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22 ”ぼく”にはもう戻れない!?あまりん生誕祭

 翌朝、柔らかな陽射しで目が覚めた。


 ふわり、と髪が肩に触れる感覚。


「あれ……?」


 そういえば、昨日は遅くまで音声配信して、そのまま寝ちゃったんだっけ。


 ぼんやりしたままベッドから起き上がり、洗面所へと向かう。


 冷たい水で顔を洗い、化粧水を手に取り肌に馴染ませる。


 ふと鏡を見ると、そこにはいつも通りの自分が映っている。


 (……ん?)


 ほんの少しの違和感。何かがおかしいような気がするけど、すぐには思い出せない。


 スマホの通知が次々と表示されるのを見て、昨日の配信が大好評だったことに気づく。


「ふふっ……わたしの配信、たくさん来てくれたんだ」


 自分でも驚くほど自然な「あまりん」の口調が口から漏れる。


 ごく自然にトイレを済ませ、何の疑問もなく洗面台の鏡の前に立った。


 髪型を軽く整えようと、鏡に手を伸ばしかけた瞬間――


「……え?」


 手が、ぴたりと止まった。


 鏡の中に映っているのは、見慣れた『ぼく』の顔じゃなかった。


 透明感のある白い肌、艶やかなセミロングの髪、細くてしなやかな首筋。


 きれいに揃ったまつ毛の奥にある瞳は、キラキラとした輝きを放っている。


 そこにいるのは間違いなく、昨晩、音声配信で大勢のファンを虜にした『あまりん』――女の子としてのぼく自身だった。


「え……なんで……?」


 思考が一瞬で真っ白になり、胸の鼓動が加速し始める。


 震える手でゆっくりと胸元に触れると、柔らかなふくらみが手のひらに確かな重さを伝えてくる。


「……!」


 心臓が大きく跳ね上がり、顔が一気に熱くなった。


 慌てて自分の姿を確認すると、ふわりと軽やかな感触のかわいらしい女の子の服を着ていることにようやく気づいた。


「な、なんで気づかなかったの!?」


 急に焦りが湧き起こり、慌てて服を脱いでいく。


 頭の中で、もしもこのまま戻らなかったら――という不安がよぎったけれど、それを振り払うように服を脱ぎ捨てた。


 ドキドキしながら、自分の身体を見つめる。


 すると、まるで最初からそんな不安などなかったかのように、身体はゆっくりといつもの男子の姿へと戻っていった。


「戻った……よかった。でも……」


 気づかなかった。


 あまりにも、自然に「あまりん」として過ごしていた。


 背筋に冷たいものが走る。


 ぼく、どうしちゃったんだろう。


 このままじゃ、まずい……




 いつものバイト、いつものカフェ。


 (もう絶対女の子になっちゃだめだ……)


 テーブルの上には、つむぎさんが用意した女の子用の新しいバイト制服が用意されている。


「ひかりくん、試着してくれたりする? 絶対似合うし、宣伝用に!」


「……ごめんなさい、もう着れないんです」


 ぼくは、はっきりと拒否した。


 つむぎさんが驚いたようにぼくを見る。


「あ、うん。ひかりくんが嫌なら大丈夫だけど……どうして……?」


「今日は、そういう気分じゃないんで」


 いつもなら、ちょっと拗ねながらも、なんだかんだで着替えてた。


 でも今日は違う。絶対に、何も身に着けない。変わりたくない。


 ぼくは、ぼくでいる。


 だけど――。


 スマホが震える。


 つい開いてしまうと、フォロワー数が9000人を軽く超えていた。


 その数字にくらっとする。


 も、もう止まらない……


 軽い気持ちから始まった「あまりん」のアカウント。


 最初は、数が増えていくのがくすぐったくて、でも、ちょっと誇らしくて。


 でも、いつの間にか変わってしまった。


 この数字は、いまやぼくの中の「あまりん」の大きさになってしまっている。


 そして、「天川ひかり」としてのぼくの手を超えて、成長していく。


 その気持ちよさがあまりに甘くて、脳を溶かす。


 だからこそ、必死で押し留める。


 (変わらない。もう、変わらないって決めたんだ……!)




 そんなことを思いながらカフェで接客していると、見慣れた顔が目に入る。


 「あきらくん!」


 嬉しくて、つい声をかけてしまう。


 昨日は恥ずかしくてつい席を立ってしまったけど、またすぐ会いにきてくれたことに、心が暖かくなる。


 「お店にまで来てくれるなんて、珍しいね」


 「うん、ひかりくんにどうしても言っておきたいことがあって」


 どきりとする。あの時、あきらくんが言おうとしたこと。


 それに向きあうのがなんだか恥ずかしくて、つい逃げてしまった。


 でも、それがとても大切な気がして、今度はちゃんと聞こうと思った。


 「ひかりくん、きみは僕を助けてくれたね。僕が誰だかわからなかったとき、きみは僕の向かう道を教えてくれた」


 「うん……」


 あきらくんの言葉に、少し驚いた。


 このアカウントのことを注意されるんじゃないかと思っていたから。


 あきらくんは続ける。


「きみの進む道がわからなくなった時、いつでも相談してほしい」


「うん、ありがとう」


 真っ直ぐな言葉に、胸の奥が熱くなる。


「あきらくん、あのさ……」


 アカウントについて切り出すか、迷う。


 あまりんを、どうしたいのか。どうすればいいのか。


 でも、それを自分自身で考えるのが大切な気がして、言葉を飲み込んでしまった。


「ううん、なんでもない……」


 あきらくんはまるで全てを見透かしたように言う。


「きみの進みたい方に進んだらいい。それでもひかりくんが迷ってしまう時があったら、僕が力になるよ」


「うん、ありがとう」


 ぼくの心が、少し軽くなった気がした。




 あきらくんが帰った後も、スマホは、ずっとカバンの奥。


 通知音がなるたびに胸が跳ねるけど、見ないようにしている。


 でも……。


 頭の奥に、あの甘い声が囁くように蘇る。


 『変わりたいんじゃないの?』

 『見られたいって、思ってるんでしょう?』


 (違う、違う……!)


 なのに、身体の奥で何かが溜まっていく。


 着なかった女の子の服。目を背けたフォロワーたち。


 ――そのすべてが、“あまりん”を閉じ込める代わりに、静かに、ゆっくりと心の奥に積もっていく。


 (……こんなはずじゃなかったのに……)


 自分の中に、もうひとつの“わたし”が、熱く、ゆっくりと膨らんでいくのを、どうしても否定できなかった――。


 でも、このままなら、大丈夫かもしれない。


 ぼくはぼくのままでいられる。


 何もしなければ。


 だけど、ぼくの中の何かは、押さえつけているのに――


 いや、押さえつけているからこそ、破裂寸前で。


 何かひとつでもきっかけがあれば、全てが変わってしまいそうで。


 (大丈夫……何もなければ……)


 ふと、目を背けていたはずのスマホが振動し、小さく画面が点灯する。


 『あまりん、だいすきです。今度手術なので、がんばってって言ってほしいです』


 心臓が、跳ねる。


「……っ!」


 あまりんが、人を幸せにできる。


 胸の奥で、何かが弾けそうになる。


 ――ああ、もうダメだ。


 押さえつけてきたものが、一気に溢れ出す予感に、ぼくは震える指でスマホを掴んでしまった。




 気づけばスマホをセットし、配信ボタンを押していた。


 特別な服も、メイクもしていない。今回は、かわいいピンクのヘアピンだけ。


 ヘアピンだけなのに、完全に女の子になってしまっていた。


 ――カメラの前に座った瞬間、身体中が熱く脈打った。


「みんな……こんあまりん……♡」


 声を出すたび、身体が震えるほど甘く心地よい。


 (やば……っ! 今までと全然違う……!)


 髪が、肌が、輪郭が――今までより遥かに鮮明に、圧倒的なかわいさを纏っていく。


 心臓がとくん、と高鳴り、指先までじんわり温かくなる。


 まるで、女の子になることを身体そのものが喜んでいるように。


 (服も小物も普通なのに、どうして――!?)


 でも、そんな疑問さえ溶けて消えてしまうほどに、全身が歓喜している。


 柔らかく膨らんだ胸元は、息をするたび、優しく心を撫でるような幸福感を届けてくる。


 さらさらと頬に触れる髪の感触も、甘く心地よい。


 ――ずっと我慢してきたから。


 ずっと閉じ込めてきたから。


 その反動が、堰を切ったようにぼくを襲った。


 コメント欄は爆速で流れている。


 『えっ、今日のあまりん、史上最高じゃない?』

 『神回だ……』

 『可愛すぎて現実感ない……』


 称賛の嵐に、ぼくの頭はふわふわして、身体の芯から痺れる。


 (ああ、やばい……これ、気持ち良すぎて頭おかしくなりそう……っ)


 抑えつけてきたものが、どんどん溶け出していく。


 身体が、心が、女の子として存在することを嬉しがり、弾けそうに喜んでいる。こんな感覚、初めてだ。


 そして、あのメッセージを読み上げた瞬間――。


「あ……手術、がんばってね。わたしが、ずっと応援してるよ」


「だから、明日も、明後日も、会いに来てね♡」


 それは、自分自身への約束に聞こえた。


 甘ったるい自分の声が、脳内に何度も反響する。


 視界が甘く滲んで、思考が焼き切れていく――。


 女の子としての自分を肯定され、愛されることが、こんなにも心地よく、温かいなんて。


 そして、何より。わたしがみんなを幸せにしてる。


 “ぼく”がしたかったことが、できてしまう。


 だからーー


 (もう、戻れないかも……!)


 でも、それでいい。


 今まで我慢した分、もっと愛されて、もっと見つめられたい。


 スマホ越しの視線、流れ続けるコメントの熱狂、全てがあまりにも気持ちよくて――。




 ふと、新規フォロワー通知。その数が10000を超えた。


 その瞬間、何かが決定的に変わった気がした。


 ”ぼく”が、確かに裏側になるのを感じる。


 心の声が聞こえてくる。


 『今日は、本当のわたしの誕生日だね』


 ――でも、本当にこれでいいの……?


 ほんの一瞬だけ、“ぼく”の声が揺れた。


 だけど、その迷いはすぐに甘くて優しい囁きに溶かされてしまう。


 『いいんだよ……だって、こっちのほうがずっと幸せでしょ? わたしも、みんなも』


 その声は、もはや自分のものだった。




 あまりん フォロワー数 5800→10500




 ここまで読んでいただきありがとうございます!


 ものすごいフォロワー数とともに、とうとうあまりんが「表側」になってしまったひかりくん。


 このまま飲み込まれてしまうのか? ひかりとあきらくんとの関係は?


 次回更新をお楽しみに!

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