妻のダイニング・メッセージ(6)
翌日、麗子は自宅に帰ってきたらしい。こうして失踪事件はあっさりと解決したが、数日後、麗子は朔太郎たちの自宅にやってきた。あの事件についての謝罪だというが。
客間の和室に麗子を通し、夫婦二人で応対したが、お土産までもらってしまい、かえって恐縮するぐらいだった。
あの失踪は、やっぱり家事や料理が原因だった。夫からのプレッシャーや元からの真面目な性格故に手が抜けない。その上、更年期や軽度の鬱症状もあり、ぷつんと張り詰めていた糸が切れてしまったよう。
朔太郎の推理は全部当たっていたようだ。もっとも不思議なこの能力を使っただけで、朔太郎自身は何もやっていないが。
「でも、『うどんでいいよ』は腹が立ちますよ。そんな事夫に言われたらね。お前が作れよって感じ」
美玖は深く麗子に同情し、頷いていた。
「うちのさくちゃんは、そういう事は言わないけど」
そんな事を言われたら、朔太郎の目が泳ぐ。天井の方を見ながら、話題を変えた。
「それから光雄さんの様子はどうですか?」
「ええ。以前とそんなに変わらないわ。相変わらず家事も料理も何もできないけど、『うどんでいいよ』とは言わなくなりました」
その麗子の笑顔は意外にも朗らかだ。もう夫には何も期待していないという感じか。
「麗子さん、手抜きしたい時は、カルテスエッセンがいいですよ。ドイツ料理です」
朔太郎は仕事で知ったドイツ料理について説明する。カルテスエッセンはドイツの質素な夕食だ。パンとハム、チーズなど冷たい夕食。ドイツは働く女性も多いようで、こうした家事の負担が少ない料理も珍しくないそう。その分、一家団欒も楽しめ、家族でゆったりとした時間を過ごす事が出来る。
「カルテスエッセンはいいわね。私も手抜きしたい時は、パンと生ハム買って『オシャレなカルテスエッセンよー』とか言っちゃう。ドイツ語の響きだけで、何か凝った料理にも聞こえるしね。他にはロコモコ丼やタコライスも見た目の割に手抜きできていいわよ」
「えー、美玖さんもそんな手抜きしているの?」
麗子は目から鱗といった顔だ。スマートフォンでカルテスエッセンの画像検索もしていたようだが、パン、ハム、チーズを切っただけの料理の割には、画像映えもする。手抜き料理でもドイツ料理と言い換えればオシャレだと呟いていた。
「そんな裏技があったなんて」
「主婦は手抜きするのも仕事ですって。キリキリ家事やって家族に八つ当たりするぐらいだったら、手を抜いた方がいいよ」
「美玖の言う通りですよ。一番は家庭円満です。家事の完璧さを優先していたら、本末転倒では? 要は優先順位です」
麗子は再び目から鱗が落ちたという顔をしていた。朔太郎と美玖は顔を見合わせて苦笑する他ないが。
「カルテスエッセン、今日の夕食に作ってもみようかな」
そう呟き、麗子は笑顔で帰って行った。これで一件落着と言っていいだろう。
麗子の手土産は、手作りのシフォンケーキだった。桜のシフォンケーキのようで、春らしい一品だった。後で夫婦二人でシフォンケーキを食べたが、意外と麗子は菓子作りは楽しんでいるようだった。菓子作りも良い息抜きになれば幸いだと思う。
「さくちゃん、シフォンケーキ、美味しいわ!」
「フワフワだよな」
夫婦二人で紅茶を淹れて、桜のシフォンケーキを楽しんだ。
窓の外はまだまだ満開の桜が見える。花びらが散るまでに、この春も楽しむとするか。
朔太郎は紅茶を啜り、深く頷いていた。