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おしどり夫婦のお料理事件簿〜小さな謎とダイニング・メッセージ〜  作者: 地野千塩


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最期の晩餐(4)

 黒崎の家は、駅から数分の場所にあった。重美のマンションからも近いが、昔ながらの木造一軒家だった。この辺りは朔太郎の住む住宅街と違い、古い家も多い。黒崎の家も周囲に溶け込んでいて、特に違和感はなかった。


 それでも庭は散らかっている印象だった。古い自転車が置き去りにされ、雑草も伸び放題。古い盆栽も置いてあったが、丁寧に手入れされている様子はない。空が綺麗に晴れているだけに、余計に侘しく見える庭だった。


「こんにちは、黒崎さん。ええ、隣にいるのが夫です」

「初めまして」


 玄関先で黒崎と挨拶をした。作家という職業をいうと、驚いてはいた。確かに珍しい仕事ではあるだろうが、ベストセラー作家などの名前を出されてしまうと、困惑してしまう。


「まあ、私は売れっ子では無いですがね」

「さくちゃん、自虐みたいよ」

「まあまあ、玄関先では何だ。上がってくれ」


 そう笑顔で迎えてくれた黒澤は、いかにも気さくなお爺さん。近所によくいるタイプで、美玖を困らせるほどのクレーマーだった事は信じられない。人には色々な一面があるという事かもしれないが。


「こっちが一応客間かね。あんまり使っていない和室だが」


 古い家は独自の木の臭いや生活臭もした。いかにも他人の家に来てしまったと実感してしう。客間には変な掛け軸や招き猫の置物があったりして、異空間に入ってしまった気分だ。確かにさほど親しく無い人の家は、ちょっとした異世界のようで緊張してきた。


 客間は畳の部屋で六畳ほど。あまり広く見えないのは、中央に大きなテーブルが鎮座しているからだろうか。そこに黒澤はお茶や菓子を持ってきた。


「おかまいなく」

「いや、こうして客も来るのが楽しくてな」


 意外と黒澤はこの状況を楽しんでいるようだ。客間の窓からは寂しい庭み見えるが、黒澤は大きな声で笑い、この場の空気は明るい。奇妙なほどに。まるで何かを誤魔化しているような明るさだった。


 隣には黒澤が正座して座っていた。朔太郎よりは幾分白髪が多く、肩幅も狭くて痩せていた。栄養素が足りていない印象も受けたが、初老の男性はこんなもんだろうか。


 話題は他愛もないものばかり。県立の動物園で生まれた子羊の赤ちゃんが可愛いというニュースとか、政治家の不正疑惑とか、女優の不倫問題とか。下らないお茶の間的な話題でも、黒澤はよく笑い、楽しんでいるようだったが。


「そろそろお昼の時間だな。俺は自分で用意するわ」

「えー、黒崎さん。私達はお弁当持ってきたんですけど?」

「そうですよ。わざわざ用意しなくても」

「いや」


 黒澤は美玖や朔太郎の言葉を無視し、キッチンの方へ行ってしまった。


 数分たって戻ってきた。その間に美玖が作った弁当も広げていたが、黒崎が手にしていたのはパックご飯。それに袋に入ったままのレトルトカレーに器。


「えー、黒崎さん。レトルトカレー食べるの?」

「おお。美玖さんの弁当もうまそうだが、俺はレトルトカレーがいいんだ」


 テーブルに上は、美味しそうな唐揚げや餃子、卵焼きにおにぎりがある。まるで遠足にでも行ったかのような弁当だった。明らかにレトルトカレーよりも美味しそうだったが、黒崎は頑なにそれを食べていた。


「えー、どうして? 不味そうに見えた?」


 美玖はこの事にショックを受けていた。自分の作った弁当を味見し、確認までしていた。朔太郎も少しつまんでみたが、味には問題ない。美玖の優しい気持ちも伝わる良い弁当なのだが。


 もしかしたら、このレトルトカレーに何か秘密があるのだろうか。スーパーでもレトルトカレーを買いだめしていたという証言もある。


 よっぽどのレトルトカレーマニアか。それとも重美のように何か理由があるのか。朔太郎はカレーマニアには見えない。その証拠に食べている時の黒崎の表情は、特に楽しそうでも幸せそうでもなかった。


 もしかしたら、このレトルトカレーを食べたら何か分かるかもしれない。


「そんなにレトルトカレーがお好きですか。美味しいのなら、私も一口食べてみたい」

「さくちゃん、図々しくない?」

「いいよ、いいよ。一口食べろよ」


 朔太郎は黒崎から一口だけカレーをもらった。もちろん、自分のスプーンで食べたが。


 最初に頭に中で広がったのは、レトルトカレー工場の様子だ。機械的にパックされていく様子が見え、「そこじゃない!」とツッコミを入れたくなった。


 もう一回深く咀嚼すると、キッチンでカレーを温める黒崎の姿が見えてきた。これも一瞬で終わったが、もう一回噛み締めると、黒澤の想いが伝わってきた。


『俺のようなクレーマージジイは、こんな粗末なレトルトカレーで十分だろ。それに、妻への最期の食事もこれだった。俺だけ美味しいもん食えないよ……』


 朔太郎はハッと顔をあげてしまう。


 黒崎がレトルトカレーにこだわっていた理由がわかった。妻と最期に食べた食事がレトルトカレーだったのか。


『本当はもっといいもん食わせたかった。死ぬとわかってたら、もっと豪華なもんにした。寿司とか、天ぷらとか。何であの時、レトルトカレーなんて出したんだろ?』


 謎が解けた。死んだ妻への悔恨でこのカレーを食べていたのだろう。


 単なる後悔というよりは、自傷行為にも見えた。自分が一番許せないのかもしれない。クレーマー行為も、その一環だろう。とにかく自分を貶めるような行動をとり、妻への後悔を紛らわせているようにも見えた。


 悲しくなってきた。


 死はいつ訪れるかわからない。豪勢な食事の後に運良く死ねるわけも無い。もしかしたら、こんな後悔を抱えて生きている人は珍しくも無いのだろう。朔太郎の両親も最期はろくな食事も取れなかった。介護食だった。今思うと、後悔は少なからずある。黒崎の気持ちもわかってしまう。


「いや、案外美味しいレトルトでした」


 嘘だが、そう言っておいた。もしかしたら、一ミリぐらいは黒崎の後悔も無くなって欲しいと願いながら。


「まあ、今時のレトルトカレーは、レベルが高いから……」


 美玖も何か察したのか、朔太郎に同意していた。この事で黒澤も何か心に変化があったのだろうか。死んだ妻への後悔を語り始めた。特に最期の食事がレトルトカレーだった事についても、小さな声でぽつりぽつりと語っていた。


「そうだったの……」


 事情が全てわかったが、美玖は少しも納得していない様子だった。


「でも、そんな自傷行為みたいにずーっとレトルトカレーを食べるのって辛いじゃん。天国にいる奥さんも、もし今の黒崎さんを見たら、いい気分はしないんじゃない? 私だったら、とても嫌」


 吐き捨てるように言う。


「私だったら、自分が死んでも幸せになってほしいよ。自分をいじめないでよ。悲しい事しないで」


 美玖は涙声で訴えていた。側で聞いている朔太郎も、泣きそうだ。美玖からこんな自分への想いを聞いた事はなかったから。


 ここ最近は、将来への不安な事も考えていた。それも間違っていたのかもしれない。不幸そうな自分を見せる事は、自己満足。自己愛。美玖の為なんかではなかったと、ハッと気づいてしまった。


「この唐揚げだって、おにぎりだって食べていいんだから。レトルトカレーだけじゃ、ダメだよ。奥さんが生きていたら、きっとそう言うでしょう」

「そうか」


 黒崎は美玖の訴えに言葉も見つからないようで、下を向いていた。


「それに味自体はレトルトもいいですし。レトルトとはいえ、奥さんは、最後に旦那さんと食事できて良かったと思いますよ。一人ぼっちで介護食よりは、良かったんじゃないかと思いますよ」


 朔太郎も慰めの言葉を送ると、黒崎は絶えられずに涙をポタポタと落としていた。古い畳の上に小さなシミが広がっていく。


「そうか。これ、食べていいのか」


 そして涙を拭うと、美玖が作った唐揚げやおにぎりを食べていた。


「うん。うまいじゃないか。うまいよ。みんなで食べたら美味しいじゃん」


 食べながら、いつの間にか黒崎の涙は止まっていた。笑顔も時々見せているぐらいだった。その笑顔は子供のように無邪気で、もう自傷行為はしないだろう。レトルトカレーを食べ続けたり、クレーマーのように自分を傷つける行為は、もう辞められそうだった。


「そうですね。みんなで食べると美味しいです」

「そうだね、さくちゃん。どんなもんでも、誰かと食べたら美味しいんだよ」


 美玖もそう言うと無邪気な笑顔を見せていた。

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