菜の花サンドイッチの教訓(1)
近所の桜の花びらは散り始めていた。アスファルトの上の方がピンク色で綺麗に見えるぐらいだったが、まだまだ葉桜では無いようだ。今日の空はスッキリと晴れ、一時期は不安定だった天気も回復していた。
朔太郎はそんな並木道を歩きながら、駅へ急いでいた。今日は午後から編集者と打ち合わせがあり、飯島とも会う予定があった。
「急がないと」
足早に駅に向かい、ローカル線を何本か乗り継ぎ、都心の出ると、待ち合わせをしているカフェにつく。
出版社の近くにあるカフェだった。カフェとううよりは、レトロな喫茶店のような雰囲気だ。全体的にチョコレートカラーでまとめられた店内は、昭和レトロというよりは大正風の趣もある。窓のステンドグラスはより大正らしさを演出し、令和からトリップしたような感覚も与える。
店内は落ち着いたクラシックも流れ、客も静かのコーヒーや厚焼きパンケーキを楽しんでいた。カウンターにいる店長は雰囲気を見るからに、この店の味は悪くなさそうだ。あの特殊な力により、外食は好きではなかった朔太郎だが、この店は期待できそうだ。
「長田さん、お久しぶりです」
打ち合わせ相手の編集者はもう到着していてノートpcを開いていた。片手にはコーヒーもある。濃いめの深い色合いのコーヒーで、これは期待できそうだった。
今日は塩瀬ではなく、別の出版社の長田という男と打ち合わせだった。長田は長年、グルメ雑誌の編集者をしていて、朔太郎もそこで軽いタッチのグルメ探偵ものを連載中だった。今は連載も中盤に差し掛かり、クライマックスと次回作の打ち合わせだった。
長田は朔太郎より二歳歳下で同年代。出世争いに負けたらしく、今もずっと編集者だが、彼のは何となく編集長などは合っていない雰囲気だ。ずっと独身の為か、雰囲気は若々しい。若い人の話題もかなりチェックしているようで、このカフェもSNSから偶然見つけたんだそうだ。「人生は冒険」などと言う事も多く、全く老け込んだ感じがしない男だった。長年付き合いがある編集者だが、心の持ち方も老化に関係あると思わされる。
「先生、次回作はいつも通りとはいかず、もう少し新しく。新境地ってヤツにしましょ」
新作についても、そんな事を言ってきた。
「そうか?」
朔太郎はコーヒーを啜る。ここのは予想通り美味しい。店長が丁寧にハンドドリップし、愛情を込めて淹れているのは伝わる。朔太郎のような特殊能力が無くとも、その気持ちは伝ってきそうな味わいだ。苦味と酸味が溶け合い、砂糖やミルクなど余計なものを入れない方が美味しい。そんなコーヒーだった。
「先生が食品偽装を暴いたルポって未だに人気あるんですよ。ああいうの、また書きません?」
「と言ってもな……」
妙な能力を使い、何かの闇を暴く事は想像以上に大変だった。失業したり、誰かが傷つく結果になる事も考えられ、それはもうやりたくないのが本音だった。
「サスペンスとか、ちょっとダークな感じもどうですかね? ずっと同じものも読者も飽きますって」
「そうかなぁ」
朔太郎は長田の熱意に押されながら、コーヒーを再び啜る。苦く、酸味もあるが、余韻はどこか果汁のような瑞々しさもある。
子供の頃は、こんなブラックコーヒーは苦くて飲めなかった。飲めるようのなったきっかけは分からない。大人になったら、いつのまにか飲めるようになっていた。美玖と結婚してからは、迂闊に何でも食べられたくはなったが、こんなコーヒーも悪くないのか。
「先生、俺らみたいに長く生きていると、酸いも甘いも意外と良いもんだって思いますね。たまには、酸っぱい系の新作もいいんじゃないか、と。新境地ですよ。同じ事ばっかりやってたら、老けますし」
実際、見た目より若く見える長田に言われると、説得力があった。
「そうか、そうだな」
心が揺れる。
その後、飯島と落ち合い飲んでいる時も、長田の言葉が離れない。
飯島は相変わらず、笑いながら飲んでいたが。
「そうだ、朔太郎先生。俺、最近お菓子作りにハマってるんです。これ、綺麗にラッピングしたアイシングクッキーなんですか」
飯島からネコの形のアイシングクッキーを一枚もらった。飯島のルックスや雰囲気とは遠いクッキーで、ちょっと酔いも冷めそうだった。
「そんな女性のような趣味あったんだ?」
「ま、作品のネタになるし。新しい事やってみるにも脳が活性化しますからね」
隣でそんな事を言う飯島。今日聞いた長田の言葉。
確かに今までと少し違う事もやってみたいと思います初めていた。
どうせ、春だし。良いタイミングかもしれない。
ネコのアイシングクッキーを見ながら、今までと何かが変わりそうな気がしていた。




