60・帰る場所
魔女の屋敷に主が戻った。
小さくなった魔女はベッドに横たわり、室内をパタパタと動き回る小さな背中をぼんやり眺める。魔力をほとんど使い果たした魔女が心地良く休めるよう、小鬼は気を配っていた。
その背中を見つめながら、魔女は安心して再び目を閉じる。
マカディオスとセティノアはウィッテンペンの部屋に招かれた。部屋に入るなり、耳にかすかな違和感。部屋の中にはシボッツの無音結界がはられている。
「ごめんよ。手間をかけさせたね」
「ああ。手強かったぜ」
豪華で大きなベッドの上でウィッテンペンが偉そうに座っていた。もう大人の姿に戻っている。胸元の刺繍レースが優美なゆったりとしたワンピースと、その上には丈の長いカーディガン。どちらも上質な生地でデザインも洗練されているが、部屋着のような印象だ。きっちりとした服でビシッと決めるほどの元気はまだないのだろう。
シボッツが二人はソファーに座るよう手でうながして、自分は小さいスツールを持ってきて腰かける。
「あー……ウィッテンの行動の理由を話すにはマカディオスの本当の両親についても明かす必要がある。両親の件は自分だけ知っておきたいだとか、聞きたくないと思う話題があるとか、そういう要望があれば今の時点で教えてくれ」
大丈夫、という風にマカディオスもセティノアも静かに頷く。
小鬼は語りはじめた。マカディオスの実の両親について。邪悪な白竜と利発な王子のことを。
「……イフィディアナもアイウェンもその名を知る者は多い。有名なんだ。良くも悪くも……。お前が買わなくて良い恨みを買ったり、逆に過度に持ち上げられることもあるかもしれない。実の親のことをどう受け止めるかはお前にゆだねる。ただ俺に一つだけ忠告させてもらえるのなら、出自を明かすのは信頼できる者だけにしておくのを勧める」
アイウェン王子の名はマカディオスも耳にした記憶がある。まさか自分と縁のある人物だとは夢にも思っていなかった。
それより問題なのは竜のイフィディアナだ。竜がオモテの人々を苦しめるのをマカディオスは見た。その場に自分も居合わせた。
これまでイヤなヤツと関わったり、悪いヤツと戦ったりもしたが、自分と血のつながりがある相手がそうだというのはこれまでにない衝撃を感じる。自分の存在までもゆらいでしまうような。
ショックではあったが、そんなマカディオスの命に寄り添うものが彼の自我をしっかりと支えていた。愛と筋肉だ。愛と筋肉でマカディオスはできている。
シボッツをはじめとする他者から受け取ってきた善なる想い。
この世に産まれた時から共にあり続け、磨きをかけてきた己の力。
出自を明かされてもマカディオスの根幹はゆるがなかった。それは彼の鍛え抜かれた体幹のようにどっしりと安定している。
マカディオスの気持ちが落ち着いているのを確認してから、ウィッテンペンが口を開いた。
「その竜と王子が、もう何があってもシボッツと関わらないようにしたかったんだ」
もともとイフィディアナが危険な存在であることはわかっている。災害級の魔物でその悪行ぶりはオモテでもウラでも有名だ。イフィディアナの評判は承知の上で二人はその卵を守って世話した。新しい命に罪はなく、父親のアイウェンはシボッツと縁ある人物だから。
「単に竜は身勝手なんだろうと思ってた。私もワガママなとこがあるからね。でもイフィディアナの話を聞いてさ、これって身勝手なだけじゃなさそうだって勘づいた。わかるよ。私もあの竜も似てるから」
沈黙をたもっていたシボッツがかすかに首を横にふるのが見えた。
ウィッテンペンは一瞬目を閉じ、話を再開する。
「イフィディアナがシボッツに託したのは、あくまでも……卵なんだよ」
ウィッテンペンは卵の持つ特定のニュアンスを強調したいようだった。
子どもという存在ではなく物体としての卵。
「殻に包まれ保護された未使用の生命が大事って口ぶりだった。マカくんっていう、すでにこの世に誕生した個別の存在じゃなくて」
イフィディアナは自分の卵を安全に保管できる場所を求めていた。我が子を代わりに育ててほしいからではなく、重要な物品を金庫に預けるような腹積もりで。
「卵が孵化したのは、イフィディアナにとって予想外の事態だったんじゃないかな。シボッツなら一向に産まれない卵を気長に保護するだろうってあてにしてたんだよ」
「……竜め」
小鬼が歯噛みする。
「オモテでの動向。卵を預けた意図。もともと厄介な相手ではあったけど、イフィディアナは今よりもっと大きな騒動を起こす予感がした。もうすでに首は突っこんでるけど、これ以上シボッツを巻きこませたくない。さぁ、どうしましょう? そこで魔女は計画を実行にうつしました」
融合。
シボッツの記憶を封印。
オモテ側を放浪し行方をくらます。
勤勉な子守鬼が悪い魔女にとりこまれて無責任な放浪者に早変わり。
人の善意につけこんで利用してくる悪いヤツをあしらう一つの手段。それは利用価値をなくしてしまうこと。
「ウラ側だとどうも落ち着かなかったからね。その気になったら、竜はいくらでも嗅ぎつけてくるだろうからさ」
森をさまようおじいさんからマカディオスはウラの成り立ちを聞かされたことがある。ウラの世界のあらゆる自然物は本物ではないのだと。罪もないのに虚無へと落とされた赤んぼうの魂が、空気になって太陽になって海にもなった。
イフィディアナはなんらかの方法でこれら始原の魂と交感することができると思われる。最初にシボッツに卵を押しつけにきた時も、そうやって居場所を突き止めてきた。
話の前にシボッツが無音の結界をはったのも、念のため今回の話が竜の耳に入らないようにするためだ。
「ただあの竜もウラで起きた出来事すべてを即座に把握している、という感じではなかったな。ほかの魔物や人間には気づかれない方法でウラ側の情報を広くあつめることもできる、というところか」
「事情はわかったぜ」
でも腑に落ちない部分もある。竜はなぜ卵をわざわざシボッツに預けたのか。
育ててもらうつもりはなく、孵化もさせずにずっと卵を守ってもらおうだなんて変わっている。あとでゆで卵にして食べる気なら、冷たい箱にでも放りこんでおけば良いのに。
「イフィディアナってヤツの考えがよくわかんねえな」
「んん……」
シボッツは口をもにょもにょさせて口ごもった。竜への不平不満をぶちまけてやりたい気持ちと、マカディオスの前で実の親の盛大な悪口を言うのはどうかという良識で板ばさみだ。
「イフィディアナとアイウェンが卵をなんの目的に使うのかまでは情報不足で断言はできないけど、こうじゃないかなっていう予想はある」
物体や生物に魔力を注ぎこんで眷属を作り出す魔物もいる。ウィッテンペンはまずそれを連想した。
ただ疑問点もある。マカディオスには魔力がなく、イフィディアナから指令も受けていない。
眷属の生産ではなく、もっとほかの利用法。
イフィディアナは卵の孵化を望んでいなかった。自分とは離れた場所で、卵のままで大切に保管しておきたかった。時がくるまで。必要となるまで。
「たとえば……卵を触媒にした肉体の再構成なんかを企んでるのかもしれないね」
セティノアの小さな手できゅっと手を握られた。
シボッツはマカディオスがショックを受けていないか、慎重にようすをうかがっている。
「そうか」
ずっとぼんやり記憶に引っかかっていた言葉が、ふっと浮かび上がってくる。760aで出会った少年イズムはマカディオスの本質をつたない言葉でこう評した。
――命の、生きる、存在の根底にすごい絶望を持ってる感じ。
「そうだとしても」
どんな親から、どんな思惑で産み出されたにせよ。
「オレは生きるの楽しいぜ」
卵の殻をドギャンッ! とぶち破ってこの世にド派手に爆誕したからには、もうこっちのものである。
マカディオスを見つめる家族の視線はどれも温かい。
「まとめると、白竜があまりにも性質が悪かったので金輪際関わらないようにしたかった。ということでぃすね」
「卵から孵化したオレにはもう興味ねえらしいし、このまま放っておいてくれたら平和だよな。なんかごちゃごちゃからんできたら、竜だろうがなんだろうがオレとウィッテンペンで追い返してやるよ。それで安心だな!」
「逃げるのならセティに任せてくだせー! 大丈夫でぃすの。みんなで助け合えば良いのでぃす」
そんな風に明るくまとまりかけた話に、魔女本人が水を差す。
「……っていうのも、もちろん事実なんだけどさ」
ウソはついていない。でもズルい表現だ。
イフィディアナの危険性を察知する前から、魔女は小鬼と一つになる機会をずっとねらっていた。何年も、何十年も前からずっと。
「私はさみしかったのかもしれない」
シボッツはこれまで多くの子どもたちの成長と安全を見守ってきたが、その子たちの保護者は別にいた。小鬼自身が主要な養育者となっていっしょに生活したのは、マカディオスがはじめてだった。
「何百年生きてても未熟なままだね」
魔物になる前から人としての何かが欠落している。
どれだけ経験を積んでも治らない。ふつうの人々と同じになりはしない。
ウィッテンペンはそういう存在だ。
その残忍で冷淡なケダモノの本質を持ったままで、さんざん見下していた人間という生きものに敬意と愛を持っている。シボッツだけではなく、大婆やミアやハンナから学習した結果として。
今でもふつうの人たちの行動がどうしようもなく愚かに見えることはある。しかし魔女は知っている。その滑稽な姿の裏に、さまざまなものが隠れていることに。それは短慮や傲慢や無知だったり愛であったりするのだと。
それがわかったところで害獣が家畜に生まれ変われはしない。
一般的な道徳に無頓着。冷血な合理性。残酷な行為への忌避感はなく、暴力への高い適正。基礎的な感情を持ち他者の心理を読み解く能力も備わっていながら、善良な共感性は欠如している。どこまでいっても結局は自分本位。
生来の人格や機能は治らない。
治るものではない。
治らないままで。
内なるケモノを理性で律し、善良な者ならどうするか自問自答を続けていたのに。
「大義名分の言い訳がとおる状況なら、私は私自身の欲を最優先した。とりつくろったところで本性はそれ。だから」
「あなたがずっとガマンと努力をしていたのを知ってる。いつも気遣ってくれた。……ありがとう」
シボッツが立ち上がり、静かな足どりでベッドに近づく。水かきのついた手がウィッテンペンの手を包む。
「どんなに親密な間柄でも、完全に思いどおりにはいかない。それが親子でも恋人でも……。いっしょにいたいから、それぞれ少しずつガマンしながら過ごしている。でもそのガマンがかたよっていると、だんだんほころびができてしまう」
イフィディアナもマカディオスも、ウィッテンペンの独断の単なるきっかけにすぎない。
もともと二人の関係は不健全で、いつかこうなるのは必然だった。これまで築いてきた関係の破綻。シボッツはそれを悪いことだとはとらえていないようだ。
「今回のことはその歪みを整えるために起きたんだ。責任は俺にもある。お互いが納得していっしょにすごせる方法を考えていこう」
ウィッテンペンがもそりと首を縦に動かしたところで、家族四人での話し合いはいったんお開き。
部屋には大人二人だけが残っている。
「……たくさん話して疲れちゃった? お茶持ってこようか?」
シボッツはウィッテンペンの世話を焼きたがる。
ふだんは言葉までも用心深い小鬼が、魔女といる時はいくぶん気のゆるんだ話し方。ほかの人の前では隠しとおしている、魂のやわく幼い部分まで安心してさらけ出す。
「ううん、平気。それよりさ、そばにいてよ」
乞われ誘われ望まれて、シボッツはベッドの端に腰を下ろす。
そろりと魔女の指が伸ばされる。犬が甘えるみたいに小鬼の手にすり寄った。
小指の側面を優しく何度もなでさすり、互いに指をからませる。魔女は自分の手をゆっくり覆いかぶせて、小鬼の手指の関節をそっと突いたり軽く引っかいたりした。
くすぐったさに、シボッツが少し照れたような吐息だけの笑い声をもらす。
「今、幸せ?」
「うん。……ああして融合してたのは特別な体験だったとは思う、けど……。やっぱり俺はこうして別々の体でいる方が良い」
繋いだ手はそのまま、空いているもう片方の手で小鬼は魔女の黒髪に触れる。
「ウィッテンの顔がよく見えるから」
マカディオスには計画があった。家族がそろったあかつきに、やってみたいことが。
パーティだ。人生には規則正しい生活ときびしい筋トレだけでなく、お楽しみタイムも必要だ。
「帰ってきた二人をおもてなしするパーティをしてえんだ」
計画を話すとまずダイナが乗り気になり、セティノアもお菓子を作ってみたいと言い出した。ヨトゥクルは参加者が多い方が良いなら自分も出席する、と回りくどい意思表示。
フィーヘンは魔女の屋敷からの滞在を切り上げて、近いうちに自分の家へと帰る。パーティの主役はウィッテンペンとシボッツだが、色々と協力してくれたフィーヘンにも感謝の気持ちを伝えたい。
「要望があります。パーティの席を決めるなら、僕とあの人は一番遠くに離していただけませんか?」
「決まった席はねえよ。テーブルから好きな料理をとって、好きなところで食べるんだ。天気が良けりゃ庭にも席を用意してえな」
フィーヘンと距離をとりたがるヨトゥクルに、マカディオスは特にケチをつけたりはしない。
苦手な相手がいるのは生きていれば当たり前だ。だれかをキライだと思うこと自体は完全なる心の自由だ。もちろん、その気持ちを軽はずみに言葉や態度に出せば自分や相手を傷つける。
苦手な相手と同じ空間でしれっと平穏にすごすのも、わだかまりを解消するため歩み寄るのも、どちらもコミュニケーションのあり方だ。
「……まぁ、僕も子どもじゃないんで無難にやりすごしますけどね」
「ヨトゥクルも楽しめる時間になるのをオレも願ってるぜ」
愛嬌たっぷりにマッスルキュートなポーズで励ましたら、ものすごくイヤそうな顔をされた。
マカディオスはパーティ会場となる場所を整える。食堂と、そこから大きな掃き出し窓を開け放って出入りできる庭の一角だ。掃除はもうお手のもの。家具の移動もお安いご用。
料理だって作れる。ウズラの卵にミニトマト。アボカドと茹でたエビ。チーズとオリーブ。色んな食材をピックで突き刺しお皿の上にキレイに並べた。
シボッツたちへの招待状を書いたのもマカディオスだ。メッセージカードを買いにむかった妖精市場の紙専門店のお姉さんも、本当にうれしそうな顔で見送ってくれた。
ヨトゥクルはちょっとシャレた料理を持ち寄った。大勢に喜ばれる料理なんて何も見当がつかなかったが、評判の良いお店を調べて人気商品を買ってきたのだ。ホウレン草とサーモンのキッシュはまだほんのりあたたかい。
ダイナはちょっと張りきって、お酒を使わないカクテルを作ってふるまう係を買って出た。グラスのふちにちょこんと乗ったレモンやオレンジは飲みものをゴージャスに変身させる。リクエストすればプロテインをシェイクしてダマなく仕上げてもくれる。
セティノアが担当したのはお菓子作り。指でつかめるスティックパイに、粉砂糖のかかった丸いクッキー。何より一番力を入れて用意したのはパフェだ。
底にはコーンフレークをしきつめる。シロップ漬けの甘いミカンとパイナップルをグラス表面にキレイに設置したところに、バニラ味とイチゴ味のアイスクリームを盛りつけて固定。食べやすい大きさに切ったバナナとキウイを華やかに盛りつけて、アクセントにはブルーベリーとラズベリー。
トドメの一手間に、チョコソースとイチゴソースをバランスよくかけていく。
パーティがはじまって、おだやかでゆったりとした時間が流れる。
当たり前の日常でもあり、特別な一時でもあった。
四匹のオバケネコたちはそんなことはまったくおかまいなしで、少し迷惑そうに思い思いの場所でくつろいでいる。小鬼の家は壊れてしまったので、ネコたちもその飼い主も魔女の屋敷に住むことに決まった。
来客の多い魔女の家には食器も余分においてある。テーブルの上にはカトラリースタンド。よく使うスプーンやフォークのほかにも、果物用スプーンだとかマドラーだとかもごちゃまぜで収められている。
そこに新顔が加わった。
目を閉じてすました顔の白ネコの陶器スプーンが一つ。




