド服に、「ひかりくん」はあからさまに顔を引きつらせた。


「いや、ぼく、男ですよ? さすがに無理でしょ、こんなフリフリ……」


 ……すごい。


 言葉遣い、声のトーン、困ったときの眉の寄せ方まで、そこにいるのは紛れもなく「あの頃の」ひかりお姉ちゃんだ。


 見た目だけじゃない。あきらさんは、ひかりお姉ちゃんのことを誰よりも深く見ていた。


 そしてそれ以上に、理解しようとしてきたんだ。


 あきらさんの中には、ひかりお姉ちゃんが確かに存在している。


 つむぎさんの再現も完璧だった。


 あの頃のように、少し強引に、でも楽しそうに「ひかりくん」を巻き込んでいく。


 ステージは進み、「ひかりくん」はメイド服に「着られ」、戸惑いながらも、その優しさで人々を癒していく。




 そして、わたしの出番が来た。


 ステージに上がり、わたしは「ひかりくん」に向き合う。


 初めて会った日、メガネについて話した、あの時の台詞。


「クラシカルな丸メガネって、優しくて押しに弱いイメージが強いから……もしかしたら、服のイメージが影響しているのかもね」


 場面は変わり、花火大会の帰り道。


 体質のことで悩む彼に、わたしがかけた言葉。


 ――それは、今いちばん言いたかった言葉。


 その事実に、胸の奥が熱くなる。


「わたしにできることがあったら、いつでも言ってね……っ……ひかりお姉ちゃん」


 思わず声が震えそうになるのを、必死でこらえる。


 泣いちゃだめ。ちゃんと、あの時のわたしを再現しなきゃ。


 わたしにできることなら、なんだってする。


 だから、お願い。思い出して。本当のあなたに戻ってきて。


 魔法少女、歌のお姉さん……ひかりお姉ちゃんが様々な服に「着られ」ていく。


 その度に誰かを笑顔にし、幸せにしていく姿が、次々とステージ上で再現されていく。




 そして、あの巫女さんの場面。


 厳かな神社のセットの中に、巫女装束に身を包んだ「ひかりくん」が佇んでいる。


 そこに、一人の女性が現れた。


「すみません、交通安全のお守りをいただけますでしょうか」


 そう、あの日、ひかりお姉ちゃんに救われたという、あの女性。


 この再現のために協力してくれたのだ。


 巫女姿の「ひかりくん」が、優しく、そして少しはにかみながら言う。


「……きっと大丈夫ですよ。神様も、きっとあなたの不安を取り除いてくださると思います」


 それは、SNSでバズる「あまりん」ではない。


 ただひたすらに、目の前の誰かのために心を尽くす、「天川ひかり」そのものの姿だった。


 客席のひかりお姉ちゃんをそっと見ると、彼女はもうスマホのことなど気にも留めていなかった。


 その目はステージに釘付けになり、瞬きもせず見つめている。


 まるで大切な記憶を一つたりとも逃さないように。




 場面はフィギュアスケートのリンクへ。あきらさんとの出会いのシーンだ。


 あきらさん役は、つむぎさんが演じている。これもまた、完璧な再現だった。


 さすがは元舞台俳優だ。


 カフェのみんなが、それぞれの形で、ひかりお姉ちゃんを取り戻そうと力を尽くしている。


 その想いが、ステージからひしひしと伝わってくる。


 そして、物語は核心へ。


 あきらさんを救うと誓った、あの時の言葉。


 ステージ上の「ひかりくん」――あきらさんが、力強く、そして確信に満ちた声で言う。


「ぼくは……絶対にあきらくんを救う方法を探す」


 その声は、過去の再現でありながら、まるで今、目の前で迷っているひかりお姉ちゃん本人に向かって語りかけているようだった。


 その瞬間、客席のひかりお姉ちゃんの表情が、はっきりと変わった。


 大きく目を見開き、何かを必死に思い出そうとしているかのように。


 その瞳の奥が揺れ、まぶたの端には、光る雫が浮かんでいるように見えた。


 (……気づいてる。ひかりお姉ちゃんは、もう気づき始めてるんだ。自分が、本当は何者なのか)


 ならば、最後の一押しは――。




 わたしたちは、あの日行われた、あきらさんとの結婚式を再現する。


 新郎のあきらさん役は、あきらさん本人。


 そして、新婦のひかりお姉ちゃん役は……まどかちゃんが務める。


 厳かな音楽と共に、結婚式が始まる。誓いの言葉の場面。


 まどかちゃんが演じる「ひかりくん」が、緊張した面持ちで口を開く。


「え、えっと……ぼくは、この結婚式が――あきらくんのために……なればって……」


 あの時の台詞。


 けれど、それは完璧な再現ではなかった。


 声は上ずり、視線は泳いでいる。


 もちろん、まどかちゃんは精一杯演じてくれている。


 でも、それでいい。だからこそ、これが最後の一手になる。


「……ちがう」


 客席から、か細い声が漏れた。


 ひかりお姉ちゃんだ。


「ちがう……ちがうよ……!」


 彼女はもう、流れる涙を隠そうともしていなかった。


 頬を伝う雫が、スポットライトに照らされてきらめく。


 そう、思い出して。


 あの時、あの場所に立つべきだったのは誰なのか。


 あの時、確かにあきらさんの隣で、彼を救うと誓ったのは、誰だったのか。


 ステージ上では、お色直しを終えた「二人」が再び登場し、物語はクライマックスへ。


 あの時の、オーバーロード作戦の再現。


 あきらさん役のあきらさんの体が、ぐらりと大きく揺れる。


 苦痛に顔を歪め、その目は、客席にいるただ一人――「天川ひかり」に向けられていた。


 ――そして。


「あきらくんっ!」


 叫び声と同時に、ひかりお姉ちゃんが席を蹴って駆け出した。


 ステージへ。今、彼女がいるべき場所へ。


 そう、物語の語り部は、「天川ひかり」は、帰ってくる。





 「ぼく」は、ステージの上に駆け上がっていく。


 溢れる涙で視界はぼやけて、何度もつまづきそうになる。


 でも、そんなのは構わない。そこが、ぼくのいる場所だから。


 目の前には、苦しそうに膝をつくあきらくんがいる。


「やあ。……来てくれたんだね、ひかりくん」


 あきらくんが、穏やかに微笑む。


「うん……! ぼくは、ここにいる……!」


 そうだ。全部、思い出した。


 ステージで繰り広げられていたのは、紛れもない「ぼく」の物語だった。


 ぼくが、みんなと過ごしてきた、かけがえのない時間。


 ぼくが失いたくないもの。


 ぼくの中で、一番大切だったもの。


「ひかりお姉ちゃん!」


「ひかりさん……! 信じてましたわ!」


 かなたちゃんとまどかちゃんが、涙を浮かべながら駆け寄ってくる。


 ああ、みんなはずっと、こんなにも心配してくれていたんだ。


 分かっていたはずなのに。気づいていたはずなのに。


 どうしてぼくは、その気持ちに応えようとしなかったんだろう。


「ひかりくん、おかえり。このカフェは、いつでもきみの居場所だからね」


 つむぎさんも、優しい笑顔で迎えてくれた。ずっと、静かに見守ってくれていたんだ。


 そして――ぼくは、あきらくんに向き直る。


「あきらくん……。君が、全部考えてくれたんだね。ぼくのために……」


「そうかもしれないね。でも、僕はただ、信じていたかっただけだよ。天川ひかりという、僕を照らしてくれた光を。……だから、これは僕のためでもあるんだ」


 そっか……。「あまりん」をたくさんの人が求めてくれているのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、みんなは「天川ひかり」としてのぼくを求めてくれていたんだ。


 ぼくの口から、自然と感謝の言葉がこぼれる。


「……ありがとう、あきらくん」


 その声に、あきらくんは柔らかく微笑んだ。


 その顔は、夕陽みたいに綺麗で、きっと一生忘れることはないだろう。




「ひかりお姉ちゃん、これ……」


 かなたちゃんが、そっと何かを差し出す。ぼくのスマホだった。


 ――すっかり忘れていた。


 ついさっきまで、あんなにも大切で、見ていないと不安で仕方がなかったもの。


 でも、それはきっと、周りにあるもっと大切なものに気づけていなかったからだ。


 でも、今はもう――。


 「あまりん」は、確かにぼくの一部だけど、ぼくの全てじゃない。


 スマホの画面を開き、慣れた手つきで設定画面へ進む。そして、全てのSNS通知をオフにした。


「ひかりさん……?」


 ぼくの様子を、まどかちゃんが心配そうに見つめている。


「うん、もう大丈夫。ぼくは、ぼくのままでいたいんだ」


 それは、誰かに向けた言葉じゃない。ぼく自身の、力強い宣言だった。



* * *



 あれから、一週間が経った。


 ぼく、天川ひかりは、いつものように『Café Catalyst』でバイトをしていた。


 今は休憩時間。もちろん、男子用の制服を着ている。


 つむぎさんは相変わらずで、たまにかわいい衣装を手に入れては、ぼくに着せるよう仕向けてくる。


 でも、前と違って、ちゃんとぼくを保っていられる。


 あのあきらくんの笑顔、みんなの心配する顔、そして、つむぎさんの自然体。


 それらが確かにぼくを、ぼくに繋ぎ止めてくれている。


 そして、変わったことといえば――


「ひかりさん、最近あまりスマホを触っていらっしゃいませんわね」


 まどかちゃんが、不思議そうに声をかけてきた。


「うん。だって、まどかちゃんたちとこうして話してる方が、ずっと楽しいから」


「……っ! ひ、ひかりさんっ、あなたという人は、本当に魔性の魅力を……!」


 顔を赤くして俯くまどかちゃんに、ぼくは苦笑しながら続ける。


「だから、SNSも戻したんだ。みんなと話すための、ぼくだけのアカウントに」


「でも、あの『あまりん』のアカウントはどうするの? もう、すごいフォロワー数のインフルエンサーなんでしょ?」


 つむぎさんが、コーヒーカップを片手に尋ねてくる。


「うん……。これは、もう一人のぼく、なんだと思う。でも、ぼく自身ではないから」


「じゃあ、消しちゃうの?」


 かなたちゃんが、少し寂しそうに訊く。


 そっか、どうするかまでは考えてなかった。


 でも、このまま放置しておくのは、また何かのきっかけになってしまうかもしれない。


 かといって、あの時間が無意味だったわけじゃない。


 だから――。


「ううん、消さないよ。でも、ログアウトする。これは、ぼくが経験したことだから、なかったことにはしたくないんだ」


 久しぶりに、「あまりん」のアカウントを開く。


 プロフィール画面に表示されたフォロワー数は、25万人を超えていた。


 画面の中には、かわいくポーズを決めて微笑む「わたし」がいる。


 確かに、甘くて、キラキラした、楽しい時間だった。


「ありがとう。そして、おやすみ」


 小さく呟き、ぼくは「ログアウト」のボタンを、そっと押した。


 その瞬間、画面の中のアイコンが、ほんの少しだけ、かすかに頷いたような気がした。




 この体質も、ぼく自身の心も、きっと完璧じゃない。


 これから先も、服に振り回されたり、自分が誰なのかわからなくなるかもしれない。

 

 迷ってしまう日が来るかもしれない。


 でも、きっと大丈夫。


 ぼくがみんなのことを大切に思っているように、みんなもぼくのことを気にかけて、考えてくれている。


 ぼくという存在は、ぼくだけのものじゃなく、みんなの中にも確かに在るんだから。


 だから、もしまた道に迷っても、その時もきっと、ぼくは自分を取り戻せる。


 胸の中に生まれたその小さな確信は、少しだけぼくを前向きにしてくれる気がした。




 あまりん フォロワー数 129205→263229 (ログアウト)


(シリーズ2 完)



 



 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!


 全26話、この最終話まで読んでいただけたという事実に、ただただ感謝しております。


 服に"着られちゃって”、女の子になる。


 そんな不思議な体質があったら、どんな世界が広がるのか。


 そこからスタートした「ひかりくん」の物語は、一度ここで区切りとなります。


 メイド服、巫女さん、魔法少女、水着、猫耳、地雷系、VTuber……


 私自身も書いていてとても楽しかったです。


 感想や評価をいただけると、とても嬉しいです!


 この服がよかった!などの感想でも気軽にいただけると助かります。

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