15 この喫茶店は、つむぎさんの想いの結晶?伝説のウェイトレス、復活!
「ひかりくん、オーダーお願いね〜」
店長のつむぎさんがカウンター越しに声をかけてくる。
いつも明るく接してくれる彼女は、ぼくにとって頼れる“お姉さん”のような存在だ。
ホールで接客をしていると、常連さんたちの会話が耳に入る。
「いやー、やっぱりここは落ち着くよな。つむぎさんの雰囲気も相まって」
「そうそう。それに、なんだか懐かしい感じもするんだよね……ああ、“リュクス・フルール”を思い出すな」
「あそこは良い店だったよなあ。サービスが一流で……まさに“伝説のウェイトレス”だった」
ちらりと聞こえた“リュクス・フルール”という名前。そういえば、つむぎさんの過去についてはあまり知らないかも……。
(しかも、“伝説のウェイトレス”……?)
そんなことを考えていると、同じカフェに来ていたまどかちゃんが、小声で話しかけてきた。
「ねえ、ひかりさん。この伝説のウェイトレスって、もしかして……」
まさか、つむぎさん!? そう思ったぼくは、意を決して訊ねてみることにする。
「あの、つむぎさん……。“リュクス・フルール”ってそんなにすごいお店だったんですか? しかも、伝説のウェイトレスって……」
おずおずと問いかけると、つむぎさんは苦笑いを浮かべた。
「そうね。当時は雑誌にも載るくらい有名な喫茶店だったの。もう何年も前に閉店しちゃったけど……。ただ私は、ほんの短い間いただけで、大したことはないのよ」
そう言いつつ、どこかバツが悪そうな表情だ。まどかちゃんとかなたちゃんも「気になる……」という顔をしている。
そこで思い切って、ぼくは提案を切り出した。
「ねえ、せっかく“Café Catalyst”には常連さんも多いし……。1日限定で、その“高級喫茶”を再現してみませんか?」
「えっ、ここで……“リュクス・フルール”を?」
驚いた顔をするつむぎさんに、ぼくは勢い込んで続ける。
「はい。昔を懐かしむ常連さんにも、きっと喜んでもらえると思うんです」
「うわあ、面白そう! つむぎさんも、着ますよね!」
かなたちゃんが目を輝かせる。だけど、つむぎさんは眉を寄せて少し困ったようだ。
「えっ……い、いや、わ、私はいいのよ! もう年も取ったし、あの頃の制服なんて今じゃ恥ずかしいし……」
どうにも及び腰なつむぎさん。その様子を見て、まどかちゃんがぼくに耳打ちする。
(まずはひかりさんが当時の雰囲気を再現して、イベントが盛り上がってきたら……きっとつむぎさんも“本気”を出したくなるはずですわ)
(え、やっぱりぼくが着るの!?)
結局、こういう流れになるのか。
でも、ぼくらだけでコソコソ話していると、なんだかワクワクしてしまう。
そしてあっという間に準備期間は過ぎ、迎えたイベント当日。
「Café Catalyst」の店内は、いつもよりクラシカルな装飾が施され、落ち着いたトーンの音楽が流れている。まるで高級喫茶に迷い込んだような雰囲気だ。
「じゃ、じゃあ……ぼく、着替えてきますね」
ロッカールームに用意されていたのは、白いブラウスにダークグリーンを基調とし、金色のボタンが並んだジャケット。
そしてフリル付きのエプロン。洗練されたデザインが漂っている。
(……これが、つむぎさんが着ていた制服、なんだ)
さらにシンプルながらも女性らしさのあるヘアアクセサリーがアクセントとして用意されていて、とてもおしゃれだ。
(今回は、これを先につけてみようかな)
いつもと違い、ヘアアクセサリーを先につけてみる。
すると、首筋からゾワッと静電気が走るような刺激を感じた。
細くなっていく指先。
(……?)
え、もう変身が始まってる? まだ服を着てないのに、まさかアクセサリーだけで……?
これまではそんなことなかったはず。けれど――
(いや、気のせいかも……)
不安を振り払うように、急いで制服を身につける。
すると、腰が細くなり、髪が伸びて、鏡には高級喫茶の完璧なウェイトレスが映っていた。
白のショートグローブをはめると、指先まで洗練された動きが自然に身につく。
まるで長年この制服を着こなしてきたような感覚だ。
「さすがですわね。いつもより、細部まで気品を感じますわ……!」
まどかちゃんが思わずため息をつく。
「……なんだか、常連さんが見せてくれた昔のつむぎさんの写真、そのままみたい」
かなたちゃんがぽつりと呟くと、つむぎさんは落ち着かない様子でキッチンの準備を続けている。
どうやらまだ“自分も着る”気にはなれないようだ。
そしていよいよ店を開けると、常連のお客さんたちは「わっ……!」と驚きと感動の表情で、完璧接客モードのぼくを見つめてくる。
「いらっしゃいませ。本日は“特別なひととき”をご用意しております。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
優雅に一礼し、椅子を引いてご案内する。声色も自然と高くなり、あの高級喫茶を彷彿とさせるかのようだ。
「す、すごい……本当に“リュクス・フルール”を思い出すよ。あの動き、そのままじゃないか?」
目を丸くする常連さんたち。ぼく自身、イメージ通りに身体が動くのがわかる。
(やっぱり……前より体質を使いこなせてるのかも?)
かなたちゃんやまどかちゃんから聞いた高級喫茶の情報、そして常連さんの雑談から得たイメージが、見事に接客や仕草に反映されていく。
ぼくが中心となって接客を続けていると、お客さんたちの熱気はますます高まった。
「すごい! 姿も声も、まるであのお店がそっくりそのままタイムスリップしてきたみたいだ」
かなたちゃんやまどかちゃんも、うっとりとぼくの動きを眺めている。
その様子を見つめながら、つむぎさんは静かに息をのんでいた。
(つむぎさん……?)
いつもの余裕たっぷりの笑みではなく、ほんの少し唇を噛みしめて、じっとこちらを見つめている。
不機嫌というよりは……どこか悔しそうで、それでも懐かしそう。何かを確かめたいような瞳だ。
そして、つむぎさんがふっと小さく笑う。
「……ふふっ」
それは楽しげな笑み。でも、ただ眺めているだけの人の笑みじゃない。
(まさか……)
「少し、待っててね。私も、やるから」
その言葉を聞いた瞬間、ぼくの背筋にゾクッとしたものが走った。
つむぎさんはすっと立ち上がり、迷いのない足取りでロッカールームへ向かう。
(……本気だ)
息をのむ。これはただの“再現イベント”ではなくなる。
今、この瞬間に“伝説のウェイトレス”がもう一度蘇るのだ。
つむぎさんがホールに戻ってくる。
一瞬だけ頬が朱に染まるが、そのわずかな気恥ずかしさもすぐ消え、凛とした声が店内に響く。
「いらっしゃいませ。本日は特別な時間をお過ごしいただけるよう、心を込めておもてなしいたします」
その声が響いた途端、店全体の空気が変わった。
先ほどまでの照れは消え失せ、背筋はすっと伸び、まるで滑るように歩く姿。
カップを置く動作は羽根が舞い降りるかのような優雅さを帯びている。
「……うそ、これが、あのつむぎさん……?」
かなたちゃんが小さくつぶやく。
そこに立っているのは、ただの“再現”ではない。まさしく“伝説”のウェイトレスそのものだった。
常連さんの一人が、ため息混じりに声を上げる。
「おお……これぞ、あの“リュクス・フルール”のときの……!」
つむぎさんは柔らかく微笑みながら、一人ひとりに丁寧に声をかけ、注文をとり、ときには軽く雑談を交えていく。
ぼくもそれに呼応するように、店内の空気をより優雅にして、お客様をもてなす。
二人のウェイトレスが揃って生み出す光景は、かつてを知る常連さんの記憶を軽々と超えていくほど輝いていた。
やがてイベントはクライマックスを迎え、店内は大盛況のまま幕を下ろす。
イベント後、かなたちゃんたちと休憩していると、常連さんの一人がスマホを見ながらつぶやいた。
「#CafeCatalyst のタグ、すごい盛り上がってるな。ほら、この写真、今日のイベントの様子だ」
画面に映っていたのは、完璧なウェイトレスのぼくの姿。
「本当に、あの伝説の喫茶みたいだな。あれ? これって……」
常連さんが写真をスクロールしていくと、「関連する投稿」から別の画像が表示される。
「……この子、同じ人じゃないか?」
そこに映っていたのは――まどかが投稿したゴスロリ姿の「あまりん」の写真。
(や、やばい……!)
ひっそりと作られたはずの「あまりん」アカウントが、まさかここで見つかるなんて。
「“あまりん”っていうのか……かわいいな。フォローしとこう」
「ちょっ……!」
慌ててスマホを覗き込むと、フォロワー数が……10、11、12……とどんどん増えていく。今日、何も投稿していないのに……!
「ひかりお姉ちゃん、着々とインフルエンサーへの道を歩んでるね!」
かなたちゃんが冗談めかして言うけれど、ぼくは焦るばかり。
何もしていないのにフォロワーが増えるなんて、まるで「あまりん」のアカウントが勝手に動き出しているみたいだ。
……だけど、ちょっとだけ嬉しい?
そんな自分に慌てて「まずいまずい」と言い聞かせ、スマホの画面を閉じる。
まだ十数人だし、カフェ関係の人たちばかり。
自分にそう言い聞かせて落ち着こうとする。
閉店後、片づけを終えたぼくらはホールのテーブルを囲み、ぐったりと腰を下ろした。
「はあ……今日はすごかったね。みんなお疲れさま」
男の姿に戻るため、衣装を脱いだぼくはいつもの格好になっている。
でもまだ、先ほどの華やかな空気が体に残っているような気がした。
「それにしても、つむぎさん、“本物”だったんですね」
まどかちゃんが悪戯っぽく言うと、つむぎさんは真っ赤になりながら手を振る。
「も、もうやめてよ。恥ずかしくて死んじゃう……。何年ぶりにあんな格好をしたと思ってるの!」
いつもの“姉御”っぽい余裕はどこへやら、照れまくるつむぎさん。
そんな彼女を見て、かなたちゃんがぽつりと「かわいい……」と言ってしまう。
「なっ、か、かわいいとか……誰が……!」
さらに赤面するつむぎさん。その姿が可愛くて、みんなクスクスと笑ってしまう。
しばらくして落ち着いたつむぎさんは、小さくため息をつき、今まであまり語らなかった過去を話し始めた。
「実は、“リュクス・フルール”で働いていたころ、私は舞台俳優を目指していたの。でも、結局その夢は叶わなかった」
「舞台俳優……!」
ぼくらは驚く。つむぎさんは苦笑いを浮かべながら続けた。
「私には、他に居場所がなかったの。俳優になることだけが、私の居場所だった」
でもね、と続ける。昔を思い出すような、遠い目。
「もしもう一つ帰れる場所があったなら――日常に戻れる拠り所があったなら、どれほど救われただろうって思ったの」
「だから、“Café Catalyst”を作ったのよ」
つむぎさんの瞳には、やわらかな光が宿っていた。
「“Catalyst”って、触媒って意味でしょう? 周りを変化させる存在。いろんな人が集まって、変わっていく場所にしたかったの」
ぼくの男から女への変身体質、そしてつむぎさんやみんなとの出会い。
思いを巡らせていると、つむぎさんがさらに続ける。
「触媒には、もう一つ意味があるのよね……」
「え、もう一つ……?」
「触媒それ自体は変化しないの。どれほど周囲を変えても、それ自体はそのまま。私の理想は、いつでも帰ってこられる場所――そういうカフェにしたかった」
その言葉に、ぼくはあたたかい気持ちになる。
どんなことがあっても「Café Catalyst」という名のカフェがあるからこそ、ぼくは何度でも元に戻れる。
「だから、このカフェをどうしても成功させたくて」
そう言って、つむぎさんはまっすぐぼくらを見つめる。
「ひかりくん、突然メイド服とか、魔法少女デーとか、無茶をさせちゃったこともあるよね。……ごめんね」
「つむぎさん……」
「でも、こうしてひかりくんたちが楽しそうにしてくれるのを見ると、本当に嬉しいの」
寂しげな雰囲気をにじませながらも、つむぎさんの微笑みはとてもあたたかい。
いつも楽しそうで落ち着いた大人の女性……そんな彼女に、意外な過去があったなんて。
それでもなお笑って、ぼくらを支えてくれている。こんなに強い人だったんだ、と胸が熱くなる。
「いえ、ぼくも“女の子の服”を着ることに慣れてきて、いろんな自分を知るきっかけになったと思います。これからもみんなで盛り上げていきたいですよ、“Café Catalyst”を」
そう伝えると、つむぎさんは照れくさそうに、でもほっとしたように笑った。
(このカフェは、つむぎさんの想いそのものなんだ……)
“触媒”としてのカフェが、ぼくらを受け止めてくれる。
変化を恐れなくても、ちゃんと帰ってこられる場所がある。
けれど、ぼくはふと思い出す。
さっきの変身……ヘアアクセサリーをつけただけで、少しずつ女の子化が始まってしまったような気がする。
そして、「あまりん」のアカウントが、今日また数人のフォロワーに見つかってしまったこと。
フォロワー追加の通知がなぜかくすぐったい。
慌ててかき消そうとしても、心の奥が少しだけうれしいような……。
「……いやいや、これはマズいんだってば」
そう言い聞かせながらスマホをしまう。
けれど、まだ十数人くらいなら平気……と、どこかで思ってしまう自分もいる。
変わらない場所で、変化していく自分。ぼくはそれをほんの少し感じながら、こそばゆい気持ちをそっと胸に抱いていた。
あまりん フォロワー数 3 → 15 (Café Catalystの常連さんが追加)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
今回は、つむぎさんの知られざる一面に迫る回でした。
彼女の名前には、“物語を紡ぐ”という意味を込めています。
そして、ひかりくんの変化のきっかけとなる“トリガー”のような存在でもあります。
次回も、またかわいい服に“着せられる”展開が待っています……!?
どうぞお楽しみに!




