56・祭りの夜に
*虫さんの集団
*非戦闘員の人間がひどい目にあうシーンあり
村では秋祭りの支度が進んでいた。
大婆はウィッテンの衣装を作ってくれている。祭りの日に子どもたちが身に着ける特別な白い服。
針仕事をする大婆ににっこり見送られ、ウィッテンが出かけたのはよその家。しっかり者でオシャレなお姉さん、みーちゃんの家に子ども数人でお邪魔して祭りの準備をする約束をしたのだ。小さなはーちゃんもお気に入りの人形といっしょにやってくる。
こういうあつまりに当たり前のように呼んでもらえるくらいには、ウィッテンは村で上手くやっているし住民たちも気立てが良い。
みーちゃんことミアの家では黒い犬を飼っていて、夏のはじまりに子犬たちが産まれていた。犬の成長は早い。体はまだ小さいがもう犬の社会を学びつつある。
台所にただよう果物の香り。このあたりでよくとれるリンゴは、そのまま食べることもできるが火をとおした方がよりおいしくなる。ミアのお母さんが大きなナベで煮こんでいる間、子どもたちは踊りの練習をしたり祭りの飾りを作ったり。
丸いリンゴにあやかって、村の秋祭りは毎年決まって満月の晩におこなわれる。
娘たちの足元に大小二匹の黒い犬が乱入する。ミアが困ったような笑い声をあげた。
「ふふっ、やーねー。まだお母さんを追いまわしてるの?」
一匹の子犬が母犬にしつこくまとわりついていた。子犬といってもお乳が必要なほどの赤ちゃんではない。同じ腹から産まれたほかの犬たちはだいぶ前に乳離れを済ませている。
迷惑そうに逃げていた母犬も、ついに子犬に根負けして、やれやれという風に横たわった。
「あの子ってば、いつまでたっても甘えんぼうなのよね」
あたたかな雰囲気の中でひびくのは、ほのぼのとした笑い声。
平和なその光景をウィッテンだけは無表情に見つめていた。
我が子に乳をふくませる母犬のなめらかな背中を。
祭りの晩がやってきた。
この日ばかりは夜でも煌々。バスケットの中には黄色や赤のリンゴがぎっしり。白いチュニックに巻いた飾り帯。帯の片方だけをうんと長く垂らすのが伝統だ。甘い果実のパイが焼け、ブタはつぶされごちそうに。家々を守る犬たちはブタの尻尾をオヤツにもらってうれしそう。
小さな歩幅でゆっくり歩く大婆にウィッテンはそっとつき従う。利口な犬が人間を気づかうように。
開放的な天幕の下にはイスが並べられ、各家の代表者やその親族が話をしていた。村人たちに歓迎されながら大婆が席に腰を下ろす。
わりとすごしやすいこの村でも、人間の群れの力関係がやんわりとあらわれることがある。高度で複雑な社会性を持った生物のルールが身近で観察できる良い機会だ。
祖父の膝の上に乗っていた幼児が口をあんぐり大きなあくび。
まわりの大人たちの何人かもそれに連動するようにあくびをはじめたのが、ウィッテンにはとても奇妙な光景に見えた。
「そういえばウィッテン。あなたって人のあくびがうつらないのね」
大婆にそう指摘された。
あくびがうつるというのが比喩的な言い回しなのか、実際に感染力を持つ現象なのか、判別に迷う。ささいなことでも家畜の社会では油断できない。公表も明文化もされていない無数の決まり。その場の状況や相手次第で正解がいくらでも異なる玉虫色のルール。ウィッテンがあざむこうとしているのは、そんな不条理への適応をとげた社会性生物の群れだ。なめてかかっていると……つかまって火あぶりだ!
「そう? 気のせいじゃない? もし、うつらないとどうなるの?」
「さあ? どうもないんじゃない?」
なめてかからず警戒して、こういう肩透かしをくらうこともたくさんある。
この日のために作られた舞台に二人の戦士が登場すると、天幕はうるさいほどの歓声に包まれた。
祭りでは村人同士の牧歌的な決闘もおこなわれる。片手で一本の綱をつかみ、もう片方の手でやわらかい武器をかまえて対戦者を叩きまくる。綱から先に手を放した者の負け。ルールからわかるとおり、決闘といっても平和な試合でしかない。
対戦者の一人はクマのようにずんぐりむっくりしたおじさん。もう一人はというと髪の短い元気な小僧。この二人は親子だ。
「どういう戦い?」
「お母さんの愛をめぐって決闘するんですって。ふふ、かわいい」
勝負の行方を見届けることなくウィッテンは遊びにいった。観察したいものはいっぱいあるのだ。
ミアと合流した。こういう時につるむ相手を確保できると人間社会の中で生きるのはぐっと楽になる。年齢は同じぐらいが望ましい。年の離れた交友関係自体は悪くはないが、同年代の友人がゼロだと苦労する状況もある。まぁそれだって不便ってだけで、べつに悪いわけではない。
「ねぇ! 髪型変えてみない? 私にいじらせて」
「いーけど、私のはみーちゃんほど長くないよ」
すでに特別仕様の豪華さになっているミアの栗毛色の髪とちがって、肩につくていどのウィッテンの黒髪にはなんの飾り気もない。
「できるできる。ねぇ、キレイ系がいい? カワイイ系にする?」
「えー? うーんとねー。見栄えが良くて短時間でできて動きやすい髪型がいーなー」
くすっと笑ってミアが耳元でささやいた。
「好きな子ができたんでしょ」
人とかかわれば自分もまた観察される。当たり前のことだ。
「かっ、からかう気もないし、イヤなら詮索しないからねっ? だから、そんなにこわい顔しなくたって良いじゃない……」
「えー、こわい顔なんてしてないよー」
一瞬とがった空気を丸く整えて、ウィッテンはミアに髪の毛を任せる。ミアは当たり前のようにピンやリボンやクシを持ち歩いていた。
おろしている髪を半分残して、耳の上あたりから三つ編みを作る気のようだ。ミアは白いリボンをウィッテンの黒髪とまじえていった。左右にできた三つ編みの端を後頭部でたばね、リボンで結わく。
「たまにはこういうのも悪くないでしょ?」
「うん。みーちゃん、ありがとね」
そうやってほほ笑みあえば、まるでふつうの小娘みたい。
この村での暮らしでウィッテンは人間について多くを学んだ。母親から犬以下だと罵られた産まれついての反社会性の問題児も、これでちょっとは人の群れにまぎれこみやすくなったというものだ。
――地獄のアバズレ、どうぞごらんになって。もしも次にだれかの胎からひり出されたら、きっと今度は上手くやれる。
「はーちゃんのおばさんが焼いたパイを食べにいきましょ」
「いーねー。はーちゃんがいたら、ステキにしてもらった髪を見せびらかしちゃおうかな」
――あの日のお前の背中をおぼえてる。私から悲鳴を上げて逃げていった背中を。
「おばさん、こんばんは」
「おいしいパイをくださいな。二つ分」
――無防備な背中をさらして逃げてくものだから、衝動的にじゃれて甘えてしまったじゃないか。あなたは思いきり手をバタつかせて、私にはわからない顔をしていた。あれはおびえていらしたのですね。その瞳にしっかりと自分が映されているのが見えて、私はとてもとてもむなしかったのです。
その異形は祭り会場に突如降り立った。
いくつのも古い農具が長い鎖で打ちつけられた歪な柱。長年の労働でねじ曲がった背骨のような歪な柱で、そのてっぺんにはやせたロバの頭が乗っている。まわりに飛ぶ黒い点はぜんぶハエ。作りものではないし、まともな生きた動物でもない。もちろんだれかが用意した悪意にみちた飾りでもない。
魔物だ。ウィッテンペンと同じ存在。
骨の柱の脊椎にあたる部位の一つ一つが独立して回転する。打ちつけられた錆びた熊手にクワに鎌。古い農具が高速で振り回されて凶器と化す。
「わー」
村人たちの生々しい悲鳴と混乱の声におおいかくされた、ウィッテンのやる気のない棒読み。
満月の夜には魔物たちははしゃぎがちになる。出歩くのを恐れて引きこもっているあの小鬼は変わり者だ。
「皆さん。どうか私の話を聞いてください」
拍子抜けしそうなほどおだやかで平坦な声でロバの魔物が語りかけた。弱々しくかすれた男性の声。その間も凶器は人々に迫り続ける。
「私のようにはならないでください。私はグズでノロマで頭が悪く、何をやっても人より劣っていました」
そう語る間も人間を殴打し切り刻もうと柱は進む。
逃げられる者は無我夢中で走り出し、そうでない者はたどたどしい動きでテーブルや木箱にすがった。魔物の暴力の前ではそんなものは身を守る盾になりはしないのに。
「ごめんなさい、上手に人間をできなくてごめんなさい。存在するだけで不愉快にさせてごめんなさい。魔物になってごめんなさい。世の中を呪ってごめんなさい。無関係の皆さんに危害を加えてごめんなさい」
ウィッテンは立ちすくむミアの手をくいっと引っ張り、硬直している村人がいればちょちょいと頬をつついてから逃げる方向を指さした。
地面にハンナのお気に入りの人形が落ちている。混乱の中で踏みつけられていた。肝心の持ち主の姿は見当たらない。
魔女の感情はいたって安定している。無意味な感傷もいだかないし、余計な動揺も生じない。
今はただ心おだやかにこの状況を楽しんでいる。人生には刺激が必要だ。こういうトラブルは大歓迎。
順調に生活しているように見える人間たちを害するために、わざわざ乗りこんできたのだろう。謝罪の言葉を口にしながら、農具の刃でひき肉を作りたくてうずうずしている。自分の身を守るためでも利益を得るためでもなく、心の渇きを満たすために殺しにきた。
(やりたいことをしにきたんなら、もっと楽しそうにすればいーのに!)
村人たちと逃げるフリをしながら魔女はあざ笑う。
視線の先でハンナとその家族を見つけた。幼い娘を抱いて走る母と、手ごろな棒を手にしてその背後を守る父。お尻がキュートな二匹の犬が一家を先導していた。本気を出せば人間なんかよりもっと速く逃げられるというのに。忠実なケモノだ。
半狂乱になったミアの母が腕を伸ばしてこっちにやってきた。ウィッテンはずっとつないでいたミアの手を放し、軽く突き飛ばして親の胸へと送り出す。親子はいっしょに逃げようとでもいう風にウィッテンの腕をつかんできた。
冗談じゃない。足手まといの家畜どもといつまでも仲良しこよししてるヒマなんてないのだ。ウィッテンはつまづいたフリをしてミア親子を振り払い、さっさと夜の闇にまぎれる。
この村は縄張りで実験場だ。派手に荒らそうとする魔物はお引き取り願うまで。
魔女の正体をバラすこともなく攻撃できる手段なら、すでに用意できている。
自分はそれほど強い魔物ではないという自覚がある。有利に戦える準備はおこたらない。
このあたりで一番大きなニレの木のウロ。古い時代のお墓が埋まっているという小さな丘。岩の亀裂。そういった秘密の場所に魔女は自分の力をそそいで増殖させていた。
這い出たのは大きな口をそなえた肉塊。赤黒い怪物の軍勢が草地に屋根に樹上に並ぶ。鋭い牙を生やした口はどれも楽しそうな笑みを浮かべている。
少女の姿をした魔女はだれにも気づかれることなく、魔力をわけて作り出した手下どもに嬉々として指示を出す。
(お楽しみタイムだよ。思う存分喰らいつけ)
すばやい眷属はオトリも兼ねる誘導役。軽く噛みついては距離をとりをくり返して骨の柱を翻弄する。
骨の柱は見るからに小回りのきいた素早い動きを苦手としていた。凶器の回転速度がゆるまったところで、トラバサミの罠にも似た巨大な顎が脊椎をぎちりとはさむ。
柱の移動がにぶったところで上空から急降下する鋭利な物体。長大な一本牙にも似た魔力の塊が豪雨の勢いでふりそそぐ。
(うーん、心臓の位置がわかりにくーい)
移動と回転は封じたものの魔物はまだ生きている。ロバの頭はまっさきに狙いをつけた。すでに月の光で再生している。
大型なうえに変則的な異形の体。体外に心臓をかくしているのでなければ、背骨めいた巨大な柱のどこかだろう。どんなに小ぶりの魔物の心臓でも、気づかないくらいの極小サイズというのは存在しない。少なくとも人間の握りこぶしほどの大きさはあるはずだ。
村人の避難も済んだようで、祭り会場に残っているのは二体の魔物だけ。
心臓の位置はじっくり特定していけば良い。多少手間はかかるかもしれないが楽勝だ。
なのにどうして、暗闇をよたよた歩く足音が近づいてくるというのか。
よりによって大婆がウィッテンを探しにやってきた。一応建物や木に身を隠して用心深く移動しているものの、あれでいつまでも魔物に見つからずに済むとは思えない。
きっとミアか彼女の母あたりがウィッテンとはぐれたことを大婆に伝えたのだろう。責任感から。むこうは混乱のさなかで見失ったと思っている。ウィッテンがそう思わせたから。
助けるか。見捨てるか。利用するか。
三つの選択肢が頭の中で目まぐるしく跳ね回る。
「ウィッテン!!」
大婆がウィッテンの姿を見つけてしまった。おばーちゃんが仕立てた特別な服に身を包んだ少女を。
あまりにも不用意な大声。あのロバ頭がいくらぼんくらでも、とうぜん気づかれる。
眷属をむかわせ、守ろうとする。ロバの柱の動きは文字通り喰い止めてある。絶対自由に動かせない。
大婆のもとへ使わした眷属がぶわりと身を膨らませた。そんな指示はしていない。ドロリと眷属の疑似肉体がくずれ落ち、中から噴き出したのは騒々しい黒い点。
ハエの群れだ。一匹で人の親指ほどの大きさはある。
魔力をおびたハエたちは、たかってとりつくことで大婆の命を吸い取っているように見えた。
人間のフリはやめた。自ら業火を放って忌々しい虫を焼き尽くす。
ウィッテンが急いで抱き支えた時には、残された大婆の寿命は老いた心臓の一打ち分だけ。弱々しく消えていったその一打ちを魔女はしっかりと自分の手で感じ取った。
こんな事態になっても、ウィッテンには悲しいとか自分のせいだという感情はまったくわいてこない。
あるのは大事な所有物を壊されたような怒り。失敗したという憤り。自分に損害を与えてくる者への冷えた殺意。
感情がないわけではない。産まれながらに欠けているのは、善性だ。
視界の端で大婆の耳の穴にハエがもぐりこもうとしているのが見えた。
内側からくずれた眷属の姿が脳裏によぎる。今はまだ大婆の体は、生きていたころの姿でたもたれている。
「……」
魔女は大婆の亡骸を自分の腕でしっかりと抱いて、炎を身にまとう。優しい老婆の体が消し炭になるまで焼き尽くす。
業火がおさまったむこう側に人影。魔法を帯びたシャボン玉をともなった、小柄なだれかが佇んでいるのが見える。
スミレ色の視線と、目があった。




