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57・恐怖心

 小鬼に見られていた。


「……は」


 どんな悪事も諍いも、楽しいものでしかなかった。そんな魔女がどういうわけかひどくうろたえる。


「これは、ちがう」


 乾いたノドからひねり出す。

 人間時代に冤罪で火あぶりになった時でさえ、こんな気持ちにはならなかったのに。あの時感じたのは、痛めつけられて死んでいく畜生じみた憤怒だけ。

 魔女がはじめて経験するその感覚は恐怖だった。

 とびっきり悪いことをしているのを見られてしまった子どもが感じるような。


 小鬼が近づいてくる。

 魔女の歯がかちかちと音を立てた。

 すぐそばまで。魔女がほんの少し腕を伸ばせば触れられるところまで小鬼がきてしまった。


「私じゃない」


 正確な事情を説明するには圧倒的に言葉が足りない。大婆の体を焼いたのはまぎれもなく魔女で、小鬼はその瞬間を目撃した。多くのウソをあやつってきた狡猾な舌も、窮地を切り抜ける策をすぐにひらめく頭も、そろってぶざまに凍りつく。




「わかってる」


 それだけの応え。

 小鬼は魔女に背中をさらした。信頼して、庇護するために。




 規則的な軌道をえがき小鬼の周囲に浮かんでいた泡の帯が、ふわりふわりと大きな球体となる。泡の内部に呑みこまれないようにウィッテンはあわててよけた。たぶん防御の結界みたいなものだ。


「あのっ! 私も魔物なんだけど!?」


 触れたとたんに排除されたらたまったものじゃない。


「それもわかってる。入りなさい。大丈夫だから」


 大丈夫と言われたところで不安は消えない。障壁の内側にいても良いと小鬼は許可した。それがいつか覆されて追い出されてしまうんじゃないかと思うと、耐えがたいほどこわい。


 実の親でさえ関わりたがらないようなガキだ。

 それをどうして他人が助ける?

 助けてくれたのだろう。


 大婆や村人たちの顔が思い浮かぶ。


 ウィッテンは指先を伸ばして、おそるおそる泡の壁に触れてみる。一瞬ぱちっとした弾力を感じただけで、たわいもなくウィッテンを受け入れる。何も拒まれはしなかった。

 清らかで優しい空間に全身が包まれても、小鬼の結界はウィッテンを弾き出したりしない。


挿絵(By みてみん)


 数度のまばたきの後、すぐ我に返る。目の前の敵をぶち殺すために役立つ情報を小鬼に伝達。


「敵の心臓位置は未特定。ロバの頭は一度潰してチェック済み。骨の柱の動きは喰い止めてるけど、どこまで持つかわからない。赤い肉の塊みたいなのは私の眷属。敵の能力で浸食されてる恐れあり。ジャマならいっそ攻撃に巻きこんじゃってもかまわないよ」


 ロバの口が開いて艱難辛苦のハエがわく。


「あのハエは接触しただけで活力を吸いとられる。大婆も眷属もやられた。肉体にもぐりこんで増殖する力もあるっぽい。私は焼き払って対処した。君は?」


「結び目をほどく」


 粘性をおびた泡の結界は見た目以上に強靭で、ロバが吐き出した黒い群れを表層で受け止めた。泡と接触した箇所が明滅して光っている。


「あれって何かしてんの?」


 ウィッテンが泡に触れた時には淡い発光は起きなかった。


「……あー……あれか……。この泡は魔力そのものや魔力で構築された疑似実体を識別して閉め出す……俺の許可がない限り。物理的な衝撃には気休めていどにしかならないのが欠点ではあるが……。光っているのは、相手の魔力を介してその力の根源を解析している。魔法というのは個人の精神と密接な関係があるからな。あの光が充分な量まで集まると……」


「説明する時、なんか早口で活き活きしてるね!」


「……」


「き、気を悪くさせたんなら謝るってば」


 光をおびた泡が空へと昇る。

 月光を遮るのだと魔女は思った。だれでも考えつく手段だ。魔物によって魔法の方向性がちがうから、全員ができるというわけでもないのだが。


 予想は裏切られる。

 空に裂け目ができた。月ではないべつの光がもれ出している。


「……あの魔物専用の幻だ。ウィッテンへの害はないが、あまり見つめない方が良い」


 魔女は素直に視線をそらす。上空からは聞きなれないだれかの幸せな笑い声と、素朴であたたかい食事の匂いまでしてきたような気がした。

 光の中で魔物の体がほつれていく。ロバの頭も骨の柱も、眷属であるハエたちも。ほどけた魔力の糸は空の穴を目指して消えた。

 消滅させた、とうよりは魔物自ら実体を放棄したように見える。心臓すら残さずに。


「君ってずいぶん妙な技を使うんだね」


 魔物としてそれなりに長く生きた魔女だが、こんな殺し方にはお目にかかったことがない。


「満月の下で魔物が安らかに死んでいく魔法なんてさー」




 小鬼はこの夜の惨劇のすべて悼むように佇んでいた。


「……おばーちゃんは、君の服も作ってたんだ。でも何かの昔話を気にしてさ、完成してもわたすの迷ってたんだよね。仕事を手伝う妖精に人間が服を贈るといなくなっちゃう、みたいな昔話。どうする? 着てみたい?」


「あぁ、大切にする」


 小鬼がうなずいた時の面影が、ほんの少し大婆に似ているように見えた。もしかしたら二人は遠い血縁関係なのかもしれないなんて想像が魔女の中でふくらんだ。


「そうか、じゃあちょっくらおばーちゃん家からかっぱらってこよう。それが済んだら私はこの村から退散するよ。君はどうするの? お節介で心配性な子守鬼さん」


 魔女は仮の姿を脱ぎすてる。

 可憐だが子どもっぽくもあった白い衣装がむしゃむしゃと体に呑みこまれ、代わりにまとうのは赤黒い細身のドレス。優艶な体の曲線を際立たせつつも、人間時代に受けた被虐の痕をかくすように肌の露出はおさえられている。

 肩で切りそろえられていた黒髪も腰ほどの長さに伸び、自由を謳歌し不気味にうごめく。ミアが結んだ三つ編みとリボンはそのまま残して。


「村にとどまるのはオススメしないなー」


 あれだけの事件を魔物が起こした後だ。小鬼は無関係で無害とはいえ、村に居つく魔物の存在をこれまでと同じように住民が受け入れるとは思いにくい。ウィッテンを慈しみ、小鬼に好意的だった大婆も亡くなってしまった。


「せっかくだからさ。私たち、もうちょっとつるんでみない?」


 華麗な変身を披露したというのに、小鬼ときたら固まって何も言ってこない。

 ウィッテンペンは自分の魅力を誇っていた。

 軽く屈んで、ゴブリンの緑色の頬に顔を近づけてみる。ちょっとした感謝と労いのつもりで。美女のキスはごほうびだろう。


「あ……」


 緑肌に口づける直前に気づく。

 無表情で固まる小鬼から感じ取れたのは、呼吸が止まりそうになるほどの怯え。

 緊張しているだとか恋愛慣れしてないだとか、そういう次元ではない。凄惨な暴力に直面したように体をこわばらせている。


「……っ、ご、ごめん!!」


 魔女はあわてて飛びのき距離をとる。

 これまで人の心を傷つけたことは山ほどあるが、涼しい顔で他人事みたいに謝るだけだった。こんな風に狼狽することも、必死に許しを乞うことも、嫌われたくないと思うこともなかった。

 小鬼が今感じている恐怖とはくらべものにならないが、ウィッテンペンもまた慣れない感情に当惑している。こわかった。


 心臓がある胸のあたりを両手でおさえ、小鬼は息を整えた。


「……気に……しないでいい。俺も、気にしないようにする。あれぐらいのことで……こんなに怯える俺の方がおかしいんだ」


 小鬼は満月の夜がこわい。

 夜に聞こえる音楽がこわい。

 髪の長いキレイな女の魔物がこわい。

 理由は今の小鬼にもわからなかった。それにかかわる記憶は厳重に封じこめてある。


「い……イヤだと思う自分の気持ちをもっと大事にしなよ! その……君にヤなことした張本人が何言ってんだって感じだろうけどさ」


 小鬼がかかえる事情はウィッテンペンにはわからない。

 わからないが、自分が不用意に近づけば彼を苦しめるだけのようだ。

 本当にこの人を思いやるなら、さっさと離れた方が良い。


 ――それは絶対にイヤだ。


 シツケのなってない駄犬とはちがって、ウィッテンペンは強い理性を持っている。それでもエゴと本能を優先させた。

 自分の願望すべてを押し殺すだけの理性ならばいらない。ガマンというのは、短絡的な衝動をなだめて大きな望みをつかむためにある。


「背中を預けられる仲間がいるのは安心だよね。私は君が恐れるものがこわくない。代わりに追っ払うことも、八つ裂きにすることだってできちゃう。そりゃ今は総合的には君の方が優秀かもしれない。でも私だってそこそこ腕が立つし、もっともっと強くなるよう努力する」


 ウィッテンペンが人とかかわる主な理由はそうすると利益があるからだ。自分の有益性を一生懸命アピールした。


「もちろん君のイヤがることはしない。ねぇ、この提案は君にとって耐え難いほどに苦痛かな?」


 わざと強い言葉を使ってお人好しには断りにくくさせるのも忘れない。ズルい手を使っても、魔女はこの人といっしょにいたいのだ。


「ウィッテン自身はイヤではない、けど……その……少し……」


「私に遠慮しないで、本心をぶっちゃけていーよ」


「あ……あなたを見てると、消したはずの記憶が忘れるのを許さないって! 俺の頭からあふれてきて窒息しそうになるんだッ!!」


 いつもの彼らしくない切羽詰まってこんがらがった言葉。叫んだ後で小鬼はむせてしまい、しばらく苦しそうな咳が続く。

 ウィッテンペンは小鬼の体に触れるわけにもいかず、ただそばで見守るだけだった。伸ばしかけた手は行き場もなく宙に浮く。


「すまない。こんな……突然大声を出したりして……。やっぱり俺はどこかおかしい。だから……」


「えー、奇遇っ! 私もめっちゃおかしいよ! 人間だったころ異常すぎてフルボッコにされて火あぶりになっちゃったくらいだし!」


 そう宣言した後で、今の迫り方はマズかったのではないかと不安になる。


「さっきのはっ、私の方が異常だっていう変な威張り方をしたんじゃなくてっ! その……君と私は似てるところもあるんだね、ってこと。もしも君のおかしい一面を見たとしても、私はそれだけでキライにならないよって言いたかったんだよ……」


 ぜんぜんダメだ。調子が狂う。自分で自分が情けない。

 こわがらせないよう細心の注意を払って小鬼の前にひざまずいた。


「お願いだよ。私のことは番犬か用心棒とでも思えばいい。都合よく利用してもかまわないから。君が呼びかけるまで姿を見せないようにする。ただ君のそばにいるのをゆるしてほしい」


 答えにまどう小鬼の気持ちが魔女にはよくわかった。

 こわいのだろう。

 ウィッテンペンの見た目も。自分の不可解な記憶も。今むけられている言葉が、いつか覆されて離れていってしまうんじゃないかと思うのも。


「……うん」


 迷いと恐れにさいなまれながら、小鬼はかすかに頷いて魔女の懇願を受け入れた。


「俺はシボッツ。あー……名前ってこれであっているのか? 魔物として名乗るのははじめてなんだ」


「頭に浮かんだのがそれならあってるんじゃない? 私はウィッテンペンだよ。よろしくね」


 願わくば末永く。

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