メシマズ嫁の愛し方(1)
今日は、いつも通りの原稿の日だった。編集の塩瀬からは、締め切りが前倒しになる連絡もあり、午前中はずっとパソコンの前でキーボードを叩いていた。
気づいたら、昼。いお腹が減っている事に気づき、一階のダイニングルームに向かう。何かカレーのような良い匂いもする。今日の昼はカレーか。美玖はパートが休みの日だ。思わず期待で胸が膨らむ。
しかし、朔太郎の予想は当たらなかった。いや、当たらずしも遠からずといったところか。ダイニングテーブルの上には、キャベツのスープ、それにドライカレーがあった。間近で見ると、スパイシーなカレーの匂いが心地よい。普通のカレーよりも匂いが良い気がする。油で炒めているせいか。カレーではなかったが、これはこれで良い。
「さくちゃん、今日のお昼ご飯はドライカレーよ」
キッチンから美玖が出てきた。アイスコーヒーを二人ぶん、テーブルの上に置く。こうして見ると、昭和レトロ風な食卓にも見える。懐かしい乃喫茶店のメニューというか。たまには、こんな食卓も悪くない。
「うまそうだ」
「余っていたカレールウのアレンジだけどね。これは、これで悪くないでしょ」
美玖は顔を皺くちゃにして笑っている。これは期待できそうな味だった。
さっそく二人で食卓につき、食べ始めた。食事中はテレビもつけないし、スマートフォンも見ない。別に二人で決めたルールではないが、暗黙の了解となっていた。
ダイニングテーブルの窓からも近所の桜並木が見える。昔は桜並木でも屋台が出ていたが、今は飲食乃販売も中止になっていた。コロナ渦後からそうなったらしい。おかげで酔っ払いなどもなく、綺麗な桜を楽しめる。
ドライカレーは、綺麗な桜並木にも負けていないぐらい見た目がいい。黄金色。米もパラリパラとし、一粒ずつ油でコーティングされている。そして、我が家のドライカレーは干しレーズン入りなので、余計に見た目も良い。
辛いドラマカレーに甘い干しレーズンは、っとっとミスマッチに見えるだろう。それでも意外と合う。
頭の中では、美玖がこのドライカレーを作っている様子が再生されていたが、慌てて干しレーズンを入れているのが微笑ましい
元々は美玖の実家のレシピだった。そこに干しレーズン入りだったが、なぜそれを入れているかは不明らしい。
新婚当初はドライカレーに干しレーズンを入れるなんて合わないじゃないか。ちょっと怒りそうにもなったが、できなかった。元々実家から伝わったレシピという事も、不思議な能力によって全部分かってしまったし、美玖が一生懸作ってくれた事も知った。そんなちょっとした事で怒る気も失せてしまった。
夫婦は元々は他人同士が一緒に生活する。育った環境だって違う。こんな風に価値観が違ったとしても当たり前だろう。それにドライカレーにレーズンなんて単純に面白い。珍しいとも思う。結婚してから朔太郎は、こんな風に器が広くなったとも思う。
ちなみにドラマカレーに干しレーズンを入れる理由は分からない。朔太郎も仕事で知り合ったカフェ店長やシェフにも聞いてみたが、はっきりとした起源はわからないという。美玖の実家の人間も誰一人起源は知らなかった。
同じような料理に甘いものを入れるのは、パイナップルの酢豚やパイナップルのハンバーグなどもある。パイナップルは肉を柔らかくする栄養素があるらしく、こんなメニューもあるという。これらの料理は賛否両論あるが、パイナップルのハンバーグは強烈なファンもいるらしい。とあるファミレスでパイナップルのハンバーグを終売したところ、熱心なファンからの応援が相次ぎ、結局復活したという逸話もある。
好みは人それぞれという事だ。一方的に他人の好みを嫌ったり、蔑んだりするのは、器が小さい。朔太郎は、干しレーズン入りのドライカレーを食べながら、しみじみと頷いていた。もっとも朔太郎の本心としてはパイナップル入りの酢豚はさほど好みでも無いが。
「さくちゃん、そんなにドラ入りカレー、美味しい?」
「美味しいよ。実に最高だ」
「そんな事言われると、作りがいがあるわねぇ」
テレビも消え、スマートフォンもない食卓だったが、夫婦二人でほのぼのとや優しい空気が流れる。やはり、こうして美玖と長年連れ添ってきた事は、自分の器が広がったのかもしれない。
今の美玖は若い頃と比べて太っているし、皺やシミも多い。それはそれで悪くない。歳をとるのも、今は案外楽しかったりする。
しみじみと頷き、アイスコーヒーを飲み込んだ時だった。玄関からチャイムが鳴った。
「誰かしら?」
「私のAmazonからの本かもしれない。資料で何冊か注文していたんだよな」
せっかく楽しい食卓の場だったが、朔太郎は印鑑を持って喧嘩に急いだ。
「先生、こんにちは!」
玄関の外に立っていたのは、配達業者ではなかった。友人でもあり、後輩作家の富沢月夜がいた。この名前はもちろんペンネームだが、本名は田舎くさく、本人からペンネームで呼ぶように言われていた。
朔太郎より一回り下ぐらいの年代の男で、髪の毛も栗色に染めている。前髪も長い。そのせいで軽薄な雰囲気も否定できない。服装もちょっとホストっぽく派手だが、我が家に一体何の用だろう。連絡を時々していたが、会う約束など全くしていなかったはずだが。
「先生ー! 助けて! 嫁の飯が不味すぎるんだ!」
富沢は涙目で訴えていた。




