12 世界が服に着られる!?あきらくんを救う“最後の作戦”!
新都高度脳科学研究所――前に門前払いを食らった、あの場所。
しかし今日は受付で僕の名前を言うと即座に通され、複数のセキュリティゲートを抜けて、広い会議室へ案内された。
「案外すんなり入れるんだね」
かなたちゃんが首をかしげる。
「逆に言えば、それだけ急を要してるってことかもしれませんわ」
まどかちゃんも真剣な表情だ。
あの鉄壁の門で門前払いを食らった場所。それなのに、今朝、突然の呼び出し。
これは……ただ事ではない。
電話が来た時のことを思い出す。
(「天川ひかりさんでしょうか。新都高度脳科学研究所の如月と申します。大至急お話ししたいことがありまして……。ご足労をお願いしたいのですが」)
会議室には白衣姿の研究員が数名いたが、その中心にいたのが、電話をくれた女性研究者・如月さんだった。
長い黒髪を後ろで束ね、知的な眼差しを湛えたクールな印象。
同時に、テーブルの上で自分のコーヒーに角砂糖を三つも入れてかき混ぜているところを見ると、意外と甘党らしい。
「私は“Loom Project”を担当している、新都高度脳科学研究所の如月 玲です。
――“Loom Project”は、完成形であるあきらさんを中心とした研究そのもの。彼の制御こそが、 現在の目標でなのですが――」
如月さんは“現在の”という部分を強調するように口にした。
けれど、その声色の端々には、まるで「先に別の目的がある」ような含みを感じさせるものがあった。
如月さんはスプーンを静かに置くと、まっすぐこちらを見据えた。
「早速ですが、本題に入らせてください」
――その目にはただならぬ緊迫感が宿っている。
「実は、あきらさん――“完成形”のL-LLMを持つ彼に、深刻な問題が発生しつつあります」
「深刻な問題……?」
「今までは、そこまで大きな問題はなかったのですが……」
「ここ数週間で、あきらさんの“影響範囲”は指数関数的に拡大しているんです。
これまでの“小さな変化”とは違い、今は周囲の認識そのものを塗り替えるほどの力になりつつあります」
「周囲に”変化”……つまり、あきらくんの体質は、本人だけにとどまらないってことですか……?」
「その通りです。例えば、コスプレイベントやハロウィンなど、“服”を意識する場面が増える時期に、あきらさんが不安定な状態でいると……その影響が世間に波及する恐れがあります」
先日のあきらくんの様子を思い出す。
まるで、近づかれて「何かが起こってしまう」のを恐れるように見えた。
「大至急呼んだのには理由があります」と如月さんが言う。
「このままでは、1週間後の『国際コスプレフェスタ』で、あきらさんの影響が爆発的に拡散する恐れがあります!」
国際コスプレフェスタ。数万人が参加するという、大きなコスプレイベントだ。
「つまり、その数万人の参加者が“コスプレのキャラに最適化”されてしまうということですの!?」
一瞬、沈黙が落ちた。信じられない事態に、全員が言葉を失っている。
如月さんが深刻な顔で頷く。
「はい。メイド服の人は実際にメイドさんになり、騎士の衣装の人は本物の騎士になってしまうかもしれない」
「……このままでは、歴史的な大混乱になるでしょう」
「え、それって……リアル『服に着られる』パンデミックじゃん!?」
つむぎさんが素っ頓狂な声を上げ、僕たち全員が息を呑む。
「マズい……絶対止めなきゃ……!」
こんなことが……事の重大さが、じわじわと実感となって現れる。
「でも、そんなになるまで、なんで研究所はあきらくんを放置していたんですか? 契約を解除してまで……」
ふと、疑問に思ったことを言ってみる。
「最初は、ほんの軽微な漏出でした。彼の存在感に、周りが圧倒されるくらいですんでいたのです」
如月さんは伏し目がちに答える。
「しかし、ここからが厄介なのですが、どうも、この”漏出”は、あきらさんが自分の能力への理解を深めれば深めるほど、その“影響範囲”は広がるとわかってきたのです」
「研究所としては非常に危険だと判断しました。それで契約を打ち切ったのです」
契約を打ち切ることで、あきらくんを研究所から切り離した。それが真相らしい。
あきらくんが怒り、あるいは傷ついたのも無理はない。
でも、その背景には、あきらくん自身を思っての側面もあったという。
「我々の対応も決して正しかったとは言えません。ですが、今は時間がありません。どうか力を貸してください――あきらさんの心を安定させる必要があります」
僕は自分の胸を押さえる。
この研究所は、あきらくんの制御だけを目的にしているわけではない……? そんな気配を、如月さんの言葉尻から感じ取った。
“安定させる必要がある”――しかし、それは本当に、あきらくん本人を想っての行動なのか。それとも“研究目的”のためなのか?
僕は自分の胸を押さえる。
――あきらくんが精神的につらい状況にある、というのは前からわかっていたけれど、まさか周りにまで影響が及ぶ段階にまできているなんて。
「そこで、ひかりさん。あなたに協力をお願いしたいのです。あきらさんもあなたのことを知っていますし、同じ体質者として“対話”が可能だと思う」
「彼を精神的に落ち着かせ、周囲への影響を抑えたい」
如月さんの真剣な眼差しに、僕は複雑な感情を抱いた。
――研究所の一方的な都合で契約を打ち切り、あきらくんを苦しめたのに、今さら協力を求めるのか。
けれど、彼らが言うように「それ以外に手段がない」のも事実かもしれない。
あきらくん自身も危険にさらされているのだから……。
「……わかりました。僕にできることなら、やってみます」
案内されたのは、研究所の奥深くにあるセキュリティルーム。
無機質な白い壁と観察ガラスのある部屋。その一角に、あきらくんがいた。
「……あきらくん!」
声をかけても、あきらくんは窓の外をぼんやりと見つめていて、反応が薄い。
「ひかりくん……? ああ……来てくれたんだね」
かつての鋭く冷ややかな雰囲気は影をひそめ、どこか諦めたような――抜け殻に近い表情をしている。
僕を見て、軽い安堵のような表情を浮かべた
「研究所から聞いたよ。今、君の体質が周囲に影響を与える可能性があるって……。
でも、そんなの……君が望んでるわけじゃないよね?」
そっと問いかけると、あきらくんはかすかに眉をひそめて、乾いた笑みを浮かべた。
「望んでなんかないよ。むしろ、疲れたんだ。――僕の存在がついに、世界そのものを変えてしまうかもしれないんだろう? そこまでいったら、もう化け物じゃないか」
投げやりな口調に、胸が痛む。
あきらくんは苛立ちや怒りすら通り越して、自己否定に染まっているように見える。
「でも……君が来てくれたのは、正直、嬉しいよ」
胸がきゅっとする。あきらくんのその言葉は、かすかな救いを求めるみたいに聞こえた。
これなら、”対話”であきらくんを救うことができるかもしれない。
そう考えた矢先、あきらくんから思いもよらぬ単語が飛び出す。
「研究所の人たちから、”コールドスリープ”の提案を受けたよ」
“コールドスリープ”……人を冷凍する、あの?
衝撃的な言葉に、頭がうまく回らない。
「現在の科学力ではお手上げらしいね。僕が冬眠している間に、解決策が出るかもしれない。何年先になるか、もしかしたら永遠に……」
でも、あきらくんの意思は?
「そんなの、あきらくんがいなくなるようなものじゃないか」
「もう、何も考えたくないんだよ。目を閉じて、ただ静かに……誰にも迷惑をかけずに、消えていけるなら、それでいい」
あきらくんは、まるで自分の存在を消したいかのような言い方をする。
「そんなの、ダメだよ! コールドスリープなんて……! 人間を冷凍保存して、解決策を後回しにするなんて……」
思わず声を荒らげる僕に、あきらくんはそっと目を伏せる。
「でも、それが一番“波風立たない”方法かもしれない。――僕自身も、疲れたんだよ」
そのあまりにも切ない声に、僕は歯がみする。
「……それに、君にも迷惑をかけなくて済むから」
「迷惑なんかじゃない。……僕も、かなたちゃんやまどかちゃん、それにあきらくんに出会ったことで救われたから……」
そうだ。この体質が一人じゃないとわかって、僕は救われているから。
「あきらくんの苦しみだって、少しはわかるつもりだよ」
心から思う。この体質の不安、自分が変わってしまうことの恐怖。
ありがとう、とあきらくんが言い、続ける。
「……今だから言うよ。初めて君を見たとき、“もしかして同じかもしれない”って思った。それが少し嬉しくて、君をもっと知りたくなった。驚かせてしまったけどね」
そっか、だから神社に来たり、スケートの大会に出てきたんだ。僕に会うために。
「そして君だけが……僕の苦しみに気づいてくれた。周りは“何にでもなれる僕”を怖がるばかりだった。――でも君だけは違った」
あきらくんは、ずっと孤立してきたんだ。
「もし……もう少し違う形で生まれてたら、君たちと一緒に笑えたのかもね」
あきらくんの言葉に、胸が潰れそうになる。
「体質のことで相談し合ったり、同じもの食べて笑い合ったり……。考えたら、ちょっとだけ羨ましいな」
あきらくんの声が、かすれて聞こえる。その姿はあまりに儚い――何とかしてあげたい。だけど、方法は……
「……やめてよ。そんな顔しないで。僕は……絶対にあきらくんを救う方法を探す」
その言葉に、あきらくんは淋しげな瞳で答える。そんなのは無理だ、と言いたげだった。
「……また、会えるかな。眠らされる前に、もう少しだけ、君と話がしたい」
「うん、もちろん。必ず会いに来るよ」
あきらくんが笑ってくれる可能性があるなら、僕は最後まで足掻いてみせる。
――そんな決意を抱いて、僕はあきらくんのそばに立ち続けた。
「……研究所の皆さん、他にやり方はないんですか!? コールドスリープなんて、絶対に嫌です!」
会議室に戻ると、僕は研究者たちを前にして、感情のままに問いただす。
すると、如月さんが一歩前へ出て、厳粛な面持ちで口を開いた。
「一つだけ――実行可能かどうかは未知数ですが、“オーバーロード”という方法があります」
「オーバーロード……?」
「過負荷、と呼んだ方がわかりやすいかもしれません」
聞き慣れない単語に首をかしげていると、如月さんが訊いてくる。
「ひかりさん、あなたは激しい運動ってしたことはありますか? その後筋肉痛になったりとかは?」
脈絡もない質問に拍子抜けしてしまう。
「ありますけど……」
男らしくなろうと筋トレして、決まってその翌日は筋肉痛になってしまっていた。
「ひかりさんくらい若ければ、数日経てば治ってしまうでしょうね。でも、強すぎる負荷をかけると不可逆な変化を起こすこともあります。これが過負荷です」
「あきらさんの脳は性能が良すぎる。外部の服や概念を取り込み、自在に身体を変化させ、さらには周囲に影響を及ぼしてしまう」
あきらくんの完璧な変化を思い出す。
「ならば逆手に取り、“彼の脳が到底処理しきれないくらいの”ありえない状況を与えるんです。誤解を恐れず言うなら、”壊してしまう”んです」
「――そうすれば、一時的に彼の脳がショートを起こし、“能力をリセット”できるかもしれない」
はたしてそんなことが可能なのか。
でも、コールドスリープで何年も眠らせるよりは、まだ望みがあるように思えた。
「そしてそれには、ひかりさん、あなたの力が必要なのです」
そう言われてはっとする。ーー僕の力?
僕が、あきらくんを救える!?
目の前が一気に明るくなる気がした。
はやる気持ちをおさえて、如月さんに質問する。
「じゃあ……具体的には、どうするんですか? なんでもします! 僕にできることなら!」
僕が期待を込めて質問すると、如月さんは言いにくそうに視線を落とす。
僕達が、次の言葉を待つ。
「……あきらさんと、『結婚式』を挙げてください」
「…………は?」
思わず変な声が出てしまう。
横で聞いていたみんなも、一瞬だけポカンとした表情を浮かべたように見える。
「オーバーロードには、“彼が最も想定していない服装・立場・シチュエーション”が必要なんです。例えば……“結婚式”のような」
「あきらさんは男女を自在に行き来できるし、さまざまな役柄にもなりきれてしまう――でも、“自分が結婚をする”という想定だけは、彼の中に欠落している」
「最もありえない状況を作るには、これが最適だと判断しました。――式の衣装という要素も大きい。服を着るだけで周囲の認識を巻き込む、L-LLMの大きなキーとなりますから」
結婚式……!?
あきらくんと、僕が――?
「ほ、本気ですか!? 冗談とかじゃなく……?」
「本気です。これしかありません」と如月さん。
「え、ええーーーーっ!?」
僕達全員の声が、廊下にこだまする
そ、そんなの……!?
(まさか、結婚式だなんて――そんなバカみたいな方法が、あきらくんを救う唯一の望み……?)
衝撃に混乱する僕の頭の中で、いろいろな思考が交錯していた。
――コールドスリープと、結婚式。
どちらも常識離れしているけれど、あきらくんを救うためには、どちらかを選ばねばならないのだろうか……。
「……ひかりさん、どうか、お願いします。あきらさんの能力がリセットされれば、周囲環境への影響リスクは格段に下がる。あきらさんを、世界を救えるのは、あなたしかいないんです!」
「そ、そんな……」
僕は顔を真っ赤にしながら、口をぱくぱくさせた。
――結婚式!? そんなこと、考えたこともない。
そもそも、あきらくんは……僕にとって……?
混乱で思考がまとまらないまま、助けを求めるようにみんなを見る。
「こ、これはすごいことになっちゃったねえ……」
つむぎさんが言う。でもその表情は、驚きつつも少し楽しそうだ。
「どんな状況になっても、わたくしは二人を”全力で”応援しますわ!」
まどかちゃんはもう完全にやる気になっている。ま、まさか、もう演出とか考えてる!?
「うーん、どんな服がいいかなぁ。白無垢、色打掛、カラードレスとか?」
かなたちゃん!もう僕の衣装考えてるの!?
(どうする……? どうしたらいいんだ、こんなの……!!)
読んでいただき本当にありがとうございます!
ついに明かされた「あきらくんの影響範囲の拡大」、そして研究所の極端な決断――コールドスリープか、結婚式か。
次回!シーズン1最終回です!




