メシマズ嫁の愛し方(4)
もっと大きなレジャーシートを持ってくればよかった。
朔太郎は四人でいっぱいになったレジャーシートの上に座りながら、ちょっと後悔していた。いや、人間自体はさほど場所をとっていない。レジャーシートの中央に広げた花見弁当が、意外と場所をとってしまっていた。
まず美玖が持ってきたたけのこご飯、たけのこの煮物。それに鳥の唐揚げだけでも場所をとった。意外と料理というものは、面積がある事を知る。全部使い捨ての紙パックに入っていたが、お花や猫のピックも刺されていて、見た目も華やか。
一方、宮子が持ってきたのは、チャーハン、唐揚げ、タコさんウインナー。全部プラスチックの弁当箱に入っていた。タコさんウイナーはともかく、他は富沢が訴えていた事は本当ではないかと思うほどだった。チャーハンは何か油っぽくベチャベチャだし、米と米がくっつき、おはぎみたいになっている。唐揚げも衣がベチャベチャと水っぽくからっとしていない。衣がはげているものもある。
特に唐揚げは美玖も作ってきたので、その差は一目瞭然だった。美玖のは綺麗な色に仕上がっているが、どうも宮子のは黒い。確かにスパイスが濃い唐揚げもあるが、匂いをかぐ限りは、そんな唐揚げでもなさそうだ。
「うわ、美玖さん弁当、美味しそう! さすが家庭の料理、ベテラン主婦という感じだ!」
富沢はあからさまに宮子の料理を無視し、美玖の料理を絶賛していた。
宮子は何も言い返さず、傷ついた表情。思わず朔太郎も美玖も黙り込んでしまった。綺麗な桜が目の前にあるのに険悪な空気が漂う。富沢はそんな空気は無視し、美玖の料理を絶賛していた。おそらく料理の事で喧嘩をよくしている夫婦なのだろう。わざわざ聞かなくてもこの空気で察するが、朔太郎の心もどんよりとしてきた。
「いや、宮子さんの料理だって美味しいだろ。この唐揚げいただきますね!」
朔太郎はわざと明るい声を上げながら、宮子が作った唐揚げを口にした。
小さめな唐揚げだった。お陰で肉汁を感じられない。衣もベタついている。
味は予想通りだが、問題はそこから見える調理過程の映像と、作り手のメッセージだった。
朔太郎の頭に、どこかのキッチンの映像が浮かんでいた。綺麗で広いキッチンだ。たぶん新築の家にキッチンだろう。そこの立っている女が一人。宮子だ。
宮子は唐揚げを揚げていたが、ため息をついていた。てっきり手抜きしたり、雑に作っているのかと思ったが、料理本を何度も確認して作っている。神経質なほどだった。キッチンも綺麗に片付いている。
『夫には雑とか不味いって言われる……。料理本をちゃんとしなきゃ。ちゃんとしなきゃダメだ。ちゃんとしなきゃ』
再び唐揚げを噛み締めると、この唐揚げに込められた宮子の想いも伝わってきた。神経質というか、自分を責めすぎるぐらい責めていた。ちっとも料理が楽しくなさそう。多少失敗してもゲラゲラ笑っている美玖とは大違い。もっとも美玖は、一年に一回ぐらい床に落としたものを鍋に戻しているので、それはちょっと勘弁して欲しいのだが。
宮子の料理が不味い理由は、たぶんこれだ。本人がプレッシャーに押されて、義務感で料理をしているから。確かに手順や分量は合っていても、こんな気持ちでは、細かい何かを見落としているのかもしれない。
それは何かわからないが。とりあえず宮子にどの研究家のレシピ本を使っているのか聞いてのた。
「佐々木麻弥先生のですけど」
「あら、宮子さん。その料理研究家の本はざっくりしすぎというか、感覚派な感じのレシピ本で上級者向けだから。だめよ、そんな変なレシピ本使ったら。背のびしないで、丁寧に切り方やコツも解説しているレシピ本の本がいいから!」
どうやらメシマズになっている原因の一つにレシピ本もあるようだ。美玖が教えてくれたが、その料理研究家のレシピ本は初心者には不評で、レシピに書いていない「行間」も読みながら作らないとダメらしい。
ネットで公開しているそのレシピを見てみたが、確かに初心者にはざっくり過ぎる解説に感じた。「お好みで」という表現もやたらと目立つ。「キツネ色」や「ひたひた」も抽象的でわからない。
美玖はお節介にも分かりやすいレシピ本をの差進め、唐揚げやチャーハンの細かいコツもプレゼンしていた。チャーハンは温かいご飯ではなく、レンジで十秒温めた冷やご飯を使う事。玉子は軽く炒め、先に取り出してからご飯と一緒に炒めるのが良い。唐揚げは下味の量が多すぎるとベチャっとする。もしかしたらレシピ通りの下味でも量が多い可能性もある。それに唐揚げは大きめな一口大に切る方が肉汁が出て美味しく仕上がるなど、細かい部分をアドバイスをしていった。
「意外……。レシピ本に書いてないアドバイスばかり」
宮子はそれを聞いて、目から鱗が落ちていた。確かにレシピ本通りに作らなきゃとプレッシャーを感じていたら、見落としていた点かもしれない。
「ガチガチにレシピ本通りじゃなくてもいいから。レシピ本でも変だなって思った部分は、臨機応変に変えていいんだからね? 具材のエビとか増やしてもいいんだよ。それが自炊という家庭料理の良さよ」
美玖は宮子の肩をバシバシと叩いて励ましていた。すっかり美玖と宮子は料理の話題で盛り上がり、富沢も朔太郎も置いてきぼりになっていた
「料理なんて楽しく作ってくれた方が、良くないか?」
美玖と宮子の笑い声を聞きながら、朔太郎はしみじみとつ呟く。
「どうせ男なんて奥さんに頭が上がらんぞ。長年連れ添ったからわかる。価値観が合わん時は、男が折れた方が上手くいくからな?」
「ま、そうかもしれないな……」
富沢は、朔太郎の言葉に押されて頷いていた。苦笑しながら宮子は作った唐揚げも食べていた。「美味しい」とは言っていないが、何か悟ったような目をしていた。
たぶん富沢夫婦も大丈夫だろう。メシマズといっても、ちょっとだけボタンが掛け違ってしまっただけ。今はその原因もわかった。
どうせ夫婦は他人同士だ。大きな理想も持たず、少しは妥協して、たくさんの感謝を持っていれば大丈夫だろう。
「宮子、今までごめん。ありがとう」
そう妻に言う富沢は、ちっとも軽薄には見えなかった。




