パセリの自己肯定感(5)
ダイニングテーブルの中央には、大皿があった。そこには美玖が作ったパセリ入りのオムレツ。丸い形も良いが、黄色と緑色のコントラストも素晴らしい。表面に焦げ目もついていたが、芽吹き始めた春の大地のようだ。他にも菜の花のスープ、焼いた食パンなどもあり、華やかなテーブルとなっていた。
時計をみたら、まだ十五時だ。本来ならおやつに時間で、まだ夕食ではないが、緊急事態だ。
断食でヘロヘロになった塩瀬を連れて帰り、こうして食事を振舞っていた。美玖と朔太郎で協力して食卓を整えた。こんな緊急時ぐらいは、猫の手にもなりたいものだ。
「塩瀬さん。ご飯できましたよ。食べましょう」
「そうよ。じゃんじゃん召し上がって」
夫婦二人もテーブルにつき、塩瀬に促すが、彼女は下を向き、箸もスプーンも手にしない。
「っていうか、自己啓発にハマってたの? 楽しいの、それ」
美玖はこの空気も読めず、単刀直入に聞いていた。それにしても家に塩瀬がいるのは、妙な気分だ。昭和アニメでは担当編集が作家の原稿をとりに行くケースも見られるが、令和の今は滅多に無いだろう。なりゆきとはいえ、塩瀬も担当作家の家に来る事になり、落ち着かない様子だったが。
「別に楽しくは無いですね。でも仕事とか恋愛とか、日常のどうでも良い事も失敗した時、自己啓発見ていると、気が紛れて」
その表情は、全く楽しそうではなかった。ネットで人気のインフルエンサー・宮川三郎の断食自己啓発にも参加してみたが、余計に鬱っぽくなったという。あの胡散臭い男は宮川三郎というらしいが。
「そうよ。そういったセミナーって偉い先生と他のモブみたいな構図が出来るじゃない? 自信なんて余計につかないよ」
「美玖の言う通りだぞ。何か高い化粧水とかアロマとか買わされてないか?」
親身になって聞いてくれる夫婦に、塩瀬も心を開き始めたらしい。これまでにも高額なサプリやプロテインを買ってしまったと泣いていた。
そんな塩瀬は責められない。気持ちだけはわかる。
「塩瀬さんは、私は信頼している仕事相手だ。そんな自信とか自己肯定感とか無理矢理持たなくても十分ではないか。あの富沢ともちゃんとやっていけるんだ。稀有な才能だぞ」
「そうですかね……」
朔太郎の励ましの言葉のは、いまいち納得していなかったようだが、もう空腹は限界に達したらしい。塩瀬はパセリ入りのオムレツをナイフで切り分け、食べていた。
「あれ、このオムレツ美味しい。パセリ入り? なんかとっても美味しいんですけど」
空腹だった事も会っただろうが、塩瀬はこのオムレツに感動していた。
「励まされているみたい。パセリでも捨てなくていいんだって。脇役でもないんだって」
かつて塩瀬は自身の事を残されるパセリみたいなものだと言っていたが、実際こんな料理を食べて、気が変わってきたようだ。
「そうよ、塩瀬さん。食べ物に脇役も主役もない。皆んな必要な存在。人間だってそうじゃない?」
美玖の励ましに、塩瀬はこくりと頷いていた。このオムレツにもそんな想いが込められているのだろう。一緒に側でオムレツを作った朔太郎は、わざわざ食べなくても理解できた。
「もう、自己啓発やめようかな。お金と時間の無駄だし。別に思ったより自信もつかないし」
すっかりオムレツを完食した塩瀬は、そんな事まで呟いていた。一時期は死にそうな表情をしていたが、頬は血気が戻り、人間らしく戻ってきた。
「自信がつくんだったら、料理もいいんじゃない? 自分で食べる物をちゃんと用意していたら、自信になるんじゃないかな?」
「その提案はいいね。美玖の言う通りだよ。塩瀬さんは料理する?」
「いえ。いつもコンビニです」
「ダメよ、たまには料理しましょう! 今度一緒に皆んなでお料理教室開くっていうにもいいわね? 前にも弥生ちゃんっていう子に教えたし」
話題はなぜかお料理教室開催になっていく。塩瀬は大学生の弥生や主婦の美玖と違い忙しいが、いつか一緒に料理教室できたらと約束もしていた。
そんな二人を見ていたら、もう塩瀬の件も大丈夫そうだと朔太郎も安心していた。これからも、以前と同じように塩瀬と仕事ができるのが、喜ばしかった。
その数日後、例の自己啓発インフルエンサー・宮川三郎は女性スキャンダルが噴出し、ネットで炎上していた。同時に自己啓発での詐欺紛いの商法も明るみにで出ていた。あの自己啓発の施設も潰れる可能性が高いだろう。悪い事などできないものだ。必ず明るみになるように出来ているらしい。
もっともそんな事は、美玖にも朔太郎にも全く関係の無い事だった。
「これでやっとパセリが消費できるわ!」
ようやく大量の貰ったパセリも消費できたようで、美玖は安堵の表情を浮かべていた。オムレツだけでなく、パセリのガーリックバターやパスタも作っていた。どれも美味しかったが、朔太郎もようやくパセリから解放され、違う料理に胸をときめかせているぐらいだった。




