5・魔女の屋敷の享楽遊戯
やってやれないことはないが気乗りしないことは極力やらない。それがウィッテンペンの主義だ。
森でつんだ果実でジャムを煮るのは好きなこと。出来上がったジャムは絶品。用途におうじてハーブを調合するのもおもしろい。ハーブティー作りの名人だと自負している。
日に三度も食事を用意するのはめんどうくさい。かたいパンでもかじっておけば空腹はまぎれる。掃除やかたづけは心底うんざり。百年だって放っておける。
「そんな私が今日という日のために一生懸命お掃除したお部屋がこちらです。どうぞごらんくださいませ」
ウィッテンペンがうやうやしくも気どったしぐさで屋敷の応接間のドアを開ける。
マカディオスとシボッツはかたずをのんだ。
部屋の中央でずっしりとかまえる大理石のテーブル。雑に水拭きした痕跡がある。
革ばりの豪華なソファーのセットは本来もっと多くの人数をすわらせることができたはずだ。かろうじて三人分のスペースがあけられているだけ。ほかは荷物に占領されている。最後にいつページが開かれたのかわからない本、くしゃくしゃになったケープやブランケット、ほとんど空っぽの香水瓶にお菓子の缶といった雑多な品々がソファーをとりこんで地層を作っている。
頭上にかがやくシャンデリアには小粋なクモの巣のデコレーション。
これを見せられてなんてコメントすればいいのかわからない。
マカディオスはシボッツの反応をうかがった。
「あー……がんばったじゃないか! 足のふみ場ができている!」
「ガンバッタナ!」
ほめる方針らしい。マカディオスもムダに元気な棒読みで調子をあわせておいた。
「ふぃっ、ふへへっ! そ、そーかなー。……本当のところは?」
「しいていうなら……今すぐ窓を開けて換気をした方がいいと思う」
「イイトオモウ」
マカディオスも首をコクコク上下させる。部屋には陽光にてらされて黄金にかがやく荘厳なホコリの大河ができていた。
「そ、そうだよね! 教えてくれてありがとー」
ウィッテンペンがはずかしそうに窓に近づくと、カーテンのかげにいた二匹のヤモリがするすると壁をのぼって逃げていった。
「……ほかにも何か生きものがいるんじゃないか。妙な気配がするぞ」
「スルスル」
渋面を作りながらシボッツが耳を動かしている。
マカディオスも同じことを感じていた。
「マカくーん。この中でなんか遊んでみたいのあるかなー?」
大理石のテーブルの上で興味をそそられるデザインの木箱や紙箱がひしめきあう。どれも中には細々とした遊び道具がおさめられている。スゴロク盤にコマとサイコロ、小さな木のブロックだとか、お題が書かれた無数のカード。
お茶とお菓子と遊戯盤のお楽しみ。それが魔女のおもてなし。
マカディオスはワクワクしたし、シボッツも満足している。
「知育や情操教育によさそうだ」
「私がそんなこと考えるタイプに見える? マカくんといっしょにワイワイ遊べそうなのをえらんだだけだって」
なれていないマカディオスにも楽しめるように、ルールが簡単で感覚的に遊べるものが用意されていた。
「ゲーム大会の開幕だよー。一勝ごとにおいしいお菓子をプレゼント! 一番たくさんお菓子を獲得するのは誰だ!」
「負けられねえ戦いがある」
はしゃぐマカディオスとウィッテンペンをよそに、一人だけテンションの低いものがいた。
「風味づけで少量でもアルコールが入ってるものはマカディオスにはダメだ。ハチミツと黒糖は厳禁。チョコレートもまだ早い。大きなナッツはノドにつまらせる危険がある。それから……」
またはじまった。マカディオスは心底うんざりした。
この小鬼はマカディオスがオヤツがほしいといった時に、切っただけの生のセロリやニンジンを平然とわたしてくる外道だ。べつにイジワルをしているわけではなく、心からよかれと思っているから本当にたちがわるい。
ウィッテンペンがたしなめるように首をふる。長い黒髪がなびいた。
「マカくんを平均的な人間の子どもと同じように育てるのは、かえって不自然だよ。つちかった知識も大事だけど、現状にそった対応が肝心。見てよ! このしっかり育った筋繊維と骨格! 生えそろった歯! 赤ちゃんあつかいしなくて大丈夫だって」
ウィッテンペンの説得によりシボッツは折れた。
これでマカディオスはお菓子を食べられる。最高だ。マカディオスはウィッテンペンに深く感謝して、両腕をムキッと上げてよろこびを表現した。
勝負は時の運。くばられるカード。進むコマ。サイコロの出目に一喜一憂。とびかうオモチャのコイン。
三人の前にあるお菓子の数はそれぞれがつかんだ勝利の数。いろんなゲームで遊ぶうちに各自の得意分野もわかってきた。
ただサイコロをころがすだけでもマカディオスにとっては新鮮だった。これで絶対うまくいくと信じて運にゆだねるビギナー。不利になった時でもあきらめないし、負けた時の気持ちの切りかえも早い。
反射神経が勝敗を左右するルールではマカディオスはほかの二名を完封した。まさに天賦の肉体がなせる業。
ウィッテンペンは大胆で損得勘定に強い。どうすれば勝てるかぬけ目なく考えて楽しみながらプレイしている。このままでは芽が出ないと思ったら、今持っているものを惜しげもなく手放すこともできる。得点計算が早く正確で、計算に苦しんでいるマカディオスがお願いすると助けてくれた。
安定をすてて大きな利益が見こめるハイリスク・ハイリターンをえらびがち。刺激をもとめるプレイヤーだ。
ムラが激しい二人に対してシボッツは堅実でそつのない立ち回りを見せる。慎重な判断を好み、これといった隙を見せないプレイヤー。彼は負けないことにかけては誰にも負けていなかった。
ただボロ負けはしない代わりに一位の座に君臨することもまれで、手に入れたお菓子の数はビリ。
「……二位でも少し菓子がもらえるルールなら、俺だっていい線いってたと思う」
ぼやいたところで結果はくつがえらない。
能力や働きの成果は同じでも、ルールによって受ける評価や得られる報酬がガラリとかわるなんて、よくある話。
「そろそろラストにしよっか。最後に遊ぶのはどれにする?」
どのゲームもひととおり遊んだ。と思っていたが、まだ遊んでない箱があった。牧歌的な風景がえがかれた箱をマカディオスが指をさす。
「これは?」
「これねー。いちおう用意してはみたけど今日遊んだゲームの中だと複雑めかも。チャレンジしてみる?」
ウィッテンペンが大きな箱をかかげる。りっぱな牧場を作るのがこのゲームの目的だ。
中に入っているのはオモチャのお金。動物や作物をしめすコマ。土地をあらわすパネル。ターンごとに引くカード。あつかうものがけっこう多い。
あ、なんだかむずかしそう。マカディオスはたじろぐ。
なんていって断ろうか迷っていると、おせっかいなだれかが口をはさんだ。
「そのゲームはまたべつの機会にまわして、ほかの簡単なものにするのはどうだ? マカディオスはどうしたい?」
気を使った遠まわしな表現だが、ようするにこういうことだ。
マカディオスにはムリ。
ずいぶんと見くびられたものである。
「ヘッ、オレがどうしたいかだと? やってやるぜ」
すごみをきかせたムダにかっこいいポーズでマカディオスは宣言する。
太い指をビシッっとシボッツに突きつける。
「そしてオレが勝つねッ!」
魔女はゆかいそうに赤い唇を吊り上げて、このなりゆきを見物している。
宣戦布告に対してシボッツはいたって冷静だ。顔色一つかえることなく、おだやかな調子でこういった。
「マカディオス、人の顔に指を突きつけるのはやめなさい。人を指さすかわりに、手の平を上にむけてしめすといい」
水かきのある手に人さし指をそーっと押し下げられる。薄荷色の親指と人さし指にゆるくはさまれてなでられた指は、お行儀よくまっすぐに伸ばされていく。最後の仕上げに手の平が上をむくよう、やさしい力でくるりと引っくり返された。
「こうか? こうだな! おぼえた!」
マカディオスは目についたものすべてをお上品かつ爆速で手の平でさししめしはじめた。
室内に風がまきおこり、ウィッテンペンのさらさら黒髪とシボッツのふわふわ白髪がなかよくそよぐ。
「俺がお前に教えることもぜったいじゃないんだ。手の平でも失礼に感じる人もいるらしいから、世の中は難しい。ものや方向、自分自身を指さすのもダメだという人もいる。緊急時の指示だとか手指の動きを使って会話する方法にまで、人を指さすことをとやかくいうのはいくらなんでもガンコすぎる。マナーは時と場所と文化でかわるものだから臨機応変な対応ができるといいな」
「たぶんマカくんには聞こえてないよ」
ゲーム大会の決戦はマカディオスとシボッツの一騎打ちになった。
お菓子獲得数トップのウィッテンペンがプレイヤーとして参加するのをお休みして、ゲームの進行に使う小道具の管理係を買って出たからだ。
「このゲームの勝者にはお菓子のセットをドドーンとおわたし! がんばってー」
トップは勝負をおりた。この勝負を制すれば現在最下位のシボッツでも、あつめたお菓子の数で逆転が可能になる。
魔女がゲームに使うカードのシャッフルをはじめた。
卵が。水車小屋が。番犬が。
大理石のテーブルの上でかき混ぜられて、その運命がからみあっていく。
シボッツの牧場は順調に成長している。テーブルの上に広がる彼の仮想の牧場では【かがやく毛並みのこえたウシ】がのんびりと草をはみ、【のどかなヒツジのむれ】を守る【忠実なる牧羊犬】の姿もある。さらに【甘き美声のカナリア】の特殊効果で自分のターンがくるたびにコインを一枚もらえる。
この繁栄はもちろんシボッツのルール理解力や状況判断力のおかげでもあるのだが、最大の要因は序盤からよい手札にめぐまれたことだ。
「なんでカナリアがいるとコインが増えるんだよ! 金の卵でも産んでんのかっつーの!」
マカディオスは不服であった。ツッコミを入れたくもなる。
「なんでといわれても……。このゲームだとそういう効果だから?」
「とおりすがりの人が歌のおひねりでも投げてるんじゃなーい?」
一方マカディオスの牧場はあわれなものだった。手持ちの家畜は【かつては働きものだったロバ】に【しゃがれ声の大ヤギ】、一頭きりのウシは【年老いてミルクの出なくなったウシ】ときている。
ルールをぜんぶわかってないマカディオスにもこれはまずいとわかった。手を打たないと負けてしまう。でも何をすればいいのか見当もつかない。
ウィッテンペンを参考に一か八かのかけに出る? しかし悲しいことにマカディオスには、道はけわしくとも偉大な栄光につながる大冒険と骨おり損のくたびれもうけの見分けがつかない。
なやんでいる間にマカディオスがカードを引く番がまわってきた。引けるカードは二枚、手に入るカードは一枚。このゲームでは、カードの内容を確認したうえでプレイヤーが好きな方を一枚えらべるシステムだ。
占い師じみたおごそかなあやしさで、魔女の手が二つの運命をマカディオスに開示する。出たのは使用したターンに四枚の中からカードを一枚えらべるようにする効果と、家畜を定価の二倍で売ることができる効果。
「ヘッ! こっちだな!」
マカディオスは四枚のカードを引ける効果をえらびとる。
勝ちほこったドヤ顔でシボッツを見下ろした。
マカディオスはかしこいので、二と四なら四の方が大きいとわかっている。
したがって、強いのは四と書かれているカードの方だ。まちがいない。
シボッツはほのぼのとしたほこらしさにひたっていた。
もともと安価な家畜を二倍で売ってもたかがしれている。目先のわずかな利益にとびつかず、今後とれる手段を増やす選択をしたマカディオスはガマン強さと先見の明をかねそなえている、などと心の中で親バカ的な拍手喝采。そのうえで、勝つのは自分だとうたがわなかった。
ただ次のマカディオスの手番で開示された四枚の中に【わずかばかりの奇妙な豆】が出たことでシボッツの確信はぐらつきはじめる。
【わずかばかりの奇妙な豆】は【年老いてミルクの出なくなったウシ】を代償に、場に【雲までとどく豆の木】を生成する効果を持つ。
ことのしだいでは驚異的生産力の【金の卵を産むメンドリ】やら有用な特殊効果持ちの【天上の子守歌をつむぐ竪琴】がマカディオスの牧場にもたらされてしまうではないか。
ピンチである。
まだマカディオスはカードをえらんではいない。【わずかばかりの奇妙な豆】と【年老いてミルクの出なくなったウシ】のコンボにに気づかずにほかの平凡なカードをえらぶかもしれない、とシボッツは自分を落ち着かせる。
だが儚い希望は打ちくだかれた。
カードに書かれた難しい単語がわからないというマカディオスに、ウィッテンペンがそれぞれのカードの内容をわかりやすく説明している。
「ほーん。んじゃこれだな!」
マカディオスはその手に【わずかばかりの奇妙な豆】をつかみとった。
シボッツは心の中でうめいた。
そういえばマカディオスの牧場に出ている【かつては働き者だったロバ】も油断は禁物だ。確率は低いがもしも【つかれきった猟犬】【牙なしのネコ】【スープにするとおいしいオンドリ】がそろうと、かの有名な【音楽隊】が完成してしまう。そうなればもう手がつけられない。
シボッツにあせりがチラつきはじめた。
妨害しなければ。
脅威の芽は早いうちにつむにかぎる。
少し雲ゆきがあやしくなってきたがまだ勝負はついていない。
たまたまとびきりのラッキーがめぐってきて浮かれているお子さまに、クレバーな大人の実力を見せつけてやる。シボッツはそう意気ごんだ。
「勝ったぜ! オレの天下! オレが大将!」
ゲーム大会の覇者となったのはマカディオス。
あの後シボッツは手に入った妨害用のカードを使ってライバルの牧場に【貪欲なトロール】をさしむけたのだが、そのもくろみは失敗。トロール特効持ちの【しゃがれ声の大ヤギ】にまたたく間に木っ端みじんにされてしまった。
「なんでたった一頭のヤギにトロールが負けるんだ……」
「そういう効果だから!!! 残念だったな!!! ハッハーッ!!!」
「ふつうのヤギじゃなくて、しゃがれ声の大きなヤギだからなぁ。逆立ちしてもトロールが勝てるわけないよ」
マカディオスは自分が獲得したお菓子の山をテーブルの中央に積み上げた。
「そうガックリしなくたっていい。もらったお菓子はみんなで食べるぞ。グハハハハ! 山分けだ!」
「べつに落ちこんじゃいない。優勝おめでとう、マカディオス」
マカディオスの勝利を賞賛した。
敗者としてのスマートなふるまいは身に着けている。シボッツは大人なので。
以前魔女はわるい大人を自称していたが、さしあたり小鬼はつまらない大人といったところ。
今、勝利のよろこびに無邪気に筋肉をわき立たせているマカディオスも、いずれは自分のようにありふれた卑小さにそまっていくのだろうか。そんなことを考えると、小鬼の胸中にわずかなむなしさがよぎった。
はじめて食べるチョコの味にマカディオスはすっかり魅了された。リスをかたどった棒つきチョコを大きな手がにぎりしめる。リスの尻尾はすでにかじられて欠けていた。
「愛してる。もう離さないぜ、リスちゃん」
うっとりと目を閉じてチョコレートのリスとの甘い時間をすごしている。
テーブルの中央にそびえるお菓子の山から紅茶味のフィナンシェをえらびとりながら、ウィッテンペンはマカディオスのメイン保護者にたずねた。
「マカくんのあのしゃべり方と性格ってさー、だれの影響なの?」
「絵本に出てくる山賊の親分」
短く答えて砂糖がまぶされたグミを口に運ぶ。シャリっとした砂糖が舌の上で溶けていき、奥深いリンゴの風味がとろりと広がった。
山賊の親分は、たしか太った大イタチか何かの動物のキャラクターだったはず。
粗暴で豪快で後先を考えず欲望にすなお。
たぶん小鬼がマカディオスに教えられないことでも、イタチの親分なら教えてくれるはずだ。
たとえば荒っぽい勇気や冒険心。
きっと明日はよい日だと、なんのうたがいもなく信じていられることだとか。




