48・因果は巡る
「あぁ、マカディオス! また会えて本当にうれしい。きてくれなかったらどうしようって思ってた」
黄昏時の川に身をひたした乙女はゆったりとほほ笑んで竜の子とその他を歓迎する。
「作ってみたの。よろこんでくれるとうれしいんだけど」
水の乙女が手を広げ、贈りものをお披露目する。
夜の闇と星がざわざわおしゃべりしているみたいな細かな白黒の斑れい岩。
太古の森で雨にぬれたコケを思わせる深い緑の蛇紋岩。
赤い血潮が結晶化したような紅簾石。
水の流れでけずられた石を紐で包みこんだアクセサリーだ。
「おう。キレイだな」
「ありがとう。受けとりにきて。こっちにいらっしゃい」
浅瀬でクルガフィカがまっている。
白っぽい砂地にはだしの足跡をつけながらマカディオスが近づく。
マカディオスの大きな手に石の首飾りがちゃらりと乗る。クルガフィカの手は繊細で、形良く整えられた爪は清楚な色みの白で自然に彩られていた。
水の乙女の瞳はじっとマカディオスにそそがれている。
深く暗い青の瞳は陸の命を引きずりこむ水底の色。
「うーむ。ここでさりげなくロマンチックな音楽を入れて盛り上げたいものですなぁ」
老人口調のダイナが茶々を入れる。
「ダイナ、そもそも楽器を置いてきてるじゃねーでぃすか」
「大事なバンドネオンが水ポチャでもしたら大号泣じゃすまないし。ヨトゥクルも手ぶらだし」
ヨトゥクルは一言も発さずに両手をかかげる。たちまちその手元にどんよりとしたモヤが立ちこめ、薄らいだ時には彼のヴァイオリンと弓があった。
「コイツッ、これ見よがしに便利な魔法を使いやがってよぉッ……!」
同郷の天才異端児の吠え面をおがんでから、凡才で終わった魔物はまたしれっと愛用の楽器を送り返す。
びみょうに仲が悪い760a出身組のやりとりにあきれながらも、セティノアは川べにいる二人のようすをずっと見守っている。ウソを見ぬく呪いの目でクルガフィカを注視し続けた。
マカディオスはクルガフィカにウラの良さを一生けんめいに伝えようとした。妖精市場のにぎわいや物語に縛られることなく生きる楽しさ。
クルガフィカの反応は優しくおだやかだったが、どんな話も彼女の心を動かすことはできなかった。まるで川の流れを逆向きに変えようとむなしく奮闘している気分になってくる。
無駄な努力。
「心配してさそってくれているのにごめんなさい……。私ね、一生かけても見つけたい大切な探しものがあって。それでオモテをさまよい続けているの」
「そっか……、早く見つかると良いな。だけどよ……!」
前腕伸筋郡に突然の激痛。皮膚と肉と骨がバラバラになって悲鳴を上げるような。
水面から伸びたおぞましい管が深々と突き刺さる。ただ刺されただけじゃない。とんでもなく有害なものが体の中に入りこんだ。またたく間に腫れ上がった腕の筋肉が溶けはじめている。
反射的に腕を振るうと、硬質な管はとろけた血肉をまとわりつかせながらあっけなく引っこ抜ける。脆弱になった皮膚も肉も、管をとどめておくだけの強度がなくなっていたから。白い管は暗い水にしずんでいった。
「あぁっ、マカディオス!!」
傷ついたマカディオスを支えたのはクルガフィカだった。
川面のいたるところに奇妙な水の塊がこぷりこぽりと出現する。その数、十あまり。
にごった丸い水塊を支えるのは白い六本足。マカディオスの腕に溶解毒をぶちこんだ管と似ている。なんらかの関係があると見て間違いない。
そこに瀕死のカナブンの決死の体当たり……ではなく、貧弱な魔力が水塊にぶつかる。ぱちゃんと軽く水しぶき。ただそれだけ。
覚悟と恐怖と無力感をごちゃまぜにした蒼白の顔で、セティノアがふるえる腕を突き出している。
ダイナのするどい声と投石が飛ぶ。
「水中の敵に注意して! 上に出てる分はこっちで牽制するから!」
水塊の中から白い管が飛び出す。暴力的に荒れ狂う硬質な触手が、陸地側にいるセティノアたちの目の前まで襲いかかる。
頭から後ろに倒れそうになるセティノアの体に、ダイナの腕がしっかりと回される。
「ケガしてない!?」
「かすめてもいねーでぃす! そんなことよりマカディオスが!!」
口を開けてつっ立っていたヨトゥクルがここにきてようやく状況をのみこんだ。彼の足元で陰鬱なモヤが渦をまく。空気がこすれる場違いに耽美な音とともに、四つにわかれた魔力が水塊の虫に直撃。
激しく水を吹き散らし、虫の本体と思しき白い触手をひるませた。
触手はとぷりと川に引っこむと新たな水をまとってあらわれる。
「……ダメです」
こちらの攻撃の手数と威力が絶望的に足りていない。
セティノアが空を見る。夕日が赤く輝いている。あらゆる魔物に癒しの恩恵を与える満月の光は太陽が顔を出している限りかき消されてしまう。今はまだ満月の再生がはじまる時間ではないはずだ。
「なんなのでぃす、この魔物は……」
川面のクルガフィカは傷ついたマカディオスをかばい、たよりない動きで水塊から逃げていた。今のところ襲いくる触手から完全に逃れてはいるものの、よけるたびにどんどん岸から遠ざけられている。
「マズいよ、陸から引き離されてる。それに……」
ダイナが険しい顔で敵をにらんだ。
「魔物の歌にご用心だよ」
教導者の耳当てをヨトゥクルの頭にぐいっと押しつける。
「ごめんよ、機械に封じられた魔物! あとで菓子折り持参で詫びるから!」
迷いのない手つきで声を遮断する機能を発動させた。
神経に突き刺さる千のガラス。
体の内側で猛火と爆風がはぜる。
骨の髄までしみこむ病んだ毒。
そんな失神級の激痛パレードも終わりにさしかかる。
右腕の激痛がいくらか弱まり、マカディオスはおぼろげに思考をめぐらせる。
敵にかこまれている。川の中は危険だ。ふらふらと陸を目指す。足の下で水底の砂がもろく崩れた。
「ダメ。そんな傷でムリに動いちゃ」
左手を引かれてふり返れば、憔悴しきった表情のクルガフィカがいた。
「私に身をゆだねて……」
マカディオスはすなおにクルガフィカの手をとる。
そして残っている気力をふりしぼった。
川の水と同じ温度と触感を持つ体が壊れないよう、やさしくしっかりとクルガフィカを左手だけで抱きかかえる。
「え……?」
「ここじゃ危ねえ! いっしょに逃げるぞ!」
猛毒を打ちこまれた体にありったけの力をこめる。頭痛と腹痛。体中の臓器が不満をさけぶ。それでもマカディオスはクルガフィカを――。
助けたいと思った。
マカディオスがかつぎ上げたクルガフィカの体が完全に水面から離れる。
その足先から伸びているのは、川の底まで続く乳白色のまがまがしい触手。
「どう、して……こんなことしたの? 私、水から離れられないっていったじゃない……。ひどい……」
三文芝居の幕切れ。
ダイナは気づいていた。
マカディオスでさえ不意打ちに対応できなかった触手の一撃。巨躯の負傷者をかばう緩慢な動きのクルガフィカが触手の猛攻をかわし続けるのは、彼女が水に適応した魔物ということを考慮してもかなり怪しい。
ヨトゥクルとセティノアの背後でハッタリをかます。
「観念してマカディオスを返しな。溺死の歌を使おうたってムリ。こちらにおわす方はかつて街一つを魔法の音楽でおおいつくした魔物一の超絶奏者! 音を使った魔力対決ならこっちの圧勝だよ。わかる?」
声も聞こえず状況も読みこめず棒立ちしていたヨトゥクルは目配せされて仲間の意図を察した。もったいぶったような態度で虚空からヴァイオリンを呼び出し、魔物の歌姫をだまって見すえる。
マカディオスは覆面の奥で目をぱちくりさせていた。ほんのり甘酸っぱい初恋の予感が大粉砕。裏切りへの動揺も心の傷も今は横に置いておく。ショックを受けた思考や感情がぼさぼさしていようとも筋肉はいつだって全力全開だ。
その場でくるっと腰をひねり、水の魔物に左ラリアットを叩きこむ。コンパクトかつ強烈な一発。
まがいものの体が水しぶきとなって消し飛び、内部にはりめぐらされていた大小の触手も引きちぎれる。
一瞬でケリがついた。
それは誤解。
水塊の一つがぶるりと波打ったかと思うと、すぐさま万全なクルガフィカの姿に変わる。
「ウラにはいかない。ずっとオモテにいたい。だって運命の王子さまを探してるから!」
まるで、愛をふみにじる悪党どもに健気に立ちむかう可憐な乙女の顔でいいはなつ。
「アホか!!」
「なんてこというの! ひどい!」
気に入った人間の男を徹底的に追いつめて魔物化させる。心臓をにぎってさからえなくする。満足いくまで献身的につくしてもらう。それがクルガフィカのいう運命の王子さま。
残念ながらクルガフィカがどれだけ手間ひまかけて理想の恋人を作り上げても、どれもほとんど一年足らずで壊れてしまうのだが。軟弱者ばかりでなげかわしいことである。
「マカディオスならもっと長持ちするわよね? ……九年、ううん三年くらい?」
恥じるようでもあり媚びるようでもある悩ましげな顔でマカディオスに視線を送る。
「あなたって本当にむさくるしい……。でも私はあなたがどんな見た目でも気にしないわ。ダメな部分は作り変えれば良いだけだもの」
セティノアはクルガフィカから目をそらしてはいない。今の言葉も、彼女が大人しく友好的だった時の発言も、ウソを見ぬくセティノアの目に反応しなかった。
「全部がぜんぶ本心からの言葉……。頭の中どうなっているのでぃすか!?」
「ひっ、怒鳴らないで……。なに? なんで私が責められなくちゃいけないの……? こんなの普通でしょう!? なんで私はやっちゃダメなの!?」
川の水があつめられ多頭のヘビのように宙へと舞い上がる。
「私がただの弱い人間だったころ、そんな風に支配された! 私の気持ちは一切おかまいなしで好きでもない男に服従をしいられた! さからえば髪をつかまれて殴られた! 気にさわれば食事を目の前ですてられた! あ、あぁ……まって、みんな私のこと誤解してるわ。人間時代にうばわれた大切なものを魔物になって取り戻してるだけなの。私は悪くない……、でしょ? ……なんでだれも返事をしないわけ!? 私にはそうする権利すらないっていうの!?」
荒ぶる情緒そのままに濁流が空にほとばしる。
「あってたまるか!」
左手一本の拳圧で迫りくる水流を吹き飛ばす。毒にむしばまれた体ではマカディオスでもそれが精いっぱいだ。仲間をかばうよゆうまではない。
ダイナとセティノアは近くの大木に必死にしがみつき、川につれていかれそうになるのをかろうじて持ちこたえた。根元の土がごっそり流出してひどくグラグラする。次は絶対に耐えられない。
「ダ、ダイナ……。ヨトゥクルがいねーでぃす……」
「っ! そんな、まさか」
全身ずぶぬれで張りつめた面持ちの二人のそばに、ふわもこの魔法の雲に乗って水滴一つついていないヨトゥクルが気まずそうに空からおりてきた。
「……恥ずかしながら僕は無事なので」
「あぁ、そう……」
右腕の激痛は引いてきている。なのに、どうしようもなく全身が重い。
痛みが弱まったのはマカディオスのウルトラマッスルボディが毒を克服しつつあるからだと思っていた。でもそれは、楽観的すぎる誤解だったのかもしれない。
「もう感覚なくなっちゃった? 利き手が使えないと不便でしょう?」
「まだピンピンしてるぜ。失敗したな、クルガフィカ。本気でオレをしとめたかったら、最初から心臓をねらっとくんだったな」
いうほど快調ではなかったが、こういう時は堂々とハッタリをきかせた方が良いとダイナを見て学習した。760aで仲良くなった治安の悪い東地区の面々も、矯正学舎でおいしいご飯をくれたジョージもケンカ相手に弱みをさらしはしないだろう。
命のやりとりをする時のウィッテンペンだって、きっとそうする。
ウィッテンペン。竜の子の名付け親。牙の魔女。ひ弱な小鬼の用心棒。
少しの間だけで良い。この拳に、その強さを分け与えてほしい。
獰猛な闘争心。邪悪な抜け目なさ。冷静にして容赦なく。そして純然たる畜生の憤怒を。
川面から突き出した無数の白い触手。陽光を浴びることのない植物の根のようにも見えるし、肉食昆虫の体の一部のようでもある。味方のフリをしたクルガフィカが逃げ回っていた時とは段違いの速度と殺意をおびて、マカディオスをとらえようと不気味にくねる。
「……ねぇ、マカディオス。あなたが好きなの。恋人になってちょうだい? あなたの血と肉……、すごくおいしかった。もっと食べさせてくれる?」
気になっていた娘に好きといわれて、こう返す。
「オレの前腕伸筋郡をどちゃめちゃにしやがって。お前なんざ大嫌いだよ!」




