最期の晩餐(3)
「へえ? 厄病神には、そんな事情があったのね……」
あの後、家に帰ってきたら、美玖が作ったシフォンケーキでお茶となった。ダイニングテーブルの上は、良い香りの紅茶に、ふんわりとした生地のシフォンケーキがある。食べやすいようにスライスされていたが、雲のようにふわふわしていた。食べる前から期待しかないが、黒崎の事情を美玖に話していた。
「そうか。そんな事情があったのね。確かにクレーマー行為は、良くないと思うけれど。奥さんと死に別れていたのね」
渋い顔で紅茶を啜っていた。これから甘くてふわふわなものを食べる前の話題としては、暗かったかもしれない。
「何だか黒崎さんって人、可哀想だよな。一方的に責められないっていうか」
「そうね。何かクレーマー行為をやめさせる方法はないかな?」
二人で考えては見たが、良いアイデアはすぐには浮かばばい。彼が心を開き、反省する時を待つしか無いようだった。
ふわふわなシフォンケーキを口に入れる。前のパウンドケーキは失敗した事がある美玖だったが、今回は大成功のようだ。雲でも食べているみたいだ。このまま朔太郎の身体もふわりと軽くなりそう。
「もしさ。俺も黒崎さんみたいになったらって考えちゃうよな。自分一人残されたとしたら、ちゃんと生きていけるのかなって」
シフォンケーキのおかげで心も軽くなってきたが、口も軽くなってらしい。ついついさっき考えていた事を滑らせてしまった。
「さくちゃん! そんな事を考えていたの!?」
美玖はびっくりし、紅茶を詰まらせそうになっていた。
「そんな。今からそんな事考えてもしょうがないじゃない。それに平均寿命からいっても私の方が残される可能性は高いけどね?」
「だけど、いつ何か起こるかわからないだろ。今日の夕飯が、最期の晩餐になるかもしれん」
「きゃー、そう言われるとプレッシャーだよ! うんと美味しいものを作らないと!」
美玖は茶化していたが、この日の夕飯は妙に重い気持ちも伝わってきた。
『さくちゃんを先に死なせやしないわよ。私が死んだら何もできないじゃない。まあ、いつもの夕飯が最期の晩餐になってもいいように、ちゃんと作らなきゃ』
今日の夕飯はサラダうどんに味噌汁だった。レタスや人参、オニオン、きゅうりなどがどっさりとトッピングされたサラダうどんだった。見た目は華やかで軽い料理なのに、ついつい最期の晩餐を意識してしまう。
確かのこの先何があるのかは、わからない。突然の別れも100%ないとは言い切れない。そんな事を考えながら食べるサラダうどんは、妙にあまじょっぱい。
しばらくこんな想いがこもった夕飯が続き、朔太郎は毎日困惑し、考え込んでしまっていた。もうクレーマーの黒崎について、美玖も愚痴をいう事がなくなった。それどころか、美玖は黒崎と親しくなったらしい。
スーパーでは試験的にスローレジや店員が客とおしゃべりしながら接客をするという取り組みが始まり、美玖もその仕事に選ばれ、黒澤と会話する機会も多かったのだそうだ。
この試みが成功すれば、美玖の時給も百円円アップすると喜んでいたが。話相手をしているうちに、美玖も同情的になったようだ。今度の日曜日の昼に栗崎の家で食事会でもしようと提案したら、向こうも賛成し、朔太郎も夫婦で伺う事になった。
黒崎がこんなに心を開いたのは、意外だったが、美玖の人柄に絆されたのかもしれない。クレーマーも寂しさが原因だったようで、もうスーパーではそんな事はしていないというが。
その日曜日は、朝から美玖は料理を作っていた。唐揚げやハンバーグなど子供が好みそうな惣菜ばかり作っていたが、「黒崎さんに気に入ってもらいたいな!」とやる気満々だった。
朔太郎も弁当に惣菜を詰めるのを手伝いながら、黒崎の寂しさが消える事も願っていた。妻を失った孤独は、他人には癒せない事はよく知っていたが、少しでも元気になって欲しいと祈るような気持ちだった。




