じっくりことこと煮込んだ殺意(2)
翌日。昨日は美玖のカレーを食べ前向きになっていた朔太郎だったが、仕事中は再び不安感に襲われていた。
プロットからだんだんと脱線し、主人公達が好き勝手な事を言い始めた。いわゆるキャラクターが勝手に動くというものだが嬉しくない。作者がコントロールしにくい脱線の仕方で、不安な方向に向かっていた。
今日は美玖は朝からパート。しかも今日は夕方からパート仲間とカラオケに行くと言っていた。食事は作り置きが冷蔵庫に入っているが……。
思った以上に美玖は朔太郎の心の支えとなっているようだ。確かに肝が座り、少々図々しいおばさんである事は否定できない。容姿だって若い頃と比べると太った。それでも朔太郎にとっては唯一無二の存在だった。
「ああ、どうしよ。これはスランプに入ってしまったかもしれん……」
目の前にあるパソコン画面を見つめる。なぜかいつもより覇気みたいなものも見えない。かといって締め切りは待ってくれない。塩瀬に相談する事は出来るが、根本的な解決にならないだろう。結局は自分一人で解決する他ない。
「まあ、気分転換に散歩でもいくか……」
昨日も散歩に行く事は決めていた。朔太郎は原稿のデータを保存すると、パーカーを羽織り、散歩に出かける事にした。
今日も薄曇りの春の日だった。桜はまだ綺麗に咲いていたが、空は鬱陶しい灰色の雲がある。空が晴れていたら、作朔太郎の不安感や憂鬱さも軽減されるかもしれないが。
近所の住宅街をのろのろと歩き、桜並木の道に入る。まだ時間は午前中だったので、人気もない。犬の散歩中の老人や小さな子供を連れた主婦などとすれ違うが、人は多くないようだ。
桜の花びらも少し散り始めていた。まだまだ満開だと思っていたが、アスファルトの上には、少し花びらが舞っていた。今日は風のあるようで、朔太郎の灰色の髪の毛も揺らしていた。
次は桜並木から駅の方まで歩く事にした。相変わらず朔太郎の仕事への不安感がとれず、まさに煮詰まっているような感覚がした。こうして散歩をし、身体は動かしているわけだが、脳みそはグズグズしている感じ。思わず昨日の失敗した肉じゃがが目に浮かんでしまう。
田舎の駅も、昼前という事もあり閑散としていた。ロータリーには、バスやタクシーの乗り場があるので、比較的賑やかではあったが。
「うん?」
しかし、目の前に以外な光景が目に入ってきた。女がずっと男の背中を見つめていた。女はバス停の方から、駅の改札口に入る男をずっと目で追っている。
二人とも若い男女。男は派手で、ちょっとホストっぽい。富沢を若返らせたような雰囲気だ。一方女は黒髪メガネで地味なタイプ。故に目で男を追っている事は男は気づいていなかった。
もしかしたら、これは探偵の尾行というものか?
朔太郎は探偵を主人公にした話は書いた事はなく、何だかワクワクしてきた。この男女を追えば、作品のネタになるかもしれない。
昔、朔太郎は街に出て人間観察をしながら作品のネタを探した事もあった。面白い雰囲気のインド人やサブカル風の男女の後をこっそりと追い、作品のネタにした事もあった。
この探偵らしき女。女のターゲットになっている男。彼らを見ていたら、何か作品のネタになるそうな予感がした。
グズグズと煮詰まり、失敗した肉じゃがのような現状だったが、どうにか光が見えてきた。
この男女を追えば、失敗した肉じゃがもカレーに化けるかもしれない。
朔太郎はカバンに中に入れっぱなしになっていたサングラスを取り出す。紫外線が強い時にかけていたものだが、今はちょっとした変装道具になるだろう。
サングラスをかけると、あの女を追う事にした。絶妙な距離を保ちつつ、女の背中を追いながら、改札口に入った。
不安感は完全に消えたわけでも無い。それでも突破口は目の前にあると感じていた。




