9・オオカミさんとキツネさん
どうしてもいかなくてはいけない場所がある。
未熟者を激戦地につれていくわけにもいかない。
シボッツは覚悟を決めた。
「明日の午後、少しでかけてくる。留守の間たのんだ」
「いいぜ」
これでよし。
明日は妖精市場の食品エリアで特売がある。夕市では先着300パック限定で鶏むね肉がいつもの半額で売り出されるし、野菜のつめ放題もはじまる。ふだんは高くて手が出せないおいしいチーズとバターも三割引きで買えちゃう。
マカディオスが家族になってからというもの食費は驚異的な数値をたたき出している。
安く食材が手に入るこの機会を逃すわけにはいかない。マカディオスにはわるいが、市場は混雑するだろうしとちゅうでお菓子をねだられても困る。特売日の買いものと適切なシツケというミッションを両方完遂する自信はさすがにない。
夕市のある日、シボッツは出かけていった。
魔法を使えないマカディオスが家で不便でないように、ずっしりと太った灰色ネコを残しておくことをわすれない。例によって手足が白いネコだった。
マカディオスがお願いすれば日常で使う魔法の道具を起動させてくれる。本当ならばネコは人が道具を使っている最中にちょっかいをかけることの方が好きだったが。
「オレさ、少し遊んでくる。留守の間よろしく」
怠惰なネコはずっしりとした寝返りをうって応えた。
双眼鏡をのぞきこむ一人と周囲の警戒にあたるもう一人。
「被害者の報告と外見特徴が一致します。この個体がマカディオスだと考えるのが妥当でしょう」
その性質についてもセシルからの情報提供がある。怪力無双の化けもので、真っ向から勝負をいどむのは無謀だと警告された。もっとも効果的だと思われるのは親しげに近づいてからのだまし討ち。
「ふぁ~い、準備OKれすよぉ」
ウラの世界は危険な魔物たちの領域だ。正答の教導者だと一目でわかるかっこうで乗りこむのは愚策。当然、対策はとってある。
「完璧な変装です」
ぴょこんと立ったケモノの耳。ふぁさりとなびく大きな尻尾。
ここにいるのは正答の教導者ではない。澄みすぎた目をしたオオカミお姉さんと疲れきった目をしたキツネお姉さんである。
ケモノ要素は耳のカチューシャとつけ尻尾のみというごくあっさりとした変身。正答の教導者に所属する職人が用意したものだ。
職人はマズルつきの精巧なかぶりものや立体的な爪や肉球をそなえた手袋も作っていたのだが、着用者の視界や手先の可動域の確保といった安全上の理由から着用は見送られた。
「職人さん泣いてましたねぇ」
「己の仕事への深い熱意を感じました。尊敬に値します」
キツネとオオカミはエモノに近づくことにした。
地面をふむかすかな足音にターゲットがふりむく。地面にしゃがみこんでいるターゲットの足元にはアリの行列。ちょうど小さな働きものたちが力尽きたアブを巣穴に運びこんでいるところだった。
「失礼。つかぬことをおうかがいしますがこちらで何をなさっているんですか」
オオカミさんそれはダメぇ、とキツネのお姉さんは思った。
丁寧な言葉づかいではあるものの相手を落ち着かない気分にさせる話し方だ。相手の心のバリケードが高く高く完成してしまう前に選手交代。オオカミの指先をキツネがやさしく引っぱった。
「こんにちは~。いきなりごめんなさい。このあたりのことよくしらなくて、ちょっと教えてもらいたいことがあるんれすけどぉ」
少なくともターゲットはこちらの話を聞く姿勢に入った。キツネはこういうやりとりになれている。
見ずしらずの相手でもこれくらいなら親切にしてもいい。そんな質問や頼みごとを皮切りに、相手の反応を注意深く観察しながらちょっとずつ警戒心を解いていく。そんな芸当をほとんど感覚的に実行できた。
「ちょっと素材をあつめててぇ、このあたりでキレイな花がたぁくさんさいてる場所を教えてもらえると助かりまぁす」
すでにターゲットの注意は引きつけられている。
あとは名前を聞き出すことができ次第、捕獲にうつる。
キツネがたわいない話をしている間に、オオカミが捕獲の準備をととのえる。
「ふぇ~、教えてくれてありがとうございますぅ。あの……ご迷惑じゃなければ何かお礼とかしたいれす。や、本当にささいなものになっちゃうと思うんれすけど。ほんと、期待しないでくださいね。あ、私はジュリっていうんれすよぉ」
こちらから名前を開示した。
あと一息。
「ね。ちょっとしたお礼がしたいんでぇ、お名前を教えてもらってもいいれすか?」
ターゲットが勢いよく立ち上がる。まさかここまできてしくじったか。キツネとオオカミの瞳がすっと研ぎ澄まされる。
「オレはマカディオス!! 最近あったいいできごとは、新しい歯みがき粉がブドウ味だったことだ!! よろしく!!」
立ち上がってビッグな大胸筋を張りご挨拶してくれた。
捕獲器を手にしたオオカミは、純真なおバカさんの背中にそれをこっそり突きつける。
片手で隠し持てるサイズの装置に正答の教導者の技術の粋がつまっている。複雑怪奇な真鍮の外装。筒状の容器となっていて、内部に収納されているのは神聖な祈りをこめて編まれた紐だ。
ターゲットに捕獲器を突きつけるという好条件がそろっても、だれもが簡単に魔性をつかまえられるわけではない。最後には使う側の集中力がものをいう。雑念がまじればまじるほど失敗のリスクが高まる。失敗すれば魔性に反撃の機会をあたえてしまう。
オオカミならそんなミスはおかさない。キツネは信頼をよせていた。
ほかの教導者ならまずは捕獲対象を動けなくさせねばならないところだが、不意さえつければ交戦や罠の設置なしで魔性をつかまえられるのはオオカミの大きな強みだ。
オオカミが真鍮の器具を捕獲対象マカディオスの背に押しこむ。
「いてっ」
ありえないことがおきてしまった。
「なんかチクッとしたぞ」
捕獲器が発動しない。いや、無効だった。
オオカミはすっかり思考停止状態でかたまっている。
正直なところキツネもたいそう動揺していたが、緊急事態でもなんとか平静をよそおうことはできた。
「ん~、背中にアブさんでも止まったんれすかねぇ」
「アブかぁ!」
チクッとさして血を吸ってくる虫だ。キツネのでまかせにターゲットは手をポンとたたいて納得する。
「あ、虫を払ってくれようとしたのか? ありがとよ!」
「お礼にはおよびません。私はエマともうします。以後おみしりおきください」
背後にいたオオカミに対しても、とくにうたがいを持ったようすはない。
大きな魔物くん、もうちょっと警戒しよ? とキツネのお姉さんは思った。
重大なアクシデントが発生したにしては事態は丸くおさまった。
だが、教導者の二人はべつの問題に気づきはじめた。
「それじゃ私たち、そろそろお花をあつめて帰りまぁす」
「貴重なお時間をいただきましてありがとうございます」
「そっか。またなっ!」
マカディオスは手をぶんぶんふって見送ってくれる。
去り際にエマが足を止めた。確認しておきたいことがある。
「セシルという名に心当たりはありますか」
「だれ?」
エマは言葉の矛盾から真偽を見ぬくのは得意だが、相手のしぐさや表情を読みとくことはあきらめている。こういうことが得意なジュリに視線をむける。
ジュリからこっそりと目くばせが返ってきたが、その意味もエマにはわからない。ただこうして何かしらの反応が確認できた以上、あとはジュリが問題なく進めてくれるだろう。
ジュリにも聞きたいことがある。
友好的なウラ側住民と会話できているというのは、情報収集の面でかなり貴重な機会だ。
小さな声でたずねてみる。
「あ、そぉだ。私もちょっとぐうぜん小耳にはさんだだけなんれすけどぉ、オモテからきた王子のあのウワサって聞きましたぁ?」
ウラ側の世界で王子がどうあつかわれているのかわからない。
公然と口にのぼる人気のゴシップなのか。ひそやかに語られるものなのか。ふれてはいけないタブーなのか。名前をだすことさえ避けるべきなのか。
どのケースでも対処できるようにジュリは言葉をえらんだ。
「なにそれだれ?」
少し迷ってから直接王子の名前をだすことにした。
「アイウェン王子のことれすよぉ」
「うーん。しらねえな」
困ったように首をかしげているマカディオスにエマがつめよる。
「その回答はその人物にまつわるウワサをしらないという意味ですか。それともアイウェン王子をしらないという意味ですか」
ぐいぐいくるエマの話し方にもだんだんなれてきたようで、マカディオスはあまり驚かなくなっていた。
「アイウェン王子……って人をしらねえ。有名人なのか? いつかお目にかかりてえもんだな!」
携帯式の転移装置はきちんと作動した。動力源は装置にくみこまれた封じられた魔性たち。そろそろ一つがご臨終になりそうだ。複数の魔封器から動力をとっているので、その中の一つがいかれても転移装置がすぐに使用不可になるわけではないので安全である。工夫された仕組みだ。
雑多な物品がおさめられた倉庫のかたすみに戻ってきた。正答の教導者の下っ端の待遇なんてこんなものだ。転移専用の荘厳な儀式部屋なんてものはない。
手ぶらで帰還することになった二人だが何も成果がなかったわけではない。
「ジュリさんに確認したいことがあります。違和感を持った点が二つ」
「うぃ~」
「捕獲器が発動したのに封じこめることができなかったことから、マカディオスは魔力を有していないと判断できます。そして魔法をあつかえないものがオモテの少女をウラにつれていけるとは考えづらいです」
「たしかにぃ」
ジュリがケモ耳カチューシャをとって手ぐしで髪をととのえる。南方の果実を思わせるほのかに甘い匂いがただよった。
「少女の名前をだした時の反応はどうでしたか。ジュリさんから見てあれは演技だと思われますか」
「や~、あれはガチのマジでしらないんだと思いまぁす」
ジュリは返事をしながらキツネの尻尾をとめていたベルトをはずす。
エマは会話に専念するあまり、身じたくの手が完全にとまっていた。
「むしろこれはぁ、あやしいのはあの女の子ってことになるんれすかねぇ」
「断定はできませんが、彼女からつたえられた情報の中に事実とはことなる内容がふくまれていたと考えると辻褄があう部分は多いです」
もう一度、セシルにくわしい話を聞きにいく必要がありそうだ。
エマは淡々と。ジュリはにこやかに。
それぞれ指導鞭をとり出した。
民を正しく導くためであれば、一般人への暴力は正答の教導者の規則によりゆるされている。