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49・回答

 毒を受けた手負いが一人。

 荒事に不慣れな魔物が二人。

 楽器を持たないふざけた楽師。

 対するのは数々の教導者を葬り去って長い歳月を生き延びてきた魔物。


 だれ一人命を落とすことなく水の魔物から逃げ切る。それが目標だ。

 上手くいくかどうかは、暗い川底と同じぐらい見通しがつかないが。


「お願い……。もう戦わないで……。あらがってもどうせ無駄なのにね」


 祈る乙女のポーズと暴れ狂う触手。


 大腿四頭筋(太もも)の中ほどまで川につかったマカディオスは陸へ逃げる隙をうかがう。水をあやつる大規模な魔法にも警戒しながら。

 ヨトゥクルとセティノアも魔力を飛ばして援護してくれる。


 自分や仲間が次の瞬間も生きているかわからない。

 そんな緊張感で(はらわた)はざわめき、脳は煮え、筋肉は武者震いする。


 なぎ払いばかりの触手の連撃にマカディオスが慣れたころ。

 クルガフィカがしかけた。

 軌道と速度と趣向を変えた殺意。

 しなる動きの触手たちにまぎれ、刺突の点が急加速で迫る。


 致命的な部位への直撃をギリギリでかわした代償に上腕三頭筋(右腕上方)の皮膚を削りとられた。消化液は打ちこまれてはいない。

 触手はすぐ動きを変えた。

 マカディオスは軌道から敵の意図を読む。クルガフィカのねらいはこのセクシーな胸鎖乳突筋()。どうやら絞め殺すつもりだ。

 ほぼ使いものにならない右腕で触手と首の間に割りこんだ。

 意識を失う前が勝負。

 水しぶきを上げ体全体を豪快に回転させる。左手で触手をつかむ。このまま水中にひそむ本物のクルガフィカを釣り上げてやる。


「ッ!?」


 凶悪な触手がぶつりと切れる。

 引っ張り上げられるのをおそれたクルガフィカが自らの意思で切断したのか。

 水で形作った仮初の体とちがい、傷ついた触手は再生しない。


「あれが実体でまちがいなさそうでぃすの! でも……」


 セティノアが不安げに視線を西にむける。日没。まもなく満月が空の主役となるだろう。




 空間のゆらぎに敏感なセティノアは、オモテとウラの二つの世界の裂け目が近くで生じたのを感じ取った。


 突然やわらかい肉球がマカディオスの三角筋()に触れる。同時に黒猫のフローが姿をあらわす。毛を逆立たせ、口を吊り上げ、全身が怒りと恨みそのものと化している。


「ぬあっ?」


 水からの拒絶。マカディオスの重量級ボディが川面に浮かぶ。はだしで水の表面をふんでみる。足はしずまない。

 フローが触れた箇所がうっすらと光っている。肉球で魔法をかけたらしい。


「いいねっ、ずらかるよ!」


 ダイナの自慢は判断と逃げ足の早さだ。

 もちろんマカディオスもそのつもりだったが、さっきからずっとフローのようすがおかしい。

 それにクルガフィカの反応も。

 怨讐にかりたてられたネコの瞳と、恋情と加虐に胸を高鳴らせた乙女の視線がぶつかりあう。


「ぜんぜん気づかなかった。姿を消す魔法でも使ってたの……? ねぇ、まって! もしかしてあの人もきているの!? どうしましょうっ、こんなにステキなことってあるかしらっ!」


 恍惚の笑みを際立たせるのは満月の光が作る陰影。

 

「どこ? どこにいるの? ……あぁ、腑抜けの粉ひきさん。どうせまた死にかけのドブネズミみたいにかくれてるんでしょう? 私にはぜんぶお見とおしなんだから。早く顔を出してくれないと……」


 クルガフィカの意識はここにいないだれかにむけられている。

 マカディオスは考える。水の魔物が執着しているあの人とはだれなのか。


「さびしくてさびしくてっ、あなたの大事なネコたちをもう一度殺してしまいそうっ!!」


 つながった。

 この土地にきた時、川から吹く風のにおいをかいだローテが急に殺気立ったのも。

 ダイナと留守番をしていた無精者のミルが屋敷から姿を消したのも。

 シボッツが夜の音楽を異様におそれていたのも。


「そうか。お前か」


 フローをねらう触手をマカディオスが引きちぎる。水柱が噴き上がる。黒ネコは水上をかけていった。

 触手をうばい、どしゃ降りみたいに落ちる水を背に、マカディオスは川面を爆走。

 右腕を充分に動かせず重心がみだれそうになる。その不利をおぎなうのは忌々しい来歴の尻尾。バランスをとり速度も軌道も損なわず、クルガフィカのいる方へ。

 猪突猛進の愚直な体当たり。

 に見せかけてフェイント。肉薄した直後に間合いをとった。位置をずらす。

 調達したばかりの武器を左手でふるう。甲殻的な硬質さと植物の柔軟さを両立したそれは、元来の持ち主に牙をむいた。

 偽りの体は無数の雫となって吹き飛び、隠れ蓑もろとも内部の触手は断裂。


 クルガフィカから無事に離れられればそれでよかった。少し前までは。でも今は。

 拳は今この時だって竜の咆哮をあげている。




 水上歩行の快進撃。

 それでも満月の光はクルガフィカの味方につき、魔物ではないマカディオスが負った傷は癒えぬまま。


「きりがないって! 逃げるが勝ちだよ!」


 しょぼい小悪党よろしくひたすら逃走を呼びかけるダイナを黙らせるように、川の触手にむけて新たな攻撃が加えられた。

 セティノアやヨトゥクルの魔力ではない。

 獣の爪の斬撃が飛ぶ。速度が速く手数も多い。相手に干渉したことで隠ぺいの魔法がとける。茶色い毛のローテが木の上にいた。魔力の投射の合間に小まめに位置を変え、敵を攪乱しようとしている。

 見晴らしの良い丘の上から放たれた衝撃波が川をゆるがす。怒りの形相で大きく開いたミルの口からは魔力の残滓が煙のように立ちのぼっていた。次の一撃のために魔力をたくわえにかかる。


「加勢はありがてーでぃすが、状況は何も変わらねーでぃすよ……」


 どうせ再生されてしまう。そうとわかりきっていても、セティノアは小さな手に魔力をあつめる。折れかけた心で。どうすれば良いのか。自分に何ができるのかもわからない。それでも家族を助けたかった。


「いや、変わるね」


 泣き出しそうなセティノアの横にダイナがそっとよりそった。

 ただの人間なのに。悪魔的な音楽の才を持ちながら、肝心のバンドネオンを屋敷に置いてきたアホなのに。

 マジメな表情でうなずくダイナの顔は、この状況がなんとかなるんじゃないかとうっかり信じそうになる。沈黙を守っている時の彼女はどこか神秘的で底知れないものを感じさせる。

 その端正な顔でダイナはきわめて小物くさいセリフを吐く。


「ここはネコの手を借りて私たちは牽制役をサボろう!」


「なっ、なんたる不マジメ! 最低でぃす!」


 セティノアの非難はどこ吹く風で、ダイナはヨトゥクルに身振りで指示。耳のあたりをトントン叩いてみせた。

 ヨトゥクルは教導者製装置の消声機能を一時的にオフにする。


「月の光をさえぎるのに専念できる? スーパーネガティブな気持ちになった時、雲作ってたよね?」


「いくら僕でもそう都合良く落ちこめるわけでは……」


「隣人さんや。お前さんが入居したてのころ、ゴミの出し方の件で大家さんにえげつないつるし上げ喰らってたのを(わたしゃ)しってるよ」


「……」


「近所の店でも見たよ。会計の順番を横入りしただろって小柄なじいさんからずっとネチネチからまれてるの。あの店、客が好き勝手並んで列のルールがあいまいなんだよね」


「……」


「それから」


「……もういいです」


 ふりしぼったかすれ声で告げた後、ヨトゥクルの姿は濃密なモヤで完全に見えなくなってしまった。


「フフ、落ちこんじゃったね。それじゃよろしく」


 セティノアがダイナの腕を引く。

 さっきまでとは違い、やるべきことをハッキリ見すえた力強い眼差しをしていた。


「上流に水門があるのでぃす! 川の水量を減らせば……」


「いいねぇっ! あの腹立つ被害者ぶりっ子ちゃんのツラをおがめるかも!」




 この場にシボッツはいないとマカディオスは確信していた。

 殺気立つフローからは心のよゆうが感じられない。もしも隠ぺい状態のシボッツがそばで指揮をしていたなら、彼のネコたちはもっと冷静に慎重な行動をとっている。

 そしてシボッツが優先するのは自分の復讐の機会よりも、子どもたちとネコの安全だ。みんなが安全圏に逃げる時間稼ぎだけして、それがすめば戦いを切り上げようとする。


 でもネコたちはそうしなかった。

 だからシボッツはここにきていない。

 あの魔物にはそんなことさえわからない。




 じりじりと下がる川の水位にクルガフィカも気づきはじめた。

 怪力覆面マッチョの大暴れとヘビー級キャットの衝撃波で陸地に散っていく水の量も積み重なっている。


 人の手を離れ、もう長らく川ざらえのされていない水底にはねっとりとしたヘドロが大量に沈殿していた。汚濁の水にまみれたクルガフィカの本体があらわになる。


挿絵(By みてみん)


 黒いウロコと乳白色のヒレを持つ奇怪な人魚にも見えるその下半身は、魚ではなく巨大なスイレンの根でできていた。黒く細長い根茎に、白い部分は無数のヒゲ根。肉食水生昆虫を思わせる部位もある。

 自由に動かせる触手の数も残りわずか。毒針つきの触手が一本と白い触手が二本。


 隙をさらしたクルガフィカに飛びかかり、間髪入れずにスリーパーホールドに持ちこんで勝利をもぎとる! ……ことはできなかった。

 マカディオスの息は荒い。血管がドクドクするたび吐き気と頭痛が増していく。体に毒が回っているのを感じる。悪いことに目までかすんできた。視界に映るものが二重にちらついてねらいがさだまらない。


 まだざっくりと識別できる色彩と動きの認識だけを目にまかせ、詳細は耳と鼻と皮膚にたよる。

 そして頭を働かせて必死に読んだ。相手の思惑を。


 敵の立場なら毒針は肝心な時まで温存する。そして確実にマカディオスをしとめにかかりたい。

 まずはトドメの毒針を打ちこむのに有利な状況を作りにくるはず。触手での位置誘導や拘束あたりを想定し身構える。

 

 クルガフィカらしきぼんやりした影に動きがあった。

 ねっとりとしたヘドロの層から、何かが離れていく音。泥水がしたたり落ちる音。触手を持ち上げ攻撃の準備態勢にうつったのがわかる。


 ピリ、とした緊張感が肌を伝った。

 戦いの中でわけもなく不安にかられるなんて。今は臆病になっている時ではない。心配性のシボッツではあるまいし。

 小鬼の顔が頭に浮かぶ。大好きで大切な家族だが、いっしょにいた時には性格のちがいからびみょうな空気になることも少なくはなかった。小鬼は細かいことをあれこれ気にして、マカディオスがやりたいことにケチをつける。


 マカディオスは心の中のシボッツに何も問題ないのだと説明した。

 毒で弱っていてもマカディオスならクルガフィカの触手を引きちぎることができる。

 あとはつかむタイミングをうかがうだけで良い。

 勝てる。


 幻影と追想で作り出された、か弱く慎重で賢い父はふり返って答えた。


挿絵(By みてみん)


 ――だからだ、マカディオス。アイツはこれまでに何度もお前に触手をむしりとられているんだぞ。


 ヘドロにまみれた何かが飛来。

 つかまない。

 これはきっと触手じゃない。

 左手を顔の前に突き出す。

 マカディオスの目はかすんでいても、相手側はちゃんと見えていてねらいをつけてくる。

 それを的確に迎え撃つだけだ。

 何かが拳にぶち当たる。人工的な石の塊。小さな欠片になって砕け飛ぶ。

 遠い昔に川底に沈められた手回しサイズの石臼。それを見つけて投げつけたらしい。


 クルガフィカの殺気が一瞬、無風の湖面のように静まる。あっけにとられた、というように。

 激情の魔物はすぐさま次なる攻撃に転じる。




 あらがってもどうせ無駄なのだと、クルガフィカは言った。

 すべては無駄な努力でしかなかったと、粉ひきは絶望した。


 本当にそうなのか。

 竜の卵の殻をぶち破って世界に産まれ、魔女に名前を与えられ、小鬼の愛情で育まれた者が、その剛腕で答えを突きつける。




 マカディオスの注意を引こうと暴れる触手にまぎれ、毒針が鋭くひそやかに空を切る音が聞こえた。

 凶悪な水の乙女がねらうのはもちろん……。


「心臓だよなああっ!!」


 左わきで強固にはさむ。

 残された最後の毒針を即座に自切するのをクルガフィカはためらった。

 魔物が躊躇したその一瞬。マカディオスの強靭な大腿四頭筋()が高らかに持ち上がり、ピンと張った触手にカカトを蹴り下ろす。金の戦斧のごとき一撃で。

 白いうねりと陰惨な毒針が分断される。

 砕け散った石材とヘドロと泥水。その上でのたうつ触手を踏みつけてクルガフィカ本体へ肉薄。

 二本の触手が巨体の突進を押しとどめようとあらがう。

 酷使した左手と毒のまわった右手でクルガフィカの触手とがっつり組みあう。


「オレと力くらべすんのかあ!? 面白いじゃねえかよおっ!!」


「野蛮! やめてっ! こんなのひどい! 魔物じゃないクセにどうしてこんなにしぶといわけ!? お願いだから……大人しく……心臓をさし出してよ!!」


 マカディオスの棘上筋(右肩内部)がふるえる。

 イヤな音を立てて、右肩の関節がぶっはずれた。


「アハッ!!」


 勝ち誇った顔。

 油断。敵がさらした隙。逃さない。勝ちへの糸口を。

 水の乙女、クルガフィカ。コイツはぜったいゆるさない。


 全身の血を奮い立たせ、左腕で触手を引っ張る。

 その勢いに乗せて、おキレイなマヌケヅラにかますのは渾身の頭突き。

 二本の触手ともどもクルガフィカは曇天を仰いで倒れこむ。

 飛び散るヘドロのしぶき。悪臭。


 視界がぼやけてかすんでいても、肌に感じる空気でわかる。

 敵意と憎悪がたっぷりこもった魔物の瞳がまだマカディオスにむけられていることが。視線だけで肉を食い破ろうとするかのように。


 その場でバシュッと飛び上がる。

 健やかな下腿三頭筋()を伸ばし。

 ギロチンの刃よりも容赦なく、魔物の首めがけて叩き落した。


「か……ッ、は」


 ノドから乾いた音を立てクルガフィカが意識を失う。

 マカディオスは左の拳を高く高く空にかかげた。


「ざまあ、みろ、ってんだ……ッ!!」


 何かが壊れる音。

 水門と水車に歯車。

 役目を終えたとばかりに崩れ落ちていく滅びのさまはむしろ晴れやかで。


「……おかげで助かったぜ。お疲れさん」


 口元に白い歯の豪快な笑みを浮かべたまま、全力を出し切った竜の子はぐらりとかたむき倒れていった。

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